∴ Little Little Princess7
「お前……随分と手酷くやられたもんだな。まったくヒノエに全部話を聞いている間くらい待てんかったのか?」

突然目の前に現れた相手に話しかけられたけれど、内容はよくわからなかった。
もう何も考えたくないと、心も体も訴えていた。

「だめだな、正気を失っているか…ほんとうにしょうがない奴だ」

おれの体を一瞥してどんな惨状になっているか確認した後、決心したかのように鋭い瞳でこちらを睨みつけてきた。
それでも、感情が動かされることは全く無かった。
もしかしたら知り合いなのかもしれなかったが、それすらもどうでもよくて目線を逸らした。

「さっさと起きろ、夏目」
「……?」

頭の上から声がしたかと思った瞬間、ものすごい強い力で相手に唇を奪われていた。

(なに…してるんだ?)

キスと呼ぶにはあまりに乱暴で、大きな舌で口内を蹂躙されているというほうが正しかった。

「ん、うぅ…んぅ……?」

舌が揺れ動く度に鼻の先当たる白い毛が妙にくすぐったくて顔をしかめた瞬間、違和感が訪れた。
いや、それは違和感ではなく懐かしい記憶だった。
徐々に胸の奥底で眠っていた意識が覚醒していって、忘れていた大事なことを思い出しかけていた。
その間にも行為はやめられるどころか、一層激しく口の中でせわしなく蠢いていた。ピチャピチャと水音だけが暗闇の空間に響いていた。

「ふ…ぅ……ッ」

全身のだるさや熱い感覚までも取り戻していたが、後一歩のところでなにかの意志が邪魔をして思い出せないでいた。
虚ろな瞳を見開いて姿をしっかりと目に焼きつけたと同時に、おれの舌に相手の舌が絡められて優しく包みこむように丁寧に撫ではじめた。

(え……あ、れ…?せんせ、い……キス…してる?)

途中で妨害され思い出せないでいた記憶が、一気にぶわっと胸の内に流れこんできて弾けた。
これまでの出来事や今自分がどうなっているか、すべてを取り戻していた。

(こんなのだ、めだけど…でも…もう少しだけ…)

頭ではもう唇を離さなければいけないことはわかっていたけれど、離すことができなかった。それどころか目を細めて行為に浸りはじめた。
まだ完全に理性を取り戻していない心は、目の前のあたたかさをただ求めた。
やがてゆっくりと先生の顔が離れていき、二人の間に透明な汁の糸がつーっと垂れたかと思うとすぐに切れた。
切れたと同時に夢から醒めるように我に返った。

「はっ…!え、あれ?お、おれ…先生……?」

目の前には本来の獣の姿に変身した先生がいて、やけに真面目な顔でおれのことを覗きこんでいた。

「やっと正気に戻ったか?この私に世話を掛けさせるな」

口調はいつも通りだったけれど瞳が揺れていて、本当に心配を掛けてしまったことを自覚した。

「ご、ごめん……って、そうじゃなくて!な、な、ななんで…き、キス…なんかして……?」

どう尋ねればいいのか迷いながら口にしたので、言葉もかなり動揺してしまっていた。しどろもどろになりながら行為の真意を問いかけた。

「ヒノエの奴が”呪いをかけられたお姫様は王子様のキスで目覚める”なんて言っていたからそうしただけだ。まさか本当にそうなるとは思わなかったが」
「そ、そうか…」

思ったとおりの答えではなかったので内心がっかりして…そんな自分を嫌悪した。
一瞬でも先生が夢の中のことを思い出して口づけてくれたのだと期待してしまったのだ。思い出すことなど絶対にないのに。

「お前に聞きたいことは山ほどあるが、とにかくここから出るぞ」
「え?あぁ……あっ…!?」

そこで改めて自分の今の状態を思い出した。まだしっかり体中に蔦は絡みついているし、何度も責められた全身は汚れ膝はがくがくとまだ震えている。
あろうことか後ろの部分には何本もの塊が群がっていて緩やかに内側から刺激を与え、それに応えるかのように腰がゆらゆらと動いていた。

「……っう…!!」

一瞬にして頬が羞恥で赤く染まり、頭の中がパニックに陥った。
絶対に見られたくない相手にこんな淫らな姿を見られて混乱しないわけがない。
忘れていた疼きの感覚さえも戻ってきて、背中を冷や汗が流れていった。心臓がぎゅっと掴まれたように酷く痛み、この現実を直視したくないと訴えていた。

「お、おいどうした…!?」

急激に呼吸も激しくなったことで流石に先生もおれの急変に気がついたようだった。驚いた表情をしながらおれの体に手をふれようと伸ばしてきた。

(さわらないで…こんな体に先生がさわるなんて、おれが許せない…ッ!!)

