不気味な眼光
ーーーーーーーーーーーーーーー
「まさか……本当に来るとは思ってなかった」

由香は終礼を終えると、すぐに港兄妹との待ち合わせ場所に向かった。
そこで、事情を聞いた和真の第一声はそれだった。
和真の後ろには由香に対して気まずそうにしている可奈の姿がある。
昨日の一件から、可奈は由香に対してやけによそよそしくなった。
それは、彼女の内なる罪悪感によるものなのだろうが、由香としては些か寂しくはあった。
確かに可奈には酷いことを言われたのかもしれないが、それは間違ってはいなかった。
むしろ、正し過ぎたからこそ、由香の心にほんの少しの傷を残したのだ。

ぽりぽりと苛立ちを誤魔化すように頭を軽く掻き毟り、和真は由香に真っ直ぐな眼差しを向けた。

「ここでグタグタ言っててもどうにもなんねぇし……行くぞ。可奈、お前もいいな」

「え……!?あ、私は全然構わないよ!?」

顔の前で必死に両手を振り、真っ赤になりながら頷く様は滑稽だ。
しかし、和真が可奈から目を逸らすと、少女の顔は恋する乙女のものから複雑なものを内包した女の顔になる。
由香から見ても、彼女が心の中で悪烈とした感情と戦っていることは明白だった。

「叶夜の気が済むまでは、あいつと仲良く四人で帰ることになりそうだな……」

内心溜息を吐く。
叶夜の事は大切だが、こんな形で束縛し続けるのは間違っていると思った。
行き過ぎた庇護欲は、由香を捉える檻でしかない。
近頃の叶夜は、飼っている小鳥を意地でも飛ばせまいとする鳥籠の主のようだ。

「遅かったね、由香」

港兄妹と共に叶夜の元へ向かう。
叶夜は由香以外何も見えていないといった様子で、後ろ二人は見向きもせずに真っ直ぐに由香の頬に手を伸ばしてきた。

叶夜の痛い程の視線に誘われ、真っ直ぐに彼の瞳を見る。

瞳の奥の、優しげな仕草の裏に隠された獰猛な何かをのぞき見たような気がして、由香は目を閉じびくりと小さく肩を震わせた。

クツクツと楽しげに喉を震わす音が由香の鼓膜を揺らす。
その様子を黙って見ていた和真は、叶夜を呆れ眼で見ると皮肉げに笑ってみせた。

「妹相手に何をしてるんだか」

「いたんだ、和真。……それと可奈」

特に可奈の名を忌々しげに呼び顔をしかめ、叶夜は可奈への悪意を隠そうともしなかった。

「叶兄。……その、昨日は」

「帰ろう、由香」

弁明しようとする可奈を遮り、真っ直ぐに由香のみを瞳に写す。
由香以外の物体は全て穢れている、由香以外の何も瞳に入れたくはない。
柔らかく笑む叶夜に、由香は居た堪れなくなる。
いつから叶夜はこうだったのかと、物覚えの悪い頭の中を必死にまさぐる。
しかし、由香の記憶の中の叶夜はいつだって由香を一番に考えていた。
いつから、という次元の話ではない。
最初からこの人は由香しかその瞳には写していなかったのだ。

早く帰ろうと由香に対しては差し伸べられた手をとってよいものかと躊躇い、考えに考え、由香はその手を取ることをしなかった。
ぐっと拳を握り、下を向き兄の視線から必死に逃れる。

