鵺式。
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※鼻血文次 ちょっとエロ風味




眠い。

優に五徹を費やした帳簿をようやく終え、文次郎はよもや数日振りかというまともな夕食にありつかんとしていた。半ば意識を飛ばしながら食堂に辿り着いたまではいいものの、己がいつの間に席に着いたのか、目の前の食事を自分で注文したのか、ついぞ思い出せない。
まるで夢の中であるような霞んだ視界を、鉛のような瞼が降りてきて蓋をしては開けての繰り返し。頭まで船を漕ぐ始末。それでも片手間に冷たい握り飯しか食っていなかった文次郎の腹の虫は、食堂のおばちゃんの暖かい定食を前に鳴き止まない。

「おい、」

隣から声を掛けたのは、いつの間にそこに居たのやら、仙蔵だった。
思ったままを呟くと、仙蔵は心底呆れたといった顔で文次郎をねめつける。

「…お前、大丈夫か?お前をここまで連れてきたのも飯を注文してやったのも私だぞ」

ああ、そういえばそうだったか。声に出したつもりはなかったが、仙蔵は深々と溜息をついた。

「お前やっぱり一度寝たほうがいいぞ。そんな様子ではせっかくの有り難い飯の味もわかるまいよ、おい、こら聞いているか?」

仙蔵の冷たい手が肩に触れ、軽く揺すられる。それがまるで揺り籠を押すような、と思って、気がつくと目の前には杉机の木目が整然と並んでいた。次いでじわと広がる痛みに、机に頭を打ち付けたのだと気がつく。
あ、飯が。がばと勢いよく頭を上げると、これまたいつの間にか正面の席に座っていたらしい伊作が頭から茶を被っていた。それはともかく、目の前にあったはずの飯がない。

「…バカモン」

顔を上げると、仙蔵が眉を顰めてこちらを見ていた。その手には先ほどまで目の前にあった定食の盆が乗っている。ああ助かった、しかし盆を避けるくらいなら頭を打ち付ける前に支えてくれればいいものを、とまでは今の茫洋とした頭では至らない文次郎である。

「あ、文次郎、鼻血垂れてる」

視界の端でそう言いながら顔を出したのは小平太だった。よくよく見ればその隣には長次もおり、頭から茶を被った伊作に濡れた手拭いを差し出しているのは留三郎だ。六年生がこの時間一堂に会すなど珍しいこともあったもの。
ぼんやりと考えている文次郎に溜息をついて、仙蔵は持っていた文次郎の盆を長次の前に置く。ついでとばかりに己の分の盆までそちらへ押し遣った。

「この馬鹿を休ませてくる。代わりに食ってくれ」
「あ!ずるいぞ!私にも!」

ゆったりと頷いた長次に、途端に目を輝かせた小平太が食らいつく。
それを傍目に立ち上がった仙蔵は、片や座ったまま微動だにしない文次郎の二の腕を引いた。素直に立ち上がると、今度は後ろ髪をがしと掴まれ上体が後ろに仰け反る。上を向かされた鼻に白い指が伸び、痛いほどにぎゅうと摘まれた。

「ほら、自分で摘め」

左手に冷たい手が触れ、眼窩まで持ち上げられる。言われるままに仙蔵に摘まれているより少し上を摘むと、仙蔵の両手はするりと離れた。その冷たさを惜しいと思う間もなく鼻から逆流した血が喉元まで降りてきて、反射でごくりと飲み込むと口の中に独特の生臭さが広がった。
所在無さげに揺れていた右の手首を仙蔵に引かれ、促されるまま歩き出す。
食堂の喧騒は、しかしその芳しい匂いとともに遠ざかっていった。利かない筈の鼻が意地汚く足掻くものだから、腹の虫も収まりがつかない。

