ともだち
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麗らかな日の午後。
心地よい風と暖かな日差しが少女の金の髪を揺らし、宮裏華(ミヤウラハナ)は頬杖を付きながら思わず船を漕いでいた。
六時間目の中学校の教室、日当たりのよい窓際の席、窓の外に広がる一面の木々、男性教師の教鞭を振るう声。
全てが華を眠りへと誘う誘引剤となっていた。
少女の持つ艶やかな金髪とは些か不釣り合いな、田舎の娘、というものを体現したかのようなお下げ髪に、線の細い少女には大きすぎる太い黒ぶち眼鏡。
華がこくり、こくりと頭を上下に動かすたびに、右手の鉛筆がざらばん紙の上にいびつな線をいくつも描いていく。

「じゃあ、次の問題は……」

教師が誰に当ててやろうかと、思案しながら教室を見渡していることなど露知らず。
少女はさらなる深みへと落ちて行こうとしていた。
そして心配そうに、教師と華を交互に見やる少女の存在にも気付かずにいた。

「宮裏」

男の華を呼ぶ声に鋭さと苛立ちが混ざる。
はぁ、と教科書片手に皺だらけの眉間をほぐし、壮年の男は不意に教科書を持ったまま、苛立ちあらわに授業を中断し、少女へと一歩、また一歩と近づいてくる。

「みーやーうーらぁー?」

最後のチャンスとばかりに、苛立たしげに教師は少女の名を呼ぶ。
びくっと、肩を震わせて華が目を開けたのはその直後だった。
焦りから、手を離した鉛筆がころころと教室の床を転がっていった。
足元に転がってきた鉛筆を拾い上げ華に手渡しながら、男は溜息を吐く。

「お前、今週何回目だと思ってるんだ」

「え、えっと……それはその……」

太いフレームの奥にある赤い目がせわしなく動き回る。

「す、すみません……」

「居眠りだなんて、宮裏らしくないぞ。……具合でも悪いのか?」

「……えっと……その、ちょっと……寝不足で」

オドオドとした少女の態度に、教師は華の頭を持っていた教科書で軽く叩いて見せた。
いたっ、と言う間抜けな声に、華の横の席で事の顛末を見守っていた少女はぶっと軽く吹き出した。

「緩みすぎだぞ。夜更かしも程々にな」

「……すみません」

華の返事と授業の終了を告げるチャイムが鳴るのは、ほぼ同時の事だった。
小さな声はチャイムの音にかき消され、男性教師は「おっと」と間抜けな声を上げると華に背を向け、黒板の前へと戻っていった。

「うぉっし、今日の授業はここまで」

「ありがとうございましたー」

椅子を引く音に混じって間抜けな生徒たちの声が教室に響き渡る。
同時に華の横の席に座る少女「神崎葵(かんざきあおい)」が立ち上がり、鞄に荷物を詰めていた華の机にやってきた。

「あんた、最近しんどそうだけど……ほんとに大丈夫?」

心配げな葵に、華は座ったまま乾いた笑い声を上げた。

「たぶん……」

座る華の前に立つ葵は、仁王立ちのままわざとらしく溜息を吐いて見せた。

「たぶんって何よ、たぶんって」

「えっと……、ごめん」

気まずそうに頬を指でかき、華は再びぎこちなく笑った。
葵の長く黒い髪が風に揺れる。葵は腕を組み、しばしだんまりを決め込むと、よし、と小声で呟き華が掛けていた眼鏡のフレームに手を掛けた。呆気に取られる華を置き去りにし、葵は華の眼鏡をそっと取り去った。
晒された無防備な素顔に、華の顔は真っ赤に染まっていた。

「か、返して……!!」

「えー、なんで。あんた、絶対これない方が可愛いのに」

華は可愛い顔をしている、と葵は思っている。
可愛いなんていう次元じゃない、華は本物の美少女だ。
ださい黒ぶちの眼鏡で誤魔化しているが、華の日本人離れした白い肌には、葵も密かな憧れを抱いている。
西洋の華奢な人間のように整った目鼻立ちは、純粋な日本人の両親から生まれた葵には持ち得ないものだ。

