アンバランス・ラヴ
「……え、」
「……あ、」
トレインのターミナルでの、何時もの風景は一変する。
普段通りカフェテリアでコーヒーを愉しんだ後、ひらひらと手を振り去っていくニールの手をアレルヤは我にも無く掴み、引き留めてしまった。
「ご、ごめんなさい、」
無意識でのことだったのか、アレルヤは視線を逸らしながら掴んだその手を自分自身で振り払う。
「いや構わないけど…どうした?」
遠ざかりつつあったニールは一歩近付き、同じ目線である筈のアレルヤの顔を覗き込むようにして首を傾げた。
「…………」
俯くアレルヤのその表情は険しい。
眉を寄せ、しかし、つり上がったその切れ長の瞳は、悲しげに伏せられている。
「…寂しい?」
アレルヤはこくりと、無言で頷いた。
「…あなたにもう、会えなくなってしまう気がして」
「どうせすぐ、会えんだろ?」
ぽん、とニールはアレルヤの頭に手をおく。
彼が他人を慰める時は、アレルヤが相手の時ですらこうやって子供扱いになるのだ。
「すみません……大丈夫です。また、明日の定期連絡の時に」
それが彼なりの気遣いであるとアレルヤは知っているからこそ、そっとその手を降ろすようにして手を添えた。
明日の定期連絡の時にモニター越しでも顔を合わせるだろうと、アレルヤは言いながらも一筋の雫が頬を伝った。
「……お前、その顔。説得力無さ過ぎ」
「…えっ」
はぁ、とニールは軽く溜息を吐いた後、更に半歩詰めてアレルヤとの距離を無くした。
「恋人にこんな顔させてまで、遠くに行っちまう程。俺は人間辞めてねえよ」
「や……だ、ごめん、もう入場検査締め切っちゃうよ…っ」
周りの空気が変わる。やたらと周囲の視線を集めてしまうのは、大の男二人が熱烈な抱擁を交わしているからだろう。
何かと理由を付け、アレルヤはニールの胸を押してその腕の中からの脱出を計る。
「もう遅い。チケット失効」
「ごめんなさい……!」
「あやまんなって、俺が勝手してんだ。後でティエリアに謝りに行くから」
ざわざわとした人混みの煩さが遠ざかって行く。
不思議とニールの腕の中では、アレルヤは周りの様子が感じれなくなっていく。
うっすらと開いたアレルヤの唇に、ニールは口付ける。
甘やかなリップ音は酷く小さなものだったけれど、アレルヤには公衆の面前でしているということだけで、耳を塞いでしまいたい程大きな音に感じた。
「すげー人目集めてる。車に戻るか」


ニールに手を引かれ、この後アレルヤが返しに行く筈であったレンタカーが置いてある駐車場へと戻る。
車に乗ってもなお、アレルヤの涙はひとつふたつと止め処なく流れ続けていた。
「悪い、連絡だけいれとく」
またアレルヤは、無言で頷く。
それを確認して、ニールは携帯端末機で通信を始めた。
「……ああ、ミス?悪い、ちょっとトレイン逃した。次の便取り直すから、ミッションの調整頼む」
『ロックオンにしては珍しいミスね、こういう凡ミスは私の戦術が狂うんだから…今後こんな事は無いように。隣で女の人泣かして…悪い男』
通信先は戦術予報士であるスメラギ女史のようで、アレルヤの啜り泣く声が聞こえたのか鋭い視線をモニター越しにニールに寄越す。
「悪かったって…。つか、女じゃない。アレルヤだよ」
『アレルヤ…?何かあったの?』
「ちょっと、な」
平謝りするニールの言葉に、スメラギは驚いた。
地上に居る、という事でどうせ女性関係のトラブルに巻き込まれているのだろう…などと女性的な推測をした皮肉の言葉であったのだが、それを上回る答えが帰って来たのだ。
「スメラギさんすみません。彼は悪くないんです…僕が…その、」
しかも、アレルヤは健気にニールを庇っている。
ふとスメラギは通信機の隅に表示されている日付を見て、アレルヤが言葉を濁らせる理由を垣間見た。
『……そう言えば、今日はあの日だったかしら……。ミッション調整して、次の定時連絡の際に二人ぶん合わせてチケット送るから…それまでゆっくりしてなさい』