「めし…」
「自業自得だろう。全く、その茹った頭をどうにかしてからゆっくり食え」

名残惜しげに鼻声で呟くと、仙蔵が返す刀ですぱっと断じた。相も変わらぬ切れ味にぐうの根も出ない。
後ろ髪を引かれる思いで、しかし碌な抵抗が出来るほどの気力も無く、文次郎は半ば引き摺られるように長い長い廊下を歩いた。
覚束無い足取りを気遣うようにゆっくりと、しかししっかと腕を引かれて、まるで子供みてえな、と思って天井に仰いだまま苦笑する。実際文次郎を子供のようにあしらうのは仙蔵くらいのものだったが。

からりと戸の開く音がして、宙吊りに揺られていた右手はいとも容易く放り出された。思わず追い縋ろうとした右手がぴくりと震える。
首が痛てえと呟けど、答えは無い。ゆっくりと顎を降ろすと、さっさと一人部屋に入った仙蔵が、いそいそと煎餅布団を一対引いているところだった。追って入り、所在無かった右手で戸を閉める。

「…情けねえ」
「全くな」

高めに結われた黒髪の垂れる背中に呟くと、仙蔵は振り返りもせず笑った。
ふと、仙蔵の着物の袖口が黒くなっているのに気がつく。食堂の机に落ちた血をいつの間にか拭ったのだろう。かくいう己の着物の合わせ目にも黒く血が点と染み付いており、辟易とした。すっかり乾いてしまった血は落ちにくい。

「お前も飯、」
「なあに、明日の飯はお前の奢りだ。ほら、さっさと寝ろ」
「…すまねえな」
「今更」

布団の脇にずれた仙蔵の隣に膝をつき、布団の上掛けを捲ろうと、思わず鼻を摘んでいた左手を伸ばしてしまう。堰を失った途端だらりと血の塊が滑る感触がして、ぎくりと肩を震わせた、その時だった。

「ばか」

突然、口付けされるかというほどの眼前に、仙蔵の秀美な白い顔が飛び込んできて思わず目を剥く。両肩に手を置いたかと思うと、あっという間もなく、ぱくり、と仙蔵は文次郎の鼻を咥えた。

ず、ずずずず

ぞぞぞ、と背筋が凍りつくかというほど文次郎は震え上がった。
あろうことか、こいつ、仙蔵は、文次郎の鼻に溜まった血を口で吸い出したのだ。
あまりの事態に硬直した文次郎の鼻を最後にぺろりと舐めて離れた仙蔵の喉がこくりと何かを嚥下したのを見て、文次郎の意識はくらりと遠退きかける。

「な、ななななな?!!!」
「…まずい」
「当たり前だッ…!、眩暈がしてきた…」
「貧血だな、寝ろ」

全く悪びれもしない顔に誰のせいだと呟きかけて、文次郎は口を噤んだ。
おかしそうに微かな弧を描く仙蔵の濡れた唇に引かれた丹朱の紅を、真っ赤な舌が割り入りぺろりと舐める。少し俯きがちの顔に落ちる影を振り払って触れたいと、そう思ったと同時にその痩身を抱き竦め、気がつけば己の為に引いた筈の床に押し倒していた。
ぱさりと耳に心地よい音をさせて広がった黒髪が目にも心地よいとは。驚きに戦慄いた仙蔵の唇に高揚で微かに汗ばんだ指先を滑らせると、仙蔵はその愁眉を憎らしげに寄せた。じとり、と据わった目に睨まれる。

「…お前な、」
「すまん」
「離せ」
「…すまん」
「…のぼせでもしたか」
「ああ、そうだな」

噛み付くように口付けて、吸い上げる。どこを弄っても血の生臭いような味がして、くらくらした。

「っん、あ、…ふ、ふふ」

腕の中で震えるように笑む仙蔵は、存外楽しそうだった。馬鹿だなと、喘ぐばかりの唇がそう嘯くことはなかったが。
たた、と肌蹴た仙蔵の胸に丹朱が散る。それを擦るように指を、舌を這わせ、吸い、一つ一つ刻んでいく。全身から己の血の匂いを立ち昇らせる仙蔵に、背筋が戦慄くほど欲情していた。


嗚呼、畜生、目が回る。








薫る紅腥さ辰砂








12.05.15
本当に目を回して仏頂面の仙に介抱されるといいや!

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