相容れない者
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ロザリアというらしい名前の娘に連れてこられたのは、詩織が通う高校の裏山の奥にひっそりと佇む屋敷だった。
田舎の森の中にどうしてこんなものがあるのかと、疑問を覚えながら、そのあまりのスケールに呆然と立ち尽くす。

「何してるの。早く来なさいよ」

ロザリアは目を細め苛立たしげに詩織を睨み付けると、少女を無視しスタスタと足早に屋敷に歩を進めた。

「おかえり、随分遅かったね」

不機嫌顔のまま扉を開けたロザリアを出迎えたのは、これまたこの世のものとは思えない美丈夫だった。
さっきまで寝ていたのか、少し気だるそうに廊下の壁にもたれ掛かりながら腕組みをする様は、凄まじく色気を放っていた。

美しい二人は、背後にいるキャロラインの事など目もくれず、淡々と会話を交わしていた。
男の方はニコニコと微笑んでいるのに、二人の間に流れる空気は穏やかとは言い難い。
ロザリアは眉根を上げると、男を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「……そうかしら。別にあんたに心配される云われはないわ」

「そう?」

「あんたに心配されるほど腐ってない」

「相変わらず手厳しい。……ところで、背後のお嬢さんは?」

つい、と顎でキャロラインを指し、男は飄々とした笑みを浮かべたままロザリアに問い掛けた。

「キャロライン。気まぐれで拾ったただの下僕よ」

彼女は詩織の事をキャロラインと称した。
だが、それを咎めようとは思わなかった。
昨晩、坂下詩織という人間は社会的には死んだのだ。
もうこの世に坂下詩織なんて人間はいない。
いるのは、美しく残酷な少女に戯れに手を差し伸べられた、馬鹿な女だけだった。

「下僕?」

男はぽかんと間抜けにロザリアを見詰めていたが、やがて、口を歪め、腹を抱えて盛大に笑い出した。
ロザリアはあからさまに気分を損ねた様子だったが、男の行動を咎めるつもりはないらしく、眉をひそめ、黙って彼の奇行を見守っていた。
しばらくしてようやく笑いが収まったのか、男はロザリアに隠そうともせずあからさまに侮蔑の眼差しを向けた。

「まさか、あの子の代わりのつもり?」

途端、ロザリアの赤い目が動揺からか激しく揺れた。

「違う」

否定の言葉はみっともなく震え、わなわなと体も震えている。
下を向き歯を食いしばり、ロザリアは黙り込んだ。

「へぇ?まあ、そういう事にしておこうか」

対して男の方は余裕そうだった。
固まってしまったロザリアには目もくれず、男は余裕綽々として艶やかな笑みをキャロラインに向けた。
その端整な顔に浮かんだ精神をまるごと喰われそうな程の笑みに、キャロラインは礼をするのが精一杯だった。

「初めまして、私はキース。キース・ルフラン。事情はどうあれ、歓迎するよキャロライン。ついておいで、屋敷を案内しよう」

そう告げ、キースと名乗った男はまとめられた長髪を翻し、屋敷の奥へと歩を進めた。
このままついて行っても良いものかと、恐る恐るロザリアを伺い見ると、彼女は不機嫌そうに、顎でキースの歩いていった方向を示した。

黙ってついて行け。

という事らしい。

最後にロザリアに一礼し、キャロラインは大きく息を吸い込んだ。広大な屋敷を前にして落ち着かない心臓を無理矢理落ち着け、急ぎ足でキースの後を追った。

屋敷の中は、昼間だというのに薄暗く不気味だった。キースが手に燭台を持っていなければ、屋敷の中はろくに見えないだろう。
キースの少し後ろを着いて歩く。
こんなにも綺麗な人の横を歩く事は、キャロラインには躊躇われた。
キースも咎めるつもりはないのか、その事について何か言ってくる様子はなかった。

「さて、その包帯から察するになかなか複雑な事情がありそうだけれど……。さて、君は自分がどういうものか、という事をどれだけ理解している?」

そう言って、長い廊下の真ん中で一度立ち止まり、彼は詩織を返り見た。
称えられた穏やかな笑みには、あからさまに同情が滲んでいた。

「……血を飲む事でしか生きられない化け物だという自覚はあります」

躊躇った後、キャロラインは目を逸らしながら小声でそう呟いた。

「大体は理解しているんだね。……もっと詳しく言うと、私達は人の腹から生まれ出た異形。世間一般で言う、『吸血鬼』というものになるんだろうね」

キースはキャロラインに背を向けると、歩みを再開した。
キャロラインはそれを後から追った。

「私達は「日本人」の名前を名乗るには、些か特異な容姿過ぎる。だから名を変え、元々あったものを忘れようとする」

「では、貴方は……すみません」

深くその先を尋ねようとして、キャロラインは俯きながら言葉を濁した。
キースは特にこれと言って気を損ねた素振りを見せず、キャロラインが聞こうとした問いに答えた。

「もう覚えてはいないけれど、少なくとも、キース・ルフランなんて名前ではないだろうね」

どこか遠い目をしながら、キースは穏やかに微笑んだ。
それ以上聞く事は躊躇われ、キャロラインは黙ってキースの後に続いた。

連れてこられたのは、一階の奥にあった客室のような部屋だった。
長い間使われてこなかったのか、少し埃を被ってはいたが、ベッドや鏡台等高価そうなものが揃っており、掃除すれば難なく使えそうだった。

