鉢屋三郎
※現代パロディー
いえのこ
よく覚えていないが私が4〜5歳の時。親戚だか誰だかの、確か結婚式だからと新幹線に乗ってどこかへ行った。
どこかっていうのは覚えてない。確か新幹線に乗ったから東京から見て西のほうだと思う。両親はいなくって、祖母のお友達という人と一緒だった。
とにかく私はその当時、家で可愛がられていなかった。妹と弟のほうが明らかに可愛がられていた。愛想もなく、変にあきらめがよく、物もほしがらず友達もいなかった。
だから祖母の家に預けられていることが多かったし、家族で出かけることなんてなかった。出かけるのは知らない親戚とか、祖母のお友達とかばかりだったので、この日も特に変には思わなかった。
電車を乗り継いで知らない親戚の家にいって(ふるい広い平屋建ての縁側のある家だった)知らないおばさんに「明日式があるんだけど三郎ちゃんはつまらないでしょ?ここでお留守番しててもらえるかな?本もいっぱいあるし、奥にファミコンもあるから。」といわれた。
当時ファミコンは誰の家にもある状態だったのに、私は買ってもらえなかったらうれしくてお留守番を引き受けた。
その家には知らない人がいっぱいで、私のことを「あぁ、イエノコね。よくきたんね。」と歓迎してくれた。
次の日、式があるとかで知らない人たちは誰もいなくなって私は一人で知らない家にいた。ファミコンで始めてマ○オとかやったな。漫画もはじめて読んだ。ドラ○もんとかたー○ゃんってのとか。
もう高待遇にうれしくってうれしくって(なんかすごく書いてて悲しくなってきた。ずいぶん安い高待遇だ。)漫画読み耽ってたんだけど、ふと気づくと知らない男の子が4人障子の所にいる。
みんなきれいな顔立ちの子で、シャツと黒い半ズボンだった。「君イエノコ?」と声をかけてきた。私は「ううん。違う。この家でお留守番してる。一緒に遊ぶ?」と話しかけた。その子は「いいよ。」と遊んでくれた。
ファミコンとかじゃなくて、お手玉とか独楽とか、縁側でだるまさんが転んだとか、とにかく私は誰かと遊ぶのが楽しかった。
おやつにやたら豪華にいっぱいお菓子が置かれていて、その子達と一緒にお菓子を食べて何かおしゃべりした覚えがある。
私が
「楽しかった。ありがと。また遊んでくれる?」
というと
男の子たちは口々に
「もうこれないと思うよ。でも楽しかった。」
「遊んでくれたからいいものあげる」
「もう遊べないと思うけど、気づいたらうれしいな」
言って。気がつくと私はおやつの前で眠っていた。男の子達はいなかった。
少しすると知らない人たちが帰ってきた。誰か来なかったか?と聞かれた。
私は誰も来なかったと伝えた。なぜなら、彼らは来たわけでない。この家の子供達だと思ったから。大人たちはがっかりしているようだった。
次の日、私は家に帰った。祖母が駅で待っていてくれて、抱きしめてくれた。なぜかうれしかった。
今になって思う。私はイエノコではなく「贄の子」だったのではと。どこに私は行ったのか、何をしたかったのか聞きたくてももう祖母もいない。相変わらず家族ともどうやって距離を縮めたらいいかわからない。
あの男の子達は何か神秘的な家につく何かだったのではと。
彼らがくれたいいものとは多分
「なにしてるの、三郎。はやくいかないと定食なくなっちゃうよ?」
「雷蔵」だったのではないかと。