膝の上の子猫
「ほら由香、口を開けて」
由香は、どうしてこんな状況になっているのか全く理解出来なかった。
何故自分の背後、数センチのところからキースの楽しそうな声が聞こえるのか。
そして、どうして今キースの膝の上に座らされ、その上フォークに刺さったケーキを食べさせられようとしているのか。
(なんでこんなことにっ……)
正直頭の中はパニック状態だ。
逃げたいのだが、緊張のあまり全身が強ばってしまい全く動けない。
放課後、キースに美味しいケーキがあるからおいでと言われ、ほいほいと誘いにのってルフラン邸来てみれば、何故だかロザリアは不在だった。
身の危険を全く感じなかった訳ではない。
それでも、ここで帰ってしまうのはやはり失礼な気がして、由香はキースに連れられるまま屋敷に足を踏み入れた。
今思えばここで素直に自分の気持ちに従っていればこんな事にはならなかった筈なのだ。
しかし時すでに遅し。
気付けばキースの私室だと言う部屋に連れ込まれ、流されるままこんな事になっている。
「由香」
考え込んでいた由香を催促するように至近距離で名を呼ばれ、由香はカーッと頬を赤く染めざるをえなかった。
恐る恐る、羞恥心から目を閉じて口を開けると、すかさずケーキを口に押し込まれる。
高級そうなチョコレートケーキ。
どこからどう見ても美味しそうなのだが
(あ、味なんて分からない……っ)
今の由香には無意味な品だ。
「美味しい?」
何時にも増して上機嫌のキースに、由香は困惑を隠せなかった。
問いに無言で首を上下に振って肯定を示すと、キースの機嫌が更に上昇していくのが気配で分かった。
「遠慮は無用だからね」
だからもう一度口を開けて。
囁きと共にもう一度ケーキを差し出してきたキースに抵抗を示すように、由香は小さく首を横に振った。
これ以上はたまったものではない。
「口に合わない?」
「そ、そうじゃなくて」
「うん?」
「は……恥ずかしい……です」
ボンッと音を立てて今にも爆発してしまいそうな由香に、キースは上機嫌で目を細めた。
「私は楽しい」
そう言って、キースはフォークをテーブルに置き、由香の腰に手を伸ばした。
逃れようと身をよじるが、キースに一向に由香を開放する気配はなく、それどころか抱き締める腕は力を増すばかりだ。
「キっ……!?」
「由香は嫌?私にこうされるのは」
首に顔を埋められ、非常にくすぐったい。
どこまでも甘やかな空気に、由香は流されそうだった。
流されてもいいのかなと、一瞬でも考えていると節があった。
「い……や……とかじゃなくて……と……とにかく恥ずかしいので……や、やめて欲しいです」
なんとか残った微かな理性で反論を試みる。
しかし、キースは更に機嫌をよくするだけだ。
「嫌、ではないんだね」
笑い混じりに囁かれた言葉に、耳まで真っ赤に染まるのを感じた。
「そ……れは言葉のあやで」
「おや、それは残念」
全く残念がっていない口調で、キースは笑いながら由香の制服のリボンに手を掛けた。
次の瞬間
「お兄様!由香が来てるって本当!?」
キースの部屋のドアを開けて、ロザリアが入ってきた。
残念ながら時間切れだね、と告げるキースの声を聞きながら、由香は一瞬にして正気を取り戻した。
そして、今自分の考えていた事を思い出し、全身の力を振り絞ってキースから離れようとした。
何よりも、ロザリアに見られたという事が更に由香の羞恥を掻き立てた。
「キースさん!は、離してくださっ!」
「おやローザ、お帰り」
「ただいまー!」
由香の反応等全く無視して、ルフラン兄妹は普通に日常会話をしていた。
それどころか、キースの束縛は強まっている気がする。
触れてくる手の動きに邪なものが混じっている気がするのは由香の気のせいではないはずだ。
「キースさんっ!ほ、本当に……は、離してっ」
「いいなー、お兄様。由香といちゃいちゃ出来て」
「今回ばかりは、ローザには譲らないよ。由香は私の客人だからね」
「お兄様のばーか!」
「何とでも」
「キースさん!」
「……お兄様、由香の事開放してあげたら?」
流石に見るに見兼ねたのか、ロザリアが助け舟を出してくれた。
今回ばかりは、純粋にロザリアに感謝の念を抱いた。
(帰ってきてくれてありがとう、ロザリアちゃん!)
その後、渋々ながらキースは由香を開放したが、ロザリアが退室した直後、もう一度拘束されたのは言うまでもない。
もう二度と、軽々と誘いになんて乗らない。
由香はそう決意したのだった。
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