立花仙蔵

狐憑き




「仙蔵ってさ、見える人なの?」

そう問うてきたのは誰だったか。
多分、伊作あたりだろう。何を根拠にと鼻で笑ってやった記憶がある。
結論から言えば、見えない。けれど人の感性では計り知れない何かは存在するのではないかと思う。
座右の銘は「触らぬ神に祟りなし」。いわゆる信仰や倫理に反するものには極力関わらない。常軌を逸しているものは見ない、聞かない。短慮をせず、己の勘を侮らない。
この頑なさが結果、そういった誤解を生むことになったのかもしれない。しかし、そこまでするのには理由があった。
幼い頃から祖父母や両親にきつく言い聞かせられていることが一つ、ある。

「誰もお前を迎えに行ったりしないから、帰りは必ず一人で帰ってくるように」

そう言われたときは、幼心に寂しかった。どこで遊んでいても他の子供達には日暮れごろになると迎えが来るのに、私にだけは誰も来ないのだ。何故か、と聞いても理由を教えてはくれなかった。
そんなある日だった。いつものように夕暮れ時、一緒に遊んでいた子供達は親に手を引かれ帰って行って、私だけが残された。その私に、誰かが声をかけた。

「おむかえに」

子供の声のような気がするが、しわがれた老婆の声のような気もする。そんな不思議な声だった。
辺りを見回したけれど、誰も居ない。気のせいだったろうかと思って首を傾げていると、また、

「おむかえに」

確かに聞こえた。この場に他に人は居ないのだから私に話しかけているのかと思って、子供というのは実直だ、そのときは律儀に答えてしまった。

「私を迎えにきたのですか」
「はい、おむかえに」

けれど声の主は現れない。声も、どこから聞こえてくるのかわからない。
一瞬、私は嬉しくなったけれど、すぐに「言いつけ」を思い出した。それから、子供にしては賢かったと我ながら思うのだが、このときの為の「言いつけ」だったのではないかと察したのだ。

「私は一人で家に帰らなければならないので、いりません」

はっきりとそう言うと、声は聞こえなくなった。そのあとすぐ跳ぶように家へ駆け戻って母の膝で泣いた。今となってはもう覚えていないのだが、やはり怖かったのだろうと思う。その日の夜は、母と同じ布団で寝た。
しかしその夜半、ふ、と目が覚めた。腹が減っているわけでも厠に行きたくなったわけでもないのに、ぱっと目が覚めたのだ。眠気もすっかり飛んでしまって、私は何気なしに天井へ視線を彷徨わせていた。そのときだ。

「また、まいります」

すぐ耳元で、あの声がした。


それから、「お迎え」は頻繁にやってくるようになった。そのたび私はそれを拒み一人で帰った。声はするのだが、結局その主の姿を見たことはない。
実は忍術学園に入った今もそいつは時々やってくる。ある日部屋で休んでいるところに来て、そのころにはもうすっかり慣れてしまっていたので「行かん」と一言に伏してしまったのだが、そのとき文次郎が隣で如何とも言い難い顔をしていた。
そのとき初めて、声はいつも私が一人のときにやってきていたことに気がついた。文次郎の顔色を見る限りあの声も聞こえていたようで、怖がらせてしまったかとほんの少し気の毒に思った。
しかし翌日、文次郎は何食わぬ顔をしていた。余計な気遣いだったらしい。
その日から文次郎は鍛錬に出かけてどんなに遅くなっても必ず部屋に戻ってくるようになって、もしかして、と少し面映い気持ちになった。未だに声は「お迎え」に来るけれど、子供のころの自分が少し救われたようでもあった。絶対に、文次郎には言わないけれど。

「お迎え」に応えたらどうなるのか、興味がないわけではないが、ある程度の予想はつく。
けれど私はまだ、こちらで「遊んで」いたいので。



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