2014年ヴァレンタイン

雪の日なのに窓の外が、やたらと煩いとその日ぼくは思った。

「毎年すごいなあの双子は」

図書館に生徒会の引き継ぎの要件でアレルヤを始め、刹那、ティエリアの三人が集まっていた。
ふと刹那が窓の外を覗いたと思えば、どうやら”あの”双子が歩いているようだった。
アレルヤとティエリアはそんな事知った事ではない、という様子でもくもくと作業を続ける。
高等部の数学教師であるニール・ディランディと、大学院生のライル・ディランディは双子だ。
大学部の人たちは彼らが双子であると知っていたそうだが、高等部である三人は、ある一件があるまでそうとは知らなかった。
三人が在籍するこのプトレマイオス高等学校は、男子校である。
すぐ横にはプトレマイオス高等女子学院、そしてプトレマイオス大学校が隣接されてある。
一応高等部同士は垣根があるのだが、大学の方にある図書館は一般にも公開されており、IDキーを発行すれば学生でなくても図書の貸し出しがすることが出来る。
そして三校が隣接する唯一の場所であり行き来が可能になる庭である為、今日……バレンタインは、女学院の生徒の格好の狩り場でもあった。
今年のヴァレンタインは近年でも稀にみる大雪の日であるのに、やはりそこには数人の女子が潜んでいた。
何故刹那はこんな厄介な場所で会議を……とアレルヤは思いもしたが、詮索するのも野暮だと思ったのでやめた。

「アレルヤー!ティエリアー!チョコくれー!」

本来であれば静かな図書館の一角であるのだが、そこにライルは訪れた。
しかも女子から貰った大量のバレンタインチョコの箱を抱えて。

「刹那も要らないなら俺がもらうぜ!」

どうやら三人が女子に押し付けられたチョコを回収に来たようだ。
刹那はともかく、アレルヤとティエリアはチョコを受け取っていない。
生徒会長であるティエリアはそんなものを持ち込むのは校則違反だと女学院の生徒に説教をするほどだった。

「あれ?アレルヤ受け取ってねえの?人気ありそうなのに!」
「沢山貰っても処理しきれないから……受け取らないようにしてるんだ」

意外、押しに弱そうなのに。という顔でライルはアレルヤを見る。
押しに弱いのはそうだけど、とアレルヤはその視線を感じ取りながらも、処理しきれないほど貰った事は無いと内心でがっくりとした。
大体ハレルヤが毎年持っていくのだ。
アレルヤが副会長として在籍していた一昨年だけは例外だが、それでもハレルヤの量には及ばなかった。
アレルヤ自身甘いものは嫌いではないので、その時もまったく無問題だったのだが、今年は。

「えー?俺甘いの好きだぜー?」

研究でラボから出られない時や論文を書かねばならない時程甘いものが欲しくなる、とライルは言った。
院生として未だ大学に在籍し続けるライルはある意味、レアな存在でもある。
そしてそんなレアな彼がこんな気軽に高等部の三人に接してくるのもまた、不思議な縁でもあった。

「そういや、兄さんも今年は誰からも受け取らないって言ってたな」

ふとライルが言葉を繋いだ。
先ほどの館外から聞こえた喧騒はどうやら、本当に二人で庭を歩いていたかららしい。
黄色い声を浴びながら、ライルは図書館へ、ニールは高等部へと戻って行ったようだった。

「え、どうして」
「ん?なんか春先から言ってた。『俺もうバレンタインのチョコ受け取らない』って」


ほう、と驚いたように目を開いたのは刹那の方だった。
ティエリアは呆れたようにライルを見て、さっさと引き継ぎを済ませたいと嘆いた。
いやいやいや。もうすぐ卒業するぼくをこき使ってる君が言うのかい?とはアレルヤは言い出せない。
というよりも予定外の事が起こったせいでアレルヤの頭の中は違う事でいっぱいになってしまっていた。


