▼ 高杉晋助 / Ag
Let It Be
この時間は殊に、物事の楽しみを増加させるにはうってつけだ。お菓子のつまみ食いだとか、綺麗な女友達の口から飛び出る下ネタとか、夜のほにゃららは何かと特別で制御が効かなくなる。気の知れた友人との外泊で、ハメを外しがちになることと一緒で、それはきっと私だけではなく、誰でも共感できることだ。
それはたとえ、目の前にぐでんぐでんに潰れたと下層部と、幹部と思われる大人数がいても変わりはしない。屋形船でハメを外す人も何人も見てきたし、全員が全員潰れているわけでもなく、話が出来る人が二人でもいればこちらは大助かりだ。私もこういう雰囲気が好きだからこそ、女将のもとで定期的にここで働かせてもらってもう数年経った。そして今回の団体貸し切りは、私が初めて働かせてもらったときと同じ団体だった。
「お姉さーん、お冷お願い!」
「あ、ついでにさっきの刺身もお願いするッス!」
「はい、かしこまりました!少々お待ち下さい!!」
紅一点の金髪の女性と、がたいのいい方とグラサンをかけたお兄さんに、搭乗の際に見かけた片目を包帯で覆ったお客様。これだけ個性が強い人たちは極稀で、以前に銀髪天パの方と長髪のラッパーにゴリラのような方が女性たちと合コンをした会に居合わせたぐらいだ。なんだっけ、攘夷がJOYとか言ってた気がする。あの日は殺伐としたカオスな雰囲気で今でもよく覚えている。
頼まれた注文を厨房に伝える。動き回り、大きな声を出していたおかげで喉が痛い。喉に軽く触れると、厨房の方がお冷を出してもうひと頑張りと笑いかけてくれる。やっぱり私は、この仕事が性に合っているようだ。
「名前ちゃん、あと二十分で休憩ね」
「あ、そんな時間でしたか?ありがとうございます」
もうひと頑張りすれば、一時間の休憩が待っている。意外と立ったり座ったりの作業も多く、まだまだ若いといえど筋肉痛が来るのは次の日起きてからだ。明日は兼ねてから友達と約束していた、新しいスイーツのお店に行くのだから、今日はなんだかやる気が入る。やる気が入る分、客に合わせたテンションで受け答え出来るために自分自身も楽だ。
そして私が働いているこの屋形船には、三畳ほどの小さな個室がある。メインの宴会場とそこまで離れているわけでもないため、隣でのどんちゃん騒ぎは筒抜けなわけだがわりかし落ち着く一室だと客の中では評判だ。潰れた客の隔離室として使う団体も多いために、基本的には窓は開け放していて風通しがいい。季節ごとに合わせた花も、一応私が担当して活けている。客が使っていない時には自分たちの休憩室として利用することもできるので、穴場は意外と、ここの一室なのかもしれない。
注文を受けたお冷とお刺身をお盆に乗せて配り歩く。同性として羨ましくなるぐらい綺麗な金髪の女性が、がたいのいい男性に正拳をついているところで、少し離れたところでサングラスの彼が一人しっとりとお酒を飲みながらそのやり取りを眺めていた。
私はこの団体が、どういうものなのかは詳しく知らない。プライベートに踏み入ることは店員には出来ないし、私もこの仕事をしていないければただの一般人と変わらないからだ。興味が無くとも耳に入ってしまい分かったことは、おそらくこの団体は、御上とは仲良くなれない人たちであるということだ。攘夷浪士なのであろう。あ、今何かあの長髪の人の変なラップ思いだしちゃった、無し、これ無し。
「お冷とお造りでございます、他に何かご注文はありますか?」
「とりあえずこれで!あんたよく働くッスね!」
「えっ……あ、ありがとうございます」
金髪の彼女のおかげで、気持ちよく休憩に入れることになった私はひとまず頭の三角巾をとり、熱いお茶を作る。だんだんと寒くなってきて、この時期となると忘年会でこの屋形船を利用する人たちも増えてくる。これから年始までは忙しくなるなぁなんて思いながら休憩に行こうとすると、女将から暇な時間見繕ってお願いするわと、あの個室用に活ける花を渡された。金塗りしたコオリヤナギにスプレーカーネーション、スプレー菊。コオリヤナギの形を変えるために少し時間がかかりそうだけど、どれもこの寒さに負けない綺麗な色をしている。
花を抱え個室の扉を少し開くと、窓際でキセルをふかしている、今日初めて見るお客様とはち合わせた。しまった、花に気を取られてすっかり確認を忘れていた。失礼いたしましたと扉を閉める私に、キセルから口を離し、片目に包帯を巻く彼にまったをかけられる。
「かまわねェよ、あんたらの休憩室でもあるんだろ、此処」
「……恐れ入ります」
「わりィな部屋中コイツの臭いが充満してらァ」
そういって、キセルの雁首から灰を落とし、もう少しだけ窓を開ける。格子窓だしあまり変わりゃしねェかと含み笑いをした彼の目線は、江戸の方を向いていた。彼も多少お酒を口にしているのだろう、そして彼がこの団体のトップなのだ。綺麗な女ものの着物から覗く細く白い足首や、先程までキセルを口にしていた唇は、なんだか直視してしまうには気恥しくなるくらいに、美しいように見える。完全に気が抜けていた私の視界に突然そんな男性が現れたのだから、緊張するなと言う方が無理な話だった。
