きれいな感情
目が醒めると、見慣れない白い天井が広がっていた。
見慣れない白いカーテン、白い寝具。
清潔に保たれたその部屋を、僕は病院だと認識する。
理解は出来たが、何故自分がこのような場所にいるのかまでは追い付かない。
視線が泳ぐ。ぐるりと周囲を見渡して、自分の体に沢山のチューブが差し込まれている事に気付いた。
紛れも無い不快感を覚え慌てて飛び起きる。
動かされる手足にさえ違和感がある。
なんだ、この手は。
浅黒い皮膚の下に血管が通っていて、自らの心拍と同じく脈打つ。
そうしてそれが自分の腕だと気付いた。
ばくばくと急激に心拍数が跳ね上がった、何故だ、何故自分は病院なんかにいるんだ。
身体は至って健康だ、昨日だっていつもどおり……――そこまで考えてからいつもどおり、が分からない事に驚愕する。
それどころか自分の名前でさえ――


「――一時的な記憶障害ですね」

貴方、交通事故に遭ったんですってよ。
恰幅のいい看護師がそう言った。
事故に遭った記憶さえ無い。

「頭の傷も対して大きくありませんから。落ち着いたら自然と記憶も戻ってくるでしょう」

自らの名前と身分を示すのは、大学の学生証だった。
学生証の写真と、この思考が宿る脳が収まる顔が同じであったが、到底自分の顔だとは思えなかった。

頭の傷の抜糸が終わる頃に、ようやく自分の身体というものが馴染んできた。
当初は手足の長さにすら違和感があり、立ち上がっただけでその高さに眩暈を起こす程だった。
思った所に手を動かす事が出来ず、そのイメージの乖離に物を落として壊す事複数回を経て、やっとの事で自分の手足である事を自覚する。
漠然と、大学生であるという事から、記憶が無い割には大人であるという事だけは分かっていた。
だから傷が癒えれば、すぐに退院する事を決めた。
もう治ったの?まだ記憶が無いなら、もう少し入院した方がいいのでは?と引き止める看護師も居たが、少しでも早く元の生活に戻りたい気持ちがあった。
少しでも早く日常に戻る事で、記憶が戻って来てくれるような気がしていた。

「何にも、ないなあ……」

学生証に書いてある住所に辿り着けば、綺麗な部屋がそこにあった。
二つ三つ段ボールがあって、どうやら引っ越して来たばかりである事が伺える。
しかしその中の荷物の大半は既に綺麗に片付けられており、後は僅かな衣服が畳まれた状態で箱の中に残るだけだった。
腰の高さ程のテーブルが壁に沿って置かれており、その上には大学の教科書や辞書が並べられ、壁にはコルクボードが据え付けられ何枚かの写真が貼られていた。
……子供の頃の、写真のようだった。
笑顔の少年が男女に挟まれている。
きっと僕の両親なのだろう、と少し無関心に理解だけしてそれで終わった。
あとは、どうやら孤児院の写真だった。両親が死んで、そして孤児院で育ったようだった。

そうして毎日が始まる。



2015/06/11−2015/09/23




「ああ、ハプティズム君だね、話は聞いてるよ。」

生活が落ち着いてから初めて大学に登校するとどうやら入院による長期休学届けが出されていたようだった。
体はもう大丈夫なのかと聞かれ、本当は勉学についていける自信が無かったが、自宅の机にあった苦労して取ったであろう高卒認定の証書を思い出して、大丈夫です、とだけ答えた。
4学期制のこの大学はもうすぐ2学期が終わろうとしている頃で、後期入学の生徒と一緒に履修届けを出すように言われた。

……書類などを見て思ったが、どうしてか学校側が自分に甘いような気がする。
身内のいない自分にどうして休学届けが出されているのかと不思議に思えば、自分にはそれなりのパトロンが付いているようで、学費の免除どころか多額の寄付を受けているようだった。
しかし住んでいるアパートまでは保障はしてくれていないようで、
わずかながらも持っていた貯金から毎月引かれていった。

勉学の傍ら、バイトを始めるようになったのは貯蓄だけでは心もとなかったからだ。
……否、たしかにそれなりの金額は、あった。
家賃+食費と思えば暫くはのんきに暮らせる程はあったが
税金、光熱費、水道費、交通費、後遺症の検査などもあり医療費、大学に慣れれば交際費。
卒業する頃には底を付く。
計算し尽くされたような貯蓄額だった。
しかし学費だけではなく大学への寄付をしてもらえる程、期待されているパトロンがいるということは、勉学をないがしろにするわけにはいかない。
また変なバイトをするわけにもいかないので、
日中はカフェ、たまに夜のコンビニという構成になった。



最近、カフェに変わった人が来るようになった。
いつも窓際の一人席。座って外を眺めている。
あまりくつろげるタイプの椅子ではないのに、長時間。
混雑時は、すぐ帰るけれど。


20160829

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