鵺式。
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※ちょっと物理的に痛い、かも




珍しいこともあるものだな、と仙蔵は笑った。
普段は熱が入りつい深夜にまで及んでいる鍛錬だが、今日はどうしてか、山の裾野に暮れかかっている日が視界に入り、ああもう夕時か、と一瞬意識が逸れた。気がついてしまえば、腹の虫は正直だ。空腹感にそれ以上はどうも集中できず、早々に切り上げ山を降りてきた。
そこに偶然、仙蔵と鉢合わせた。仙蔵は一瞬目をまん丸にして、それから猫のように目を細める。聞けば、委員会を終え食堂に行くところだ、と。それ以上聞くこともなく、二人は肩を並べて歩いた。
葉月ともなれば、もう秋口だ。昼間の日差しはまだ夏とそう変わらないが、夕方はほどほどに涼しい。そよ、と微かな風が吹いて、汗と一緒に熱を攫っていく。
文次郎は、ふわ、と欠伸を噛み殺した。その隣で仙蔵が片眉を上げて口端だけで笑う。疲れてはいたが、しかし心地いいくらいの疲労感だった。今夜はよく眠れそうだ、と思ったところで、視界の端に捕らえていた仙蔵の姿が消えた。

「あん?」

振り返ると仙蔵は数歩後ろに立っていて、困ったように斜め遠くのほうへ視線を彷徨わせている。
何かと首を傾げると、仙蔵は微かな溜息をついた。

「…所用を思い出した。先に行っていろ、私は鯖味噌定食だからな」
「ああ?」

仙蔵の背中で暮れようとしている茜色の空を見て、今からか、と思う。
鯖か、鯖もそろそろ食べ収めだな、と考えて思わず腹が鳴った。

「なんだ用事って。委員会の仕事は済んだんだろう」

周到な仙蔵のことだ、仕事を疎かにして後に慌てる、なんてことはまず考えられない。そして周到と言われる一方、終わり、と決めたらその日は梃子でも動かない変な無精でもある。そんな男が風呂の前に飯だ、と言っているのだ。その言葉の通り以外に何をするというのだろうか。文次郎はますます首を傾げた。
ただ腑に落ちないというだけで、そのまま踵を返してしまうならその気まぐれもまた仙蔵、である。文次郎もそれ以上聞くべくもなかった。しかし仙蔵はその場に突っ立ったまま、動かない。

「詮索か?」

そう、詮索である。それが悪いこともない。それを許す隙が悪いのだ。
苦笑とも嘲笑とも取れない笑みを浮かべた仙蔵を、文次郎はまじまじと見返し観察する。そしてふと、違和感に気がついた。仙蔵は左足を軸にして立っている。
人には、利き、というものがある。利き手、利き目、利き耳、要するに、他方より自然に多く使う傾向にあり、より能力の発達しやすいいずれか一方だ。もちろん、それは足にも共通する。
仙蔵はいつもどちらの足を軸に立っていたか。長い付き合いだ、違えるはずもない。右、だ。

「…、仙蔵」
「なんだ」
「右足、どうした」

しばらくの沈黙の後、誤魔化しきれぬと諦めたのか、仙蔵は大きな溜息を一つ零した。

「…肩を貸せ」

何も言わず歩み寄って、文次郎は仙蔵の右腕を自らの後ろ首に回させ、左腕で腰を支えてやる。
そのまま保健室に行くのかと思ったら、仙蔵はあいている左手で自らの右足首を掴み、ぐい、と持ち上げた。ひっくり返された足袋の裏を見て、ぎょっとする。仙蔵の足の裏には、折れた棒手裏剣の先が突き刺さっていた。

「、なっ」
「全く…私としたことが、こんなものを踏んづけるとは。まるで伊作並みの不運じゃないか?」

文次郎は言葉もなかった。
棒、とは言っても手裏剣である。それなりに痛いように作られているのだから、これが刺さって平然としていられる面の皮の厚さはまさにお前だ、とは思っても言えない。
見た様子貫通はしていないが、刃先一寸あるか、ないか。誰かが練習中に折れたのを拾わず放ったものが土に突き立ち、それを踏んでしまったのだろう。あまり踏み固められていない柔らかい土の上で踏んだのは不幸中の幸いだった。そうでなければもっと深く刺していたかもしれない。柔らかくなければ刃を上にして立つようなこともなかったかもしれないが。

「だ、れだこんなもん放ったままにしやがったのは?!」

忍びとして自ら使った忍具を回収しないのはご法度、である。戦地において敵がそれを拾えば自らの存在を知らせることとなり、更に忍具の形状によっては己の素性まで知らせてしまう。
学園内とはいえ、いや、忍びの何たるかを学ぶこの場だからこそ、徹底しておかなければならない基本だろう。文次郎はやり場のない憤りに歯噛みする。

「大分錆びついているようだから、もう何年も昔のものかもしれんな」

下級生あたりが踏んづける前に私が踏んでよかったか、と仙蔵は呟いた。
しかし文次郎はますますぞっとしない。破傷風にでもなったら一大事である。

「こら、まだ無理に抜くな」

突き刺さった刃を何気なしに指先で摘まんで引き抜こうとする仙蔵を慌てて留めて、なんでこんな時ばかり大雑把なんだ、と文次郎は内心小言を漏らした。
さてどうしたものか、と思って、仙蔵と目が合う。数秒、視線が交わって、文次郎は溜息をついた。そして大きく息を吸いそのままの勢いで仙蔵の腰を肩に担ぎ上げる。仙蔵は抵抗もなくそこに収まり、文次郎の肩の上で器用に頬杖をついて鼻を鳴らした。

「ふん、まるで物扱いだな」
「…悪かったな」

仙蔵の物言いに文次郎は何から言っていいやらわからず、結局呑み込んだ。
本当なら肩を貸した体勢からは横抱き、つまり、いわゆる姫抱きが一番抱き上げやすいし、仙蔵の足にも負担がかからない。考える間もなくそうしようとしたところで、後ろ首に回した仙蔵の腕に力が入った。次いで目が合い、無言の圧力だ。傍目には分からない攻防の末この格好に落ち着いたわけだが、どうやらお気に召さなかったらしい。
とりあえず保健室だ、と文次郎は仙蔵を担いだまま歩き出す。
しばらく黙って運ばれるままになっていた仙蔵が、不意に呟いた。

「なあ、文次郎」
「あ?」
「鯖味噌、残っていると思うか」
「今その話はやめろ」

二人揃って、腹の虫が鳴いた。





空き満ちる秋高し






10.08.10
捏造^p^陰暦だと8月は秋のようなので

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