―――パシッ

「え?」
「……」

おれのほうに伸ばしかけていた先生の手を、いつのまにか自分の手で叩いていたようだった。
体中は蔦で拘束されているのに、拒絶の意志を示した途端に引っ張られるように手が動いて叩き落したのだ。
お互いに呆然としていると、聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

『先生ッ…!』

声に驚いて後ろを振り向こうとしたけれど、それはできなかった。

「ふ、ぅ…っく、う、ぅん…ッ!?」

どこからともなく現れた蔦が素早く強引に唇をこじあけて口の中に侵入してきたので、悲鳴をあげてしまった。
その間に声の主はおれの横を通り過ぎ、おれと先生の間に割り入るようにして立った。

「夏目が…二人だと?」

先生が困惑したように呟いた。無理もない。姿形も声も全く同じ人物が目の前に現れたのだから。

(もう一人は妖だ。本当のおれはこっちだ!!)

そう叫びたくても訴えが届くことは無かった。口は蔦の塊によって完全に封じられていたからだ。

『本当のおれはこっちだ!こいつは先生を惑わすための偽者だ!!』

妖がおれの言いたかったことを、おれの声で先生に叫んだ。
口は塞がれていたけれど”違う”となんとか主張したくて喉の奥にぐっと力をこめた。

「ふ、ぐッ…!ん!?う、うぅ、ん…っ…!!」

けれど声を張りあげるのを遮るように体中の蔦が一斉に蠢いて、途中から甘い吐息が口から漏れてしまった。
何度も刻みつけられた快楽にすぐに反応できるように、体が作り変えられているようだった。

「偽者と言われても…」
『だっておかしいだろ!こんな先生が好みそうな格好でおれが誘ってるなんて有り得ないだろ!罠に決まってるじゃないか!!』
「むむ…そう言われれば…確かにおかしいな…」

先生はどうしたらいいのかわからないという風に首を捻りながら、妖とおれの姿を交互に眺めては納得がいかない顔で唸っていた。

(そ…んな、ことって……)

妖の言い分は間違っていなかった。本来ならこんな淫らな格好で先生の前に現れるほうがおかしいのだ。
おれのほうがおかしいのは、誰の目にも明らかだった。
絶望感に打ちひしがれていると、急に視界がぼんやりと歪みはじめた。すぐにそれが瞳に生理的な涙がたまりはじめたせいだと気がついた。
こんな時にも関わらず、体の中の蔦が激しく出し入れをしてきたのだ。

「ん…くうぅ…ぅ…ん、んッ…」

静かな空間におれのあえぎ声だけが響いていて、惨めな気分になった。もし口の中が塞がれていなければ、もっと酷い声を出していたかもしれない。
先生に見られて恥ずかしいという気持ちはすっかり消えうせていて、蔦の動きと連動してがくがくと全身が震えていた。

(さっき先生が手を伸ばしてくれたのに、おれが拒んでしまったから…こんなことになったんだ)

悔やんでもしょうがなかったけれど、悔やまずにはいられなかった。もうすっかり涙がぼたぼたと零れていて、先生の姿がよく見えなかった。

『先生、早くここから出よう!このまま居たら危険なことが起こるかもしれない!』
「…そうだな」

妖がもっともらしく言うと、それに先生が頷いた。そんな二人をおれは熱いまなざしで見つめることしかできなかった。
きっともうこれを逃したら二度と助けは現れないだろうと予感しながら、どうすることもできなかった。
ただぼろぼろと涙で訴えることしかできなくて…
すると先生がおれの前を遮った妖を手で避けさせて、顔を近づけてきて問いかけた。

「いいのか?お前はこのままで」

しっかりとおれの瞳を見据えて言った。だからおれは戸惑った。

助けて欲しいのに…こんな姿を見せてしまってこれからどう先生に接したらいいかわからないから…助けて欲しくない気持ちもある。
永遠に自分の殻に閉じこもって逃げるか、すべてのことに正面から立ち向かっていくかと問われれば応えは簡単だった。
なのにおれはすぐには選べなかった。
友人帳の名前を返すという志も忘れ、夢の中に逃避するなんて最低な行為なのに…先生との約束さえ放棄しようとしているのに。

「わかった」

何も言わないおれに声を掛けると、先生が背を向けた。

(そうか…もう二度と先生に会えなくなるんだ…)

その時点でやっと事の重大さに気がついたのだけれど、やっぱり一歩遅かった。
夢の中の先生に好きだと言われて、おれも好きだと言えなかった時からなにもかも気がつくのが遅かったんだ。

(素直になれなくて…バカだな…おれ)

『おれ先生に助けて貰いたかったんだ…ありがとう』

最後まで言いたくても言えなかった言葉を、妖があっさりと先生に告げてズキッと胸が痛んだ。
あんな簡単に誰にでも言えるのに、と思うと悔しくて口の中の蔦を思いっきり噛んだ。
当然びくともしなかったけれど、この塊さえ噛み砕ければまだ呼び止めることができるのはわかっていた。

(やっぱり待ってくれ!先生ッ!先生!せん、せい……ッ!!)

