伝書猫




 ある日、学校に住み着いている、まだ小さな野良猫を見つけた。今度猫の缶詰でも持ってこようと思いながら、その日は職員室で小さめのダンボールを貰って組み立て、植木に隠して置いておいた。
 次の日、猫の缶詰と家にあった新聞紙を持って来た。昨日いた辺りを探してみるが見つからない。隠したダンボールを覗いてみると、猫はいなかったが空になった缶詰が一つ入っていた。誰かがあげたのだろうかと、なんだか嬉しくなって空の缶詰を回収し、新聞紙を敷いた上に自分が持ってきた缶詰を開封してダンボールの中に置いておいた。
 また次の日。缶詰を持ってダンボールを覗きに来ると、今度は猫がいた。そしてやっぱり、昨日自分が置いた缶詰とは違うものが開封済みで置いてあった。なるべく猫を驚かせないように空の缶詰を回収し、自分が持ってきた缶詰を置く。
 
 そんなことが何日も続いた。
 誰かさんが魚味を恐らく放課後に、私は朝に肉味を持っていくのが暗黙のルール。ある日は缶詰の横に猫じゃらしが置いてあることもあった。遊んであげたのかと思うと自然と笑みがこぼれる。少しずつだけど、猫も私たちに慣れてきているようだった。
 誰が置いてるかも分からないけど、何だか猫を通して文通でもしている気分で勝手に親近感が湧いていた私は、思い切って本当に手紙を書いてみることにした。

『いつもありがとうございます。猫好きですか?』

 なんてことない内容。それを簡単な封筒に入れ、次の日缶詰と一緒に置いておいた。

 また次の日。
 返事、きてるかな。緊張しながらいつものように缶詰の回収に向かう。ダンボールを覗くと、猫はいなかったが、空の缶詰と四つ折りにされた一枚の紙が置いてあった。開いてみると、

『こちらこそありがとうございます。猫は好きです』

 と書いてあった。返事がきた嬉しさもあったが、字を見て驚いた。たぶん、男子の字。女子だと思い込んでいた訳ではないが、実際に男子だと分かるとなんだか急に恥ずかしくなってくる。しかしまあ、会うわけでもないし気にすることはないか。

 その日から缶詰と一緒に一言綴った手紙を置くことも日課の一つとなった。
 手紙の内容は本当に簡単なもの。今日は猫がいた、猫じゃらしで遊んでくれた、触れた等など。猫に関することのみ。稀に日常会話もあったりしたが、最近天気がいいですねといった、お見合いかと言いたくなるくらいどうでもいい程度のこと。何故だか分からないが、相手の素性については触れてはいけない気がしていた。それは向こうも同じだったのだろう。お互い、名前や学年なんかを聞くことはなかった。

 そんなことが一ヶ月近く続いていた。
 そんなある日の休日。予報にはなかったのに、夕方になると雨が降りだした。私は真っ先に学校の猫が思い浮かんだ。とりあえず様子を見に行こう。缶詰と傘を握りしめ、私は学校に向かった。
 学校に着いた頃には辺りは真っ暗、雨や風もかなり酷くなっていた。不安が大きくなるのを感じつつ、猫の元へ向かう。いつもの場所に着いた。猫の安否を確認しようとダンボールのある場所に近付くと、そこにしゃがんでいる人影が見えて足を止めた。

(もしかして……文通の人?)

 背後から音を立てないようにそっと近付いて様子を伺う。そこからは見覚えのあるジャージが見えた。
 あれは確か……テニス部のジャージだ。まさか文通相手があの有名なテニス部の人だったなんて。驚きと緊張で動けないでいると、しゃがんでいた人影が立ち上がった。頭にはバンダナを巻いている。テニス部でバンダナ。思い当たる人が一人だけいる。クラスが違うためあまり話したことはないけれど、テニス部レギュラーは有名なので、名前や顔は知っている。

「海堂くん……?」

 思わず声に出てしまった。その声に気付いた彼はすごく驚いた様子で私の方に振り向いた。そして、振り向いた彼の腕にはあの猫が。それを見て本来の目的を思い出し、思わず彼に駆け寄る。

『猫! 大丈夫? 怪我とかしてない?』
「あ、ああ……体は冷えているが、怪我はしていない」
『じゃあ、病院! 連れていこう!』

 私の勢いに押されて頷く彼を見て、二人で走り出した。
 その後、二人で猫を病院に連れていき、飼う気もないのに簡単に餌をあげるなと二人で先生に叱られた。肝心の猫に大事はなかったが、この雨の中放っておくのもまずいので病院に一時的に預かってもらうことになった。
 病院から出た後、なんだか気まずくてお互い何も話せずにいた。病院に行くまでは猫が心配で勢いで話せていたけれど、冷静になるとほぼ初対面、何を話せばいいのか分からない。そもそも彼のことを正直怖いとさえ思っていた。とは言ってもこのまま黙っている訳にもいかず。勇気を出すしかない。

『……猫、無事で良かったね』
「ああ、そうだな」
『…………』
「…………」
「あの……『あのさ……』
『……そっちからどうぞ?』
「いや、〇〇からでいい」
『私の名前、知ってたんだ!』
「同じ学年だから知ってるだろ。お前も俺のこと知ってたじゃねーか」
『テニス部レギュラーは有名だもん』
「……そうか」
『海堂くん、猫好きなんだ』