瞬間、叶夜の瞳の奥に物騒な光が宿る。
次の瞬間には、離れる事など許さない、その言葉を実行するかのように、無言で由香の腕を握り締めていた。

「……お兄ちゃん、私」

「許さない」

「お兄ちゃん……っ」

「絶対に、許さないよ」

それは、何に対しての言葉なのか。
恐ろしいほど穏やかな微笑に凄味を感じる。
何も言い返す事など出来ず、由香はただただ口の端を噛み締める事しか出来なかった。

有無を言わさず由香を引っ張っていく叶夜の少し後ろを、和真と可奈はそれぞれ複雑そうな面持ちで見守っていた。

誰にも文句は言わせない。

それ程に、叶夜の纏う空気はピリピリとした威圧感を持つものだった。

港家に着いても、叶夜の雰囲気が穏やかな、由香が大好きな兄の顔に戻る事はなく、どこまでも空寒い無表情のまま、叶夜は由香を彼女の部屋に押し込んだ。

もう何も話す事はないとばかりに、叶夜は由香を冷たく一瞥すると、背を向け静かに戸を締めた。
どこまでも静かな怒気に、由香は参ってしまいそうだった。
やはりあの時キースの元へ向かったのは間違いだったのかという猜疑心が生まれる。
しかし、キースを選んだのは由香だ。
今更後悔したところでなんになる。

それに

(後悔は……してない)

いつの間にか、傲慢で、それなのにどこか憎めなくて、自分よりも子供っぽいところのあるあの人に惹かれていた。
吸血鬼だと知っても、思っていたよりは驚かなかった。元より、普通の人間とは違う人だという事は理解していたつもりだ。

いつでも優雅に笑んでいるくせに、由香を口説く時だけは少し焦ったように性急になる。
我が儘でどこまでも一途で。
どんな女性でさえ一発で落とせてしまうだろうに、由香なんかに固執して、ちょっとした動作に一喜一憂して。
由香のさり気ない言葉に心底幸せそうに笑むキースから、いつの間にか目を離せなくなっていた。

今なら分かる。
私はキースの事が好きなのだ、と。

しかし、キースの花嫁になれるのかと言われると、その答えはまだ出せない。
花嫁の重み等由香には想像もつかないし、そう安々と純潔を捧げられもしない。
そこまでの覚悟は、由香には抱けなかった。
何より、キースから花嫁の事を話されない限りは意識の外に置いておきたかった。

その日の夕食の席に、港嘉隆は現れなかった。

「母さん、親父は……」

「ああ、嘉隆さん。それがね、急な用事とかで、行き先も言わずに飛び出して行っちゃったのよ。……一週間以内には戻ってくるって言っていたけれど」

和真の問いに答え、茜は心配そうに溜息を吐いた。
嘉隆はしばらく帰らない。
頼みの綱である嘉隆がいない事は、由香の中に暗い影を落とした。
それは和真も同じだったようで、恨みがましそうに、忌々しげに今夜のおかずのひと品である蒸した芋に、行儀の悪い事に箸を突き立てている。

しかし、和真の行いに誰も口を挟むものはいない。

茜はどこか上の空、可奈も口を開かない、由香の隣に腰掛ける叶夜は痛い程の視線を無言で由香に向け続けている。
それがどうにも居心地が悪くて、由香は少しでも叶夜から距離を取ろうとするのだが、それを許さまいと、誰からも見えない角度で叶夜は由香の肩を後ろからそっと抱いているのだ。

「……おにい……ちゃん」

「うん?……どうかした?」

小声で抵抗を試みるも、叶夜は白々しい態度を貫き通す。
これ以上はまずい。
最初は肩に回されていた腕は、次第に下の方へと下がってきている。
今ではさするように腰を抱かれている状態だ。

「……や……めて」

「……どうして?」

真っ赤になりながらの必死の抵抗に平然として言ってのける叶夜に、羞恥を通り越して怒りすら覚える。
人前で何をやっているのか。
そもそも、実の妹に対して何をしているのか。
こんなものは間違っている。
違う違うと頭が警鐘を鳴らす。

自分を怒らせた罰だと言うように、叶夜は実に楽しそうだ。
どことなく、腰を撫でる手つきに単なる親愛以上の欲が込められている気がして、耐えきれなくなった由香は兄の拘束から逃れるように、咄嗟に立ち上がっていた。
叶夜は、加虐的な笑みを浮かべ黙って由香を見上げていた。

