ニルヴァナより愛を込めて
憎悪、怨嗟、忌避、嫉妬、悲しいこと、辛いこと、嫌なことなにもかも。

この世のありとあらゆる悪意を、君に見せずに済むのなら。

笑ってほしい。


*****


 ――自分ではどうしようもないくらい虚ろだった。
いつからかとても何かが物足りなくて、でも、それが何なのかは自分でもよく分かっていた。
分かっていたからこそ、何もかもに本気になれなかった。
いつも自分を見失いそうで、必死に与えられた役柄を演じた。
必死に演じて、足りなかったものを取り戻そうとして、死んでしまった。
では今ここにいる自分は。
一体なんだというのだろう。
「……なんだかなあ」
 そこ、は暗くて明るい所で。
死んだという自覚はあった。そしてあまりにも自分が私利私欲な理由で死んでしまったという事も、理解していた。
正直言って生きている間から天国へは行けないとは思っていたものの、今現在、どうしてか地獄へも行けない事態になっている。
 小さな窓が、そこ、にはたくさんあった。窓、というよりも穴と言った方がいいのだろうか。その穴の向こうは真っ暗であったり、森が見えたり、街が見えたり、……戦争が見えたり。それが今、自分の居ない現実で起きている事だとは薄ぼんやりと理解する事が出来た。現実から一線を引いたような。自分はもうあの場所には戻れない。ただの傍観者に成り下がったのだ。
 歩いているその内に、ひとつの穴が目についた。床に開けられ窓。
過去だ。たった独り、死に逝く男の影。それが自分だと理解するのには、少し時間が掛かった。
 ああ、そういえば爆発に巻き込まれて死んだんだっけ。四肢は分断され塵芥となり、周回軌道からも外れ、もう二度と地球へは戻れないだろう。
死んだという自覚はあったものの、自分の死顔は見られたもんじゃなかった。何せ、顔ですら判断出来なかったのだから。真っ赤に充血した瞳がよりいっそう別人さを醸し出す。微かに残る髪と、見慣れた眉毛の形。学生の時ピアスを開けようとして失敗した耳たぶ。判断材料は、あった。
 それなりにショッキングな映像を見せ付けられたが、死んだという事実に対して意外とどうとも思わないもんだな、と考えた。死ぬ瞬間を克明に憶えているものだから、疑う余地は無い。若干グロいと思ったレベル。
 しかし家族の元へも行けず、ただ与えられた永久をどう過ごそうか、と悩んだ。時間だけが無限にある。何も出来ずに。
「世界が平和になったら……今度こそ地獄行きかな?」
 自嘲するようにして笑った。平和になるのだろうか。
争うだけのこの世は。
与えられた時間に、ほんの少し感謝を。
過去を、自分の今までを辿る穴から立ち上がった。
見ていていたって、どうにもならない。
そして、思い出はまだこの胸の奥に在る。
ただ何も無い穴だらけの空間を独り、歩みだした。
暫く歩くうちに、時間がどんどん進んで行くのが体感的に通り過ぎて行くのが分かった。
悲しむ暇など無いと言うようにして、世界が、人々が変わって行く。止められないんだ。関われないんだ。遠巻きに見詰めるしか出来なかった。