*****


「ニール先輩!チョコうけとってください!」

雪だし早く帰りたい……とアレルヤは肩を落としながら校舎へと戻ろうとした。
しかし背後から突然女性の声が聞こえ、しかもそれが担任であるニールの名前を呼ぶものだから、ばっと振り返ってしまう。
(な……何やってんだぼく……!ああ、でも気になる……!)
二人はこちらには気が付いていない。であるのだが、反射的に無意識で近くにあった自販機の陰に隠れてしまった。

「ごめんな!今年は誰からも受け取らねえって決めてんだ」
「ま、まさか彼女が……!?」

女性は私服だ。そしてニールを先輩と呼んだ事から考えるに、ライルと同様院生か、大学生だろう。

「今、三年生受け持ってて。みんな合格するように願掛け」

春先から……というライルの言葉がアレルヤの頭の中を過ぎった。
中高大一貫ではあるのだが、大学部は外部からの受験生も多くいる。実際にアレルヤも受験して、その厳しさに打ちのめされそうになった。
そんなニールにアレルヤは胸の内が暖かくなる。
ああ、優しいのだ。この人は。
優しくて、優しくて、優し過ぎて。
そんな彼にチョコレートを渡したかったが、例えどんな意味でも、自分が彼の恋人でも、彼のその意思を重んじる為には我慢しなくては、とアレルヤは自身を諌めた。

「とゆーことでごめん!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」

パン!と音を立てて顔の前で手をごめんなさいの仕草をニールはする。
そんなニールを引き止め、女性はアレルヤが隠れている自販機へと駆け寄る。
(ヤバイ見付かっちゃう!)
見ててごめんなさい覗き見するつもりじゃなかったんです、とアレルヤは指を組んでどう謝ろうか頭の中でたくさんの言葉を考えた。
しかし自販機からガコン、と缶の落ちる音がして、振り返ると、女性はニールにお辞儀しながらまっすぐ缶を持った手を突き出している。

「じゃあ受験頑張ってください!体あっためてください!受カルピスじゃないんですけど!!チョコじゃないですから!!!」
「しゃーねーなー……可愛い後輩にそこまで言われたら……チョコ、受け取れなくてごめんな」

早口で女性はニールに言った。
流石のニールもそこまでされるのは予想外だったのか、ぽりぽりと指先で頬を掻いてココアの缶を受け取った。
すると女性はぱぁ、っと明るい顔を上げて、頬を染めて走って大学の方向へと走って行った。
(そ、そんな方法があるのか……!)
愕然と、アレルヤは自販機の陰から身を乗り出しそうになる。
ほんの少しだけ、期待が持てた。
というかニールも押しに弱い方の人間ではないのだろうか……と、思ってしまった。


*****


ドキドキと胸が高鳴る。
いつもと同じように、と深呼吸して気持ちを落ち着けさせて、アレルヤは数学室の扉を叩いた。

「せんせ、差し入れですー。おまんじゅうと緑茶」
「おっ何なに?至れり尽くせりじゃねえか」
「息抜きにと思って。」

扉の向こうは雑然とした狭い倉庫兼、数学教諭の秘密の場所でもある。
アレルヤの声を聴いて古びたデスクチェアをギシっと音を立てながら回転させて、もう白衣を纏っているニールが笑顔で振り向く。
あの後アレルヤはわざわざ駅前まで行って、和菓子屋の饅頭を買って来た。
緑茶は切らしていたのを分かっていたが、受験が始まりなかなか数学室まで来る機会が無く持って来られなかった茶葉である。
ここに来られるのもあと何回くらいだろう。
一応滑り止めに外部の大学も受験している。
だが高校生として、ニールの生徒として来られるのはもう、何度も無いのだ。
名残惜しい気持ちと、早く卒業してしまいたい気持ちと。
早く教師と生徒ではなくなりたいという気持ちと。
ニールにソファに座るように促されながら、じぃ、とアレルヤはニールを見上げた。

