森の中
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一度とっかかりを掴んでしまえば、歳の近い和真が由香と仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
あの日を境に、徐々にではあるがコミニケーションの回数は増し、一週間が経つ頃には拙くではあるが、由香の方から話し掛ける回数も増した。

それに比例するように、和真の中に芽生えた叶夜に対する苦手意識も徐々にではあるが薄まってきたが、やはり、心の内を見透かすかのような薄気味悪い微笑みだけはどうにも好きになれそうになかった。

「あの山、大きいね。のぼるの大変そう……」

そんなある日、公園からの帰り道ぼそっと由香が港家の裏にそびえ立つ山を見上げながらそんなことを口走った。
叶夜と可奈は今日は気分ではないと家で留守番。よって、現在夕焼け空の下を歩くのは和真と由香の二人だけだった。
二人分の長い影があぜ道を暗く染める。
田んぼには案山子の影が落ち、空には烏が飛び回る。

「べつにだいじょぶだぞ。……急な道もそりゃあるけどさ、俺たちでものぼれる道もある。まあ、変な噂はあるけど」

事実和真も可奈と何度か登った事があるが、頂上に至る道程は整備されているのもあり、比較的緩やかな物であり、子供でも頑張れば頂上に登る事は不可能ではない。
だがそれは正しい道を通れば、の話である。
一歩道を逸れれば森の奥深くに迷い込んでしまう危険な場所でもある。
地元民である和真でもまだこの山に関しては知らない事も多い。
もしかすると、日暮町の住人全員、この山に関する全てを知るものはいないのかもしれない。
否、そもそも、知ろうとすらしないと言えばいいのか。

学校の裏から港家まで続いている広大な裏山には昔から地元住民しか知らない不気味な噂がある。

由香はごくりと喉を鳴らす。

「う、噂って……?」

「すっげぇバカバカしいけど聞くか?」

「う、うん」

そこで一瞬の間を置き、にやりと悪人顔で笑う。由香が息を呑んだ。

「学校の裏山には吸血鬼が住んでる」

「きゅ、吸血鬼……ってあの?」

「そーだよ。ヴァンパイア……ってやつ?なんか、裏山の中、誰も知らない場所に吸血鬼の住む古い洋館があるらしい。そこに迷い込んだが最後、二度と帰ってこれない……とか。ま、俺は見たことねぇし、吸血鬼なんてそんなバカバカしいもん信じてねぇけど」

頭の後ろで腕を組み、和真は興味など皆無といった具合に道に転がる小石を蹴り飛ばした。

大人達の間でまことしやかに囁かれている噂。
所詮そんなもの馬鹿げたただの迷信だ。
あの森へ行くと言うと、大抵の大人達はいい顔をしない。森の中は確かに危ないのかもしれないが、それ以上にこんな何もない片田舎の子供にとっては、未知のものに満ち溢れた魅力的な場所なのだ。

由香は不安気に、それでいて戸惑ったように少年の名前を呼ぶ。

「かずくん」

「……なんだよ」

茜に何を吹き込まれたのかは知らないが、ここ最近の由香の和真に対する呼び方は「和真くん」から「かずくん」に変化していた。
あの母親のことだ。
どうせろくでもない事を考えているに違いないが、そう悪い気はしないあたり、和真の方も随分この気弱な少女に毒されているらしい。

「なんだよ、ビビってんのか?」

「び、ビビってない……」

「うそつけ」

「び、ビビってないってば!」

意地を張って顔を赤くしながら必死に反撃する由香をからかうのが楽しかった。

「じゃあ明日にでも登ろうぜ」

最後にそう言うと、由香はうっと言葉に詰まった。
そうして翌日。
二人はバレないように、お茶の入った水筒と軽食を詰め込んだリュックサックを持ちこっそり家を抜け出し、裏山へと向かった。
由香は事ある毎に帰ろうよ、とごねていたが、歩き出して十数分が経つ頃には話す余裕もなくなってきたのか、ぜぇぜぇと肩で息をし、登るだけで精一杯だった。

和真の方はというと常からこの一帯を駆け回っているので体力は腐るほどある。
軽々と緩やかな山道を登りながら、後ろを振り返れば息を切らす由香が目に入る。

本人から事前に体力はあまりないとは聞いてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
和真は溜息を吐くと、渋々と遥か後ろを歩く由香の元へ戻り、ぶっきらぼうに片手を差し出した。

