∴ Little Little Princess2
「とにかく…これをは・な・せッ!」
「まったくこの生意気な性格が気に食わんのだ。たまにはしおらしい姿のでも見せてみろ」
「誰が…うわあっ」

ぎりぎりという軋む音を言わせながら先生を怒鳴りつけていると、また別の黒い塊がどこからともなく現れてきたので慌てて体を捻ってそれを避けた。
ヒュ、ヒュッという風を切る音色が何度も耳の横を掠めてぎりぎりのところで避けていた。

「く…っ、この往生際が悪い奴め!」
「なッ…こ、これはやりすぎ…っぅ…!」

痺れを切らした先生が大げさに叫ぶと、暗闇の空間から何十本かの蔦が飛び出してきて流石にこれは避けれるわけがなかった。
がっちりと全身を絡み取られ、今度こそ文字通り指一本動かせない状態に陥ってしまった。
紐よりは柔らかいけれどそれなりに弾力のある感触に抑えられて、これからどうなるか見当もつかなかった。
そこでやっと、自分が何をしにここに来たのかを思い出した。
あまりに想像を絶する出来事が続きすぎてすっかり忘れ去ってしまっていたけれど。
こんな状況で尚更悔しいが、先生の望みを叶えてあげなければ元に戻れないのだ。

「なっ、なぁ先生?聞きたいんだけど…今おれに叶えて貰いたい望みとか…ないか?」
「そうだな、お前に泣きながら謝ってもらって”先生大好き”と言われてみたいな」

間髪入れずに返事が即答されて、あまりの内容に縛られていることも忘れて暴れまくった。

「ふざけるな!いくら先生を助ける為とはいえ、無理だ!」

おれを馬鹿にしているとしか思えない内容に呆れを通り越して苛立ちしか湧いてこなかった。
3日くらい寝続けている間ずっと心配をしていたのに、これだけ元気だと心配したおれの気持ちを返せと言いがかりをつけたくなる。
助けに来るのもヒノエに変わってもらえばよかった。

「なんだ夏目が叶えてくれるわけではないのか。じゃあ自分でするしかないな。まずは泣かせてやろう」
「は…?いや、ちょっと待て…ッ」

あっさりと諦めた先生が急に眼前ぎりぎりまで大きな獣の顔を近づけてきて、なにをするのかとびくっと体を震わせて目を閉じた。

―――ぶちゅっ

「ん…?んんんっ…!?」

唇や鼻のあたりにになにかふわっとした柔らかい感触が触れたので驚いて目を開けると、そこに先生の口があった。
もしかして…これはキスでもしているというのだろうか?
あまりの大きさの違いに決してそうは見えなかったのだけれども。
ふわふわの毛が顔にかかって、それがくすぐったくて思わず鼻から息をもらして笑ってしまった。

「…っ…ちょっと先生…くすぐったいって」

首を横に向けて逃れると、声に出して微笑んでしまった。
先生に口付けをされたらおれが泣いてしまう、と考えた発想がかわいらしすぎてたまらなかった。

「ちっ…これぐらいだと余裕だというのか。仕方が無い」
「うわっ…え…?」

ボムッという音と煙と共に先生の姿が視界から消えたと思った次の瞬間、煙を抜けて何か赤いものがおれの口目がけて伸びてきた。

「ふっ…むぅぅうううぅぅっ!?」

あっと気がついた時には既に遅くて、その伸びてきた赤い舌が唇を割り入り口内に侵入してきた。
完全に煙が引いて姿を現した先生は、大型犬くらいのサイズに変化して長い舌だけを伸ばしてきていた。
わけがわからずにいると、舌が好き勝手に口の中で暴れ始めた。
自由自在に素早く動き、おれの舌や歯の裏側をごそごそと撫でまわしたり最奥の部分を突いたり忙しなく動き回った。

「むぅ…っうぅぅんん…ん…」

口は限界まで開かれていて逃れようはなく、呻き声をあげながらあまりのことに唇の端からは涎が垂れていることさえ気がつかなかった。

(何がどうなってるんだ?先生と…妖?獣?なんか…と…これがディープキス?)

