立花仙蔵

Mi-Go




失望。
表すとすれば、この言葉に尽きた。

私が彼らと出会ったのは、裏々山の頂き近くの洞穴だった。

数日に及ぶ野外実習を終え、後片付けに手間取っている文次郎を待ってやる義理もない。
足早に一人長い帰路に着いたのだが、その前の夜に酷い大雨があったので、山道は土砂崩れで通れなくなっていた。仕方なしに、私は山頂のほうへ迂回しそこから下山することにしたのだ。
そうしてぬかるむ道なき道を進みやっとのことで山頂付近に至ったとき、その洞穴は暗く大きな口を広げていた。

穴はほぼ垂直に続いており、覗き込んでも奥は暗く底が知れない。おおお、と唸るような空気の音と底冷えするような冷気、そして何かが饐えたような臭いが這い登ってくるだけだ。
試しに石ころ一つ放ってみれば、こん、こん、と大きな音を反響させながらあっという間に闇に消える。反響する音は徐々に遠く、低くなり、そのうち聞こえなくなった。相当深い縦穴のようだった。
裏々山にこんなものがあるなど知らない。しかしこれだけ大きな洞穴に今まで誰も気が付かなかったというのもおかしな話で、実際、この山を行き来するようになって六年近いが、以前はこんな大穴あった覚えがない。
まさか小平太や喜八郎あたりが掘ったのかとも思ったが、洞穴は土ではなく石や硬い粘土で出来ていて、さすがの奴らでも一朝一夕に掘れるような穴ではないはずだ。
ならば、この洞穴は何故ここにあるのか。何者が、一体何の目的で掘ったのか。
ここ数日の疲労感よりも、今一時の好奇心が勝った。

最新の注意を払い、洞穴の凹凸を伝いゆっくりと下へ降りていく。僅かな傾斜もあるし、苦労はしそうだが素手で充分に上り下りできそうだった。
そうして、どれほど下へ降りただろうか。洞穴の口はとっくに見えなくなって、塗りつぶされたような闇の中では己の指先ほども見えない。もはや手探りだけで体勢を保っていた。
そこで突然、冷たいものが岩にしがみついている指を濡らした。何かと思えば、水だ。上から水が岩の窪みや合間を流れ垂れている。あっ、と思わず零した声が底なしに暗い洞穴に大きく反響した。

夕立だ。外で夕立が降り始めた。その雨が洞穴に吹き込んでいる。
全ての音が反響し唸りをあげる洞穴で耳が利かず、こんな洞穴の奥まで雨の臭いも届かない。気が付かなかったのも無理はないが、それでも私は己の浅慮と運のなさを呪った。
雨の程度はわからないが、それでもこの傾斜のキツい洞穴で足を滑らせたらとたん奈落に転げ落ちてしまう。
夢中になって気が付かなかったが、腹時計でゆうに一刻は経っている。実習のあとなのだから、当然とっくに日も暮れているだろう。
らしくもない。おかしくなっていたとしか思えない。長い野外実習にさすがに疲れて判断力が鈍くなっていたのか。
視覚聴覚の利かない中で、常に神経を尖らせ慎重に降りてきた。すでに精神も体力も限界に近く、さらに滑らないように注意しながら降りてきた分登らねばならないのかと思うと、憂鬱どころの話じゃない。
とは言え、このままへばりついているわけにもいかない。意を決し、岩肌に手を伸ばしたときだった。

横穴がある。
手探りで確かめてみると、確かに縦穴から真横に穴が続いていた。
何の仏心か知らないが、ありがたい。私は迷わず、けれど慎重に横穴に滑り込んだ。
笑う膝を鼓舞し壁伝いにしばらく歩くが、この横穴もかなり深い。ただ真っ直ぐに立っていられるので、それだけで充分にありがたかった。ここでしばらく休み、戻ることにしよう。私はその場にずるずると腰を下ろし、四肢を投げ出した。
それにしても、瞼を開けているのかいないのかわからなくなるほど黒く塗りつぶされた視界に、朔の夜ですらまだ明るかったのだとしみじみ感じ入る。まるで盲にでもなったようだった。ここに居るのはほんの一刻ほどのはずなのに、酷く夜が懐かしい。
何か光源になるようなものはなかったか、と考える。焙烙火矢のための火打石は懐にあったが、まさかこんなところで火矢を使うわけにもいくまいし、一瞬の火花のために大きな音を何度も打ち鳴らすのも疲れそうだ。


