鵺式。
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※『掻き鳴らす空蝉の幸福』 仙蔵視点
学び舎を最期、後にしたのは夏も迫る早朝だった。
朝早くから同級の皆が皆、門の外まで見送りに来たものだから、面映い思いをしたのを覚えている。
最高学年の個人実習ともなれば、それ相応の危険を伴う。無事に帰れるかもわからない。実際遡れば帰らなかった生徒もいた。
前の年までは出立の前夜に酒盛りをし、とんだ乱痴気騒ぎで送り出していたと噂に聞くが、命を捨てるつもりで行くわけでもなし。二日酔いの頭で実習など御免被る。そう言って酒を片手に部屋まで乗り込んできた同級をあしらったものだから、わざわざ起き出してきたらしい。
しかし結局他の部屋で酒盛りはしたようで、誰も彼もが二日酔いでふらふらしていたのには笑った。
他愛のない挨拶を交わして、学び舎を背後に道を行く。季節の境も過ぎて、そこかしこの林で蝉が鳴いていた。
もちろんこの時にはそんなつもりなどなかったが、帰らない夢は、何度か見た。
命じられたのは単なる観察と護衛、というところだった。
実習とは当然ながら授業の一環だ。厳密な下調べの元、生徒の技量と危険を天秤にかけ、これならばと生徒に与えられる。
当時、学園の周囲は妙に浮き足立っていた。近くで小さな戦が起こっていたのだ。
合戦場にほど近い村の長が、万が一の護衛を頼みに学園長の元へやってきた。本来そんなことは請け負わないのだが、戦の雲行きを知るためには都合がよいと考えたのだろう。学園長はこれを実習として生徒に任せることにした。
まずは一週間ほど村に留まり間近で戦の監視をすること。有事の際には学園に連絡し護衛に徹すること。そして戦況を逐一報告すること。
命じられたのは単なる観察と護衛、のはずだった。
しかし学園が把握している以上に、それは根深く、悪辣だったのだ。
村外れのあばら家を拠点に、観察を始めた。
最初の三日は膠着状態で何の動きもなく、合戦場を見渡せる高台からそれを眺めるだけ。敵も味方もなく辺りに倒れている人。暑さで腐った死肉に鴉が群がり、漁っている。
それぞれの陣に座り込む兵達は見るからに疲弊していた。むせ返るような暑さと、饐えた血臭と、死と隣り合わせの焦燥。
妙だと思った。
大きな国と国の戦ではあるまいし、何故ここまで凄惨なのだろう。発端は小さな国同士の境界はどこかという、よくある諍いだと聞く。本来ならば示談で済んでしまいそうなものを、これではまるで互いを滅ぼし合っているようにしか見えない。小さな国が骨身を削りあっても得なことなど何もないのだと、わからないはずもないだろうに。
四日目、何かに追い立てられるようにして両陣は再びまみえた。
足軽に変装しその中へ紛れ込む。一言で表すならば、まさに「混沌」だった。
ぶつかり合った者が次から次へと倒れていく。敵味方の区別などもはや存在しない。前から順に倒れていくのだから、眼前に動く人間は全て敵だ。誰かもわからない屍を踏み越えて、そしてその肉塊に加わっていく。
どうして。
道理などない、意義などない、こんな争いには。唖然とした、その時だった。
がくん、と視界が揺れる。次いで首筋に鈍い痛みが走った。全身が弛緩し立っていられなくなって、膝をつき、頭から血泥に倒れこむ。
黒く染まっていく意識の中、この油断を、一生許せないだろうと思った。一生も何も、こうなっては残りの一生があるかどうかも謎だ、こんな時まで悠長に皮肉っていた。
そこからは、実はよく覚えていない。
人づてに聞いたことをそのまま話そうと思う。
結局、あの戦によって二つの国が滅亡した。あんな戦い方では当然だろう。しかし、その裏でとんでもないものが蠢いていた。
忍びの隠れ里。あるいは風魔のような、世間には知られていない忍者の集団が戦を影から操っていたらしい。その手の者たちも合戦場に紛れ込んでいて、疲弊している、あるいは狂乱している兵たちの中に一人だけ、どちらにも見えない若い少年兵が立っているのを見つけた。
それを捕らえ拷問にかけるが、少年はなかなか口を割らない。最期には毒を飲ませ、このままでは苦しみながら死ぬが答えれば解毒してやると脅した。少年は、一言も喋らなかった。
そうして放置して数日、そろそろ死んだだろうと様子を見に行くと、驚くべきことに少年は生きていた。もともとの体質なのか、それとも恐るべき執念か。面白がった忍者たちは、ほとんど意識のない少年に問うた。
―――生きたいか。少年は、はっきりと頷いた。
軟禁され、時に新しい毒の実験台にされ、三日三晩苦しんだ末に解毒される。
そんな日々がしばらく続いていたある日、同じように毒を飲まされた。しかし苦しみはない。聞けば、遅効性の毒で、しかしその効果は絶大だという。解毒薬がなければ確実に死に至る。生きたければ、忍べ、と。
それからは、ただの狗に成り下がった。
血生臭く、汚い仕事ばかりだった。少しでも戻るのが遅くなれば内臓を焼かれるような激痛が走るのだ。とにかく必死だった。
解毒薬を浴びるように飲み、のた打ち回るその滑稽な姿を奴らは嗤う。どうしてそこまで意地汚く生きていられるのか、と。
解毒が間に合うか。気にするのはそれだけで、時間の概念などもはや風化していた。しかし成長した旧友を前にして、時の流れを痛感する。長かった。内臓がじくじくと痛み出す。
血飛沫が上がった。傷の痛みなのか、毒の痛みなのか、判じ難い。
くずおれる体を抱きとめられるのを、震える手で押し返す。お前ならば臭気でわかるだろう、毒の染み込んだ血肉は触れるだけでも死に至る。半ば夢心地だったので、言葉になっていたかどうか。
痛いほど強く、抱きしめられた。暖かい。唇に何かが触れた。
ああ、ああ、このときが為にあの地獄を生きてきた。
文次郎、文次郎、文次、
福幸の蝉空すら鳴き掻
私は、幸せだったよ
11.05.14
七つ数えて蝉は死んだ