「あの日……?」
強引に切られた通信機を片手に、ニールは思案した。
しかし答えが見付からず、アレルヤに視線で尋ねる。
「………………誕生日なんです」
「は、」
帰って来た返答に、ニールは言葉を無くす。
アレルヤがこの世に生を受けた日だと伝えられ、愕然と吐く息だけが音にもならず短く止まる。
「2月27日。……ぼくの、21歳の」
「ーーキスしていいか」
「え、」
「無言は肯定なんだぞ」
そして息を飲み、また口付けた。
今度は深く、食らいつくようにして、ニールはアレルヤの唇の感触を楽しむ。
薄いそれは微かに乾燥していて、舌先で舐めるとその水分を纏う。
それが合図だったかのように、アレルヤも感応して僅かに唇を開けた。
ぬるりとした感触のものが入って来たと思えば、それは唾液を纏ったニールの舌で、乱暴に歯列を割り開き、アレルヤの肉厚なそれと絡められた。
舌先で上顎を撫でると、アレルヤは鼻に掛かった甘い声を漏らす。
くちゅくちゅといった粘度のある水音が車内に響く。
「お前はいつも、守秘義務だのなんだのいう癖に……今日に限って」
「……ずっと秘密にしてましたから」
唇を離れると二人の間に銀色の橋が渡されたが、それはいとも簡単にぷつりと途切れてしまった。
はぁはぁと荒い息を続け、会話が再開される。
「どうして?」
「貴方のいう誕生日と、僕のいう誕生日はちがう」
どうせ言っても分かっては貰えないと思っていた。
産み落とされた日ではなく、自分を知覚した日だなんて、言ったって常軌を逸している。
「……俺たち、恋人なんだぜ…?」
血の気が引いた表情でニールが問い掛けると、今の今まで熱い口付けを交わしていたというのに、打って変わった表情で、アレルヤは嘆く。
マリー、と、アレルヤはニールが知らぬ女性の名を呟いた。
アレルヤの名は、彼女によって生まれた音。
アレルヤの誕生日は、彼女によって知覚された時。
「誕生日であり、彼女と別れた日でもあるんだ」
その言葉の意味をニールが知る筈も無かった。
マリーはアレルヤの母であり、姉であり、妹であった。
関係を形容し難いくらい守らなければいけないその尊い人を、アレルヤはかつて置き去りにしたのだ。
彼女は誰かの助けが無ければ生きられない植物状態だった……しかし歩くことはおろか、腕を差し伸べることも、瞼を、口を綴じることも出来ない彼女だったが、脳量子波という人が無意識に発しているものを意図的に操作する事が出来たという。
それを使い彼女は必死に助けを求め、叫んでいたのだ。
彼女を見付け、触れ、名を与えられ、アレルヤはマリーを崇拝し慕っていたけれど、一年が経ってまだ少年だったアレルヤはそこを脱走した。
最早アレルヤ無しでは生きられない彼女を見殺しにしたのだ。
おいていかないで、と脳に直接叫び続ける彼女を。
「っ………………」
アレルヤの言葉に、ニールは返す声が出なかった。
そこまで愛していた女性がいたなんて初めて聞いた。
今こうしてアレルヤの頬に触れたように、アレルヤもかつて女の頬を撫で、口付けたのだ。
普通の人生なら、アレルヤもそれらを経験している年頃だ。
それはいい。だけどそれ以上に、アレルヤの過去は一概に普通とは言えなかった。ニールもそれは知っている。
去年の丁度今頃だ。世界中の戦争が顕著に表面化し出した頃だった。
アレルヤは自分が抜け出した施設に武力介入を行い破壊したのだ。
その施設はマリーを切り刻み、脳量子波を争いの為に扱える兵を量産する為の研究所だ。
