小説 | ナノ


▼ 仁王雅治 / tnpr


Yellow Submarine

今日は机に向かってひたすら勉強する気分になれんくて、ふらりと家を出て自転車で近くの空き地に向かった。
年末の課題の量も異常じゃが年明けからは更なる追い討ちがまっとると思うと背筋が凍りそうになる。

部活しとった頃はこんなに進路に悩んだことなどなかったし、むしろ余裕綽々だった。
何が余裕だったのかはよく覚えとらんが、テニスでの余裕がそのまま身から染みでとったんだと思う。

自転車をこぎ初めて二分ほどで目的の空き地に着いた。
景色を邪魔する高層ビルやマンションは一切なくて、ここらへんでは珍しくかなり開けた場所だった。

家の近所から見える、広い海を見ながら一人で思い更けるのは案外嫌いじゃない。
この近くには子供はそれなりに住んどるがここに立ち入る子供は滅多におらんかった。
冬が近くなる海を眺めて、今日も大きな旅客船がゆったりと右から左へ流れていくのを見守る。

後ろで結んだ髪の毛の束の毛先たちが、風に揺られて首筋を掠めていくのが妙に擽ったく感じた。

学校の屋上もそうじゃが、何にも囚われずに無心になれる場所は最早俺には欠かせないものとなってしまっていたのだ。
なにも考えずに自由になれることは俺にとってはなくてはならないものだったし、ヘビースモーカーがニコチン中毒になるのと似ている気がする。
母なる海、というだけのことはあってここに来て大きな海を見ると何にも考えなくて無心になれるし解放された気分になれた。

端に置いてある小さなベンチをみて、ここに来ると必ず見知らぬ年よりの爺さんが先におっていつも同じ話をしてくれていたことをふと思い出した。
一年中、ここに来る度に爺さんがそこに座っとって煙草をふかしながら同じ話を聞かせてくれた。

爺さんは潜水艦乗りだったらしい。
黄色い潜水艦に乗って、様々な海に潜ってきたこと。
仲間が爺さんの他に二人おって二人とも優秀で勇敢な仲間であったこと。
潜ってきたどの海もエメラルドグリーンのような輝きをしていた綺麗な海だったこと。
あと海に滞在しながら世界中を回ってきたことを白髭を生やした貫禄のある口でそれはそれは自慢げに話してくれた。
今は廃船になったその黄色い潜水艦のことを自分の相棒と呼び、まるで人間であるかのように語っていた。

その話を一通り終えたあと、爺さんは俺に向かって「お前さんも連れていってやりたった」と言ってどこかへと去ってしまうのだった。
その時は俺のことを自分の孫と勘違いしとるんじゃろうと思っとったが、一日中問題集とにらめっこばっかしとる今となっては是非連れていってもらいたいと思うばかりじゃ。

爺さんの話を聞いとると、自分の思い悩んどったことがいかに小さな世界の話であるかを思い知らされるばかりだった。
進路、なんて小難しいことは爺さんのやってきたことに比べれば大したことはないんだと感じる。

俺もその潜水艦に乗りたいのう、と一度だけ呟いたことがあった。
無意識だが俺の口からはそんな言葉がでていたらしく、しかも爺さんにははっきりと聞こえていたらしい。
爺さんは俺の羽織っとった立海ジャージを指差してこう言った。

「お前さんが羽織っとるそれは、お前さんだけが持ってるものなのかい」

俺は首を横に振って「違う」と言った。
すると爺さんは満足げに笑いながら言葉を付け足した。

「じゃあ、その黄色い羽織はお前さん以外にも持ってるやつがいるんじゃろう?なら、同じその羽織りを持ってるやつは仲間じゃ。同じ、黄色い潜水艦に乗ってる仲間じゃ」

この羽織、つまり立海ジャージのことだろう。
爺さんの言葉通りなら俺はテニス部の奴らと黄色い潜水艦に乗っとることになる。
なんだか想像しただけでも騒がしそうな潜水艦じゃ、と苦笑した。

ふと後ろを振り返ってもそこにはあの爺さんはおらんかった。
転々と落ちていた煙草の吸い殻も、綺麗に消えてしまっていた。
きっと誰かが掃除をしたんだろう。
爺さんがここにいたことを証明するものはもう何も残っていない。

ここ一年ほどの間に何度かこの場所へ足を運んだが、一度も爺さんの姿は見とらんかった。
俺が来た時にはいつも煙草を吸っていたあの爺さんはどこへ消えてしまったんだろうか。
大分年老いとったようだったから、もしかしたらもう死んでしまったのかもしれないと思うと妙に悲しくなってきた。

感傷に浸っていると制服のポケットに入っていた携帯が規則的に震えた。
途切れることなく何度も震え続けているんで、おそらくメールではなく電話なのだろうと確信した。
電話を取りだし、発信元を見ないまま通話ボタンを押した。

「もしもし」

「もしもーし、私だよ」

「ああ、名前か」

間延びした声、柔らかい声色を聞いてすぐに名前だと判断できた。

「今から柳くんの家で鍋パーティーするらしいけど来れそう?」

先日からそれらしい話は聞いていたが、予定より随分と早い時間に始まるようだ。
時刻はまだ午後五時前で、晩飯時とはまだ言い難い。
ここから柳の家までは自転車を飛ばしても三十分ほどかかる。
少し遠めの場所じゃ。

「そうじゃな、行けるがここからじゃ遠いのう。あと三十分くらいはかかりそうじゃ」

「分かった、そう伝えておくねー」

「なあ、一つ質問なんじゃが」

名前が電話を切る前に質問を投げ掛けた。

「なあに?」

「なんの鍋がでるんじゃ?」

「すき焼きだって。お肉多目らしいよー」

「わかった、すぐ行くナリ」

「じゃあまってるねー」

名前がそういうとプツリと小さな電子音が鳴って通話が途絶えた。
それから再び携帯を制服のポケットにストンと入れ何事もなかったかのように海を見つめた。
名前が電話をわざわざしてきたということは、鍋パーティーには名前も顔を出すということじゃろう。

おそらく鍋パーティーという名の受験勉強の息抜きなんじゃと思う。
肉多目のすき焼きなんて、柳の家は太っ腹だと感心する。

思えば、部活も引退してテニス部の面子と顔を合わせる機会も減ってしもうて、同じクラスの丸井以外とはそんなに会わんのが現状じゃ。
マネージャーの名前は帰り道が同じなのでたまに道ばたであったりするがそれでも月に二、三回がいいところ。

部活をやってたころは毎日のように顔を合わせてオフの日にはたまに遊んだりしたこともあったのう、と昔に思いを馳せる。
時には今日のように鍋パーティーをしたこともあった。
その時はミーティングも兼ねていて堅苦しい話だったが。

昔は大勢で騒いだりするのがあんまり好かんかった。
今もそんなに好きではないが部活の面子で集まるのは嫌いじゃなか。
それでもやっぱり一人でいる方が気が楽だし、なんも考えんくて空っぽになれるし、解放された気分になるけん好きじゃ。
俺にとって一人になる時間は息抜きみたいなもんで、水泳でいう息継ぎ、バスケでいうインターバルとかみたいな感じに似とる。

けど、卒業してしまったらもう今回みたいに集まることも少なくなってしまうんかのう、と考えると惜しく思っとる自分がおる。
昔だったらもうこれで集団から開放されると逆に喜んどったんじゃろうなあ。
そう考えると昔の自分とは少し変わったのかもしれん。
一人になれる時間が好きなことに変わりはないが。

感傷に浸っておるといきなり冷たい風が吹き付けてきた。
そろそろ夕暮れが近くなってきたようで、辺りの空が少しずつ夜の色に近づいる。
それに夕日もだんだん水平線に近づいているように見えた。
手袋もカイロも持ってきとらんから、指先が冷えきってしもうて思わずポケットの中に突っ込んだ。

あまりの寒さに俺はもうそろそろ柳の家に向かうことに決めた。
もう少しだけ海を見ていたかったが、寒さが厳しくなってきたから仕方ない。
それに遅れてしもうたら、たぶん鍋に肉はほとんど残っとらんじゃろうし。
サドルが冷えきった自転車に乗って俺はゆっくりとテニス部の面子が集まる場所へとこぎ始めた。
横目に見えた海は夕焼けに照らされて、オレンジのような黄色のような綺麗な色に染まっとった。


written by 藍葉(caspie





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