∴ アドレッセンス 1
「ん…?」

体の違和感にゆっくりと目を開くと最初飛び込んできたのは、一度だけ見たことのある妖の姿だった。

(これは的場さんの式!!)

気を失う前の記憶が一瞬にしてぶわっと蘇ってくる。

(そうだおれは廃屋を…的場さんの家だと気がついたところで捕まったんだった…)

白い面をかぶり真っ黒な体の上に無地の着物を着た妖が目の前にいて、おれのほうをじっと見つめていた。
気味が悪くて体を逸らそうとしてやっと自分の両手が頭上で縛られているのに気がついた。

「な…ッ」

両手首を縛った紐が頭上の出っ張りに結び付けられていて、どう見ても一人では逃げ出せない状況なのがわかった。
パニックになりかけた頭に、冷静になれとひたすら念じた。

(どこだここは)

妖から目を逸らしてその後ろにあるものを確認して、血の気が引いていくのを感じた。

(座敷牢!?しまった的場さんに捕まった…)

格子のある扉が部屋全体を覆っていて、明らかに捕まえた者を閉じ込めておくためのものだと理解できた。
的場さんの姿はまだないけれど、あの人に捕まったことだけは事実だった。

(あ…バッグがない友人帳がとられた!?)

そういえばと、縛られてる周辺の床や牢の中を見回したけれど肩からさげていたバッグが見当たらなかった。
友人帳のことはまだ気づかれていないとは思うけど、荷物が取られたのならバレるのは時間の問題だった。

「…っ」

あまりの不甲斐なさに悔しくて唇を噛んだ。
無駄だとはわかっていても縛られた手首をがむしゃらに引っ張って、なんとか縄を破りたい衝動にかられる。
そんなことをしても手首に擦り傷が残ってしまうだけだということくらいすぐ考えつく。
わかっていても、なんとかしたかった。

(そうだニャンコ先生は!?早く見つけださないと…)

捕まる直前に居なくなった先生も多分おれと同じように捕まったのだと推測できる。
でもだったらどうして牢に入れられていないのだろうか?

(どうしよう…)

先生は妖だから別の部屋へ連れていかれたのだろうか。
それとも森の中で捕まえられるところを見たあの妖のように、壷のようなものに入れられて動けないのだろうか。
考えれば考えるほど不安が増してくる。
先生は無事なのか、友人帳はどこにあるのか、そのことばかりを考えていて自分がこれからどんな目にあうかなんて想像していなかった。

「…」
「な、なんだ…!?」

暫くこちらをじっと見つめて微動だにしていなかった妖が急に動いた。
おれの首のあたりに手を伸ばしかけたと思うと、突然シャツを左右に引っ張って真ん中から強引に引き裂いた。

「え………?」

すべてはじけ飛んでいったボタンのコロコロと床を転がる音だけが、静かな牢の中に響いていた。
首を絞められるとばかり思っていたので、この行動の意味が理解できずに呆然としてしまった。
なにかおれが気に触るようなことをして怒らせたとも考え難い。

「…」
「黙ってないでなにか言えよ」

きっと元々そういう性質のしゃべらない妖なのだろうということはわかるのだけれど、今は沈黙が恐くて自分の心を気丈に振る舞わせるために口に出した。
心を強く保っていないと、きっと的場さんの前では…。

カツン、カツン―――

「!?」

その時遠くから人の気配と共に床を蹴るような物音が段々と近づいてきて、今まさに考えていた人物の足音だったのだとわかった。

「あぁやはり君だったのですか」

牢の扉を開いてすぐに、感情の無い瞳でこちらを見ながら淡々と的場さんが告げた。
静かだけれども素早い足取りで両手を吊り上げられているおれの方に近づくと、目の前の妖に向かって怒鳴りつけた。

「なにをやっている」

ドスの効いた鋭い声で言い放つと同時にドカッというすさまじい音と振動が伝わり、その妖がドサリとその場に崩れ落ちた。
おれの位置からはよく見えなかったけど多分腹かどこかを殴り気絶させたのだろう。

「あ…」

妖を失神させるほどの力を持っている人だと目の前で見せつけられたのに、なぜか少しほっとして息を吐いた。
本能的に得体の知れない妖よりは人間である的場さんの方が、まだマシだったということなのだろうか。