「クローゼットに色々入っているから、好きなものを着ればいい」

そう微笑み告げ、キースは部屋を後にした。
残されたキャロラインは、指示された通り部屋の奥にあったクローゼットを開いた。
中に入っていたのは部屋の豪華さに比べれば、少し落ち着きのある服の数々だった。
よく見れば、世界史の教科書で見たような本場のロングスカートのメイド服のようなものまで入っており、どうやら元は住み込みの使用人の部屋だったらしい。
この屋敷の歴史はどうなっているのか、という素朴な疑問が頭を過るが、キースを待たせている手前、あまり長時間考え込む訳にもいかず、頭を降って疑問をかき消した。

(……私には、これでいい)

少し考えて、キャロラインは一番地味なメイド服に手を伸ばした。
拾われものの自分にはこれぐらいでいい。
素より、華美な服を着る程出来た人間ではないのだ。

服をまとい、鏡台の前で今まで括らずに伸ばしっぱなしにしていた髪をまとめあげ、ポニーテールのようにする。

鏡の中に映るメイド服を着、包帯を巻いた女は、下手をすればホラー映画のようにも見える。

おそらくもう包帯の下の目は治っている。
普通なら失明ものの傷も、キャロラインからしてみれば痛くも痒くもない。
だが、この目はもう失われているも同然だとキャロラインは思う。
叔父を殺してしまった罪は消えはしない。
あの日あの時あの瞬間を決して忘れない。
己の業の証として、忘れないためにも、この包帯は死ぬまで外さない。

これでいい。

キャロラインは頬を両手でバシバシと叩くと、決意を新たに廊下への扉を開けた。
扉の先にいたキースは、キャロラインの格好を見ると驚いたように何度か瞬きを繰り返した。

「もっと他に服はあっただろう」

「私には、これで充分です。置いていただけるだけありがたいですし、使用人のようにこき使って頂いて結構です」

「……中々強情だね、君は」

「……そういう性分ですので」

「いいんじゃないの。これでいいって言うならそれで」

声をした方を見ると、廊下の奥からロザリアがこちらに向かって歩いてきていた。
相変わらずどこか人を馬鹿にしたような笑みを浮かべながらキャロラインを見る姿は、圧倒的な支配者の威厳のようなものを保っていた。

「ローザ」

「中々似合ってるわよ。キャロライン」

「……ありがとうございます」

ぺこりと無表情に礼をする。
次に顔を上げた時には、ロザリアの姿はそこにはなかった。

「ひねくれ者なんだよ、あの子は」

困ったように肩をすくめ、キースはキャロラインに笑い掛けた。

「質問があるのなら私に聞けばいい。あの子は、気まぐれにしか現れないだろうから」

自分でお前は下僕だと宣言しておきながら、些か自由奔放すぎるのではないかとは思ったが、彼女はそういう人間なのだろうと無理矢理自分を納得させた。

キースの目の奥に見えたあからさまな同情の光が、キャロラインのこれまでの人生を案じてのものではないと本当の意味で気が付いたのは、それから六年も後の事だった。


特に雑用をしろと言われはしなかったし、客人として、新たな住人として、ここに住むことを認められていたのだろう。
だが、それを、キャロライン自身は許さなかった。

あれから、キャロラインは、叔父の元にいた以上に働いた。
この屋敷に住む変わり者の二人は、自らを吸血鬼と称したが、何故か人間のような食事を取りたがった。
特に甘いものを出せば、目を輝かせ喜ぶ。
ロザリア等はそれが顕著で、普段はむすっとしている事が多い彼女も、つんけんとしながらもキャロラインを賛辞する。

吸血鬼としての本能からなのか、昼に起きてくる事は多かったが、それでも人間と同じような時間帯に活動し、時にはすすんで陽の光を浴びる。

キャロライン自身、太陽光が苦手という訳でもなく、血を飲まねばならないという以外は別段人間と変わりはないのだが、確かに暗闇の方が本能からなのか落ち着く事は落ち着く。

誰からも縛られていない筈の二人が、何かに突き動かされるように人間のように振舞うさまは滑稽に写った。

一度、ロザリアに何故そうするのかと理由を問うたことがある。
返ってきたのは「あんたには関係ない」という素っ気ない態度だけだった。

炊事洗濯は三人なのもあり特に苦労する事はなかったが、掃除だけは大変だった。
ルフラン邸はとにかく広い。
階数自体は二階までしかないのだが、如何せん面積が凄い。
一日の大半が掃除で終わる事もある。

