霧になりたい




君の命をなににたとえよう
僕の命とはかえられずとも
ただきみにこいしてる
ただきみにこがれてる





「…宗教思想の一種で、」
眠りの浅瀬で、アレルヤは手遊びをしていた。
人差し指でクッションに埋まるニールの髪を巻き取り、一房一房丁寧にそれに口付ける。
「東洋には生まれ変わりと言うものがあるそうです」
「ふぅん?」
遊びながら突然語り出したアレルヤにニールは意識奪われて、半分眠りについていた脳は覚醒を促がされる。
「もし、仮にですけど」
「うん」
遊ばれていた髪を緩やかに掻き上げて、ニールはシーツに横たわったまま背けていた体をアレルヤの方へと向ける。
左腕を広げて、おいで、とその胸の内へとアレルヤを誘い込むが、アレルヤは一度腕とニールの瞳を交互に見詰めては戸惑ったように眉を下げた。
しかしニールのその薄い唇が優しく弧を描くので、アレルヤは誘われるがままにそこへ体を預けてしまう。
一呼吸置くと、アレルヤはある質問をニールに投げ掛ける。
「次に生まれるなら、人間以外だと何になりたいですか?」
「急にそんな事言われても、パッと思い付かねぇな」
ニールの言葉に、アレルヤの露出した銀灰の瞳が揺らぐ。
不安げなその色を取り除くようにして、ニールはちゅ、ちゅっ、と小さなリップ音を立てながら優しくキスを落とした。
瞼やこめかみ、そして髪を掻き分けて額にキスの雨は降る。
右手はしっかりと、アレルヤの手を握っていた。
「……アレルヤは?」
「僕?ええと、ぼくは……」
思いつかないのなら、同じ質問をすればいいとニールに返されて、アレルヤはその切れ長の瞳をまんまるに開いた。
そういう表情をしてくれている時のアレルヤは、普段のストイックで落ち着いた大人のような様子とは打って変わって実年齢以上に幼く見える。
比較対象が間違っているかもしれない、とニールは考えるが、どちらもニールのよく知るアレルヤの表情でもあった。
「そうだな、蟻になりたいかな」
一考した後、少し照れながらアレルヤは瞳を細めてそう言った。
花のように微笑むその表情は、ニールがとても好きな表情だ。
薄暗闇の雲間から、ぱあっと太陽が差したように、一瞬にして移り変わるその表情は見ていて飽きない。
「ちっちぇ〜、ありんこって、お前」
しかしその発言が表情と一致しなくて、ニールは少しだけ吹き出してしまう。
「わっ、笑わないで下さい!蟻ったって、凄いんですからっ」
蟻は自分の何倍もあるものを持ち上げて運んだり、自分の何百倍もある道を進んでいくのだとアレルヤは熱弁する。
その様子がとても可愛らしくて、ニールは憤るアレルヤを静めるようにして左手で包み込むようにしてアレルヤの頭を撫でた。
「うん、うん、ごめんな?それで?蟻になってどうするんだ?」
拗ねたように顔を背けるアレルヤに許しを乞う。
そしてその隠された右目の横に、またニールはキスをした。
「……蟻になって、自然の恵みを一心に受けたいんです」
雨の一粒ですら、神の恵みと甘い露を啜るような、そんな小さい何かになりたいのだとアレルヤは零す。
「お前さんらしいよ」
非力なものに憧れるアレルヤは、まさしく爪を隠した鷹だ。
自らの力に怯え、苦しみ、戦う事すら拒むアレルヤが少し、ニールには羨ましかった。
「ニールは?何か思い付いた?」
そんな事は露知らず、アレルヤは空いた左手でニールの頬を撫でる。
突き刺さるようなその銀色は灰掛かり、映すもの全てを反射する。
穏やかなその瞳が碧く輝いていて、それが自らの瞳の色だと理解するのにニールは十秒要した。
「俺か…うーん、そうだな……」