「……どうした?」

そんなアレルヤの様子を機敏に感じ取ったのか、ニールはアレルヤの頭を撫でようとするのをやめた。
その変わりアレルヤの横に腰掛ける。
すっとニールの腕が腰に回され、アレルヤは力なくその腕の中に項垂れた。
この小さな倉庫は、二人の愛の巣であった。
アレルヤはこの学校生活最後の一年の為に、頑張って来たのだ。
ニールが新任教師としてやって来た高校一年生の入学式。一目惚れだった。
少しでも彼に近付きたくて、二年生になった時に生徒会の副会長に任命された。
しかしニールは一年生の担任となってしまった。
この様な甘い関係になるなどとは当初まったく考えてもいなかったのだが、結果的にはまあ、いいのだろうか。
学校の生徒と教師、という関係にあるまじき事になってしまったのだが、ニールが担任になった三年生はアレルヤが描いていた最後の一年より、もっと幸福でそして愛に満ちた一年であったのだ。

「〜〜っ……きょう、寒いな、って……」

ライルにあんな事を聞かなくったって、アレルヤはきっとすごくすごく、チョコを渡すのを躊躇しただろうなあ、と思った。
チョコを受け取らない理由が彼らしい、とすら思ったのだ。
ニールの腕の中がこんなに優しいことを知れて良かったな、と考える。
こんなにもアレルヤを気遣い、愛おしげにその肢体を抱き締めている。

「あたためてやろうか……?」

ちゅ、とアレルヤの耳をニールの唇が掠められる。
そうしてゆっくりソファに体を横たえられて、アレルヤはこのまま流されようか迷った。
久しぶりなのだ、色々と。
ニールの手がアレルヤの頬を撫で首筋を伝い、胸から胴体を滑る。
アレルヤの形を確かめるように触れるその仕草はまだ、性的なものではない。

「今日、して来てくれたんだな」

アレルヤのネクタイに付けられたピンを見て、ニールはそっと微笑む。
去年、やっとアレルヤの担任になれたのを切っ掛けに想いが通じた。その時にニールがアレルヤに贈ったものだ。

「……っは、い、」
「嬉しい」

ニールの微笑がふにゃりとした笑顔に変わって、頬にちゅっと口付けられた。それだけでもうアレルヤの頭の中はパニックを起こす。ああ、流されてしまいたいのにニールはアレルヤの思う通りには決して動いてくれない。
これじゃあいつまで経っても腹の探り合いだ、とアレルヤはそのキスの陰で溜息を吐いた。
いつもみたいにしてくれてもいいのになあ、とついまたアレルヤはじっとニールを見詰める仕草をする。
腰骨を掴まれて、再び抱かれた。
ドキドキと、ニールの心臓の音が聞こえる。
アレルヤはその音に安堵して、その背に腕を回して白衣を掴んだ。
(ああ、なんだ、不安だったのか。)
受験シーズンだからお互い必然的に距離を置いていた。
そんな最中のライルのニールはチョコを受け取らないという発言は衝撃的だった。そんな事を公言しておいて、もし、他の誰かのチョコをニールが受け取ったら。
正気でいられなくなるのは他の誰でもなく自分だろう。
だけどそれは彼の優しさだと気付けたし、遠回しにとはいえその理由は自分にも繋がっている。

「折角なんですからゆっくりしましょ……?」

ここのおまんじゅう美味しいんですよ、と微笑んで、その腕の中から出る事をアレルヤは選んだ。実際美味しいかどうかは知らないが、駅前の寂れた和菓子屋の事なんてニールは関知しないだろう。適当な事を言ってしまって申し訳ないが、考えに考え抜いたバレンタインの最終案がこれなのだ。許してほしい。
数学室近くの給湯室へ行って急須を拝借し、ポットからお湯を注ぐ。数学室に隠し置いているオレンジと緑のマグカップは揃いのものだ。
茶葉が柔らかくなるのを待つ間、薄い水色の透き通った石が埋め込まれたネクタイピンを摘まんで眺める。
それは端から見れば何処にでもありそうなデザインだったが、アレルヤにとってはそれがニールから貰ったものだから価値がある。
何度唇を重ねたって、手を握られたって、不慣れなものは不慣れだし、反対にやっぱりニールがやっぱり大人だという事がようく分かる。
このネクタイピンはアレルヤがニールの恋人であるという隠れた主張でもあり、そしてアレルヤの中のニールがやはり大人の男性であるという象徴でもあった。
普段はしない。特別な日……例えばこういう恋人の行事であるとか、勇気が欲しい日であったりとか。
結局今年もバレンタインチョコは渡せず終いだった……と、アレルヤはふっと過去三年間を振り返る。
アレルヤにとってこのネクタイピンは、この三年間の想いの結晶だ。
それでいいじゃないか、とアレルヤはマグカップにお茶を注いで数学室へと戻った。