*****


「……どうして、こんなところにいるの?」
 ふと、声がかかる。今まで誰にも会わなかった。天国でも地獄でもない空間に、自分一人だと思っていたのにもかかわらず、予期せぬ来訪者だ。
この場合訪れたのは自分の方だろうか……と考えもしたが、掛けられた言葉の返事に少し、戸惑う。
歩む足を止め、声がした方を振り返った。
「……だれ……?」
 見知らぬ子供だ。否、顔付きだけなら良く見知っているに近い。見覚えはある。
しかし自分の知っているその人物とは年恰好が大きく異なった。
 金色と銀色の瞳。驚愕が襲う。だってもう二度と逢えないと、たとえ逢えたとしても、顔を合わせられないと思っていた人物にその子供は似ていた。
――アレルヤ。
その名を口内で噛み締める。
「お兄さんこそ」
 戸惑っていたのは、向こうも同じようだった。
眉尻を下げて笑うその顔は、もう遠い記憶のように感じる。
 自分の鳩尾くらいの小さな身長の子供は、白いワンピースを着ていた。わき腹の辺りで左右を紐で結わえられていて、ワンピースというより布、服というより病院の検査着のような粗雑なものだ。
「いや、ぼくはあなたを知っているけれど、あ〜……なんて言えば……」
 声は、聞き覚えが無いような、あるような。
変声期前の、性別が分からない子供特有の高い声。
柔らかな口調。懐かしさすら覚える程だった。
微かな愛おしさを思い出す。生きて帰ったとしても、他の誰よりもあの子には酷い事をしてしまった。
何も告げず、何も分かち合う事もなく。ただ彼に傷を付けて、そのまま居なくなってしまった事を。
「アレルヤじゃないのか」
「うん」
「ハレルヤでも?」
 妙な物言いをする子供に、素直に思った事を聞いてみた。
即答で返され、さらに質問を重ねる。
アレルヤではない事にほんの少しだけ安心してしまった。
それ程までに、言葉を交わしていないことが心残りだとでも言うのだろうか。
「……お兄さんハレルヤと会った事ないんだっけ?」
 金色と銀色の瞳が大きく見開かれた。
第一印象は、物怖じしない子供だな、と思った。
アレルヤならもっとおどおどとして様子を伺っているだろうし、柔らかな口調ではあるが、仮にも年上に対する配慮が無い。
……子供だ。本当に。
もしもっと幼い頃に出逢えていたなら、彼もこのように快活さもあったのだろうか。
「あ、ごめんなさい」
 返答に無言を返すとどうやら物分りはいいのか、その意味に気付いたかのようにはっとした表情をオーバーな程にその瞳で表して謝罪を述べられる。
しかしそんな子供にまで分かるような顔を自分はしていたのかと顔を掌で塞ぐ。
もう血には濡れていない。視界も、拓けている。
「……ぼくは、アレルヤでもハレルヤでもないんだ」
「お兄さんがロックオンであってロックオンでないように」
 そしてまた困ったようにして子供は言葉を並べる。
ロックオン、と呼ばれ、自分が何者であったかを思い出す。
なんだ、ニール・ディランディ。情けない。
お前はこんなにも、全てにおいて無価値であったのか。
「じゃあなんて呼べばいい?」
「アレルヤでもハレルヤでも、お好きなほうを」
「……呼びにくいかな」
 アレルヤでもハレルヤでもないのなら、尚の事どちらかで呼ぶなんて出来なかった。幼い瞳は無垢に此方を見据える。
「あれ?お兄さんは、アレルヤを選ぶかと思ったんだけどな」
 そしてまた、驚いたように瞳がまあるくなった。
「なんでそう思ったの?」
「一応、ずっと見てたから」
 そう言って子供は遠くを指差す。
ポツンと独立した窓があった。今まで自分が穴と認識していた窓は、そこだけは明確に窓として形を保っている。
その周りには見慣れた椅子や、テーブル、本、ティーセットがある。もちろん、見た事もないものもあった。
「なに、これ?」
 この本は誕生日にアレルヤにプレゼントしたものだ。
熱心に読んでいた私物を譲った。新しいものを買うまでの凌ぎであったのに、これでいいと古びたその本をアレルヤは喜んでくれた。
そしてアレルヤが本を読む時、よく腰掛けていた変わったデザインの椅子。
ティーセットは自分のアジトに置いて在る、二人で選んだもの。
どれもこれも、思い出のあるものばかり。
何故だ。何故ここにある。
その中で一番古い金属の板が張ってある硝子の台の上に子供は体を投げた。
「ここは宝物置き場」
 たいせつなもの、なにもかも。
ここにしまって、大事に大事にしてある。壁に貼られたポスターには神の祈りを。
子供は人形のように手足を投げ出して、その瞼を閉じた。どうやらそれはベッドであるようだ。
「過去の幸せだったときのもの、何もかも」
 それを幸せだと、思っていてくれたのか。
そこに在るものの大半が、自分と何かしら関係のあるものたちばかりだった。
そしてそうで無くとも、ソレスタルビーイングに、あの戦いの時にあった小さな出来事や、それらに関係するものだった。
あそこにいることが、アレルヤの幸せであったのだと思うと胸が熱くなる。
「最初はね、ここは何にも無くって。でもお兄さんと出会って……色んなものが増えたよ」
「……戻るつもりはないのか」
 自分と違い、この子には生きている肉体がある。
今もこうしている間に、アレルヤは呼吸をして、胸の鼓動を高鳴らせて、誰かに恋をしていた。
まるでゴミ捨て場のようだ。こんな所に置き去りにされてしまったのは、他でも無い自分のような気さえした。
「戻りたくても、戻ったらきっと、二人を困らせちゃう」
「そんな」
「ぼくはいいの。……お兄さんが、来てくれたから」
 この金銀に輝く瞳に、真っ直ぐに見詰められるのが少しくすぐったい。
 一度として見ることは無かった。それを隠す理由が計り知れないと解っていたから。その理由を分かち合うにはまだ早いと思っていたから。
「……ねえ、どうしてぼくとお兄さんがこんな所にいると思う?」
 謎解きのように、子供は首を傾げる。
「お兄さんも、向こうになにか置いて来ちゃったんじゃないかな」
 思考が追いつく前に答えを子供は口遊む。
元々一つだったものが、二つに分かたれて。

