偽物の王子様
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「なん……で……」

口をついて出た言葉はそれだった。
生まれてから16年間。
青桐叶夜という人間と誰より長く接し、護られて生きてきた。
誰より兄を支え、そして支えられて生きてきた。
誰より兄の近くにいるのは自分だと、そう信じてやまなかった。
それなのに、どうして、なんで。
言いたい事が湯水のように溢れ、止むことを知らない。
数多の疑問が浮かんでは、声にならずに消えていく。

「なんで?」

由香の疑問を反復し、叶夜は堪えるように嗤う。心底愉快だ、馬鹿馬鹿しい、嘲り、憤怒、そういった今まで由香に対してだけは決して向けなかった顔をして、かつて最愛と豪語してやまなかった妹をなぶる。

「由香の方こそ、どうして今更そんな事を聞くの?」

心が、軋む。

「……誰よりこの事を知っていたのは由香自身じゃないの?」

眼鏡を投げ捨て、欲の宿った赤い目で真っ直ぐに由香を見据える。
知らない。こんな事知らなかった。
由香の中の青桐叶夜と言う人間は、理想の存在だった。何でも完璧にこなし、由香の事を誰より守っていてくれた優しい人。
優しいからこそ、弱く、脆く、壊れやすい。
だからこそ、由香も叶夜を支えようとした。
弱かった自分を捨てて、逆に兄を守れる人間になろうとした。
それが由香の知る青桐叶夜という「人間」の全てだった。
知らない。知らない。知らない。
何も知らない。
知らなかった。

「……め……て」

「由香」

「……や……めて……!」

眼前で恍惚に浸りながら名を呼び、嬉々として由香の泣き顔を味わっているこの人は誰なんだ。
両手で両の目を塞ぎ叫ぶ。
見たくなかった。目の前の現実を直視できなかった。

「も……う……やめ……て……っ!」

「ああ良かった。……まだ、綺麗なままだね」

由香の懇願を無視し、叶夜はまだ花嫁の証である刻印の刻まれていない胸元を見、安堵の溜息を吐く。

「やめて!お兄ちゃん!!」

これ以上は踏み込ませまいと、渾身の力を込めて叫んだ。
だが、叶夜は不気味に笑うだけだ。

「残念だけど、いくら由香のお願いとは言え、それは出来ないかな」

衝撃に、顔を隠していた腕を解き叶夜の顔を直視していた。
由香のワンピースの袂に腕を入れ、邪な動きで太腿を摩る。
瞳の奥に宿るあからさまな劣情に、鳥肌がたつ。

「手遅れになる前に、済ませてしまわないと」

何を、とはこの状況では聞くまでもないだろう。
駄目だ。それだけは駄目だ。
絶対に許されない。

駄目、と言おうとする口を塞いだのは叶夜の唇だった。これ以上の侵入は許すまいと口を必死に閉じ抵抗するが、叶夜は無理矢理に舌で口をこじ開けた。
入り込んだ舌が歯列を舐る感覚に、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
必死に動かない体を捻り抵抗を試みるが、大の男の力に適う筈もなく、あっけなく押さえ込まれてしまう。

唇が解放された時には息も絶えだえ。
こういった事に対する手練手管など持ち合わせていない由香は、胸で息をするのがやっとの状態だった。

呆然とする由香を尻目に、叶夜は由香の首筋に舌を這わす。

「自分の居場所が本当はどこなのか、賢い由香なら分かるよね」

そうして躊躇いなく由香の首筋に牙を突き立てた。

「ふ……っ!」

何度目かとなる自分の一部を吸い取られていく、生々しい音と感触。
痛みと羞恥、沸き上がってくる認めたくないが否定しきれない体の奥底から沸き上がってくる快楽に、堪えきれず声が漏れ出る。
キースとロザリアの時にはここまであからさまに感じる事のなかった感覚。
キースの時には確かに痛み以外の感情があったか、と聞かれると頷かざるを得ないが、今回は今迄とは違いあからさまに沸き起こってくる劣情に、流されまいと必死に歯を食いしばる。

「なかなか強情だね」

赤い目を満足気に細め、叶夜は名残惜しげに由香の首筋に残った最後の血を舐め上げた。
それすらも敏感になった体には毒にしかならず、漏れ出そうになる声を必死に口を両手で覆い、押し殺す。

「……な……にを……」

ベッドの上に横向きに寝転がりながら肩を抱き必死に口を開け酸素を補充し、急激に襲ってきた先程の感覚を堪えながら、叶夜を力一杯睨み付けた。
今のはあからさまに異様だった。
今までされたどの吸血とも違う。
激しい狂気的なまでの快感を伴うもの。

「今ので自覚した?由香の居場所は、ここにしかないって事を」

うっとりと口元を舌で舐めながら、叶夜は妖しく笑む。
訳が分からなかった。
一から説明して欲しい。
今の感覚はなんなのか。
体の奥底に眠っていたものを無理矢理こじ開けられたようなあの感覚は、一体何なのか。

混乱する中、咄嗟に脳裏を過ぎったのは、別れ際にキースに告げられた一言だった。
困った時は名前を呼べばいい。
そこに何の意図があったのかは分からない。
だが、追い詰められた由香には、もうそれに縋る他なかった。

「……さ……ん」

叶夜の眉が訝し気に歪められる。

「キー……ス……さんっ!!」

目を固く閉じ名を叫んだ瞬間、耳をつんざくような甲高い音が室内にこだました。
そうして部屋の中に流れ込んできた嵐のような激しい風に、部屋中の物が壁に叩きつけられた。
ふわりと体の浮く感覚。
はだけ、顕になった胸元を隠すかのように被せられた黒い上着。
咄嗟に目を開ければ、先程別れたばかりの見慣れた、しかし、かつてない程険しい顔をしたキースの横顔が目に入る。
姫抱きにされているというのに、感じるのは羞恥ではなく、途方もない安堵だけだった。

風が止み、掛けられた上着を握り締めながら室内に目を凝らすと、ベッドサイドにあった窓が割れている。
最初に響いた轟音はこれが原因だったらしい。
キースの視線の先を追うと、ベッドと反対側の壁に腕組みしながらもたれ掛かり、余裕の笑みを浮かべる叶夜と視線が合う。

「……久しぶり、と言った方がいいのかな」

一瞬の間を置き、先に口を開いたのはキースの方だった。硬い表情で叶夜を睨み付ける姿からは、吸血鬼としての野蛮な本性が垣間見える。

「こちらこそ、その節はどうも」

対する叶夜は、表情は笑顔だが、目は全くもって笑っていなかった。
冷徹な目でキースを睨む姿は親の敵を見るようにすら見える。

「てっきり、君は改心したかと思っていたよ」

叶夜に対抗するように口の端を上げ、キースは叶夜を嘲るような顔をした。
自らの腕の中で怯え様子を伺っている由香を庇うように力強く抱きながらも、警戒心を崩さない。

「改心?」

口に出し、叶夜は声を上げて笑った。
それを、由香はただ呆気にとられて眺めていた。
そうして笑いが落ち着いた頃に、自身を見詰める視線の中に宿るどす黒い感情に、由香は震え上がった。

「何の事だか分からないな。貴方の方こそ、由香に話したんですか?正直に包み隠さず、花嫁のこーー」

言い切らぬうちに、キースは怒りを顕に口を開く。穏やかな口調の切れ間に除く確かな苛立ちに、腕の中の由香は小さく震え上がった。

「由香の手前、汚い手は使わないでおこうと思ったけれど、それ以上言ったら手加減はしないと思った方がいい」

「おい無事か!?」

険悪な空気の中、突然乱入してきたのは、額にびっしょりと汗を浮かべた和真だった。
キースを撃ち抜いた時に掲げていた銃を両腕でしっかりと握り締め、肩で扉を開けた少年は、室内の様子を眺めると全てを察したようで、険しい顔で銃口を真っ直ぐに叶夜に対して向けた。

「和真……何して」

「見れば分かるだろ。お前は選んだ。だから、選ばなかった方を俺は殺す。確かにそう言った筈だ」

和真は全て知っていたというのか。
叶夜の正体も、最初から由香を巡って争っていたのは、ロザリアとキースではなく、叶夜とキースであると。
知っていて、選ばなかった方を殺めると発していたのか。
吸血鬼だからという理由で、従兄弟であり幼なじみである存在を殺すと言うのか。
そんな事許せる訳が無い。絶対にさせない。

「ダーー!」

駄目!と、そう発する寸前、唐突な眠気が由香を襲った。初めてルフラン邸に向かったあの時と同じ、優しい揺り篭のような眠り。
それがキースにより強制的にもたらされた眠気なのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。

「キー……さん」

まだだ。まだ、ここで意識を失う訳にはいかない。
和真に叶夜は殺させない。
そんな事絶対にさせられない。

「……だ……め……です……駄目なんで……す」

「駄目じゃないよ。……さあ、今は目を閉じて」

キースの服の胸元を掴みなんとか眠気を堪えようとするも、徒労に終わる。
優しく額を撫でられれば一気にリミッターが外れる。
すぐに眠気は頂点に達し、由香は倒れるように意識を手放した。

「早く行けよ」

「任せてしまってもいいのかい?私としては気が楽だけれど」

「あー!!いいから行けよ!邪魔だ邪魔!!」

犬のように牙を剥き、和真は無理矢理キースをこの場から遠ざけた。
正しくは、由香をこの場から遠ざけようとした。

「恩に着るよ」

不敵に笑い、由香を抱えたまま、三階の窓から一気に飛び降りる。
そのまま猫のように微動だにせず地上に着地し、振り返ることなくルフラン邸に駆け出す。
和真は、それを横目で確認すると、改めて壁にもたれ掛かっている叶夜に向き直った。

「王子様気取り?それにしては、登場が少し遅かったね。結局美味しいところ、全部持って行かれちゃったけど」

叶夜のあからさまな挑発に、和真はただ歯を食いしばり無言で睨み付けるだけだった。
安々と挑発に乗ってやれる程、今の和真には余裕がなかった、と言った方が正しい。

「……母さんと可奈はどうした」

銃口を向けたまま、額に汗を浮かべ赤く光る目を逸らすことな見据える。
途端、叶夜の笑みが不気味に深まる。

「さぁ、どうしたんだろうね」

今すぐにでも怒鳴り掴みかかりそうになる感覚を抑え、和真はただ無言で叶夜に銃口を向け続けた。
それが心底おかしいといった具合に、叶夜は腹を抱え不気味な笑みを浮かべる。

「君はもう少し自分の心配をした方がいいんじゃないかな」

「余計なお世話だ屑野郎」

「仮にも従兄弟で幼馴染みの立場の人間に言う言葉とは思えないなぁ。……で?君に僕が殺せるの?」

あからさまに馬鹿にする笑みで和真をなぶる。そこに、可奈の尊敬を一心に集めていた優しい従兄弟の姿など微塵もなかった。
今、ここにいるのは、和真や由香の知る青桐叶夜の皮をかぶった人外の魔獣だった。

あの甘い幼馴染みは、きっと兄の死を望みはしない。だからギリギリの所まで待った。
待てるところまで待った。
だがそれも、もう終わりだ。

そうして和真は確信した。
この男は生かしておくべきじゃない。

結局この男は、「7年前」と何も変わっていなかったのだと。

「……殺せる殺せないじゃない。お前はここで俺が仕留める」

「……一応確認するけど、それは由香の為?」

「……だったら悪いか」

至極真面目に言い放った和真に、叶夜は壊れた玩具ように笑い出す。
腹を抱え、嘲り、嗤う。

「救いようのない馬鹿だよ、君は」

笑い混じりに、和真を罵る。

「僕はね和真」

そうして、にィっと不気味なまでに口を釣り上げる。

「君みたいな人間が、一番嫌いなんだ」

「ご……っ……!」

腹部に鈍痛が走った。
あまりの痛みに、声を上げ、腹を押さえる。
腹から離した腕には確かにおびただしい量の血が滲んでいた。
何事かと自体が把握出来ず、眼前に立つ、壁に持たれ腕を組んだまま笑う叶夜を血眼で睨む。

叶夜はそこから一歩も動いてはいないのだ。
なのに何だこれは。
口からは一筋の血が流れ、背から腹にかけて鋭い刃物が貫通している。
微かに腹から覗く刃先に、軋む体を無理やり奮い立たせ後ろを向く。

そこに立っていたのは、虚ろな目をし、力強く和真の背に包丁を突き刺している自身の妹の姿だった。

「な……っ……!?」

血の気がさぁっと全身から引いていく。
指先の感覚がなくなる。

それを、心底楽しいといった様子で叶夜は笑う。ぽたりぽたりと、腹から流れ出た血が床を汚していく。

「お前……!可奈に何……を……っ!」

「冥土の土産に、ひとついいことを教えてあげるよ」

げほごほと、血を吐く和真を見下し笑う。

「マインドコントロールっていうのはね、自分に好意を抱いている人間程、操りやすいんだ」

下卑た笑顔に本気で殺意が湧いた。

「てんめぇぇぇぇぇぇ!!!」

絶対に殺してやる。
そう叫ぼうと口を開けた刹那。

力一杯、可奈が包丁を引き抜いた。
ごぽっ、という生々しい音を立て、今までの比ではない程の量の血が、床一面にぶちまけられる。

その場に立つ事も出来ず、不本意にも床に倒れ込む。再び起き上がる力は持ち合わせていなかった。
だが、ここで死ぬ訳にはいかない。
結局、何一つ守りたいものを守れずに死ぬのは御免だった。
駄目だ。絶対に死ねない。
残る力全てを振り絞り、肘をつき、地面に落とした拳銃に歩伏前進で近付いて行こうとする。
床を腹が擦れる度に、体の中身がなくなっていくような感覚に襲われる。
それでも死ねない。ここで死ぬ訳には行かない。
眼前で余裕の眼差しで笑う叶夜を死に物狂いで睨み付け、なんとしてでも一矢報いようと歯を食いしばり、少しでも前に進もうとする。
後少し。後少し手を伸ばせば。

「君の間違いはね、和真」

満身創痍の和真の顔の前にしゃがみこみ、不気味に笑う。

「誰より救いはないと知っていて、誰より救いを求めてしまった事だよ」

そうして、遠慮なく和真の頭を蹴り飛ばした。



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