アイレンT
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倉橋依織は、実に奇異な家にその生を受けた娘だった。

吸血鬼、殺す、誰々が死んだ。

そんな物騒な単語が日常的に飛び交い、仕事だと出ていった若い衆が帰って来ない事も、傷だらけで帰ってくることも、幼い依織にとっては別段珍しいことなどではなかったのだ。
倉橋依織は吸血鬼ハンターの名門、倉橋家の本家のもっとも濃い血を受け継いだ、当主一家の長女としてその生を受けた。
男は吸血鬼ハンターとなることを、女は婚姻により倉橋の血を次代に継がせることを宿命付けられ、それは依織にとっても例外ではなかった。
幼いころの依織はそれを当然の事だと思っていたし、倉橋の跡継ぎである依織の弟も、依織の婚約者であった従兄も、当然の事として受け止めていた。

「依織」

父親に呼び出され、縁側を弟と共に歩いていた依織は、聞きなれた同い年の少年の声に、おもむろにその場に立ち止まり振り返った。
それと同時に依織の肩に少年の腕が載せられ、依織と手をつないでいたまだ五歳になったばかりの一つ下の弟は、少年を忌々しげに睨み付けていた。

「よ!また御当主殿に呼び出されたんだって?」

「そんなに頻繁に呼び出されてない」

肩に置かれている手を依織が乱雑に振り払うも、少年は全く気を悪くした素振りを見せず、にやにやとからかう様に依織に視線を送っていた。

「わざわざからかいにきてくれて、どうもありがとう、宗介(そうすけ)。生憎私達は忙しいの。邪魔しに来たならとっとと帰って」

皮肉たっぷりに棒読みしてやれば、わざとらしく宗介は傷付いたような顔を作って見せた。

「おいおい待てって!ひっでーなー。そこまで暇じゃねーって。……俺も、御当主殿に呼び出されたから、どうせならお前らと一緒に行こうかな―っと……思って探しに来たんだけどよ」

そこで、宗介の目線が下がる。
視線の先には物凄い剣幕で依織の左腕に抱き付き、宗介を睨んでいる國依(くにより)の姿があった。

「お前の弟に、俺はどうも嫌われてるらしい」

友好を求めてか、宗介はその場でほんの少し腰をかがめ國依に握手を求め右腕を差し出した。
それを、國依は黙って睨み付けるだけだった。
國依の様子を全く意に介さず

「仲良くしようぜ?一応俺はお前の姉ちゃんの『婚約者』なんだし?」

キッと國依が宗助に牙をむく。野生の獣のように獰猛な視線を、あきらかな敵意を國依は姉の婚約者である男に向けていた。
依織は別段宗介の事が嫌いではなかったが、かといって別に特別愛していた訳でもない。
それは宗介とて同じだった筈であり、二人の間には友人としての愛情はあったとしても、そこに異性に対する情は、少なくともこの時点では微塵もなかったのである。
しかし、親が、倉橋のトップがそう決めた以上それはもうどうしようもない、曲げようもない現実だった。
どうしようもないなら、婚約者とは出来るだけ友好的な関係を築きたいし、國依にとっても将来は義理の兄になる人間である。弟にも、出来るだけ宗介とは仲良くしてほしい、というのが依織の正直な気持ちだった。

「……國依」

窘めるように名を呼べば、すがるような目線を國依は依織に向けてきた。
それを依織はあえて無視した。

「よろしくな、國依?……俺も未来の義弟(おとうと)クンとは、出来るだけ仲良くしておきたいんだ」

一向に手をひっこめようとしない宗介に、流石の國依も折れた。
突き出された腕に、実に嫌そうな様子を隠そうとせず、國依は渋々宗介と握手を交わした。
しかし、すぐに宗介の腕を振り払うと、依織の後ろに隠れ、宗介とはもう視線を合わそうとすらしなかった。
依織が呆れ視線を上に戻すと、示し合わせたかのように、宗介と目が合った。
彼はおどけた様に肩をすくめ、その後國依を無視し、依織の横に並び、歩調を依織に合わせて歩き出した。
子供とはいえ三人分の重みに、歩く度に縁側の床板がギシギシと音を立てて軋んだ。
倉橋の本家であるこの、巨大な日本家屋の中には数十人の狩人が暮らしており、血なまぐさい話題もザラだった。
父の部屋に行く途中、数人の若い衆とすれ違った。

「おい、御当主様の御子息方だ」

それまで、他愛のない世間話をしていた屈強な男たちは、一人の男の発したそんな言葉に、年端もいかない幼い子供たちに、慌てて頭を下げた。
それを子供たちは当然の事として受け止め、軽く男達を目に留めると何事もなかったように、立ち止る事無く男たちの横を通り過ぎていった。
庭のイチョウの木々は黄色く色づいていた。

「御当主、失礼致します」

ふすまの前で、三人は正座しながらただ当主の言葉を待った。

「入れ」

渋みのある重低音が三人の鼓膜を揺らす。今までに屠ってきた吸血鬼の数は五十を優に超えると噂される実父の発する空気は、実の娘である依織にすら威圧感を感じるものだった。
宗介は依織の横で膝の上に置いた手を強く握りしめていた。