小さく波打つ水面に、江戸から発せられる光源がてらてらと映る。彼の端正な顔に反射して、広角の上がった口元はどれだけ人を魅了することだろう。すぐ隣では終わりそうもないどんちゃん騒ぎが筒抜けなわけだが、どうにもこの部屋は彼によって作り出された、異世界の空間になってしまった気がした。
「……あぁ、その花、あんたが活けてるのか」
「はい、ここで働いてからは私が活けています、そんなに上手いわけでもないんですけど」
「まぁ、前よりはうまくなってんじゃねェの。……俺も花は詳しくあるめェが」
気になる一言だったので、彼の方へ向き直って言葉を返そうとしたけれど、彼の目線と私の目線がぶつかることはなく、私はどうにも、彼が私の言葉に返答してくれるという自信を持つことができず、ただうわ言を述べてしまうかもしれないと危惧して何も言い返せなかったのだ。
彼の言う前が、私が初めてここで働いた日だったとしたら、もう随分前のことかもしれない。彼らが何回ここを利用しているかは私には分からないけれど、私が活けた花を在るという認識だけでなく、見てくれたということが今の言葉から組み取れただけで、私は嬉しかった。それも、この繊細そうな、誰もが容易く触れられないような、彼に。
コオリヤナギに少し熱と力を入れて形を変えていく。集中していると一時間の休憩を活花に利用してしまうため、女将にはいつも休むほうをメインにしてと言われるものの、私からしたら季節ごとの花と向き合うことがリフレッシュに繋がっているのでどうってことはない。ある程度イメージがついたので花たちを剣山に刺していくと、三味線の音が聞こえた。横目で音源を確認すると、伏し目がちに音を鳴らす彼が細い指を滑らかに動かしていた。安定感が合って、心地のいい音色が気持ちいい。
「あんた、名前は?」
「名字名前です、……恐れ入りますが、お客様は?」
「俺の名前は聞くに値しねェよ、まぁでもそのうち分かるだろ」
「……御上と相性が、悪いとか、ですか?」
「ふん、違ェねェな」
目線を弦から少し上げて、私の方を見る。賢いな、あんたと口元を歪曲させる彼と、煌びやかな江戸の町、そしてその光が反射している水面が、気味が悪いくらいに彼の存在を引き立たせている。普段はきっと、寡黙な人で、仕切る立場にいる人なんだろう。少し口数が増えて、表情を豊かにする酒という液体はえらいものだ。
彼は自分の名を名乗らなかった、でも本当は、私は彼の名を知っていた。高杉晋助率いるこの団体は、真選組が追いかけまわしている一向だ。本来それを知っているうえで彼らを客として受け入れていることが幕府にばれたら、大変なことになるとは分かっているものの、あくまで彼らは今回忘年会として、普通の客としてこの船で娯楽を楽しんでいるのだ。金髪の女性がグラサンの男性に言った、晋助様は相変わらず個室ですねという言葉と表情で、彼がどれだけ慕われているかは、部外者の私にもすぐに分かった。
彼は、容易く人を信用しないし、土足で心に入ってくることを許さない、そんな隙を与えない人なのだろう。干渉なんて、もっての外なのだ。
「あと五分ほどで、花火が上がるんですよ。格子越しに見ると、趣があっていいんです」
「ほォ、冬の花火たァ乙なもんだな。ならこの格子窓閉めて、そっちから見てみるかい」
そう言いながら彼は私の隣に胡坐をかいた。私は窓に対し右向きに座って花を活け、彼はその隣で窓越しに空を眺めているらしい。背後に座る彼は再びキセルを口にしているらしく、早くして亡くなった私の父親が吸っていたキセルと彼の雁首に詰めたその一杯は、においから察するに同じ代物であったかもしれない。
「お客さんのその煙草のにおい、父を思い出します」
「そうかい。まだあんたの父親の年齢ほど年くっちゃいねェけどな」
「それは失礼しました」
「おもしれェ女だな」
音が鳴りだし、空に、水面に色とりどりの花が咲いている。そうして私の活花もまとまりを見せてきた。屋形船は江戸から少し離れ、明るさを失いつつあったものの、うちあがる花火のおかげかそれほどほの暗さを気にすることは無かった。しかしこの花火の明るさも、そろそろ終わりだろう。今宵の花火は大団円を迎え、ついに光源が一室の角にある行灯だけとなった。
「こっちの花も大団円か?」
「はい、出来あがりました」
さっと身体を横に向け、活けた花を彼にみせる。やっぱりよく分からねェが、あんたの花は好きだと言われて思わず嬉しさに顔が紅潮し、一室のほの暗さをありがたく思うばかりだった。あまったスプレー菊を手に取り、これ、貰っていいかと尋ねられ首を縦に振る。
「飾られるんですか?」
「そうだな、お前さんの活け花みて、花もいいなと思った」
「それ、とても嬉しいです……」
そろそろ休憩時間も終わる。三角巾を手に取ると、結んでやると言ってあっという間に私の手からそれを奪ってしまった。お言葉に甘えて彼に背を向けている私の顔は、熱でも出てしまったのではないかと思うくらいに熱かった。私はこの一時間で、あっという間にこの男に魅了されてしまったらしい。
それでもやはり彼と言う男の心に存在するには、まだまだ時間がかかってしまいそうだ。
「次は新年会って、あいつらが騒ぐだろうし、また利用させてもらうぜ」
「はい、是非に。お待ちしております」
「名前、今度は俺の部屋の花瓶、飾ってくれねェか」
「……ふふ、はい、もちろん」
何かありましたらお呼びください。そう言い残し、一室を後にすると、またあの煙草のにおいが鼻を掠めた。