―ガザガザガザッ


突如響き渡った何者かの物音に、私は飛び上がるかというほど驚いた。
まさか、こんな洞穴深くに何かが潜んでいた?悲鳴を生唾と一緒に飲み込んでなんとか立ち上がり、全神経を集中し周囲を探る。わからない、どこにいる?何者だ?

『人の子よ』

その声は、脳みそを直接打ち据えたかのように響いた。あるいは反響する音と、極度の緊張状態がそう感じさせたのかもしれない。

『何故此処に至るか』

からからに乾いた喉が、ひゅう、と鳴った。
錯乱しかけた頭の中で、これは人ではない、動物などでもない、本能がそう警鐘を鳴らしていた。
よくよく見れば、闇の中で闇が蠢いている。塗りつぶされた視界で、しかしはっきりと何かが浮かび上がった。人ほどの背丈に、しかし人とは到底思えない異形。後退るにも、背後にあるのは奈落に繋がる縦穴だ。
成す術も無いか、そう思いかけたとき、閃く。

人ではない、けれど、意思の疎通が図れるのではないか?

何者かは「なぜここにいるのか」と問うた。
人間以外に意思を持つ生き物を知らないが、あるいはこれが世に言う神や妖怪の類なのかもしれない。意思が交わせるのなら、こちらに害意がないことをわかってもらえるのではないか。
そこまで考えて、急に冷静さが戻ってきたようだった。そもそも、何者か知れたものではないが、ただそこに居るだけで相手に悪意は感じないのだ。

「…偶然と興味だ。貴方に対して害を及ぼすつもりは微塵もない」

やっとのことで搾り出した声が、反響する。
闇がまた、蠢いた。

『為らば排除する理由もない。我々はお前を歓迎する』

そう言って、何者かは私に「手」を差し伸べた。
我々?歓迎?その意味を理解する前に、私は眠るように意識を失った。



善意で友好的でも、彼らは決して無害ではない。
私は、気が付けなかった。いや、気が付いたところで何も変わりはしなかっただろう。

意識が途切れ目覚めると、そこはやはりというか、暗闇の中だった。
ただ、体がとても軽い。軽いどころか、まるで体などないような感覚だった。手足もない、瞬きや呼吸の必要すら感じない。それまで当然のようにしてきたことが必要ない、出来ないもどかしさがあった。苛々と頭を掻き毟りたくとも手足がない。
なぜなら、それらは全て、目の前の闇に浮き上がるようにして眠っているのだから。

文次郎、きっともう私はお前のところへは帰れないよ。





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『ミ=ゴ』

ユゴス(冥王星)を支配している生物であり、特殊な鉱物資源を採取するために、度々地球を訪れている。
背中に一対の蝙蝠のような翼を持つ薄赤色の甲殻類のような姿だが、性質としては菌類に近い生物である。仲間同士ではテレパシーで意思の疎通を行う。彼らがやってきた元の世界には光が存在しなかったため、光を苦手としている。
科学や医学が非常に発達しており、生きたまま人間や動物の脳を摘出し、特殊な円筒に入れて持ち運ぶということも行う。このとき、元の体は処理が施され、脳が戻るまで老化することもなく生き続ける。円筒は専用の装置に接続すれば、人工的に視覚・聴覚を再現し会話も可能である。ミ=ゴはこの円筒を自らの最も気に入った個体、あるいは最も軽蔑する相手に対して使用されるとされている。

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