「無礼をしてすみませんでした」
「いや…別に…」

全く侘びている様子は伝わらなかったけれど、丁寧に頭を下げてきたのでついいつのも強がる癖でどうってことはないと言いかけた。

「こんなに乱暴にするなんて…私ならもっと優しくしますよ?これだから妖は…」
「な…ッ!?」

妖に破られて曝け出されたおれの胸元を見ながら、的場さんがニコリと不敵に微笑んだ。
あからさまな視線と言っていることがあまりにも物騒すぎて、まださっきの妖の方が随分マシな気がしてきた。

「お久しぶりですね、夏目貴志君」
「…なんでおれの名前…」
「七瀬にききました。少し調べればすぐわかることですし」

的場さんは唐突に確信に触れてきた。調べたというおれのことについて、スラスラと話し始めた。
わざとこっちを逆撫でするような悪意のある言い方だったけれど、一切に間違いは無かった。

「…藤原ご夫妻は君を理解してくれていますか?」
「あなたには関係ないことだ。帰ります、これを外して下さい」

簡単に逃がしてくれないことなんてわかっている。けれどこれ以上ここに居ては危険だと、関わってしまっては危険だと自分の中の勘が告げていた。
強がってみてもきっとこの人には全く通じない。おれの弱みがなにであるか、もう既に知られてしまっているのだから。
友人帳のことに勘付くのも時間の問題だ。

「色々調べてみたのですがなかなか情報が少なくて」

おれの言葉を無視して自分のペースで話す的場さんが徐々に近づいてきて、目を逸らせないほどに距離が縮まった。

「是非とも聞かせて頂きたいのです。噂の夏目レイコと…あなたの持っている秘密を」
「…」

心の中で落ち着け、落ち着けと必死で唱えた。
幸いバッグは手元にないし先生も同じ場所に捕まっているわけではないみたいだから、おれさえ話さなければ大丈夫だ。
例えどんなことになったとしても、友人帳のことだけはなんとしても守り通さないといけない。
おれがどんな目にあったとしても…。

「簡単に話さないことくらいわかっていますけどね」
「じゃあ聞かないでください」

口答えをしてみたものの、クスクスと軽く笑われてしまっただけだった。的場さんにとってはただの子供の強がりに見えるのだろう。

「相変わらず今の自分の立場をわかってない言い方で、私を挑発しているのですか?」

そんなことあるわけがないのに、全部わかっている癖に。
以前合った時にはただ静かに探るようにしながら話していたけれど、今日はなにもかもがわかっているからかやけに嬉しそうに笑っていて失礼だけど不気味だった。
これからしようとしていることに対しても、ただ楽しむためにという風にしか見えない。
的場さんなら簡単におれが隠している秘密を吐かせることなんてできるはずなのに、脅すだけ言ってそれ以上は強引にしようとはしない。
人を恐がらせて楽しむ、そういう特殊な性癖の持ち主にしか思えなくて本当に厄介なことになってしまったと思った。

「こうして言葉遊びをしているのも悪くはありませんが、そろそろ本題に入らせて頂きますね」

そう言うとおれの頭の上あたりの壁に手を伸ばし、そこにある物に触れた。

「え…っ!うわっ…な、なんだこれ!!」

おれの位置ではなにがあるがさっぱりわからなかったが、カサカサという紙の音がわずかに聞こえてそれがお札とかそういう物の類だとわかった。
そしてそこから真っ黒な蔦のようなものが何本も飛び出してきて、おれの体の回りを囲んでいきやがて手や足に絡みつき始めた。
やがて全身の至るところを蠢き始め、挙句の果てには破れたシャツの隙間から中に潜り込んできた。
肌に直接触れる感触はどう言葉で表していいかわからず、あまりのおぞましさに青ざめて絶句してしまっていた。

「な…にを…?」
「検査ですよ。あなたが何かを隠し持っていないか」

問いかければ思いもかけない答えが返ってきて、ぽかんと口を開けて呆けてしまった。

「なにも持っているわけがないじゃないですが!そんなの見ればわかる…」
「用心に越したことはないのですよ」

ぞっとした。荷物も取られシャツまで破かれ、これ以上隠す場所などどこにもないのに。
きっと目的は別にあるが、身体検査と言えばなんでもできると思っているのだろう。
とてもじゃないがおれにはこれから先のことなんて、想像もつかなかった。

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