プラトニック・タイム
目覚めれば君がいる。
そんな毎日を……

花の匂い。
麗らかな午睡を誘う木漏れ日。
季節は……春。
太陽の陽射しは暖かい春の真昼のそれで、風が吹けばまだ冷たいかもしれないけれど、今日は木々の葉が揺れる事すらない無風だ。
天気予報では四月上旬の気候だと言っていた。
だから少女たちはパステルカラーの靴を鳴らして街に出掛ける。
水色、黄色、ピンク、花びらのようにそれらは石畳の上で踊った。
古い街並みが続くここは、それでも人口は多くドーナツ化現象を免れていた。
市場付近はより一層古めかしく、賑わう人々の笑い声が絶えない。
「フォークにナイフ、スプーンにマグカップ。お皿と器にフライパン、……こんなに必要か?」
「生活必需品は一通り揃えておかなくちゃ。まともな誕生日にならないよ?」
「車に荷物置いて来るのも二度手間だし…もう、この市場で食べるもんも買っとくか」
紙袋を抱え直して、ニールは空いた右手で髪を掻き上げた。春の陽気だが、こう風が無いと額に汗が滲む。
しかし、ニールよりも多く紙袋を抱えるアレルヤは涼しげに微笑った。
「めんどくさがり」
「……ここらへん、道狭いんだよ」
きょろきょろと辺りを見回して、ニールは言う。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されているらしいこの街は、レンガの道と、土壁の家が立ち並んでいた。
今日はニールの誕生日だった。
何故こんな事になっているかと言うと、アレルヤ自身よく分からない。
≪新しい地上のアジトで誕生日を迎えたい≫
というニールの願いで、恋人でもあるアレルヤは真っ先にアジトの掃除やらなんやらの手伝いを買って出たのだが、とうの本人であるニールは誕生日当日に引っ越しを始めたのだ。
アジトから車で少し離れたこの街は細い道が入り組んでいて、車は途中でパーキングに停めて来たのだ。
「いい街…古き良き、って感じだね」
戦争にも耐えて来た街なのだ。土とコンクリートを混ぜた壁は触れると頑丈に修復されているのが解るが、暖かい日差しで遠目には温もりを感じさせる。
賑わう市場の中を二人は歩いていく。
全ての戦いが終わった今、穏やかな日常は街の中で滞ることなく流れ、そして人々は足を止めなくなっていく。
当たり前の平和が訪れた。
だから、二人のアジトはもう意味を成さない。
「今日は必要最低限でいいよお。パンとミルクと、卵とベーコンと野菜があればなんとか出来るだろ」
「そこで≪出来あいでいい≫って言わないのが、なんか貴方らしいよね…」
ぐったりとしながらもある程度は買おうとするニールの言い分に、呆れたような溜息をアレルヤは吐く。
ニールのアジト…言うなれば、彼が今後日常生活を送る家屋は、必要最低限以下の荷物しか置いていなかった。
家具家電は揃っているものの、型遅れの冷蔵庫の中には少々の調味料とコンビニ弁当、フレークやらしか入っていない。
だから今こうして食器類を初めとした累々を買い回ってきた所なのだ。
「あ、パン屋」
「いい匂い……焼き立てかな」
空を眺めればどうやら店の奥に竈があるのか、煙突は見えないものの立ち昇る煙の姿が見えた。
からんころん、と扉に付けられた木製の鈴の音を鳴らして、二人は店の中に入る。
「いらっしゃい」
気の良さげな大柄な女性が入店に気付き、二人に声を掛けた。狭い店内にはガラスで出来た大きなショウケースがあって、そこにまるでケーキ店のようにパンが並べられてある。
古めかしい店構えとは異なり、そこだけは異様に近代的だ。
「えーと、食パンでいいよな?」
「うん」
「じゃあ食パン二人ぶん」
「二人ぶんかい?お兄さん、そりゃあちょっとばかし大雑把だよ」
「ああ…こういうちゃんとしたパン屋で買うのって初めてで」
「もう…一斤でいいよ」
「ははは、もっともな事を言うよ、連れのお兄さんの方が」
パン屋の女主人は肩を揺らして笑い、長い食パンを後ろの棚から引っ張り出し専用の包丁で切り分けて、それを透明の袋にいれた後銀色のリボンが付けられた針金で封をした。
「一斤にしちゃ大きくないか?」
「サービスだよ。お兄さん方、引っ越して来たばかりだろう?」
「どうして分かったんです?」
「紙袋からフライパンやらが見えたんでね。その紙袋、近くの金物屋さんのだからさ」
あそこはここらでも特に古い店だからねえ、と零しながら、女主人はそれを紙袋に入れて一斤ぶんの料金を受け取って、ニールに紙袋を抱かせた。
「どうぞ、またのご贔屓に」
女主人の声に見送られ、またからんころんと軽い木鈴の音が鳴った。

