アイレン]
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突如額を襲った鈍い痛みに、依織は眉をしかめながら瞼を押し上げていった。
瞬間、強烈な痛みが依織の頭を襲う。あたりを満たす柔らかな光が、晒された依織の眼球に鋭く差し込んでくる。
あまりの眩しさにさらに眉をしかめると、久しく聞いていなかった呆れがちな重低音が依織の鼓膜を優しく揺らした。

「ったく、俺に会いに来てどうすんだよ。この大馬鹿野郎」

まるで数十年も光を見ることを知らなかったように、一向に目の焦点が合ってくれない。
背後から光の射す大柄な男の表情を見ようと必死に目を細めるのだが、大きな影を写すだけだ。

「まだ死ぬにはちょっとばかし早いんじゃねぇのかって……おい、聞いてんのかクソガキ」

聞き間違える筈がない。
めんどくさそうな物言い、聞きたくとも二度と聞くことのないと思っていた恋い焦がれた懐かしい声の主に思い当たった瞬間、依織は痛む頭を無視して勢い良く体を起こしていた。

「うおぉっ!?」

素っ頓狂な叫びを上げ、真壁が半歩後ずさる。
ぶわっと勢い良く白い花びらが天に舞い上がった。
耳をすませば、聞こえてくるのは川のせせらぎ。とりあえ眼鏡をかけなければと思い、後ろ手についていた片手を動かしてみるも、依織の指を霞めるのはふわふわとした柔らかな感触だけだった。
何事かと視線をそちらに向ければ、飛び込んできたのは一面の真っ白な百合の花畑だった。
空は暗く、一面の星空が広がっている。にも関わらず、世界は明るい。
地面いっぱいに広がる白百合が、自ら光を放ち発光していた。

ふと、違和感を覚えた。どうして超が付くほど近視の自分に、遠くの方まで広がる百合の花がくっきりと見えているのか。
顔に触れてみるも、眼鏡はない。

「あ……」

気付いた瞬間、小さく声を上げていた。次いで、刺された筈の右胸を押さえてみる。
痛みはない。恐る恐る押さえていた手を離し、手のひらを凝視する。血の痕跡はなかった。

「……死んだのね、私」

案外早いお迎えだったわね、と依織は珍動物でも見るように自身を見つめている真壁を睨みつけた。

「何、その目は」

「いや、案外冷静だな、と」

「そうね」

「その……もっと取り乱すとかあってもいいんじゃねぇのか」

「私がそんな可愛げのある女だと思う?」

「……それもそうか」

納得したのか、真壁は座り込んでいる依織のすぐ横で胡座をかいて座り込んだ。

「お前はもうちょっとばかり、長生きすると思ってたんだがな」

「そうね。私もそのつもりだったわ」

まさかこんなにも早く真壁と会うことになるとは思っていなかった。
ちらりと真壁の横顔を見上げる。
過ぎったのは生前最期に見た彼の顔だった。

依織が真壁の花嫁になった次の日の、日の出前、真壁は宗介によって撃ち殺された。
依織が止めるのも聞かずに、呆気なく。

「お前は長生きしろよ。……幸せにな」

最期にそう笑って、真壁は塵となって消えた。

「何も殺すことなかったじゃない!!」

絶叫し、怒りに打ち震える元婚約者の姿に、宗介はぐっと歯を食いしばった。
次の瞬間頬を襲った強烈な痛みにも耐え、宗介は無表情を貫き通した。

「吸血鬼が化け物ですって? 笑わせないで。……化け物は、あなた達の方じゃない」

それを最後に、依織は宗介に会っていない。
中学の卒業式には出なかった。
片手で持てるだけの荷物を持って、依織は倉橋の家を出、叔母の家に転がり込んだ。
そして、ギリギリ日暮高校の受験に滑り込んだ。
その後の倉橋家で何があったのか、依織は知らない。
ただはっきりしているのは、二度とあの家に戻ることはないという、それだけのことだった。