「失礼します」

言われた通りにふすまを開き、指定された場所に、右から順に依織、國依、宗介と正座し列を作る。
上段に座っていることもあり、当主であり、依織と國依の実の父である倉橋國広(くにひろ)の威圧感は相当なものだった。
実父ではあるが、依織と國依とて、当主と言う事もあり、彼と顔を合わせるのは実のところ数えるほどしかない。
母を早くに亡くした二人の世話をしてきたのは、使用人である鷹子(たかこ)という女性であり、二人と父親との間の絆はほぼないに等しかった。

「わざわざ呼び出して悪かったと思っている。そんなに固くならなくてもいい。もう少し楽にするといい」

楽にしろとは言うが、無理な話だ。
宗介には、また呼び出されただの言われたが、実質國広に呼び出されたのは依織と國依の誕生日を除けば今回を除いて二、三回しかない。
一体なんの話なんだと、依織は内心びくびくしっぱなしだった。
宗介と國依は、依織とは反対に、表面上はなんら動揺していないように見えた。
それどころか、國依に至っては國広の持つオーラに魅せられたのか、目をキラキラさせている気さえもしてきた。

「依織」

「は、はい」

突如呼ばれた己の名に、依織は体を固くした。

「宗介とは仲良くやっているか?」

「は、はい」

「そうか、それならよかった」

國広の纏う空気がほんの少し柔らかくなった。
次いで矛先が宗介に向かった。

「宗介」

「はい」

「お前は依織をどう思う」

一瞬の沈黙の後、宗介は國広の目を正面からはっきり見つめ、こう答えた。

「芯のしっかりした、優しいお嬢様だと思います。こんなにも素晴らしい方の婚約者に選んでいただき、誠に恐縮で御座います」

にっこりと、そんな擬音が付きそうな顔をして、宗介はそう言い切ってみせた。
横に座る弟が、宗介を鬼の形相で眺めているだろうことは、ありありと想像出来た。
これは明らかにさっきのことを根に持っているな、これ以上國依を煽ってどうするつもりなんだ、となんとか横目で宗介を睨み付けてやれば、本人は素知らぬ顔をして國広と対峙している。

「ははは!!!あーっ!!……あ、愛されているな!!依織!」

ひとしきり腹を抱えて笑ったかと思えば、国広は興味津々といった顔で依織と宗介を交互に見つめだした。

「これで倉橋の将来は安泰だな!は!ははは!!……っぶ……っ!!」

「御当主」

窘めるように苛立ちを込めて依織が呼べば、気まずそうに視線を反らし数度咳払いをした。

「すまなかった。では、ごほん。冗談は程ほどにして、本題に入ろうと思う。國依」

「は、はい!」

「お前はこやつをどう思う」

「宗――、お、お義兄様……を、ですか」

お義兄様、のあたりがかなり引き攣っていたような気がするが、気のせいと言う事にしておこう。
そう思い依織は無視を決め込んだのだが、宗介の肩が完全に笑いを我慢して震えていた。必死に吹き出すまいと耐えているあたりまだ偉いか、と依織は視線を前に戻した。

「そうだ、どう思うか正直に言ってみるといい」

頼むから、まともな回答をしてくれと依織はただ祈った。

「す、素晴らしい方だと、お、思い……ま、す」

瞬間宗介の我慢が限界に達したようだ。
ブフォっと、吹き出す音が聞こえたのを皮切りに、國依の堪忍袋にも限界が来たらしい。

「なんなんだお前は!!さっきから僕を馬鹿にして楽しいのか!?」

立ち上がり、國依は宗介に近付いて行った。
一方、宗介は余裕綽々と、正座したまま國依を睨んでいた。

「別に馬鹿にしてねーから。ただ、そうか、お義兄様か。もう一回言ってみ?國依クン?」

「おまえなぁぁ!!!」

「二人ともいい加減にしなさいよ!!ここをどこだと――」

立ち上がり、二人をいさめようとした言葉で、依織ははたと正気に戻った。
グギギ、という音を立てながら頭を動かし視線を國広に戻すと、彼は怒っているというよりは面白がっているようだった。

「よし、決めた。宗介、お前は國依の右腕になれ」

場に、沈黙が落ちた。
一番初めに口を開いたのは宗介だった。

「謹んで、承りたく存じます」

「はぁ!?」

素っ頓狂な叫びをあげ放心状態の國依を視界の端に収めながら、依織は宗介の横に鎮座し、話しかけた。

「宗介、あなたはそれでいいの?」

「ああ、別に構わねーよ」

「正気?」

「正気正気。だってよ、右腕になれば四六時中國依をからかいまくれる訳だろ?それはよ、面白すぎると思わねーか?」

「……思わないわよ」

依織の呆れ顔に、宗介は意地悪く笑って見せた。
その間も國依は、國広にいかに宗介がむかつく奴か、ということを語っていたようだが、全く聞き耳を持ってもらえていない様だった。
父の中では、既にこれは決定事項であるようだった。

「ま、お前ならそうだろうよ」

「あなた、性格悪いわよ」

「今更じゃね?」

「……そうね」

はぁ、と溜息を吐き、依織は立ち上がった。
國広に激しく抵抗する國依を諌めるために。

「それによ」

だから依織は、宗介の独り言を知らない。

「お前と一緒にいられる時間が増えるだろ」


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