先生の背を潤む瞳で必死にみつめながら、心の中で精一杯叫んだ。
届くと、信じて――

「ふん、この私を騙そうとするとは…身の程を知れ下賎な者めッ!」
『な、んだと!?うああぁッ…』

(え…?)

あまりの速さに目が追いつかなくて、なにが起こったのかすぐには理解できなかった。
獣姿の先生が妖に覆いかぶさってどうやら攻撃しようと振り上げた瞬間に、相手の妖が瞬間移動のように忽然と姿を消したのだ。
口ぶりからなぜかはわからないが、先生は妖の正体を見破っていて攻撃するタイミングをはかっていたようだった。
慌ててきょろきょろと周辺を探してみるが、もう誰もいなかった。

『なんだはじめからわかってたのか…危ない危ない。わかったコイツからはもう手を引くからあとは好きにしたらいい』

聞こえてきた声はあの妖らしき声だった。ずっとおれの姿に化けていたから本当の妖の声は今はじめて聞いた。

「くそっ!人を何度もバカにしおって…逃げるな!勝負しろッ!!」

先生が大声で怒鳴り散らしていたが、返事はもうなかった。暫くはおさまらず地団駄を踏んでいたが、急に鋭い目つきのままこちらを振り返った。

(うわっ!すごい怒ってる…)

明らかに不機嫌な顔をしてどすどすとわざと足音を大きく立てながらおれの前に立つと、口を塞いでいた蔦をぐいっと引っ張って取り除いた。

「ごほっ…っ、ぅ…あ、ありがと……?」

咳きこみながらお礼を言うと、そこにはもう先生の姿は無くてびっくりした。だがすぐにどこに行ったかは判明した。

「え?まさか…ッ!う、うああぁぁ…っうぅぅん、ん、んうぅ……!?」

ものすごい衝撃が雷撃のように全身をかけぬけて、後ろに群がっていた蔦の塊が体の中から一気に引き抜かれていった。
突然の事に心の準備もできなかったので、甘い声を思わずあげてしまって後悔した。

「はっ、は、はぁ…っく、うぅ…」

栓を失った穴からはぼたぼたと中身の液体が零れ落ちていった。必死に呼吸を整えて平静を取り戻そうとしたが、すぐにはおさまらなかった。

(だ、だめだ…怖くて後ろを振り向けない)

全身の震えがさっきまでの責めの余韻でないことは明白だった。もう逃げないと決めたのはいいけれど、どうしたらいいのかまるで見当がつかなかった。
先に動いたのは先生のほうだった。

「…そういえばヒノエから聞いたぞ。数日前に私が呪いにかかってお前に助けられた話を」
「そ、そうか」

内心は焦っていたけれど、なるべく普段どおりの口調で返した。向かい合って話していなくて幸いだと心底思った。

「説明されても私は全く覚えていないから納得がいかなかったのだが、一つだけ気になったことがあって夏目に聞いてみたかったんだ」
「…な、なんだよ?」

こんな風に先生にわざわざ改まって聞かれることなんてきっと悪いことに決まっていた。バクバクと心臓が高鳴っていてやけに煩くてしかたがなかった。

「眠ってる間にお前といかがわしいことをする夢を見たんだが、あれは実際にあったことなのか?」
「な…ッ!?な、な、ななないッ!ない、ないそんなこと!絶対に、ないからッ!!」

首をぶんぶんと大げさに左右に振り乱しながら、全力で否定した。

「そうは思えんのだがな…やけに生々しかったしさっきのキスだってなんとなく感触が…」
「なにもなかったッ!いい加減に…」

なんとか話を逸らしたくて、盛大に怒鳴りつけてやろうと思って息を吸いこんだところでとんでもないことを告げられた。

「おぉそうだ!今から試してみれば思い出せるかもしれん。ちょうどいい具合に乱れた体があるしな…」
「な、なに…言ってるんだ?」
「お前は黙って私に抱かれてればいい。それだけの話だ」

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