善法寺伊作

月夜




その日は、月の光で本が読めるほど明るい夜だった。

僕は長屋の廊下に腰を降ろして本を読んでいる。
もうどれくらいそうしていただろう。本と言うのは時間を忘れさせるから、もう子の刻は過ぎているかもしれない。
そろそろ休もうか。そう思って手元の本を閉じ、大きく伸びをする。集中するとついずっと同じ体勢でいていてしまうから、肩が凝って仕方がない。留三郎ほどじゃあないけど。
あれの肩凝りは半端じゃあない。地べたに座って猫みたいに腰を丸めて、そのまま手元の作業に集中して何刻も平気でいるもんだから、そのたび留三郎の肩は石みたいになる。そうして毎回僕がバキバキ音が鳴るくらい揉んでやるのだ。
それが終わると留三郎は眠そうな疲れたような、そんな顔でぐったりとする。
「お前の肩揉みは良く効くし気持ちいいんだが、疲れる…」とかなんとか。今日も今日とて肩揉みが終わった途端ぱったり布団に倒れこんでしまって、珍しく早い時間からすーすー寝息を立てていた。
僕はというとなんとなく寝付けなくて、それから長屋の外で本を読んでいたというわけだ。

月自体は長屋の屋根の真上にあって見えないけれど、それにしても明るい夜だった。
あんまり明るいので他の星など全く見えず、真っ黒な虚空が広がっている。夜なのに地面に影ができてさえいた。
僕はどれほど大きな月だろうかと気になって、庭先に降りる。空を仰いで、開いた口が塞がらなくなった。

目だ。

大きな目が一つ、真っ黒な空に開いている。
目がぱちりと瞬いて、真っ黒な闇が瞼のように見えた。
その目が、ゆっくりと視線を滑らせて僕を見た。目が合った、と思う。
上弦の弓のようにしなったかと思うと、それからゆっくりと瞼を閉じるように消えた。
辺りは一瞬で真っ暗になって、夜空には星が一斉に瞬き始める。月はない。

一部始終を呆然と見ていた僕ははっとして、転がるように長屋の中に駆け込んだ。寝ていた留三郎をすがり付くように揺さぶり起こす。

「と、とと留三郎!目が、目がいた!」
「…んあぁ?」
「空に目が、目が合った!」
「あー…?お前可愛いんだから気を付けろって言ったろ…部屋ん中居れば俺が守ってやるからもう寝ろ…」
「へ?あ、ありがとう?」
「おー…」
「…あれ?」

留三郎に励まされたのか、毒気を抜かれたのか。言われるままに布団に潜り込んだ途端、落ちるように意識がなくなって、気がつくと朝になっていた。
結局、留三郎は寝惚けていただけで朝には何も覚えていなかったのだけど。

あれは夢か幻だったのだろうか?しかし昨夜読んだ本は手元にあって、内容はよく覚えている。
食堂でぼんやりと朝食を取っていると、気にかけてくれたのか仙蔵が声をかけてきた。

「おい伊作、こぼしてるぞ」
「え、あ」
「どうしたんだ、いつにも増してぼんやりして」
「いつにも増しては余計だよ…仙蔵さあ、昨日の夜、明るかったじゃない?」

明るい夜を過ごした気がしているのは僕だけで、仙蔵が否定してくれるなら、それは夢だったのじゃないか。僕としてはそう解釈したくて聞いたのだけど、反して仙蔵は眉を潜め表情を固くした。

「なんだ、お前昨夜外に出たのか」
「うん…、あのさ」
「いい、言わなくていい。聞きたくない。お前な、暦を数える癖をつけろ。特に月には気を付けろ」
「え、ええ?なんで?」
「確かに昨日は明るかった。だから私は絶対に外に出なかった。鍛練馬鹿の文次郎ですら昨日は部屋に居たぞ。恐らく長次や小平太だって居たんじゃないか」
「仙蔵、みんなも、あれ見たことあるの?」
「ない。いいから黙って聞け。明るかったが、月の筈がない。昨夜は朔の日だったからだ。一月で一番暗い夜が、何故明るい?」
「………」
「わかったか?日は陽、月は陰、男は陽で女は陰だ。お前が見たのが女なら、気を付けろ。恐らく着き纏うぞ」

それだけ言うと、仙蔵は踵を返して行ってしまった。
僕は茫然自失として、動けない。何が陰で、陽だって?着き纏うって?女?
あの目は、女だったろうか?わからない。ただ、あのとき弓のようにしなった目は、笑ったように見えた気がした。



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