お食事タイム
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二人はその後、カワウソや、高い壁をひたすらに登り続ける蟹の大群、オオサンショウウオといった、日本の森の生き物達や、ラッコの展示を見て回った。
画面越しでしか見た事のなかった、初めて見る生の生き物達に、由香は舞い上がる想いを隠しきれなかった。

そんな由香をキースは満足そうに見やり、時々解説を交えては、生き物を観察する由香を眺め楽しんでいるようだった。

そんな楽しい時間の終わりは予想外のものにより断ち切られる事となった。

丁度、アザラシの展示を見ている時。
館内は丁度動物達のお食事タイム、とやらに突入したらしく、各所で水槽の中に飼育員が入り、餌をやり始めていた。
アザラシが飼育員の投げた魚を丸呑みする様を、子供達に混じって硝子にへばりついて必死に見つめていると、ふと、そろそろ食事時だな、と意識が一瞬アザラシから逸れた。

由香のお腹が空腹から音を鳴らしたのは丁度その時だった。
恐る恐る後ろを見れば、実に微笑ましいものを見た、という具合に、それこそアザラシの餌やりを眺める由香と同じような眼差しで、赤い目は少女を捉えていた。

「す、すみません……」

「気にする事はないよ。誰しもお腹は減るものだ」

クスクスと喉の奥を揺らし、羞恥と罪悪感から顔を真っ赤にして詫びる由香を慰める声はひたすらに甘い。

空腹と共に、先程までの自分の所業までも思い出し、由香は穴があったら入りたい気分だった。

(幾ら水族館に来れたのが嬉しかったからって……い、色気の欠片もないし……私何やってたんだろう……っ!)

正気になって考えてみれば、普段の自分ではありえない行動だった。
アドレナリン過多にも程がある。

「館内に軽く食事を取れるところがあるみたいだから、何か食べようか」

「……すみません」

再度詫びれば、困ったような笑い顔が返ってくる。人混みから連れ出そうと力強く引かれた腕にバランスを崩せば、微動だにせず受け止めてくれる腕がある。

「大丈夫?」

「は、はい……っ!」

「混んできたみたいだし、休憩には丁度いい時間かもしれないね」

周りを一通り見回してから呟かれた言葉はどこか由香を気遣うようで。
そんな風にこまめに気を使わせてしまうのがどうにも申し訳なくて、人混みを抜けるまで、由香はずっと俯き加減で強く繋がれた腕を見ていた。

「あの……凄く今更な質問をしてもいいですか?」

「うん?どうしたの?」

人混みを抜けしばらくしてから、由香は躊躇いがちにキースを見上げた。
声をかければ振り返り笑んでくれる。
それが嬉しくもあり、とてつもない罪悪感にも襲われる。

「その、キースさんって、普通のた、食べ物を食べて大丈夫なんですか?」

初めてルフラン邸に入ったあの日、確かにキースは紅茶を飲んでいたし、お茶請けを摘んでいた。
ロザリアも焼きそばパンを食べていた事もあり、食べれる事には食べれるのだろうが、実際のところ、血以外の食べ物を摂取して意味があるのだろうか。
素朴な疑問だが、折角の機会なので聞いておきたかった。

「別に、食べられない、という訳ではないよ。美味しいものを美味しいと感じる事は出来るし、人並みに世間一般で言う血ではない普通の「食事」も当然出来る」

それでは、一緒に普通の食事が出来るのか。

「……まぁ、血の方が格段に「美味しい」とは感じるけれど」

ぼそりと低い声音で妖しく呟かれた言葉と本性を剥き出しにしたような鈍く輝く赤い目に、一瞬ぞわりと背筋に震えが走る。

時々、本当に時々なのだが、キースはやはり怖いと思う。
それは、彼が吸血鬼という人知を超えた存在だからなのか、由香の本能が何らかの警鐘を鳴らしているのか。
理由は定かではないが、普段甘いこの人だって、確かに吸血鬼なのだ。
由香は身を持って知っている筈だ。
殺意あらわに包丁を振りかざし、躊躇いもなく振りおろしてきた一人の吸血鬼を。

どんなに優しくても牙を剥く時はある。

忘れもしない、保健室での出来事。
あの時のキースは、今でも思い出す度恐ろしい。

怯え、目を揺らした由香の心理を察知したのか、キースは茶化すように笑った。

「冗談だよ」

果たしてどこまでが本当なのか。
その判断は由香には区別がつかない。

曖昧な気持ちを抱えたまま、二人はルートから外れた場所にある、館内の小さなレストランにやってきた。
レストランといっても、焼きそばやたこ焼き、フランクフルト等が売られているだけの、本当に軽い食事が取れる、というだけの場所だ。
ただ一つこの店で評判なのは、店内から海を見渡せるという事だろう。
店の中は動物のご飯タイムと被っている為か、意外にも空いていた。

