私とあなたの罪と罰U
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 流石におかしい。
 翌日また懲りずに屋敷の戸を叩いてきた少女に、ロザリアの中には明確な困惑が生まれた。
 どれだけロザリアが世間に疎くとも、由香の精神構造が常人のそれとは明らかに異なっていることだけは理解できる。
 吸血鬼が世間様から受け入れられているなどという話はこの方聞いたことがないし、それならキースもわざわざ偽名を使ったりはせず、自分たちを化け物だの嘲笑したりもしないだろう。

「開けてあげないのかい?」

 自称ロザリアの兄は、いつもならとっくに玄関の戸を開けてやっているというのに、断固として書斎のソファーから立ち上がろうとしない。
 視線を手元の本に下ろしたまま、気に触る顔で笑う。

「……あんた、何か知ってるの?」

「さて、君はどう思う?」

 瞳を閉ざし、キースは書斎の入り口に立ちすくむロザリアへと思わせぶりな笑みを浮かべるだけだ。

「それより、彼女は君のことを心配していたようだけれど。……開けてあげないのかい?」

 再度同じ言葉を繰り返すキースに、ロザリアは背を向けた。
 深く息を吐き、数秒間を空けてから、

「そんな気分じゃない」

 それだけを言い残し、ロザリアは自室へと引き返した。
 天蓋付きのベッドへと倒れこみ、再度息を吐く。
 唇の輪郭をそっと指でなぞれば、嫌が応にも昨日の出来事が思い起こされた。
 普通の人間の少女であるならば、多かれ少なかれ恐れるべきなのだ。
 軽蔑どころか少しも動揺しないというのは、いくらなんでも厚顔すぎる。

 寝返りを何度うってみても、変わらない景色が広がっている。
 ちらりと体を起こし窓の外を伺えば、ちょうど由香が来た道を引き返していくところだった。
 太陽の下を、駆け足気味に進んで行く。うんざりするほどに外はいい天気だ。
 蝉の声に耳を傾けたまま、視線はガラス越しの小さな影を追う。

 薄い膜一枚隔てた先にいたはずの少女は、やがて森の木々に阻まれ見えなくなってしまった。
 不意に過るのは、最初から知っていたという由香の言葉だった。
 どうして由香がそれを知り得たのか。
 キースが教えたのかと考えるが、あの男はそんなタイプじゃないと頭を振る。
 わざわざ由香に正体を教えてやったとして、こちら側に何のメリットがあるのか。
 記憶を消して、はい、さよなら。
 同情するのはやめろ。
 そんなことを笑いながら言う吸血鬼が、由香にそこまで入れ込むとも考え難い。

 考えれば考えるほど、堂々巡りを繰り返す。
 気付けば、ロザリアの足は勝手に動き出していた。
 知りたいという純粋な好奇心と漠然とした不安が、ロザリア・ルフランを突き動かしていた。
 屋敷に遊びに来ていない間の由香の様子、本人曰く彼女のことを「誰も気にしない」家庭というものを覗いてみたかった。

 由香が恐れないのが悪い、同情なんてしたりするから、訳の分からないことばかり言うからこんなことになるんだ。
 全部由香の自業自得なのだと。
 そんな免罪符を掲げ、木の合間から、こっそり港家へ入ろうとしている少女の様子を伺う。
 幹に額を押し付けながら小さくため息を吐く。
 鬱陶しいと思っていたんじゃないのか。
 二度と来るなと言い放ったのは確かに自身のはずで。
 しかしこうして由香の様子を伺いに来ているのもまた、紛れもないロザリア自身であって。

(好奇心、これは好奇心)

 がんがんと頭を数度また打ち付ける。
 由香を心配しているわけではない。
 断じて違うと必死に言い聞かせながら、ロザリアはのそりと顔をあげた。

 由香が呼び鈴を鳴らしてすぐ、玄関の戸は一人の男の手により開かれた。
 濁った緑色の髪に眼鏡を掛けたその少年は、優しげな笑みで由香を招き入れる。
 歳は、由香より幾らか上。見目の割に落ち着いた印象の少年だった。
 垂れがちの目元が由香とよく似てた。

「今日も友達のところへ?」

 瞳を閉ざし耳に全神経を集中させれば、閉ざされた扉の向こうから蝉の声に混じって少年の穏やかな声が聞こえてくる。
 これのどこに問題があるというのか。
 ごくごく普通の兄妹に見える。
 それとも、問題があるのは両親の方か?