「……まったく、恥ずかしいよ……」
店を出てしばらく歩くと、急にアレルヤが怪訝そうに言った。
「?何が」
「さっき、パン屋で。……二人ぶんなんて、堂々と言うから……っ」
「だって分かんなかったんだし。……でも、なんかよくないか?≪二人ぶん≫って」
鷹揚にニールは振舞って、その様子にアレルヤは返す言葉を見失う。
「………………」
「ミルクも、卵も、ベーコンも、全部全部……ふたりぶん」
「これからずっと一緒に暮らすんだし、これからずっと二人ぶんなんだぜ」
「……≪これからずっと≫?」
「そうだろ。その為の新居なんだし」
返す言葉が見つからなくて、ニールが当たり前のように説いて、アレルヤにはそれが気恥ずかしく頬が熱くなる。
抱えた紙袋で赤くなった顔を隠して、石畳の市場を人を掻き分け先に進んで行った。
「何を、そんなに恥ずかしがってんだか」
それだけで恥ずかしいのなら、こうして二人で買い物に行く事すら羞恥だろうに…とニールは内心息を巻く。
次第に離れて行くアレルヤの姿をニールは追う。
二人の身長は人の波より幾分か高いから、少し離れたぐらいでは見失いはしなかった。
いくら紙袋で隠そうとしたって、アレルヤの赤い耳は遠目でもよく解る。そうさせたのが自分だとニールは思うたび、アレルヤへの愛しさを募らせる。
あの赤みが治まったのなら、今度はその耳に愛の言葉を囁いてみよう。
二人っきりなら、きっとアレルヤは顔を赤くしながらも、そっと微笑み、応えてくれるだろう。

*****

「機嫌、なおった?」
カフェテリアでの一服を済ませる頃にはアレルヤの頬は落ち着き、相変わらず銀色の瞳が瞬く。
風の無い春の暖かさに、二人は外のテラスでクリームソーダを飲んでいた。
飲み物も春気分である。
「別に機嫌悪くなんてしてません」
少しむすっとして、アレルヤはソフトクリームの上に乗ったサクランボを口に含んだ。
「そう?……なあアレルヤ、知ってるか」
「何ですか」
「サクランボのヘタを口の中で結べたら、その人はキスが上手いんだって」
「……ハレルヤならちょうちょ結びくらいは出来そうだけどね」
顔を赤くして、『こんな所で何を言うんですか!』と恥ずかしがるアレルヤをニールは想像していたが、素っ気なく無表情にアレルヤがそう言うと、べ、と赤い舌が差し出される。
その舌先に乗っかっていたのは、器用にも鎖結びがされたサクランボのヘタであった。
ニールは自分の頼んだクリームソーダの、二重結びしたサクランボのヘタをアレルヤに見せる事無く飲み込んだ。
エメラルドグリーンのその液体に、じわりとソフトクリームが溶けて濁っていく。
飲み干したガラスのコップの中の氷が溶け出す頃、四つに増えた紙袋を抱えて席を立った。
前払いのカフェテリアだったので、アレルヤをそれに続いてテラステーブルを後にする。
街の中には古い水路が張り巡らせてあって、ローマ程ではないが、レンガで出来た立派な水路橋もあった。
トンネルのようにそれをくぐる時、ガシャンと言う鈍い金属音が響き渡る。陶器類には厳重な衝撃吸収のための梱包がされていたので、恐らく割れてはいないだろう。
近くに荷物を置いて、ニールが落としてしまった荷物を拾おうと身を屈めたそのとき、アレルヤの手首が攫われた。
なに、とアレルヤが声を発する前に、その体は水路橋の脚の壁に縫い付けられる。
口付けられている……そうアレルヤが自覚する前に、それは終了してしまう。
「キス、上手になったんだな?」
にやり、とニールが笑う。
その得体のしれない奇妙な笑いに、アレルヤは見覚えがあった。
これは嫉妬している時の表情だ。何かに嫉妬して、必死にアレルヤの注意を引こうと無理をしている笑い……では、何に?
「え……?あ、」
アレルヤが思案する前に、ニールはまたキスを始める。
手首を掴まれて、壁に押さえ付けられているせいで抵抗出来なかった。
拘束されていなくても、きっと抵抗なんて出来なかっただろうが、とアレルヤは甘んじてその少々乱暴な口付けを受け入れる。
「ん……ふ、ぅ」
キスは嫌いじゃなかった。むしろ、キスまでしてしまえば、外で手を繋ごうが、腕を組もうが恥ずかしくは無かった。
普段はプラトニックを装う二人だったからこそ、先程でのパン屋での出来事がアレルヤにとって羞恥だったのだ。
あんな……まるで、「二人は一緒に暮らしてます」と言わんばかりの、発言は。
「ぁ……っ」
唇を割り開かれ、唾液が顎を伝う。エロティシズムを感じさせる水音がやたらと耳を襲う。まるで他の生命体のような動きを見せるニールの肉厚なそれが、アレルヤの咥内を味わう。
上顎を舌先で舐められるのはアレルヤの弱点でもあった。さらに内側の粘膜を弄られているような妙な感覚で、鼻に掛かる甘い吐息がニールを楽しませる。
「…………誰に教わったんだ?」
ああ、それで。
少しばかり長いキスのせいでか、酸欠のアレルヤの脳は性感でしびれていたが、ニールの嫉妬の的が判明した。
「貴方にだよ、……ニール」
またこんな激しいキスが出来るのなら、また彼の前でサクランボのヘタを結んでやろう……と、アレルヤは内心で考えて笑った。
あまりにもアレルヤが素直に言うものだから、苛めてやろうと考えていたニールが今度は頬を染める結末となってしまった。