「キースさん、こ、ここは私が……!」

今度こそ奢らせまいと、名乗りを上げるのだが、キースの方が一枚上手だった。

「由香、私は君に食事一つ奢れない程の甲斐性のない男だとは思われたくはない」

無駄にいい声で、オーバーリアクションで悲劇的に。
頭を抑え悩まし気な顔をするだけで無駄に絵になっているあたり、美男子とは罪である。

見惚れていると、気が付けばキースは消えており、渋々すぐ近くにあった四人掛けのテーブル席に座っていると、嬉々として二人分の焼きそばを持ってキースが戻ってきた。

「……キースさんは、意地が悪いです」

「それはお互い様かな。もう少し頼ってくれても、私は一向に構ーー」

「キースさん!」

咄嗟に大声を上げれば、愉快そうに声を上げ笑う。

「ば、ば……馬鹿にしないでください」

拗ねたように呟く。

「馬鹿にしている訳ではないよ。ただ可愛いなぁ……と」

「キースさん!!」

がたんと音を立て机が揺れる。
それがツボに嵌ったのか、キースは高々と笑い声を上げると由香の隣に腰掛けてきた。

こういう時、普通は向かい側が相場なのではないだろうか。
そう思いはするも口には出さず、ありがとうございます、とだけ告げ、割り箸を割る。

至って普通の焼きそばだ。
ちら、と横を見れば自然に焼きそばを食べるキースがいる。
その違和感の無さに、由香の日常に昔からそこにあったように馴染んでいるキースに、逆に違和感を覚える。

ロザリアの焼きそばパンといい、この兄妹は焼きそばに何かこだわりでもあるのだろうか。

前にもこんな事かあったのだろうかと、首をひねるも何も出てこない。

「食べないの?」

「あ、た、食べます!」

急いで焼きそばを掻き込む。
些か色気のない女だと自分でも思う。
横にいる人は女には不自由しなさそうな顔をしているというのに、失礼な事だが実に物好きな事だ、と思わずにはいられない。

「ご馳走様でした……あの、本当にお金は私が」

「今回のデートは私の我が儘で付き合ってもらったようなものだし、由香に負担は掛けられない」

この件に関して聞く耳は持たないらしい。
流石にここまで頑なだと、申し訳なさすぎる。

「……そこまで、払いたいというのなら」

言うと同時に、すっと首筋を指がなぞっていく。その意図する所は要するに。
赤くなり人前で何をしているのかと咄嗟に手を振り払えば、満更冗談でもなさそうなメガネ越しの赤い目と目線がかち合う。

「あ、あの、わ、わ、わた……わたし……」

既に一度自分から血を提供した立場ではあるが、あの時は状況が状況だった。
しかも、こうもあからさまにキースの方から血が欲しいと言われるのは、初めての事で。
なんと言えばいいのかと吃っていると、ぽんと頭を軽く叩かれた。

「本気で対価は求めていないし、無理強いもしないよ」

「ご、ごめんなさ……っ」

「……冗談が過ぎたね」

儚げに笑う顔に罪悪感は募るばかり。

「あの、う、腕はもう大丈夫なんですか?」

悪くなった空気を払拭しようとあの時撃たれた肩の調子を尋ねる。

「もう平気だよ。日常生活に支障はない。……由香のおかげで」

一瞬覗かせた儚げな顔等何処吹く風。
何時もの調子で由香の手を取り口付けてこようとするのを立ち上がって回避し、由香は息を荒くして声を紡いだ。

「キースさん、つ、次、い、行きますよ!」

「君がそれを望むなら」

座ったまま余裕綽々に返事を返すキースはやはり1枚上手だ。
子供っぽい由香では結局振り回されっぱなしだ。

カッとなり、キースに背を向け一人で店を出る。と、近距離で最早聞きなれた低音が聞こえた。

「彼氏を置き去りにして何処に行くのかな、私の想い人は」

「キ……ッ!」

いつの間にそんなに素早い動きをしたのか。
背後から由香を抱き締める腕は見た目に反し力強い。
人前で何をしているんだと抵抗しようにも、予想外に混乱する頭に思考が付いていかない。

「私の目を盗んで何処の誰と逢引をしようと言うんだろうね、君は」

内容とは反比例して声音は柔らかい。
本気では言っていない、冗談であることは流石に由香でも理解出来た。

「キースさん!ひ、人目を考えてください!」

何とかキースを振り払い振り返れば、心底満足そうに笑う顔にかち合う。

「分かっているよ」

公共の場で後ろから抱きしめておいてその発言は聞き捨てならない。

「今、周りに人目はないよ」

「え?」

疑問に思い辺りを見回すも、見学ルートから外れた場所なせいか、不気味な程人がいない。
まだ、お食事タイムが終わっていないせいもあるだろう。
恐るべし、お食事タイム。

「だ、だからって……と、突然」

「分かったよ。今度からは先に宣言してから行動にーー」

「そ、そういう事じゃありません!」

ツッコミが追いつかない。
こんな事で残りの時間は大丈夫なのだろうかと、由香エネルギー補給完了とばかりに満たされきった表情のキースに、由香は頭を抱えた。


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