「それ貸せよ」

「え、で、でも」

「いいから貸せ」

渋る由香から無理矢理リュックサックを奪い取り、背後に自分のものを、前には由香のものを下げ、そのままずかずかと進んでいく。
後ろから、なにかもの言いたげな空気を感じたが、あえて気にしないことにした。

しばらく無言の時間が続く。

そのまま何も発さぬまま、中腹に差し掛かった頃、和真はおもむろに立ち止まり振り返る。

「……休むか」

「ご、ごめん……」

都会っ子というのはここまで体力がないのか。
否、叶夜は人間離れの運動神経の持ち主だった。
ではこれは由香個人がひ弱というだけか。

休憩場所にいいところはないかと周囲を見渡すと、山道を逸れたところに座るのにちょうど良さそうな岩が目に入る。

「……もう少し歩けるか?」

「へ、へいき……」

どう見ても大丈夫そうではない顔でそんな事を言われても説得力などない。
和真は溜息を吐くと、「ちょっと待ってろ」と言い残し、伸び放題で和真の背丈程の高さの草の間を掻き分け、一人発見した岩に向かった。
そうしてその場に二人分のリュックサックを置き、道の真ん中で荒い息を零す少女を手招きしようと由香の方を振り返った。

そうして、和真の計画では由香をじっくり休ませ再び山登りにチャレンジする予定だったのだが、どこでどう間違ったのか、由香の姿が見当たらない。
瞬間尋常ではない量の汗が全身から吹き出した。

先程歩いていた道からこの大岩まで、距離にして僅か三十メートル弱。
確かに木々が鬱蒼と生い茂ってはいるが、この程度ではいくら間抜けな奴でも迷わない筈だ。
そう高を括っていた。

だが現実は違ったようだ。

由香が都会育ちという事を念頭に置くのを忘れていた。
否、いくら都会育ちだろうが、流石にこの程度で迷う筈がないと勝手に思い込んでいた。

高い草に阻まれ視界も悪く、成程、だからこの森の別名は迷いの森なのか。

(いやいやいや、なにやってんだ。冷静にそんな事考えてる場合じゃねえ)

とにかく由香を探さなければまずいと、嫌に煩く高鳴っていく心臓を無理矢理抑え、和真は二人分のリュックサックを担ぎ、再びザクザクと草を掻き分け道を進み始めた。

まずは山道に戻ってみようと開けた山道に出てみるのだが、残念ながら少女の姿は見えない。

(あのバカ……!)

この近距離で何をどう間違ったら迷うのか、逆に聞きたい。
まだそう遠くには行っていない筈だと急ぎ捜索を続けるが、一向に見つからない。

ふと、脳裏に昨日由香に自ら語った、吸血鬼の噂を思い出す。

(……まさかな)

吸血鬼なんてものはただの噂だ。
子供を無闇に山に近付けない為の体裁の良い作り話。
嫌な予感が脳裏を過る中、草を掻き分け由香の捜索を続ける。

あの程度の距離とはいえ迂闊に目を離すんじゃなかったと後悔の念が押し寄せるが、今更そんな事を思ったところで時すでに遅し。

そうして汗だくになりながら山の中を探索する事一時間弱。

「か、かずくん!」

突如背後から聞こえた声に咄嗟に振り返る。
そこには先程まで必死に探し続けていた少女の姿があった。
和真の心配をよそに、ピンピンしているらしい少女の姿に、怒りなど何処吹く風。
安堵から力が抜けていくのが分かった。

ここでもし何かあったら例のシスコンビに殺されるとの思いは、とりあえずは杞憂に終わった。

「お前どこに行ってたんだよ!?というか、今のタイミングのどこで迷った!?」

「ご、ごめん……」

詰め寄る和真とは対照的に、由香はどこか呆然としているように見えた。
和真の怒鳴り声を前に、どこか上の空。
しかも僅かに頬を染めているときている。

「ごめんですむかバカ!!……もういい、お前はぜったい山には行くな。というか連れて行かねぇ」

連れていかない、との単語に少女の肩があからさまに震える。
流石に違和感を覚え、由香に詰め寄る。

「……なんかお前おかしくないか」

「そ、そんなことは」

「なんかオドオド具合がいつもの三割増ぐらいだぞ」

「ほ、ほんとうになんでもない……」

頑なに口を閉ざす由香に、これは何を聞いても無駄だと悟る。

「あー、もういい。帰るぞ」

何があったかは知らないが、とにかくこいつを山に連れていく事だけは絶対に避けようと、和真は由香に背を向けながら固く誓った。

そんな和真の決意など知る由もなく、由香は、ただただ何もいない筈の森の暗がりに対して執拗に視線を這わせていた。
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