「……ごめん」
「謝るくらいなら、最初から行かなければいいんだよ」

 目を見開く。周囲の音が一瞬止まったような気がした。
 少年の声から温度が消える。

「はっきり言えばいいだろ。僕の側にいるのが嫌で逃げてるんだって」
「違うよ」
「よく言う」

 少年の声に明確な嘲りが混じる。

「勝手に友達だと思い込んでいるだけで、相手の方は由香を目障りだと思っているかもしれない」

 笑い混じりに由香へと詰め寄る。
 少年はあからさまな悪意を隠しもしないが、対する由香の声色はそれほど動じていないように感じた。
 彼女にとってはこれが日常だとでも言うつもりなのか。
 淡々と、由香は声を溢していくだけだ。

「……そうかもしれない」
「そうだよ」

 由香が肯定を示した瞬間、少年からあからさまに気色が滲む。

「由香に、友達なんて出来るわけないんだから」

「なんだよ、鍵あいてんじゃねぇか」

 玄関の戸を何者かが開ける音にはっとする。
 会話に集中していて気付かなかったが、由香と同年齢ほどの少年と、彼の背後に立つ小さな少女がいつの間にか現れていた。
 少年はドアを開け放ったまま少年に詰め寄っていき、由香はそれを困ったように笑いながら宥めていた。

「叶兄ただいま!」

 威勢の良い声は最年少と思しき少女のものだ。

「ああ、おかえり」

 先ほどまでの冷たい表情が嘘のように、少年は笑顔の仮面を貼り付けていた。
 文字通り、仮面だ。にこにこと人畜無害な優等生を装い、自身に詰め寄ってくる少年にも困ったように笑うだけ。嫌味も文句も何一つこぼさず、ごめんごめんと気弱に笑ってみせる。
 年端もいかない子供が、普通こんなにも自分をコントロールできるものなのか。
 先ほどとは正反対に落ち着き払ってみせる少年に、違和感を覚える。
 バクバクと、妙に心臓の鼓動が高まっていた。

「しっかりしてくれよ。母さんは一応お前に家を任せてんだからな」
「……全部兄さんがやくたたずなのが悪いのよ」
「可奈、お前は黙ってろ」
「兄さん知ってる? それ「ぎゃくたい」って言うのよ」

 開け放たれた玄関の隙間から、少年の眉間にシワが刻まれるのが見えたところで、玄関の扉は由香の手により閉ざされてしまった。
 中からは他愛のない言葉の応酬が響いてくるだけだ。

 声が階段を上がっていくのに合わせ、木の幹に手をかける。
 太めの枝に腰を落ち着かせ、ロザリアはしばし様子を伺うことにした。

 先ほどの冷淡さはなりを潜め、叶兄と呼ばれていた少年はあくまで優しい兄を演じている。
 由香も彼の本性を告発するでもなく、話に花を咲かせていた。

(……なんで言わないのよ)

 体を木の幹に預けながら、赤い目を細めた。
 言えばいいのに。
 本当は優しい兄なんかじゃないと、無遠慮に仮面を剥いでやれば良いのに。
 だが、由香はそれをしない。
 むしろ彼女は、庇おうとしているようにすら見える。
 そんなことをして何の得になるのか。

 空が青から茜色に染まった頃、一台のバンが現れた。
 港家のガレージに入り込んだ車から、ボブカットの女性が降りてくる。
 クラッチバッグ片手に上品なブラウスとスカートに身を包む姿は、この田舎町では幾分浮いているように思えた。
 白のヒールは港の玄関へと一直線に向い、彼女はそのまま玄関の鍵を開けた。

