能勢久作

黒い手




それを見つけたのは、とある日の夕刻だった。
中庭の脇を通る廊下を歩いていると、中庭に何かが落ちているのに気がついた。
竹馬だ。中庭の真ん中に突然放り投げられたようにぽつんと一対の竹馬が落ちているのは、どこか物悲しい。吸い寄せられるように近づいて、僕は竹馬を手に取った。
竹馬は六尺ほどもあり、立てるだけでもなかなか難しい。さらに踏み板は膝上ほどの高さにあって、よっぽど上手く乗らなければ竹馬ごと倒れてしまいそうだった。
誰のものかは知らないけれど、僕は思い立ってその竹馬に乗ってみることにした。よ、と勢いをつけて飛び乗ると、自分でも驚いたことに軽々と乗れてしまったのだ。
やった、と喜びに浸る間もなく、僕は凍りついた。

竹馬の足に、人の白い手が絡みついている。

地面から肘ぐらいまでの人の両腕が生えていて、それが竹馬の両足をがっちり掴んでいた。
僕は気が動転して、思わずめちゃくちゃに地団駄を踏んだ。すると竹馬を掴んでいた手が突然放れ、僕は危うく倒れそうになる。なんとか数歩歩いて安定させてから後ろを振り返ると、地面から生えている手はぱたぱたと動いていて、何かを探しているようにも、呼んでいるようにも見えた。
何が起こっているのかわからず呆然とその手を見ていた、そのときだった。その両手のすぐ隣に、もう一本腕が生えてきたのだ。

その腕は、腕の形はしているのだけれど、まるで影の塊のように黒かった。対比すると、竹馬を掴んでいた手はますます真っ白に見えた。
黒い手はゆっくりと白い手に触れ、触れた瞬間、白い手が突然暴れだした。まるで腸を潰された蛇が最期にのた打ち回るように見えて、ぞっとした。黒い手は暴れる白い手をしっかりと掴むと、ゆっくりと地面に引き摺りこんでいく。完全に白い手が見えなくなると、もう一本の傍にも黒い手は生えて、同じように白い手を引き摺りこんでいった。
中庭は何事もなかったように静まり返っていて、怖くなった僕は竹馬から飛び降りると、投げ出された竹馬をそのままに逃げるように駆け出した。

その日から、僕はよく何かにつまずくようになった。

何故かは、もちろん知っている。あの黒い手だ。
あの日から、学園のどこにいても黒い手が頻繁に現れるようになった。何かにつまずいて振り返るとそこに黒い手が生えていて、ゆっくりと手招きをしている。あるいは座学で座っている机の下から手が伸びて、足首を掴んだこともあった。そのときは思わず悲鳴をあげてしまったが、みんなは足を痺れさせたんだろうって笑っていた。みんなには黒い手が見えていないようだった。
怖くて怖くて仕方がなかったけれど、こんなこと誰に言えるだろう。僕は出来るだけ何でもないように装った。そうすることしかできなかった。
それで済んでいたのは、黒い手は日が暮れ始める夕方にしか現れず、夜になるとどこかへ消えてしまうからだった。

しかし、ついにそれだけではすまなくなった。
そのころには黒い手は時々現れるどころか、常に視界のどこかしらで夕日に照らされゆらゆら揺れているようになっていたのだけれど、その日、黒い手はつまずいてこけた僕の足を掴みぐいぐいと引っ張り始めたのだ。僕は黒い手が何をしようとしているのかすぐにわかった。あの白い手のように、僕をどこかへ引き摺りこもうとしているのだ。
僕は掴まれていないほうの足で必死で黒い手を蹴り飛ばし、黒い手が怯んだ隙に駆け出した。
どうしたらいい、そればかり考えながら、僕は不意にあの中庭の竹馬のことを思い出した。

中庭には、あの日の夕刻のままに竹馬が落ちていた。
駆け寄って竹馬を起こすと、そのまま飛び乗った。それから恐る恐る足元を見てみると、やはり、黒い手はいた。竹馬の足をさわさわと触って、今にも僕が降りてくるのを待っている。黒い手は肘ぐらいまでの高さまでしか腕を伸ばせないので、ギリギリ僕には届かない。
その日から僕は夕方から夜までの間、竹馬の上で過ごすようになった。黒い手が消えたのを確認して、誰のものかわからない竹馬をどこかに片付けられてしまっては困るので、中庭に面した縁側に隠した。

その日も竹馬の上から黒い手を眺めて、僕は初めて竹馬に乗ったときのことを思い出していた。
あの、黒い手に引き摺りこまれていった白い手。あれは、もしかしたら僕のように黒い手に付け狙われてついに地面に引き摺りこまれてしまった、人、だったのではないだろうか。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -