ある夏の日の話
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それは、今から丁度十年前の夏の話。

「はぁぁぁ!?いとこ!?」

港和真が小学校から帰って母親から唐突に聞かされたのは、突然夏休みの間、従兄妹二人を預かる事になったという突飛な話だった。

外では蝉が煩く喚き、夜だというのに七月半ばともなると暑苦しくて仕方ない。
ただでさえ暑さのせいで、普段の何倍もイライラしているというのに、何故そんな面倒な話を聞かされなければならないのか。
従兄妹がいる、というのは知っていたが会ったこともなければ口を交わしたこともない。
面倒ごとは御免だ。

小学二年生ながら些か冷めた性格だとは自覚はあったが、父親がふらふらほっつき歩いているような、和真から見た屑の代名詞のような存在であるからして。
そんな父親を見て育ては、意地でも自分はこんな人間にはならない、と冷めた観点から父を見ることに慣れ過ぎたのだから致し方ない。

溜め息を吐き、和真は膝を抱えながらソファの上に鎮座し、背もたれにみっともなく頭を載せ、ソファ越しにリビングのテーブルに座る母と妹を睨みつけていた。

「いやだ」

「まぁまぁ、そう言わないの。歳も結構近いし、……可奈は賛同してくれたわよ?」

「可奈、てめぇ裏切りやがったな!」

「いいじゃない!にいさんのいしあたまー!」

今年幼稚園の年長に上がったばかりの妹は、べー、と子供らしく舌を出すとぷいとそっぽを向いてしまった。
この妹は、年々腹立たしい性格になっている気がする。
額に青筋を浮かべ、和真は真っ直ぐに自分を見る母を見返した。

「お願い、和真。一ヶ月だけ、一ヶ月だけだから、ね?」

両手を合わせウインクしてみせる母は、今年で37になるとは到底信じられない。
若いと言えば聞こえはいいが、ようは子供っぽいだけな気はするが。
こんな親だからこそ、自分がしっかりしなければと、半ば諦めに似た気持ちで母を睨みつける。

「だいたい、どういうことなのか説明してくれよ」

問えば、妹の奏が忙しそうだから夏休みの間だけでも楽をしてもらおうと子供達二人の面倒を見る事を申し出たらしい。
申し出る前にまず自分の子供に相談するべきでは?という疑問が首をもたげるが、この母にそんな常識は通用しない。
とにかくアバウトなのだ、この人は。

最初は迷惑を掛けたくないと奏の方も渋っていたらしいのだが、茜の必死の説得に奏の方が折れたらしい。
内心伯母に同情しつつ、とにかく事情は分かったと、和真は無理矢理自分を納得させた。

「今回だけだよな」

「今回だけ今回だけ!」

「えー!毎年預かろうよー!きっと楽しいよー!」

「可奈!変なこと言うなよ!」

この母親は本当にやりかねないから恐ろしい。
茜はシスコンだ、と和真は認識している。
どれだけ妹が好きなんだ、というぐらいには妹を気に掛けている。
それも、姉妹の半生を顧みれば当然のことかもしれないが。

「とーにーかーく!お母さんは決めました!二人とも、叶夜くんと由香ちゃんと仲良くするように!以上!」

もう何を言っても無駄なようで、母の中で二人を預かる事はもう決められた事らしかった。
言い切ると、お風呂入れてくるわねー!とスキップしそうな勢いで風呂場に向かって歩き出す。

「……お前、ほんとにいいのかよ。うちに一ヶ月の間他人がいるんだぞ」

茜が見えない場所に行ったのを確認してから、和真は小さな声で妹を責めた。

「何よ他人って。従兄妹なんだから他人じゃないわよ」

「……めんどくさ」

頭をぼりぼりと掻きながら、ふてくされたようにソファの上でうつ伏せに寝転がる。

今まで会ったことも当然話したこともない人間と一つ屋根の下。
面倒な事この上ない。
正直、全く持って乗り気じゃない。
断れるものなら断りたいし、家出でもしたい気分だ。