だが、それを苦痛だとは思わなかった。
ここでのキャロラインは自由だった。

何をしろと強要される事はなく、自らの意思で働き、自らの意思で休み、虐げられる事もない。

そんな当たり前が、キャロラインにとっては味わったことのない程の幸福だった。

何より、ここに来て良かったと思う事があった。

「キャロライン、お茶」

「かしこまりました」

ぶっきらぼうに突き出されたティーカップに茶を注ぎ、キャロラインを下僕と称しながら、なんの強制もしてこない少女を微笑みを浮かべ眺めながら、穏やかな時を過ごす。

「……相変わらず下手ね。もっと精進しなさい」

下手と言う癖に、顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
キャロラインはぶっきらぼうな主に、はい、と微笑みながら返答した。

キースもロザリアも、基本的にキャロラインに干渉しては来なかった。
だが、ロザリアは時々ふらっとキャロラインの前に現れる事がある。
そうして戯れに、茶を入れろだの、話に付き合えだの、そんな他愛のない命令をしてくる。

幸せだった。

いつも突き放すような態度を取ってくる癖に、時折とても不器用に、構ってほしいとばかりに暴言を言ってくる。

最初はそんな彼女に困惑したが、今ではロザリアに出会えて良かったと思う。
不器用で唯我独尊で、誰よりも繊細で、あの絶望の中から救い出してくれたこの人を守れるのなら、なんでも出来る気がした。

そんな平穏な日々が打ち砕かれたのは、桜舞う暖かな季節。
キャロラインがロザリアに拾われた時から丁度六年目の春だった。

「キャロライン、今日は大事な客人が来るから。君の料理の腕を振るって、美味しい菓子を作ってははくれないかな」

珍しく、かなり上機嫌なキースから直々に告げられた言葉に動揺した。
今までこの屋敷に客人が来た事などなかったので、驚きも一入だ。

「……畏まりました」

疑問を抱きながら、キャロラインは黙々と厨房で作業を続けていた。
クッキーは出来上がり、後は紅茶を用意するだけだ。
大事な客人と言うからには、一番屋敷で高い茶葉を使うべきだろうかと、この前ロザリアの為にと買い付けてきた茶葉を惜しげもなく使う。
やがて、玄関の方が騒がしくなった。

出迎えなければ失礼だろうと、キャロラインは慎重に玄関に燭台を持ち歩を進めた。

そして見たのだ。
今まで自分には向けた事のない、心底幸福そうな顔で一人の女に微笑む二人の姿を。

由香、由香と、腕に抱き着き純真な子供そのもののロザリアに激しく動揺したのを覚えている。
女は二人に対して困惑し、恐れているようにも見えた。
それに対して、今まで感じた事のないどす黒い感情を覚えた。

「おかえりなさいませ」

「ああ、ただいま。キャロライン、彼女は由香。大事なお客様だから、丁重におもてなしするように」

キースの言葉に震える声を必死に抑え、礼だけをし、平静を装い逃げるように三人の前から姿を消した。

なんとか跳ねる自分の鼓動を抑え、用意したもてなしの品を運ぶ。

まずは客人からと、由香と呼ばれた女に茶を注ぐ。
すると、女は申し訳なさそうに目を伏せた。

自信なさげな所作に、驚きを隠せなかった。
何なんだこの女は。 覇気がまるで感じられない。
これではまるで、昔の自分を見ているようではないか。
いや、それよりももっと重症だ。

そうして、キースに初めて会ったときに言われた言葉を思い出したのだ。

「あの子の代わりのつもり?」

気まぐれに下僕にしたと言い、キャロラインに対し、戯れに友人に向けるような言動をしていたロザリアを思い出す。

そうか、あの方は私にこの女を重ねていたのか。
今まで自分に対して向けられていたものが、本当は自分を通して全てこの女に対して向けられていたものなのだと、そう気付いた瞬間、あの由香と呼ばれていた女に途方も無い憎悪を覚えた。

キースに下がれとは言われたが、聞き耳を立て中の様子を伺った。

そうして、強く思ったのだ。

ああ、私は絶対にこの女を認められない。と。

その思いは、屋敷の外で青桐由香と直接対峙し、揺らがぬものとなった。
まだ、彼女が素晴らしい女性だったのなら、キャロラインもここまで彼女を憎みはしなかった。

だが、女はどこまでも脆弱だった。
小動物のようにみっともなく震え、眼前のキャロラインを怯える眼で泣きそうになりながら見詰める。

お前に何が分かる。

ようやく手に入れた幸福だった。
ようやく見つけた幸せな場所だった。

それを、何故、突然現れたお前のような女に邪魔されなければならない。

やめろこれ以上壊すな。

お前に、お前に、お前に、あの方の

ロザリア様の何が分かる。





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