やっと事実を受け入れた時、顔がかっと紅潮し胸の鼓動が急に激しくなってますますわけがわからなくなってしまった。
ざらざらとした舌で舐められる度に、ズクンと心が疼くような痛みに苛まれ自分がどうにかなってしまったのかと思った。

「ん…っはあっ…!」
「ふんっ!どうだ夏目、まいったか………あ?」
「え………な、んでおれ…泣いて…?」

やっと唇を離されて大きく息を吸い込んではぁはぁと呼吸を整えていると、ふと目頭が熱くて頬を水のようなものが伝うのに気づいた。
泣いていたのだと自覚した。
涙を拭いたくても腕は使えなくて、ぼろぼろと無防備にこぼし続けることしかできなくて、情けなく感じた。
どうして泣いているのか自分でもわからない。
先生は驚きのあまり固まったまま、わずかにぶるぶると震えていて怒っているのかと思った。

「違うんだ…おれ、ごめ…っ…?」

謝罪の言葉を口にすると、ますます顔が鋭くなり、完全に睨まれていた。

「おい、夏目」
「…ッ!」

怒鳴られるのだと思いとっさに目を閉じてしまったのだけれど、罵声が浴びさせられることはなく恐る恐る瞳を開いた。

「先生?」
「そんな顔をしおって…お前を本気で泣かせたくなってきたではないか?」
「どういう…?」

よく覗き込むと腹を立てているというよりは、何かを我慢して強張っているような顔だった。

「表情一つ変えずけろっとしていれば、そんな気など起こらなかったのに…悪いのは夏目だぞ。もう止められない」
「わ、わかるように説明してくれよ…」

なんだか抽象的に言われて、胸がもやもやとしてきたのでこの際はっきり言って欲しかった。

「しようのない奴だな………夏目の泣き顔がエロいから、犯してもっと泣かせたくなったのだ」
「な、な、な…なんてことを言ってるんだ!この変態中年猫が!」

おれの考えていた不安は一瞬にして吹き飛んだ。どうもさっきから変な方向に期待を裏切られてばかりいる。
そうだ、夢の中に入った時点で気がつくべきだったんだ。
なぜか先生が妙にさかっていて、自分が狙われているということに。

「…っぅ」

おれの姿をした妖と先生がしていた行為の内容が頭の中にフラッシュバックし、頬が熱くなってくるのを感じた。

(いやいや…絶対に無理だ。考えられないというか…もともとおかしな話なんだ)

普通に考えてこういうのは好きな人とするものだと思うが、きっと先生は獣だし妖だし…そういうのに抵抗がないのだろう。
性別すら関係ないということかもしれないが、それはあんまりだ。

(先生の性欲処理のために体を使わせてくれって言われてるんだぞ!拒むに決まっている!)

心の中で強く決意してはっきり言わなければ、と思うのになぜかさっきから上手く口が回らなくなっていた。
大きくなった胸の鼓動は一行におさまる気配はなく、好奇心にも似た感情が徐々にわきあがってきていた。
おれの体に溺れている先生を―――少しでいいから見てみたい、かもしれない…。
そんな単純なものではないのかもしれないのだけど、ふとそう思ってしまった。
浅はかな考えで、後悔することも知らずに。

「まぁそうは言ってもあまりにお前が嫌がるような酷いことはしたくはない。私は優しいからな」
「…自分で言うか」

ふてぶてしい態度に盛大にため息をついていて、反応が少し遅れてしまった。

―――チクッ

「!?な…なんだ今の!」

背筋に針のようなものが突き刺さった感触がしたかと思うと、すぐにその周辺から徐々に冷たい痺れのような疼きが広がっていった。

「お前のことだどうせあれこれ一人で思い悩んだりするだろう?だから悩まないようにしてやったんだ」
「それって…」

話している間にも全身がだるくなってきて、妙に息が荒くなり始めていて嫌な予感はした。

「悩むくらいなら理性など無くしてしまえばいい」
「まさか」
「催淫効果のある毒を注入してやったんだ。痛みや恐怖もすぐになくなって煩わしい考えなど忘れてしまえるだろ?」
「………ッそんな!」

先生の言うとおり視界がぼんやりと霞んできて、黒い蔦で強く拘束されている部分からじわじわと熱を持ち始めていた。
我を忘れて溺れるのは―――おれのほうだった。

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