久々知兵助

Hastur




異国の文字だろう、くたびれた紙の上で踊る流麗な線の群れをじとり睨み続けている。

とある城にて起こった城主の失踪。彼の城の主の自室に残されていたこの書籍を持ち帰り、真相を突き止めよとの疲れ切った依頼主の顔がふと過ぎる。四方八方に放った城仕えの忍から一向に芳しい成果が上がらず、この機に乗じてと領地に迫る敵の城の脅威は止まるところを知らず。顔面蒼白で今にも倒れそうな彼に、ことの真実を語るには少しばかり心が痛んだ。仮定的ではあるが恐らくは真実であろう、いくつもの断片から組み合わせて推測しただけではあるが当たらずとも遠からずではあると考えた兵助が短くしたためた書はもうあちらに届いているだろうか。

『城主殿は恐らく此方に帰ることはないでしょう』

大変申し訳ないがこちらにできることはすでにない。もしお怒りの言葉など頂いたとしても自分に為せることは何一つないのだ。諦めてもらうほかない。依頼料もいらないからとっとと他の城に下ることをお勧めする。


苦々しく前髪をかきあげたところで衝立の向こうで小さな唸り声が聞こえた。どうやら勘右衛門が起きたらしい。昨日も遅くまでこの書の解読に付き合ってくれていた彼が床で寝そうなのをなんとか布団に突っ込んで、すったもんだありそうだった空気をなんとか霧散させて寝るまで背中をぽんぽん叩いていたのが夜空がほんのり白み始めたころだったから、まだ睡眠時間的にはそれほど眠れていないはずだ。ずりずり布団をかぶったままこちらに来ようとしていた蓑虫の寝癖のついた可愛らしい頭をかき混ぜるように撫でる。

「おはよう勘ちゃん」
「ん、へーすけ、ずっと起きてたの」
「うん、もう少しで分かりそうな気がするんだ」
「そっか」

心配そうに下がった眉のままふにゃっと笑って顔を洗ってくると部屋を出た勘右衛門を見送って、また文字の塊たちに目を落とす。徹夜の疲れからか視界が暗い。凝り固まった眉間を指でもみほぐしていた時だ。

「久々知」
「っ・・・あぁ、中在家先輩」

何か御用でしょうかと問う前に目の前に差し出されたのは分厚い半紙の束だ。先ほどまで目を凝らしていた文字に似た物の横には、かな文字が書いてある。

「少しでも力になればいいのだが」
「助かりますっありがとうございます!」

小さくうなずいて去っていく先輩に頭を下げてぱらぱらと紙を繰る。これまで読めなかったところの綴りの記述もある。これで大分読み解くことができるだろう。すべてが終わったらお礼をしに行かなければ。顔を洗うついでと言わんばかりに頭のてっぺんから毛先まで大粒の水滴を滴らせて帰ってきた勘右衛門をちょっとだけ叱って、わっしわっし髪を拭いてやりながらさっき中在家先輩が来たことを告げると入れ違いだったんだ、残念、と笑った。

朝食までもう少し時間がある。まだ起きていないだろう、ろ組の三人を起こしたら丁度いい頃合いだろう。いつもなら勘右衛門一人で行くのになぜか今日は一緒に行こうと手を引く彼を下から見上げながら、俺はにこりと笑った。机の上に重ねた異国の気色の悪い世界から、この時だけは、今だけは逃げてもいいかとそう思った。

ぱたん、世界を閉じる。



朝食を。
いつものように騒がしく馬鹿げた話をとりとめもなく話して。
昼餌を。
どこか少ない生徒の数だけ笑い声を、笑顔をまいた。



夏よりも早い夜の訪れ。暗く濁った学園の空にさんざめく星のなかに輝る統星の後星。

裏道で老婆から買い付けた漆黒の石の柱を九本。

右斜に四、左斜に四、二つの線の間に一つ据えて、富と幸福の前兆となる幸運の星に祈る。


どうか、この怪異の波を打ち払う術を。





「兵助、行ってくるね」
待って
「すぐ帰ってくるから、無理しちゃだめだからな」
待って、待って勘ちゃん
「あとで雷蔵たちがくるから」
あいつらに俺たちが何をしたって
「…泣くなよ、兵助。すぐ戻してやるから」
無駄なんだ


意のままに動かすこともかなわなくなった自分の体をぐらりと揺らして、俺の横たわる布団のそばに膝をついた勘右衛門を仰ぐ。眉をハの字にしてくしゃくしゃに顔をゆがめた勘右衛門(最近彼の笑った顔を見ていないことが酷く寂しかった)が俺の顔のあたりを指で拭う。ぐにゃぐにゃと沈み込む指先に俺は自分自身を嗤った。はじめから土台無理な話だったのだ。なにもかもがあれらの一時の児戯にも等しいのだから。




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『ハスター』

ハスターは神の名前であり、旧支配者(グレート・オールド・ワン)と呼ばれる強大な力を持った存在の一員とされる。四大元素の「風(大気)」に結び付けられる。「名状しがたいもの(The Unspeakable One)」、「名づけざられしもの(Him Who is not to be Named)」、「邪悪の皇太子(Prince of Evil)」とも呼ばれる。
ハスターはしばしばおうし座にあるヒアデス星団およびアルデバランと関連付けられ、ヒアデス星団に存在する古代都市カルコサの近くにある「黒きハリ湖」に棲んでいる、あるいは幽閉されているとされる。また、プレアデス星団のセラエノ(ケラエノ)もハスターの支配下にあるという説がある。
黄金の蜂蜜酒と秘薬を口にし、魔法の石の笛を奏でハスターを讃える呪文を唱えることで呼び出せる。なお、バイアクヘーは召喚した者を運び宇宙旅行に旅立たせることが出来るが、召喚した者の魂しか運べず、その間は肉体は無名都市に保管される。
ハスターの姿がどのようなものであるかは、詳細は不明である。目に見えない力である、触手に覆われた200フィート大の直立したトカゲである、ハリ湖に棲むタコに似た巨大生物と関連しているなどの説がある。ハスターが人間に憑依した際には、犠牲者の体は膨らみ鱗のようなものに覆われ、手足から骨が無くなり流動体のように変形してしまった。これはハスターが去った後でも治る事はなかった。
ハスターがクトゥルフと対立しており、クトゥルフへの憎悪のために人類に手を貸すこともあるということが明確に述べられている。

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