「アレルヤの中のぼくや、ハレルヤ、失くしてしまった、たくさんのもの、ぽっかり空いちゃった心の隙間にね、お兄さんはいたんだよ」

 パズルのピースのように、何処かに落としてしまったんだ、と子供は言った。
その落とされた場所が此処とでも言うかのように、子供の瞳に少し影が浮かぶ。
「だからね、せめて二人が揃うまで、お兄さんが失くしたもの取り戻すまで、……」
 ――いっしょにいてほしい。
ここはずっと、寂しいところだったから。
世界の全てが見えてしまうから。
 そう言う子供を、純粋にただ抱き締めたいとおもった。
こんな気持ちになるのはもう、何度目だろう。
 ただそばにいてと、俯きながら願うこの子供はやっぱり、愛しいアレルヤの一部なのだと思えた。
「一緒に、待とうか」
 やっと子供は涙を流す。
ずっと一人きりで堪えてきたそれは、ひとつ、ふたつ、それはやがて数える事も出来ないほどに溢れて、宙を舞う。
この涙を自分は、拭っていいのだろうか。
手を伸ばす資格は。

「アレルヤのこと、一瞬でも好きでいてくれてありがとう」

「ねえ、アレルヤみたいにぎゅってして!」

 突き抜ける程の満面の笑顔が向けられる。無垢過ぎる程のその笑みを浮かべた子供が懐に飛び込んで来る。
抱きとめると、驚くくらい軽かった。
羽が生えていると勘違いするくらい、その存在が儚く、そして恋しかった君の欠片だと思うと愛おしいとさえ。

「愛で満たしてあげるさ」

その小さな身体を抱きしめて、ここを愛で満たされた場所にしたいと願った。
こんな硬い寝台ではなく、柔らかいベッドを。
清潔なシーツに、溢れるくらいのクッション。
なんなら俺の思い出の、クマのぬいぐるみだって付けてやる。
アレルヤ。
ゆっくりでいいから、いつかここに来てごらん。
君が愛された軌跡が記されているから。
そして、一緒に待とう。
アレルヤだけじゃない、ハレルヤも、大切な大切なライルも、刹那もティエリアも、みんなみんな。
みんなが揃うまで。
ここで。

ニルヴァナより愛を込めて。












END

2014.02.06
1.12のインテクッス大阪にて無料配布したものです。

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