 ふふっと笑った私を睨んで目をそらす海堂くん。顔が赤いから怖くない。
 でもきっと、怖くないのはそれだけじゃない。なんてことない手紙のやり取りだったけど、それを通して、海堂くんは怖い人なんかじゃないと思えた。

『猫の里親さん、探さないとなあ』
「ああ。俺も手伝う」
『……ありがとう』

 もう今日で、手紙のやり取りも終わりか。寂しいな。そう考えると、この場を離れるのが惜しくなってくる。あの手紙がないと、彼と私を繋ぐものは何もない。いつの間にか私にとってあの手紙のやりとりは、こんなに大事にものになっていたんだ。

『ねえ、海堂くん』
「なんだ」
『これからは、廊下とかで話しかけてもいい?』
「別に……構わねえよ」
『ふふ、ありがとう』

 これで充分だ。手紙での繋がりはなくなってしまうけど、知り合いくらいにはなれた、と思う。

『それじゃあ私、そろそろ行くね。猫のことは私に任せて。里親さんを探すときはまた相談するね』
「ああ、分かった」
『それじゃ』

 さよなら。ふふ、なんだか失恋した気分だなあ。
 失恋……そうか。私、いつの間にか……

「おい!」

 ぼーっと考え事をしていた私は、いつの間にか海堂くんに腕を掴まれ引き止められていた。

『え! あれ? どうしたの?』
「いや、その…………これ」

彼がポケットから何かを差し出してきた。それは、見慣れた四つ折りの一枚の紙だった。

『これ……』
「今日、置くつもりだった」

 目線を合わせてくれない海堂くんの顔は真っ赤になっている。

『嬉しい……ありがとう』

 最後の手紙。私はそれを初めて彼の手から受け取った。嬉しくて目頭が熱くなる。

「それじゃあ」

 これで本当にお別れ。明日からは猫の世話を二人ですることもなく、たまに廊下で会ったら挨拶して、もっとたまに、猫の様子を報告したりする関係になる。
 うん、意外と幸せじゃない?
 そう自分に言い聞かせて少し歩いた場所で足を止め、受け取った手紙を開く。
 それを見て、今まで我慢していたものが涙になって溢れてきた。そして無我夢中で来た道を引き返し、走って彼を追いかけた。
 病院に戻ると、ちょうどその場から離れようとしている彼を見つけた。

『待って、海堂くん!!』

 私に気付いた彼は、驚いた顔をしている。

「どうした?」
『手紙……読んだの!』

 私はそう言って手紙を海堂くんの鼻先に突きつけた。それを見た彼はギョッとした顔をしている。

「……私もっ……! ……同じ気持ち!」

 私の言葉を聞いた彼は、驚き、困惑、様々な表情を見せた後、みるみる赤くなっていく。私が彼に突きつけた紙に書かれていた言葉は、私にとってはとても重要で、悩ましい言葉だった。

「あなたのことをもっと知りたいです」

 知りたい? それって学年や名前のこと? ただ単に、私が何者か知りたかったのか。それとも私という人間に興味を持ってくれた?

 私は海堂くん自身のことをあまり知らない。だから、どういう気持ちでこれを書いたのか分からない。想像も出来ない。だから私も海堂くんのことを教えて欲しい。今度は彼の口から。伝えたいことはたくさんあるのに、言葉にならない。

「好き」

 無意識に口から出た言葉。伝えたいこと全部ひっくるめると、こういうことなんだろう。それを聞いた彼は、より顔を真っ赤にして目を見開いた。

「なっ……!」
『分かってる! 今日初めて喋ったばかりなのに……変だって……でも……』

 涙で視界が歪む。顔を見られたくなくて俯くと、地面にぽたぽたと溢れた涙が落ちていく。彼の困った様子が顔を見なくても伝わってくる。困らせてごめんなさい。

「と、とりあえず落ち着け。ほら」

 そう言って彼はハンカチを差し出してきた。もう遠慮する気力もない私は黙ってそれを受け取った。

「……なんて言ったらいいかよく分かんねえけど……お前の気持ちは……その、嬉しい……けど俺たち、今日会ったばっかだしよ……」

 言いにくそうに話す彼は、手紙の印象通りとても優しいのだろう。私のために頑張って言葉を選んでくれているのが伝わってくる。

「クソっ! 悪い、こんなんじゃ伝わらねーな……と、とりあえず…………俺と文通の続き、してくれねえか」

『……え?』

 思いもよらぬ言葉に素っ頓狂な声が出た。完全に振られると思っていた。というか……

『文通?』
「俺は言葉で話すのは苦手だから……まずは今まで通り……」
『そこはメッセージとかじゃないんだ』
「……まあ、どっちでもいい……」

 バツが悪そうに目を逸らす海堂くんに、胸の奥からどんどん暖かくなっていく。

「……俺はお前のことをもっと知りたい。それからでも、返事は遅くねえか?」
『私も……海堂くんのことがもっと知りたい』

 そう答えた私を見る海堂くんの目はとても優しくて。
 これから私たちは、お互い1歩踏み出そうとしている。だから遅いなんてことない。いつか彼と手を繋いで歩ける日が来るのを楽しみに待っていよう。




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