「とにかく返して……っ!」

「別になくても不便はないでしょ。これ、伊達なんだし」

「そ、そうだけど私には必要なの!!」

勢いよく立ち上がり、華は葵の腕から眼鏡を奪取した。
素早く眼鏡を装着し、華は葵に冷たい横顔を見せた。
視線を窓の外に向け、全く葵を見ようとしない。

「あーもうごめんって!」

「ほんとに悪いと思ってる?」

ちらり、と華の視線が葵に向けられた。

「うんうん、思ってる思ってるぅ!」

「……もう」

語尾に音符でも付いていそうな口調で頬をつついてきた親友に、華は苦笑いを浮かべた。

帰り道、田んぼの横を歩きながら二人で他愛のない会話を続ける。

「その眼鏡、せめてもうちょっとマシな奴にしない?……なんていうかダサいし」

「私は、これがいいから」

「ふーん。人見知りもほどほどになさいよね。あ、そう言えば、聞いた?」

「聞いたって、何を?」

唐突な話題の転換に、華は小首を傾げて見せた。

「それがさぁ、また死んでたんだって。また野良犬よ、野良犬。まったく、酷い奴もいるもんよねぇ」

華は知らず小さく目を見開いていた。
息を呑み、視線を足元へと逸らす。磨り減った焦げ茶色のローファーが視界へ飛び込んできた。
今日の夕食はなんだろうかとぼんやり考えていた意識を無理矢理現実へと引き戻される。
野生動物の連続惨殺事件。
大人達は秘密にしているが噂というものは人知れず広がっていく。当然華達学生にも噂は広がっており、そもそも、この町の中で知らない人間はいないのではないだろうか。

最初に事件が起こったのは、華と葵が中学2年に上がってすぐの事だった。
学校の裏で猫が一匹血を抜き取られ死んでいた。
それから週に一度程の頻度で、野良猫、野良犬、時にはタヌキだったり、キツネだったりするとも聞いているが、ともかく週に一度なんらかの動物がどこかしらで酷い死に方で発見されている。
血を抜き取られ殺されたそれらは、ミイラのようだったという。

最初の事件から二ヶ月。既に8匹の動物が犠牲になった。
小学校では下校時間が早まったとも聞いている。
ただでさえ、もうすぐ梅雨がやってくるというのに、雲行きはますます悪化するばかりだ。気分も憂鬱になってくる。

「きっと犯人も、もうすぐ捕まるよ」

「そうかなぁ」

「そうだよ。たぶん」

「たぶんって何よたぶんって」

そんな他愛のない会話を続けているうちに、一つの建物が華と葵の目に飛び込んできた。
「暮町学園」と書かれた小綺麗な洋風の建物が、華が物心ついた時から暮らす養護施設だ。

「じゃ、また明日」

「うん。またね」

手を振り葵に背を向ける。
大きなガラス戸を引き、華は玄関へ足を踏み入れた。

*  *  *

夜の闇の中をそれは徘徊していた。
切れかけているのか何度も点滅を繰り返す電灯が、夜のあぜ道を歩く化け物を照らし出す。
その足はどこへ向かうでもなく闇夜を突き進んでいく。
そんな時、一匹の犬が飛び出してきた。首筋に付けられた鎖が、吠える度に不気味に鳴っていた。
強大な敵の気配を察知した犬は、牙をむき出しにし怪物に対し唸り声を上げる。

馬鹿な生き物。

そう無感動に瞳の中に小動物を写し込んだ獣は、威圧的に赤い目を輝かせた。
瞬間、今までの威勢が嘘のように吠えることをやめ、許しを請う幼子のように震え上がる犬に、化け物は微かに口角を吊り上げた。
情けなく尻尾を下げ、か細い鳴き声を漏らす犬の首筋に、それは容赦なく噛み付いた。
地面に倒れこみ、びくびくと痙攣を続ける犬に構いもせず、夜の支配者は小さな獣から血を抜き取っていく。
じゅるじゅると音を立て血を吸われていく度、犬の亡骸からは生気が抜け落ちていく。
身体中の水分という水分を奪われた犬を視界の端に写し、それはふらりと亡霊のように立ち上がった。
口元についた血を綺麗に舐めとり、化け物は再び来た道を戻っていった。
電灯の下には、無残な飼い犬の亡骸だけが残されていた。