*****


しんしんと雪が降り積もる中、二人はソファに深く腰掛けている。
おまんじゅうの粉砂糖をキスで拭われるというアクシデントもあったが、穏やかな空気のまま夕方になっていった。
三年の授業はほぼ無いに等しく、時折一・二年の授業でニールが数学室を出ていくだけだ。

「……雪、止まないなあ」

端末の画面を操作してニールは呟いた。
朝から不安定だった電車は何本か運転を見送りしている。
暗に一緒に帰る?と尋ねられている気がしてしまうのは自惚れなのだろうか。
返事をするのが恥ずかしくて、そのままソファに顔を埋めた。
上から覆い被さるようにしてニールはアレルヤを包み込む。

「アレルヤ、」

抱き締められた体勢で、はい、とニールは縦長の箱を机の下から出してアレルヤに渡した。
「ヴァレンタインのプレゼント」
「え……」
「去年は誕生日も何もかも終わっちまってたからな」

開けてご覧、と言われオレンジ色のリボンを解く。
中にはネクタイが入っていた。
鮮やかではあるが、深みのあるグリーンのタイ。
アーガイル模様で微かに濃淡を描いているそれは、とても見慣れたものだった。

「結び方、教えてやるよ」

そう言ってニールはアレルヤの制服のタイを緩める。
といってもゴム式のそれはスナップボタンを外してしまえば簡単に抜けてしまう。
ソファから立ち上がりアレルヤの後ろに回ったニールは新品のタイを結んであげた。
最後にネクタイピンを刺すのは、アレルヤの役目だと言うように制服から外したそれを手渡す。

「それと、今度スーツ買いに行こう。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!ぼく……何にも用意してませんよ!?」
「チョコレートを?」

ニールの言葉に頷く。
そんなアレルヤの言葉に、ニールは意外そうな顔をして見せた。

「……チョコレートが恥ずかしいから、おまんじゅう買って来たのかと思ってた」

(いや確かにそうですけれども!)
間違っちゃいない。出来る事なら自分だって、その辺の女の子のように彼にチョコを渡したかった。
でも出来なかった。何故ならあのチョコレート売り場で挫折した。

「そ、それに……貰ってばっかりで、申し訳ないです……」

もっともな理由だ。
与えられてばかりで自分は何も返すことが出来ない。

「逆。これは返してるの」

ソファ越しで後ろから抱きすくめられる。
耳を喰みながら、ニールは熱い吐息をアレルヤへと注ぐ。
返している?
ニールの言葉にアレルヤは首を傾げた。
自分は何もニールにあげられるものを持っていない。
例えば今すぐバレンタインの特設コーナーに買いに走りに行ってチョコを購入するならまだしも、今のアレルヤは身一つだ。
ニールと恋人という関係になる前も、今も、アレルヤは何一つ与えられるものを持っていない。

「俺、アレルヤから色々奪ってるから」

だからこうやって物でアレルヤを引き止めるしかないんだ、と笑いながらニールはアレルヤの唇を奪った。
手首を掴んで自由を奪って、気持ちを押し付けて、自己満足だろう?と。

「……ニー、ル、」

深い口付けの後のこのとろけた表情だとか。
アレルヤからこの先の人生の可愛い彼女や、綺麗なお嫁さんだとか。そういうのを自分は奪っているのだとニールは言葉にはしなかった。

「ああ、それとな、アレルヤ」
「はい……?」

「大学の入学式、俺の選んだスーツと、俺とお揃いのネクタイとタイピンで出るんだぞ」

――絶対見に行くから。




2014年ハッピーヴァレンタイン!

という設定の、一、二年生のお話の本が夏に出ます(予告)

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