「ただいまー」

 階段を上る音に子供達の声が混じる。

「ごめんね叶ちゃん。家のこと任せちゃって」
「いえ、構いませんよ」
「で、おばさんどうだった?」
 割って入ったのは、先ほどの生意気な少年だった。
「元気そうよ。姉妹水入らず、おかげさまで楽しい時間を過ごせたわ。仕事も上手くいってるみたいだし。……ああ、そうだ。叶ちゃんと由香ちゃんのこと、あの子すっごく心配してたわよ」

「……やっぱり私たち、帰ったほうが」
「いいんだよ。母さんだって、たまには休みたいだろうし」

 もの言いたげな由香を、叶夜は有無を言わさず押しとどめる。
 あの女性は母親ではないのか。休みだから親戚の家に遊びに来ているというのは、別におかしな話ではない。
 だが、親戚の前だから猫を被っているというにしてはやりすぎに思える。
 少年の声には、微かながら苛立ちのようなものが混じっていた。
 母親の前では流石に本性を見破られているのだろう。いくら隠すのが上手いとはいえ、相手は生みの親だ。そう簡単に騙されたりはしない。

 由香の家庭には、何かしら問題がある。
 この親戚には今の所、これといった問題点は見当たらない。
 ごくごく普通の家庭だ。だからこそ、混じった異端が際立つ。

 しばらくすると、香ばしい香りが窓の隙間から漂ってきた。
 食事中も特に問題は見当たらなかった。彼女たちは楽しげに会話をするだけだ。
 唯一の収穫は、この家の父親が単身赴任中だという事実が判明したことくらいだろうか。

 (……面倒なのと関わってしまったかもしれない)

 これといって会話に進展はないが、由香の兄が病気を抱えているのは確かなようだ。
 体ではなく、心の方の。しかもかなり深刻な。
 由香の妙に冷静なところは彼女の兄の存在のせいだ。

(あんなめんどくさそうな兄貴がいたら、そりゃあ達観的にもなるわよ)

 自分でも由香のようになる自信がある。
 意図せず苦笑いが浮かぶ。

 それにしても、だ。
 由香はお人好しがすぎる。いくら彼女の兄が問題を抱えているからといって、普通あそこまで呑気に育つものだろうか?
 兄からの報復を恐れているといった様子ではない。
 むしろ――

「本当はどこに行っていたのか、そろそろ僕に教えてくれてもいいんじゃないのかな?」

 月が天高く上る頃、三階の窓に叶夜の後頭部が写り込んだ。
 電気の消えた家の中腕を組んだ少年は、何かに対峙している。

「嘘は、ついてないよ」

 由香の声がロザリアの耳をかすめる。

「友達、かぁ」

 由香の腕を引き、叶夜は先ほどまで自身の背を預けていた窓に、由香の小さな背を押し付けた。

「僕が気付いていないとでも思ってる? だとしたら、由香は甘いよ」

 叶夜の表情が、月光の下ロザリアにさらされる。
 少年は笑っていた。到底子供とは思えない顔で、狡猾に。

「いいよ」

 由香の背が小さく震えた。

「特別に許してあげる」

 ゆっくりと、掛けていた眼鏡を外していく。
 優しい兄の皮などでは生ぬるい。
 赤く光る目に、そもそもこの男は最初から人間などではなかったのだと気付いた時、吸血鬼の牙は既に由香の首を突き刺していた。
 ロザリアの付けた傷跡を塗り替えていくように。

「由香がどこで誰と何をしようと、許してあげる」

 地を這うような声で、喉を震わせる。
 口の端についた血を舐めとりながら、本性を剥き出しにした鬼は窓ガラス越しに確かに、ロザリアの目を射抜いていた。
 ぞわり、と背に震えが走る。
 いつから? そんなものはきっと愚問だ。

 「おぞましい」と。
 かつて、ロザリアはキースにそんな言葉を言い渡したことがある。
 お前のような化け物と一緒にするな。
 そんな暴言を吐いたことは記憶に新しい。
 だが、生ぬるい。殺してやったほうがまだ優しい。
 気付かれないよう点々と標的を変えていく男は、まだまともだ。
 生かさず殺さず、心をじわじわと蝕んでいく。
 たった一人に固執し、ひたすらに縛り付ける。
 実の兄なのではないか。
 ばくばくと心臓は脈打ち、背を嫌な汗が伝う。
 これは自分の獲物だとロザリアに見せつけるように、わざとらしく傷跡に口付けを落とす。

「どうせ最後は、僕のところに帰ってくるしかないんだから」

 自分が悩んでいたことすらも馬鹿らしくなってくる。

 だって本物の化け物は、こんなにもおぞましい。

 *  *  *  *  *  *  *

「予想していなかったわけじゃないよ」

 ロザリアからの報告を聞いた男は、本から顔を上げた。
 夜も更け、外はしんと静まり返っている。
 この世界には二人だけしか存在しないのではないかという錯覚すら覚えそうになる。

「身近なところに吸血鬼がいるのだろうとは思っていたけれど、でも……そうか」

 立ち上がり書斎の本棚に本をしまいながら、キースは呟きを漏らす。

「……「お兄ちゃん」、ね」

「あんなのは、おかしい」

 書斎の入り口に立ちすくんだまま、下を向き拳を強く握りしめた。
 顔を上げれば笑みを消し、無表情を貫き通すキースの目とぶつかった。

「あんなのただの虐待じゃない! 由香は――」

 口を開き、ロザリアは言葉を失くした。
 嫌がってはいない。
 ああ、そうかと納得がいった。
 由香は、同情しているのだ。
 同じ血を分けて生まれたのに、自分とは全く違う生き物として生まれてしまった兄に。
 だから抵抗しない、公言しない。兄の本性を隠す手伝いすらしている。仕方のないことだからと、何をされてもいいとすら思っている。

「……由香が良くても、私は良くない」

「意外だね」

 顔を上げれば、キースの顔に笑みが戻っていた。

「嫌いなんじゃなかったのかい?」

「……嫌いよ」

 現状を甘んじて受け入れている由香の態度が。
 由香に同情されて、喜び、許されたような気になっている自分が。

「私は気に入っているよ。少なくとも、記憶を消してしまうのが惜しくなってしまう程度にはね」

「馬鹿じゃないの」

「ああ、そうだね」

 自嘲気味な笑みを、一つ。

「私たちは大馬鹿だ。自分たちが、人間になれたような錯覚に陥っている」

* * * * * * * *

 翌日、ロザリアは玄関の扉を開けた。
 真夏の太陽が、強張るロザリアと、間抜けな顔をする由香をギラギラと照らしている。

「馬鹿」
「ロ、ロザリアちゃ……」
「あんた馬鹿じゃないの! 本当馬鹿よ! なんであんなことされたのに懲りないのよ!」

 困惑する由香の声を無視しし、ぜぇぜぇと肩を上下させる。
 嬉しい、嬉しくない、嬉しい、嬉しくない、でも、来てくれて嬉しい。
 好き、嫌い、大嫌い、好き、やっぱり嫌い。

 由香は知らない。
 見られていたことも、この心に渦巻く感情も、何も知らないのだ。

 本当に、救いようがない。

 滲み出た涙を必死に拭いながら、深く息を吸い込む。
 次の罵倒を飛ばそうとして、先陣を切ったのは由香の方だった。

「好きだから」

 ぽかんと、間抜けな顔で由香を見下げる。

「私が、ロザリアちゃんを好きだから」

 太陽の下、由香はまばゆいばかりの笑みを浮かべていた。

 本当に、「私たち」は大馬鹿だ。
 現実は何も変わらないのに、そんな安っぽい言葉だけで救われた気になれるのだから。
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