*  *  *

翌朝、華が学校に着くと教室内に不穏な空気が漂っていた。
居心地の悪さを感じながら窓際の自分の席まで歩みを進めていく。
耳をすませていると、「また」だの「怖い」だの「とうとう」だの、そんな単語が華の耳を掠めた。

「葵ちゃん」

席に腰掛け小声で話しかけると横の席に腰掛け、頬杖をついていた葵の目線が華へと向けられた。

「もしかして、また」

「そ、例のミイラ事件」

いつもならここまで教室が陰鬱なムードになることもない。
ただ事ではない空気に、華は葵に怪訝な視線を送った。

「となりのクラスの峯岸さん、分かる?」

「うん」

峯岸希(みねぎしのぞみ)。
特に仲がいいという訳ではないが、噂には聞いたことがあった。
彼女が飼い犬のジョンを心底大事にしているというのは割と有名な話だ。

「まさか」

思わず口を両手で覆っていた。

「そのまさか、よ」

「だって、いままでは野生の動物ばっかりで」

「だからこんな空気になってるのよ。次に毒牙を向けられるのは、もしかしたら自分たちの方かもしれない……ってね」

「そんな……」

「はいはい静かに!!」

そんな時、教室の戸を開け担任の女性教師が入ってきた。
手を叩きわざとらしく大きな声を出し生徒たちを鎮めようとする。
結局、その日は4限までとなり、生徒たちは早々に家へと帰された。

せっかく早く終わったのだからと、葵と華は駄菓子屋でアイスを購入し、呑気に世間話に興じていた。

「この前本を読んでたら書いてあったんだけど、世界一美しいミイラってうのがいるらしくって。でね、そのミイラの名前がロザリア・ロンバルド……って、話聞いてる?」

「あ、ご、ごめん。その、なんだか、思ってたよりも事態は深刻みたい……だから、心配っていうか……」

駄菓子屋の前のベンチに腰掛け道を眺めていても、自転車に乗る見回りの警官の姿が頻繁に目につく。
溜息を吐いた華の背を、葵は勢いよく叩き鼓舞した。

「大丈夫よ。犯人が狙うのは動物だけ、人間に影響はないんだから。幸い、私たちは二人とも何も飼ってないし、なんの心配も」

「心配だよ」

きょとん、と葵が首をかしげる。

「私は、葵ちゃんが心配」

ぽかん、と呆気に取られ華をまじまじと見つめること数秒。
葵は口元に手を当て、にやにやと下卑た笑顔を浮かべた。

「もう、そんな可愛いこと言うのはこの口かぁ!!」

「えっ!?ちょ、ちょっと!?」

ぐしゃぐしゃとアイスを持っていない方の腕で華の頭を掻き乱し、葵はにっと歯を見せ笑った。
されるがままになりながら、これといって悪い気はしなかった。
しばらく葵の好きなようにさせていると、いつの間にか三つ編みを解かれていた。
縛から解き放たれた金糸が滑らかに肩へと落ちていく。
腰まである長い髪に指を通し、葵は満足げに微笑んだ。
対して華は困り顔だ。また取られてはたまらないとしっかりとアイスキャンデーを持っていない方の腕でメガネを抑え、困り顔で笑む。

「やっぱりこっちの方が可愛い。その眼鏡も取っちゃいなよ」

「……無理だよ」

「なんで」

「なんだか、私が私じゃなくなっちゃう気がするから」

「……なにそれ?」

「そんなことより、早く食べないとアイス溶けてきちゃってるよ」

「え!?うぉっと!!危ない!」

器用に溶けたアイスを舐めとる葵に、華はくすくすと口に手を当て笑い声を上げた。
自身も早く食べてしまわなければとアイスキャンデーに舌を這わせながら、華はちらりとアイスと格闘を続けている葵を盗み見た。
その瞳がどこか不安気に赤く輝いているのに気付くものは誰も居なかった。

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