春の日の再会
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「姉さんは私の自慢よ。…私、姉さんがいてくれればきっと大丈夫だから。」

そう言って、いつでも奏は茜に柔和な笑顔を向けていた。

内気で卑屈で妙に大人びた妹は、茜の前にいるときだけは素直で純粋な子供だった。

(私がこの子を守らなきゃ……)

茜は、いつだって自分をおさえがちな奏を尊重し、大切にしてきたつもりだった。

どこに行くにも奏について行き、罵倒する連中から奏を庇っていた。

しかし、茜のそんな思いは無駄なお節介だったらしい。

いつ頃からか定かではないが、奏が茜を見る目はいつした憧れからドス黒い憎悪に変わっていた。



「姉さんには分からないでしょうね。私と違って愛されていた姉さんには。」

7年前、由香を送り届けた時─最後に会った奏に昔の面影はなかった。

痩せ細り、目の下に隈が出来たみすぼらしい妹。

辛辣な突き刺すような言葉を吐きながら、自嘲気味な笑顔を浮かべた奏は、姉を疎ましそうな目で睨んでいた。

「奏…ごめんなさい…」

「謝らないでよ。昔からそうよね、姉さんは。皆から愛されてた。……明るくて優しい優等生。どんな事でも謝れば許されると思ってる。綺麗で純粋な姉さん。……私は、そんな姉さんが昔から」

大嫌いだったのよ。

「っ……」

泣きそうな顔で奏から告げられたその言葉は、茜の心に深く突き刺さった。

「奏……私はっ!!」

「言い訳なんてしないで。ねぇ、今後一切私の娘に関わらないで。分かったら、二度と私の前に姿を見せないで!」

「奏っ!!」

茜の叫びは、バタンと重く音を発てて閉まったドアによって、無情にも遮られた。

今でも、胸に過るあの時の言葉。

大嫌いだったのよ。

いつから自分は間違ってしまったのか、否、初めから間違っていたのだろうか。
謝った所で、死んだ妹にはもう伝わらないが、それでも茜は謝り続けた。


*   *   *


「……さん。……茜伯母さん?」

茜は、頼るように自分を呼ぶ妹にそっくりな声に、飛び起きた。

横を見ると、居たのは妹ではなく、奏に瓜二つの妹の娘だった。

「あら、ごめんなさいね。……少し、考え事をしてしまっていたわ」

そう苦笑いすると、後方から叶夜の苦言が飛んできた。

「伯母さん、事故だけはやめてくださいね」


「分かってるわよ。茜伯母さんに任せときなさい!」

クスクス笑いながら返すと、叶夜が心配そうにため息を吐いた。




あれから三日後、由香と叶夜の二人は伯母の車に乗せられて、子供の頃よく訪れていた、山奥にある小さな町「日暮町(ヒグレチョウ)」に向かっていた。

ガタガタと不安定な山道を進みながら、由香が思うのは数年前から会っていなかった従兄二人の事ばかり。

そうでもしなければ、過去の傷を抉られる思いをやり過ごす事ができなかった。

(二人とも、元気にしてるかな)

ぼーっと窓の外を見ながらそんな事を考える。

赤信号に引っ掛かり車が止まった時、近くの道を歩いている小さな男の子と女の子が、小指を絡ませて、なにかの歌を歌っているのが見えた。



ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます。



(……ゆーびきった)

子供の頃、誰しも一度はやったであろう懐かしい行為。
由香は、その子達の歌を聞きながら、自分の右手の小指を軽く握った。

─ゆか、約束だよ。

─わすれたら、ゆるさないからね。


にっこり笑って告げられたその言葉は、誰に言われたものなのか。

「……か……由香」

「……っ!?」

突然掛けられた声に、由香はびくりと飛び上がった。

「着いたよ……って由香、大丈夫?…凄い汗だけど」

「大丈夫っ!!なんでもない。」

由香はハハハと、気の抜けた笑いを返した。

兄に、叶夜に声を掛けられて驚くなんてどうかしている。
だが、それ程までに考えに耽ってしまっていた。

(考えすぎだよね……)

たかが子供の約束、きっと対した約束ではなかっただろうし、約束した側の人間も由香と同じで忘れてしまっているだろう。

由香は怪訝そうに眉を潜める兄に、気にしないでと告げて、そっと車を降りた。
その瞬間、都会にはない自然の香りが由香の鼻孔を掠めた。

季節は春。

ハラハラと美しい桜が散る季節。

今日から、この土地で新しい暮らしが始まる。
あの忌まわしい事件が起きた場所で。

(もう……逃げないって決めたじゃない)

由香は、恐怖を断ち切るように、ぎゅっと歯を喰いしばりながらこれから住む家を見上げた。

(大丈夫……きっと、上手くやれる)

由香が少ない荷物を車のトランクから取り出したその時、由香姉?と可愛らしい少女の声が聞こえた。


鞄を持ち、由香が振り返るとそこには愛らしい声に相応しい小柄な少女が立っていた。

「やっぱり!!由香姉だ!!」

少女は、由香の顔を見ると、ぱっと花の様な笑顔を浮かべるとそのままだっと駆け出し、由香に飛び付くように抱きついた。

「わっ!?」

急な衝撃に、由香は呻く様な叫び声をあげた。
正直抱きつく力が強くて苦しい。
しかし、少女は苦しげな由香の様子に気づくことなく、更にぐいぐいと絞める様に抱きついてきた。

