三反田数馬

不運体質




夜遅くまで予習をしていた藤内が、風邪を引いた。
藤内は大事な友達だし、何より僕は保健委員だ。僕は自分の出来うる限りで藤内を看病した。翌日、藤内は無事に治ったけれど、僕はまあ、見事に風邪が移ったわけだ。
藤内は申し訳なさそうにしていて、しきりに謝る。僕が「好きでしたことなんだから気にしないで。藤内が治ってよかったよ」、と言うと、藤内は「万が一また俺が風邪を引くようなことがあったら絶対に安静にしてすぐ治すから、数馬は心配しないでくれ」だって。
そして僕に移った途端急にたちが悪くなった風邪は、そのまま一週間僕を苦しめたのだった。もちろんその間僕を看病してくれたのは風邪に耐性のある藤内だ。なんか、ごめんね。

自分で認めるのは悲しいけれど、僕は我ながら不運だと思う。
歩けば穴に落ちるし、立ち止まれば飛んできた何かに激突する。なので、僕は可能な限り誰か他の人と行動するようにしている。何かあったときはその人に助けてもらえるからだ。ちょっと情けないけれど、背に腹は変えられない。
不運にその誰かが巻き込まれてしまうんじゃないか、という心配はいらない。僕は不思議と誰かを巻き込むことはないのだ。穴があっても落ちるのは僕だけ、何か飛んできても当たるのは僕だけ。

実は、僕の家族はみんなこんな不運体質だ。死ぬようなことはないけれど、怪我や病気は絶えない。
昔僕の血筋の人が大名に仕えていたことがある。僕ら一族の不運は傍に居る人の不運を引き受けているのだと言われて、偉い人の不運を引き受けるために、側仕えや影武者をしていたらしい。けれどあまり怪我が続くので逆に縁起でもないと言われて追い出された。そのすぐあとにその大名一族は滅んでしまったそうだけど。
僕はその話を聞いて、なるほど、と思った。そして自分の不運をそれほど疎ましくは思わなくなった。
それから僕は出来るだけ誰かと行動するようにしている。そうすればいざというときその誰かに代わって厄災を受けることが出来る。そして、その誰かが僕を助けてくれる。持ちつ持たれつ、というやつだ。

ただ、災厄というのは怪我や病気だけではない。
死ぬようなことはないと言ったけれど、例外はある。呪いとか、祟りとか、そういったものの類だ。人為的、あるいは神意的なあからさまな悪意は一時的にその目を眩ますことが出来るだけで、失敗すれば引き受けきれなくて殺されることもある。僕の母はそうして死んだと祖母に聞いた。
そのころには自分の不運体質を自覚していたから怪我や病気に関しては納得していたんだけど、呪いや祟りって話になると、どうにも僕は首を傾げるしかない。祖母はそんな僕に「そのうちわかる」と言うだけだった。

祖母の言葉の意味を本当に理解したのは、忍術学園に来てからだった。
誰とは言わないけれど、どうしても僕が代わりになれない人がいる。
特に理由もないのに「近づきたくもない」と思う人や、どんなに僕が近くにいても全く不運を代われない人、そんな人がわらわら居たんだ。びっくりしたよ。
そんな人たちを見てから、僕は自分が「不運」だとは思いこそすれ「不幸」だとは思わなくなった。失礼な話だけれど、「『ああ』生まれなくてよかった」って、思ってしまったんだ。
まあ、本人たちだって僕と同じように自分が「不幸」だなんて思っていないんだろうなってことは見ていてよくわかる。

「不運」だけれど、僕は「幸せ」だ。君も僕の「幸せ」の中の一部だ。
だから、そんなに悲しそうな顔をしないで、藤内。



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