「霧に、なりたいかな」
「……霧?」
まさか非生命体を出されるとはアレルヤは思わなかった。
驚きのままに、その発言を鸚鵡返ししてしまう。
「霧になって…世界中を旅したい」
それはまるで漂う蜃気楼のように、とニールは考えた。
生まれ変わりならぬ、水として地球を循環する。
廻り廻って、霧は大気となりやがては雨になって、そして地球に降り注ぎ、海になる。
ニールの中で最も身近な水というのは、海や雨、そして霧だった。
「旅なら、今でも出来るじゃないか」
飛び回るだけなら、簡単に出来るとアレルヤは笑う。
何に、とは言わなかった。
それがアレルヤの性格だ。
「そうゆうんじゃなくて、なんの意思も無くただそこにいたいんだよ」
アレルヤが言いたい事はもっともだ。
だけれど、意思を持って世界に流されるのと、意思を持たずに世界に流されるのでは訳が違う。
考えるのはもう疲れたと、ニールは零す。
知性とは恐ろしいのだ。
「霧と蟻じゃ、もう触れ合えないね」
思案するアレルヤは、優しく向き合うニールの右頬をアレルヤは撫でて、そう呟いた。
世界に散らばる霧たちと、地上のたった一粒の蟻では出逢える確立なんて何百億、何千億分の一なのだろう。
五十数億人の人類のなかからこうして出逢えた事よりも、もっと過酷で、もっともっと無謀な賭けだ。
「ん、それは嫌だ」
弾かれるようにして、ニールは半分上体を起こしてアレルヤを押し倒す。
「俺が唯一人間で良かった事といえば、こうしてお前に触れられる事だけなのに」
起こした上体をアレルヤに擦り付けて、ニールはその肢体を掻き抱く。
こうして今生きているのは、人間だから。
心があるからこうして苦しくても傍に居られた。
「それは……どういう意味で?」
アレルヤはニールのその柔らかい巻き毛に指を差し込んで、そっと両の頬を包み込んだ。
アレルヤは意味を求める。
聡いアレルヤは言葉でそれをニールに求める。
心よりも優れた脳が答えを導き出してくれる筈だと信じていた。
「トクベツ、って意味でだよ」
アレルヤの予想通りの返答が帰ってきた。
そして漆黒に艶めくアレルヤの緑髪をニールは一房手に取り、そこへ口付ける。
「恥ずかしいよ……」
予想通りではあったが、真摯にその言葉をぶつける行為がアレルヤには羞恥だった。
「じゃあ何?俺はアレルヤの特別じゃない?俺はこんなにもお前が欲しいのに」
アレルヤと同様、両の手で頬を包み込んで、その瞳を見つめた。
もう少し変化球でもいい筈なのに、ニールはいつでも直球勝負でアレルヤを襲う。
その大半は、ニールの変化球にアレルヤが気付いていないだけなのだが。
「違…っ」
まるで猫のように胸へと擦りよるニールの唇が、アレルヤの首筋を掠めた。 「違うのか?」 アレルヤは視線を逸らして体勢を立て直そうと思考する。
「……僕が、唯一ヒトで良かった事といえば、こうして貴方に触れて貰える事かもしれない」
幾度もアレルヤは、外側だけでも人の形をしていて本当に良かったと、考えた事があった。
この指で、この肌に触れられる喜びが、幾度もアレルヤに降り注いだように。
せめてもの救いだと、アレルヤは何度も考えた。

「さっき、なんの意思も持たずに、って言ったけどさ」
アレルヤの言葉にニールは自分の言葉をもう一度思い出す。
「はい?」
「唯一意思を持つとしたら、お前のそばにいたいよ」
ぎゅ、と、アレルヤの頭をニールは抱きしめる。
「そばにいて、こうして寄り添って…愛したい」
アレルヤの右頬がニールの首筋にぴったりと埋まって、そのままニールに優しく髪に口付けられた。
「おかしいよな、こんなにも好きで、恋しくて、いとおしいのに」
ニールの声が震えているのが、アレルヤにはよく解った。
そして今ニールが、誰か他の人を思い出して、涙を隠すように右腕を瞼に押し当ててる姿がとても痛々しくアレルヤの瞳に映る。
「なんで俺達、ちゃんと愛し合えないんだろうな……」
二人が愛し合うには、少しばかりしがらみが多過ぎる。
だから、なんのしがらみも持たない別の何かになりたいのだ。
「次の、次の次の、そのまた次くらいでいいよ」
何の、とは、アレルヤは言わなかった。
「…待ってる」
霧になって、お前がやって来るのを
お前の傍で。
ニールは静かに微笑んだ。

霧になりたい

おわり



10/09/23 UP

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