「……でも、よく見付けましたね、こんないい家」
二人の帰るべき所は先程の古めかしい街とは別の街の中にあり、高台へ行く道筋の途中にあった。それより向こうの山手は、新しく出来た高級住宅街になる。
何処にでもある一軒家。見た目も中身も綺麗で家具付き即入居可能!という良物件にも関わらず、今までこの家には買手が着かなかったらしい。
リビングダイニングの大きな机で、二人は荷解きを開始する。
「あー、いわく付きらしいからな」
「えっ」
ニールのあっけらかんとした言葉のその内容にアレルヤの顔は青くなる。
曰く、この家に元々住んでいた家族は、事故で全員死んでしまったらしい。
生き残った筈の息子も暫くして死に、夜な夜な先に死んでしまった家族を思いこの家に現れるという……。
「い、いいんですか?こんな所が……その、」
「新居で?……俺はここで、お前とってのが重要なんだけど」
「だけど……いくらなんでも、誕生日にわざわざ幽霊屋敷へ引っ越さなくても」
「だーいじょうぶ。幽霊は出ないから」
「なんでそう言い切れるんですか」
「なんで、って……俺がその、生き残った息子だからさ」
「……に、ニールは幽霊だったの……?」
「違う違う。死んで無い。噂には尾びれはひれ付くもんさ。勝手に俺を死んだ事にして、住んでる事に気付いてない人が幽霊だーって騒いでただけ」
まあ売家になったここをアジト代わりにしてたけど、とニールはけたけたと笑った。
「でも、それで良かった。誰の手にも渡らなくて……」
「じゃあここがニールのーー」
生まれ育った家、そうアレルヤが言葉を続ける前に、ニールが話を進めた。
「ここ買い戻して、嫁さん貰って、二人で子供育てるのが俺の夢だったんだ」
「ごめんなさい……」
アレルヤは視線を伏せた。せめて子供を作れる体に改造されていれば良かったのに、とアレルヤは自身を責める。
そんなアレルヤをニールは抱き締めて、その深緑色の髪に口付けた。
「謝る必要は無いって。刹那とティエリアで、じゅーぶん子育てのむずかしさが分かったし…暫くは、こうして二人でゆっくりしていたい」
「それ、二人に喩えるのは違うと思うんだけど……」
「ははっそうだな」
乾いたような笑い声があがる。
遠い視線で、庭先をニールは見た。思い出すのは美しい思い出ばかりで、幼い頃に描いた夢そのものがまるで絵画のように流れる。
まだ経験していない、遠い未来。
訪れる筈の無い未来。存在する筈の無い幸福。
全ては一度、瓦礫の森で燃やされてしまった。
「今は無理でもさ。将来的に、俺はお前と一緒になりないって思ってる」
もう一度描きたいと思ったのだ。
家族はいなくなっても、二人で。
紡いでいけると思ったのだ。
「……これからずっといっしょに、暮らすんでしょう」
それを聞いて頬が熱くなるのをニールは感じた。目の前がクラクラする、幸せ過ぎる未来予想図が頭の中で広げられる。
「ーーッ、キス、するぞ」
ニールは意を決したようにそう呟く。
乾いたリップ音がする。
水路橋の下でした乱暴なキスの時に濡れたアレルヤの唇はとうに乾いていた。
今度は優しく唇をはんで、舌先で濡らせば微かに響く水音。
縺れ合うようにして、アレルヤは背中を逸らし、後ろ手にテーブルに倒れた。
「誕生日おめでとう、ニール」
テーブルの上に半身を横たえたアレルヤは、両腕を差し伸べる。
その音は優しく、ニールを包み込む。
「最高の誕生日だ……アレルヤ」
アレルヤの体を抱き締めながら、ニールはその腕の暖かさに瞼を綴じる。
プラトニック・タイムは終わった。


happy birthday!


12-03/03 UP

余りにも燃料が無さ過ぎて書けなかった……
しかし2時間で書きましたよ今29日深夜1時
また後日地の文書き足す予定です
「もう無理スランプ寝る」という状態で
一時間仮眠取って頭に浮かんだシーンを繋げ合わせたらこうなったよ!!!
こんな街並みアイルランドにはありません!ので!
南フランスとか、イタリアやらスペインの陽気な感じにしつつ、魔女の宅急便(オソノさんのパン屋/スウェーデン)をイメージしてました…
緯度的には北欧だしいいよねーっ……駄目か……
水路橋のしたでキスシーンはもう夢の中じゃ激し過ぎて激し過ぎて……あはんうふんなにるあれ。
水路橋の弧を描くレンガとか……好きだー!!!
ギブミーニルアレ!ギブミーニルアレ友達!
だれかわたしとにるあれともだちになりませんか!

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