だが、そんな少年の気持ちなど知った事ではないと、時は流れ、あっという間に一週間は過ぎ去り、夏休み初日は訪れる。
朝から、和真の心情は全くもって穏やかなものではなかった。むしろ最悪といってもいい。
この一週間、泊まるなら部屋がいるわよね、とほこりにまみれた空き部屋の片付けにこき使われ、いくら男手とはいえ小学二年生の肉体には酷というものだ。
時計を見れば朝の十時。普段なら遅刻確定だが、夏休みなのだ。無理に起きる必要はない。
ぐったりと自室のベッドに寝転がり、起き上がる事を拒絶するように深く布団を被った。
だがそんなささいな抵抗も数秒で終わる。

「にーいーさーん!!」

「ぐえっ……!?」

突如全力で和真の上にダイブしてきた可奈に、つぶれた蛙のような声を上げる。
いくら幼稚園年長といえど、全力ダイブは応える。
疲れているところになんて爆弾を投下したんだお前は、許さんとばかりに、布団をめくり上げ怒号を上げる。

「可奈てめぇ!!」

だがしかし、すばしっこい妹は既に影も形もない。
怒りに任せ、扉を開ければ、そこにいるのは見慣れた妹ではなく、見知らぬ少女だった。
たれがちな目、少し青みがかった黒い髪を二つに括り、驚いたように目を大きく見開き和真を戸惑いがちに見詰める。

後ろには、ドッキリが成功したかのようにニヤニヤと笑う妹と、気持ち悪いほどに整った顔をした眼鏡の少年が、同じく気持ち悪い笑顔で和真を見ている。

「あら、やっと起きてきたのね」

階下から聞こえてくる、笑い交じりの母の声にめまいがする。

「えっとその……きょ、今日からお世話になります、あ、青桐、ゆ、由香です。その……よろしくお願いします……っ!」

どもり、顔を赤らめ恥ずかしそうに言い切り、逃げるように眼鏡の少年の背後に隠れてしまう。
次いで口を開いたのは眼鏡の少年の方だった。

「青桐叶夜です。よろしく」

背後に隠れた妹の頭をあやすように撫でながら、穏やかに零された言葉に再びめまいが襲う。
和真に出来たのは

「お、おう……」

と、半笑いで返すことだけだった。
ぼさぼさの頭に寝間着代わりにしているTシャツとズボンという、完全にだらけきった恰好。
和真はそっと、自室の扉を閉めた。

これが、港和真と、青桐兄妹との初対面であった。

「兄さん、そんなに怒らなくってもいいじゃない」

「怒ってない」

「ぜったい怒ってる」

「怒ってねぇつってんだろ!」

朝、遅めの朝食を一人取りながら、和真はじーっと眼前に腰かけている二人に視線を這わせた。

「ああ、僕らの事は気にしなくていいから」

「さすが叶兄!」

胡散臭い笑顔の叶夜とかいう名前の少年が、どうも可奈の琴線には触れたらしい。
叶兄叶兄と、うるさいことこの上ない。
全くもって理解できない。

今は着替えも済ませ、人様に見せてもなんら問題ない格好となった和真は、叶夜から視線を逸らし、先程から黙りこんでいる由香に視線を向けた。
ちらちらと、時折和真に視線を向けては、怯えるようにそれを逸らす。

「おい」

「はいっ!?」

「さっきから何チラチラ見てんだよ」

「えっと……ご、ごめんなさい」

どもり、下を向く。
はっきりしないやつだな、和真の由香に対しての第一印象はそれだった。

(まぁ、叶夜よりはましだな、気持ち悪くはねぇし)

パクパクとやけくそ気味にパンをむさぼり食いながら、和真はもう一度可奈にべったりとなつかれている叶夜に視線を戻した。

(こいつの何がそんなにいいんだか)

パンを噛みちぎり、じーっと叶夜を睨み付ける。
やっぱ気に食わねぇな、と、視線を由香に戻そうとした時、不意に叶夜の目が赤く光った気がした。

「っ!?」

確認するように再び叶夜を睨むが、再びその瞳が赤く輝く事はなかった。
気のせいだろうかと、首をひねり、和真は残ったパンを一気に口の中に放り込んだ。

だが、和真が目を離した一瞬の隙に、叶夜は赤く光る冷たい眼差しで和真を睨み付けていた。
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