その非人道的な行為が行われている事を知っていたのは、後にも先にも、その施設を生きて脱出出来たアレルヤだけ。
苦肉の策のようだったとニールは思う。
結局はアレルヤの手で殺したようなものだ。
「だから今度は僕が置いていかれる番だと思ったんだ」
「………………アレルヤ、俺は」
「秘密も過去も、お前ほどじゃないよ………………」
だから何ひとつアレルヤに伝えたって、それがアレルヤにはどうにもならない事を、この時ニールは自覚した。
傷付ける事も、慈しまれる事も、ましてや哀れに思われる事も無いだろう。
現にニールは今までアレルヤの過去を、秘密を、断片的に知った時、哀れに思い、慈しみ、そして今傷付けられた。
だから何を言ってもアレルヤにはそれが伝わらないのだ。
ニールの抱える悲しみも痛みも、愛おしさも。
二人はひとつになりながらもお互いを知覚する事は叶わず、不安定で他人の事を見詰めている。
不安定なまま二人は揺れ動き、傍にいる誰かを求めた。
「アレルヤ、キスしていい?」
何度も耳にした言葉だった。
アレルヤを傷付けまいと、ニールが必ず掛ける言葉でもあった。
先程の激しい口付けでは無く、今度は小さな水音すらたたない、柔らかな口付けが訪れる。
「どれだけお前が傷付いて悲しんでも、それは俺には分からないかもしれない」
赤ん坊は、何かに気付いて欲しいから泣くのだという。
「だけど嬉しいこと、楽しいことなら……分かってあげられる気がするんだ。
なんでだと思う?」
悲しみは理解されなくとも、どうして自分はこうもアレルヤの事を愛しいと思うのだろう。
アレルヤの微笑む表情を見たいと思ったのだろう。
理由は無かった。
だけれど傍にいてーー
「それは…………」
アレルヤは言葉に困った。
自分の喜びは分かり、何故悲しみを理解してくれないのだろう。
アレルヤはニールの喜びが何なのか分からない。
悲しみはきっと、今この場にいる時点で計り知れない事だとは嫌な程解る。
喜び。
彼の、幸せ。
「俺がお前といれて幸せだって自惚れてるからさ」
ーー幸せだと思ったのだ。
毎日アレルヤの微笑を眺めていたいと思ったのだ。
この微笑は自分の為であれとニールは願う。
「あ……」
今言葉にされて、アレルヤはそっと頬を染めた。
彼の幸せがまるで自分の喜びのように言われ、しかしそれを否定する事も叶わない。
だってどんなに過去が苦しく辛くとも、彼と在れる今だけは、何にも変えられない程の喜びだったのだから。
「じゃあ、僕の幸せは……?」
「俺の喜びになる」
傍にいた誰かを愛してしまった。
不安定に二人は結び付き、もう解く事は出来ない程の絆が生まれている。
傍にいるだけで幸せで、もう他には何も要らなかった。
「誕生日おめでとう、アレルヤ」
「ありがとう……」
「21年ぶん愛してやる。だから、5日後26年ぶん愛してくれ」
「え、ロックオン、それって」
ニールのその言葉の意味を悟って、アレルヤは薄桃色に染まっていた頬をさらに赤らめる。
貴方の誕生日、とアレルヤが質問を重ねる前に、その音はニールの口付けによって消されてしまった。


happy birthday!





12.02/27 UP

今回のテーマは≪21歳の誕生日≫でした。
存在する筈の無い未来。訪れる筈の無い幸福。

さーて今日からディランディず誕生日ネタ書くよーっ
間に合うかなーっ?!

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