ブリキのおもちゃ(he♀/鋼)
※ナンセンスな表現を含みます
続きません
彼女は「ブリキの少女」という芸名を持つ障碍者である。
カーニバルから脱走して来た少女と同居する事になったのはつい三日前程からだ。フリークスショーの看板娘だった彼女には右腕と左足が無かった。生まれつき手足が揃わなかった彼女は様々な場所を転々としながら、劣悪な環境下で客を喜ばせる芸を磨いて来た。雇い主の言い成りにさえなれば、生きてゆく為の金が貰える。ただ、それだけの為に。
ロケット展覧会が予想以上の盛り上がりを見せた為、嬉しさを滲ませつつもう必要のない機材をトラックに積み込んでいる最中。背後から激しい息切れと共に現れたのは、若い女性だった。
「どうなさいました、?」
女性は布を頭から被っていて姿が分からないけど、どうも憔悴し切った様子だ。
「けて、…助け…て」
女性が顔を上げた瞬間、時が止まったかの様に思えた。濃い金髪に、琥珀のような色の瞳。
「追われてるんだ」
そう、とても美しい少女だったのだ。
その後すぐに追っ手らしき男が数人見えた為、僕はその子を連れて物陰に隠れ何とかやり過ごす事が出来た。正直に言えば、僕のような細腕じゃあ、あの人達を前にこの子を守る余裕なんて無かっただろう。
ふと下を見れば、彼女のスカートから伸びているのは右足と――木で出来た棒である事に気付いた。
「あなた、脚が…」
半袖から伸びている筈の右腕も、無かった。
「…生まれつきなんだ。気味が悪いと思ったら、ごめんなさい」
「そっ、そんなことないです!」
僕は慌てて首を振った。すると彼女は寂しそうな顔から微笑む様な顔つきになって、どきりとしてしまう。
「俺、カーニバルに雇われた旅芸人なんだ。雇い主が乱暴な人で…耐え切れずに逃げてきた」
少女は服が肌蹴ている事に気付き、慌ててかき合わせる。そこで僕は、彼女の言う"乱暴"という言葉の意味を理解した。
「迷惑かけたな。
後は俺一人でも大丈…」
「帰る家は、あるんですか」
少女の肩がぴくりと揺れる。
「…無い。けど、これ以上誰かに迷惑なんてかけられないよ」
「僕の家で良ければ、一緒に来ませんか?」
琥珀色の瞳が大きく見開かれる。僕はお人良しだとよく言われるけれど、目の前にいる少女とこのまま別れたく無いと、心のどこかで思っていたのかも知れない。
「それとも、男の人の家じゃだめ…かな」
「いいや!…でも、本当に良いのか?」
「僕は全然、平気ですから」
心のどこかで。
下宿先は知り合いが営む花屋の二階にある。
日が沈まない内に戻り、とりあえず着替え用にワイシャツとズボンを用意した。当然ながら、女物なんてある訳なかった。彼女は手足が揃っていないにも関わらずとても器用なんだろうか、着替えに数十分もかけなかった。
「あの、何から何まで…ありがとう、な」
「いいですよ、お礼なんて。あ、ご挨拶がまだでしたね…僕はアルフォンス・ハイデリヒと申します」
名乗った途端彼女の目は丸くなっていて、ちょっぴり訝しんでいたら慌てて返してくれた。
「あ、俺は…エリザだ。よろしく…な?アルフォンスさん」
「よろしくお願いします。"さん"だなんて、呼び捨てで構いませんから」
エリザ。とっても綺麗な名前だ。どこか儚い雰囲気を持つ彼女によく似合っている。
「えっと…しばらく厄介になるんだから、働き口も探さないとな」
「それなら、僕も協力しますよ!」
くすりとエリザさんは微笑んだ。
「優しいんだな、アルフォンスって」
エリザさんは、大人びた笑い方をする人だ。
「料理、美味しい」
「本当ですか?それは良かったです」
「似てるな…やっぱり」
エリザさんの呟きが耳に届いて、僕は視線を上げる。
「誰に似てるんですか?」
純粋な疑問だった。エリザさんは伏せ目がちにこう言った。
「あんた、俺の弟によく似てる。顔だけじゃない、料理が上手い所だって……昔を思い出すよ」
笑っているのに、何処か苦しそうな表情だった。
「身売りする前はな、貧しかったけど、ずっと二人で頑張って暮らしてたんだ」
「では弟さんは…今、何処に?」
「弟は流行り病で死んだよ。それからずっと一人ぼっち。そのあと生活がどうにもならなくなって、旅芸人になってお金を稼いでる」
どう反応したらいいか分からず黙っていると、彼女は咄嗟に笑顔を作った。
「でも今はそうじゃない、アルフォンスと出会えて幸運だ。あんたの名前と弟の名前、一緒なんだ。素敵な巡り合わせだと俺は思ってる」
気付けば、エリザさんと暮らし始めてもう3日経っていた。その僕が帰宅した頃、珍しい事にいつもの「お帰り」の声が聞こえなかった。
エリザさんはソファに凭れて本を読んでいた。
それは僕が所有している科学技術にまつわる本だった。自分に学なんてある訳無いと苦笑交じりに言っていた彼女が、まさかそういった分野に興味を持っていたなんて思ってもみなかったので、僕は声をかけてみた。
「ご興味があるんですか」
「…え?」
「随分熱心に読んでなさったから」
「わあっ」
エリザさんは慌てて本から手を離す。
「…ごめんな、勝手に読んじまって」
「全然。むしろ嬉しいです、こういった分野に興味を示してくれるなんて」
実際僕の家は、女の子の興味を引かない書物ばかりで溢れている。
「アルフォンスは、ロケット工学って奴を研究してるんだよな」
「ええ。オーベルト先生という有名な教授の元で毎日」
「そうなんだ。ロケット…か…」
そう呟きながら彼女は天井を見上げた。まるで子供の様な爛々と輝く目で。僕はエリザさんの為に、「新しい世界」を見せてあげたいと思った。
後日、色々都合がいいという事で、エリザさんは男装した姿で僕と共に研究所を訪れた。
彼女は最初は首を振っていたので、僕が半強制的に連れてきたようなものだけど。結果的には、エリザさんのロケットに対する思いが更に強まる事となった。エリザさんは僕の家で様々な論文を読み、様々な疑問を僕に投げかけた。とても頼りにされてる気がして、僕にとっても至福の一時だった。
「科学って面白いなあ」
「エリザさんとっても飲み込み早いです、感服しました。論文が書けたら、是非僕にも見せて下さいね」
「論文だなんて…。でもこんな風に学べるのも、アルフォンスのお蔭だ。お前と出会って、毎日が楽しいよ」
僕だって楽しいよ。だってあなたの笑顔が毎日見れるんだから。
「あの…エリザさん」
「何?」
「あなたが良ければ…だけど
僕のいる研究所で、働いてみませんか?」