「由香姉由香姉由香姉!!私ほんっとうに!会いたかったんだから!!」

名前を呼びながら必死に頬をすりよせてくる少女に、由香はなにも言えなくなってしまった。

それ以前に、こんなかわいらしい少女は知り合いにいただろうか。

困惑している由香を見かねた叶夜は、少女の襟首をぐっと掴むと、無理矢理由香から引き剥がした。

「……可奈、由香が困ってるだろう」

「あ、叶兄!!」

可奈は叶夜の存在に気付くと、由香から手を離し、叶夜に抱き着いた。

その時ふと、自分を慕ってくれていた小さな女の子の顔が、由香の頭に過った。

時の流れとは恐ろしいものだ。あんなに小さかった可奈ちゃんが、今は綺麗な少女になっている。
少女独特の純粋さと儚さを持った可奈を、由香は素直に可愛らしいと思った。

「叶兄、久しぶり」

「ああ、そうだね」

可奈は、幸せそうに目を細めながら、叶夜に微笑んだ。
だが叶夜は、そんな可奈を普段の様子からは考えられない様などこか蔑む様な冷たい目で見て、そっけなくそう言葉を掛けると、すぐに自分から引き剥がした。
信じられないと、由香が瞬きをしてもう一度兄を見ると、兄はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。

「由香、なにをしてるの?寝不足?駄目だろう、きちんと寝ないと」

目をごしごしと擦る由香に、叶夜は寝不足だと誤解したようで、心配そうに苦言を呈してきた、

「大丈夫だよ。なんでもない。……お兄ちゃんは気にしないで。」

由香は、一瞬でも兄を誤解しそうになった自分を心の中で叱咤した。

(お兄ちゃんは、誰にでも優しい人……。そんな、軽蔑する様な目をする訳ないよね)

「それより可奈、和真はいる?」

和真。

懐かしい少年の名前に、由香の心臓はドクリと脈うった。

道中ずっと思っていた、幼馴染みの少年。
きっと今は立派な青年になっているであろう、意地悪な従兄。


「…ああ、兄さんは今」

「俺が、どうしたって?」

続きを言ったのは、可奈ではなく、先程まで車を車庫に仕舞っていた茜でもなかった。

声の主は、真っ黒の大きなボストンバックに長袖パーカーとジーンズという、いたって普通の格好をしていた。

浅く被ったフードの隙間から覗く、緑色の双眸は由香を見つけると、射抜く様にじっとりと見つめた。

その青年の視線に気付いているのは由香だけの様で、由香は品定めをする様に自分を見る男に嫌悪感を抱いた。

「兄さん!」

可奈は、その男を兄と呼ぶと、叶夜にした様に思いっきり抱き着いた。

可奈の兄ということは、この男が和真なのだろう。

(恐い……)

由香は、見知った筈の彼を素直に恐いと思った。
ザワザワと全身の毛が逆立っていくのを感じる。

それ以前に、彼は変わってしまった。

由香の知っている「港和真」という人間は、素直ではなく、よく由香をからかい苛めていたが、本心は優しい子供だった。
本当に由香が嫌がった時にはすぐにやめてくれたし、お祭りの時に、どうしてもほしいと、駄々を捏ねる由香に呆れながらも、射的でくまのぬいぐるみをプレゼントとして貰ったのはいい思い出だ。

それが、今の彼はどうだろうか。

和真は由香をちらとだけ見ると、空気のように通りすぎて、まっすぐに叶夜と可奈のところへ向かった。

その時の和真の目は、由香に対して「臆病者」と言っている様に見えた気がした。

「よ、叶夜。元気にしてたか」

「ああ。和真も元気そうだね」

「まあな」

「叶兄叶兄!私も元気だよ!」

「はいはい、お前は黙ってろ」

「もうひっどーい!!」

笑顔で会話する三人は、昔となんら変わらない様に見えた。

ただ、変わってしまったのは自分だけ。

(軽蔑されちゃったな……)

一度無くした絆は、中々取り戻せない。
もう、和真とは昔の様に笑い会えないのだろうか。

一人、ぽつんと立ちすくむ由香に茜はそっと声を掛けた。

「由香ちゃん、焦らなくていいのよ。ゆっくりと、心を開いていけばいいから」

由香はそのまま自分を抱き締めようとしてくれた伯母を無理矢理押し返して、伯母から逃げた。

「あの…ごめん…なさい…。」

「いいえ、いいの。……いきなり家族になれだなんて、言わないわ」

申し訳なさそうに、笑顔で眉根を下げる伯母に、由香は心が締め付けられるのを感じた。

伯母の親切心を、素直に受け取れない自分が嫌だった。

(ごめんなさい、伯母さん……)

由香はコクリと小さく頷くと、手のひらをギュッと握りしめた。

伯母のためにも、そして兄の為にも、ここで、全ての始まりの場所で、私は全てを克服しようと、決意を胸に少女はこれから暮らす場所をもう一度見上げた。

だから、彼女は

「……死んじゃえばいいのに」

遠くから、事の一部始終を見下ろしていた純白の肌を持つ少女が、吐き捨てる様にそう呟いていたのを、知りもしなかったのだった。
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