「貴方がいなくなってから、色々大変だったのよ」

膝を抱え、ぼそりとこぼされた依織の言葉に、真壁の目が小さく見開かれる。
ぐしゃぐしゃと慰めるように依織の頭をかき乱した後で、真壁はゆっくりと瞼を閉ざした。

「悪かった」

「……馬鹿」

軽い衝撃が真壁の肩に訪れる。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿」

ひと回り小さい拳が、真壁の胸板を殴りつけてくる。痛みはない、ただ心だけが痛かった。

「本当に、色々、あったんだから」

真壁は、小さく震える肩をそっと抱き寄せた。
微かに聞こえる呻き声を聞かなかったことにして、真壁は「そうだな」と頷いた。

「よく、頑張ったな」

腕の中の依織の動きが止まる。
だがそれも一瞬のことだ。照れ隠しなのかさらに強まる胸への刺激に、真壁は苦笑いを浮かべながら少女の小さな背をさすっていた。
一通り感情を爆発させて落ち着いたのか、しばらくすると依織の震えは収まっていた。

「落ち着いたか?」

「……ええ」

「よし。じゃあ、行くとするか」

どこへ?と尋ねる依織に、真壁は決まってるだろと返す。

「あっち側だ」

指された方には、先ほどから聞こえていたせせらぎの発生源があった。
見れば、まだ川は超えていなかったらしい。

「わざわざこっち側まで迎えに来てやった俺の優しさを……って、聞いてないだろお前」

「そうね」

「ったく、ま、お前らしいっちゃお前らしいか」

真壁に腕を引かれ、そのまま手漕ぎの小さな舟に乗り込もうとする直前で、依織は立ち止まった。
浮かんだのは純粋な疑問。
依織は叶夜によって操られた可奈の手にかかって死んだ。
叶夜の目的は、由香を手に入れること。だとすればーー

「真壁」

声色が変わった依織に、真壁の歩みも止まる。

「もう少しだけ、待ってもらえない?」


*  *  *


「ゆ……が……なら……来ない……わ……よ」

げほっ、ごほっという咳の音と共に、教室の床に赤い液体が滴り落ちる。
叶夜は耳障りな音に振り返り、気絶している筈のロザリア・ルフランに視線を送った。

「あぎ……ら……めなさ……い」

一向に整う気配のない息遣いで、無理矢理に言葉を紡ぎ出す。
青白い顔をしてなお、ロザリアは笑みを絶やさなかった。
肘を立て、何とか立ち上がろうともがいている様が、叶夜には蜘蛛の巣に捕らわれた死にかけの虫けらにしか見えなかった。

「諦める?どうして?」

少しずつロザリアに近付き、叶夜は倒れ込むロザリアの目と鼻の先にしゃがみこんだ。

お互いに二人は笑顔だったが、そこに和やかさといったものは皆無だった。

「いまごろ由香なら……キースの……はな……よめに……!!」

反射的に立ち上がり、叶夜はロザリアの腕を踏み付けていた。
何度も足をよじり、少女の細い腕を痛め付ける。

「ぐ……ぅ……っ!!ぁ……ぅぁ……ぁ……ぁああああああ!!」

苦悶に顔を歪めてもなお、少女は美しかった。だが、叶夜にとってはただのそこらへんに転がっているゴミと同一のものにしか見えない。家畜にも劣る、醜い廃棄物。
けたたましい叫びを上げる分、音も立てずに崩れ落ちる物より下手をすればタチが悪い。

「由香はあの男の花嫁にはならない。僕が許さない」

「ど……かしらね……!」

ロザリアが言い切ると同時に、叶夜は腕を踏む足に力を込める。

「あんたはなにもわかってない!」

「分かっていないのは君の方だよ、ロザリア・ルフラン」

叶夜は不敵な笑みを浮かべたまま、手を踏み付けていた足を、少女の頭にそっと乗せた。

「自分の手駒の行動を把握しきれなかった、君の負けだ」

無感動に女を瞳の中に写し、そのまま勢いを付けて、青桐叶夜は虫を踏み潰した。

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