「ごちそうさま……っ」

「由香ちゃん?」

伯母は不思議そうに、リビングを顔を下げたまま出ていく由香に首を傾げた。

「どうしたのかしら、由香ちゃん」

「さあ、きっと疲れているだけですよ」

「そう……」

叶夜の言葉を呑み、伯母は不安げに由香が開け放ったリビングの扉を見つめていた。
ぎらりと、獣のように不気味に輝く叶夜の瞳を気にするものなど、誰一人としていなかった。

部屋に戻った由香は、真っ直ぐにベッドの上に倒れ込んでいた。
近頃の叶夜は可笑しい。血の繋がった妹に対してはあんな事をするのは可笑しい。
あんな風に親愛以上の眼差しを向ける事は間違っている。
枕に深く顔を埋め、何も考えたくないと考える事を拒絶した。

しばらくそのまま眠っていたのだろう。
由香は扉をノックする音に意識を覚醒させられた。

「由香、起きてる?」

「……お……兄ちゃん」

出た声は微かなものだ。
それでも、叶夜は由香の声を聞き逃さなかったらしい。

「少し話がしたいんだけど、いい?」

穏やかな声に絆されそうになる。
だが、叶夜の先程の接触は明らかに妹に対するものではない。
もう扉を挟んだ廊下に立っている人は、前まで由香の知っていた人とは違う。
ただ、無条件に由香を囲ってくれていた訳ではないのだと。
いやが応にも気付かされる。

いけない。この扉を開けてはならない。
そう思うのに、

「由香」

どうしてこうも叶夜は以前と何も変わらないのか。
純粋に妹を気遣う声をしている兄に、ずっとずっと孤独だった少女に対して優しくしてくれた叶夜に、由香はどこまでも弱かった。

躊躇いながら微かに扉を開き、外に立つ叶夜を除き見ようとする。
と、力強く外から無理矢理扉を開かれた。

気が付けば扉は締められ、叶夜は部屋に容易く侵入し、部屋の中央で由香は暖かな腕の中に包まれている。
これは本格的にまずいのではないかと焦る由香の気持ちなど知らないとばかりに、叶夜は由香の肩に額をのせ、ぼそりと口を開いた。

「……謝りに来たんだ」

その言葉にどくんと鼓動が脈打つ。
対して、叶夜の心拍音は恐ろしいほどに穏やかだった。

「最近、自分本位で物事を進め過ぎてた。由香の気持ちなんて全く考えないで……ごめん」

「……お兄ちゃん」

「僕は……弱いんだよ」

薄笑いを浮かべて、叶夜は由香を抱き締める腕に力を込めた。

「由香が僕から離れていく事がたまらなく不安で怖くて。おかしいな。……無理矢理にでも由香を繋ぎとめておかないと不安になる」

「……謝るのは私の方」

「由香?」

由香は、兄からどんどん離れていく。
誰よりも大事にしてくれた兄の元から離れていこうとしている。

兄は、大事な妹が人外のモノにその心を捧げているのだと知ったら、どう思うのだろう。
挙句の果てに、吸血鬼の花嫁等というものになるかもしれないのだと知ったらどう考えるのだろうか。

それどころか叶夜の最近の行動を色々と誤解していたようだ。
叶夜はただ不安なだけだったのだ。

「ごめんなさい……」

叶夜の胸に顔を埋め、由香はただ謝罪の言葉を告げる。
叶夜を信じられず、更には信頼を裏切ろうとしている事に罪悪感がわく。
それを、叶夜はもう泣くなという風に無言で強く強く抱きしめている。

ただ、叶夜に抱き締められている由香には全く分からないが、叶夜が腕の中にいる由香に対して向ける瞳は、間違いなく単なる妹に向けるものとは明らかに異なっていた。

独占欲、嫉妬心、執着心、そういった薄汚い欲がギラギラと不気味に輝いている。

「由香は僕の大事な妹だから」

妹と言いながら、少女の髪に触れる指は間違いなく一人の女に対する扱いと変わらない。
心底愛しげに由香の体を掻き抱く様は、傍から見れば異常だ。

しかし、渦中の少女は気が付かない。
気が付いていないからこそ、無防備に兄からの愛情に溺れていられる。
そこにあるのは身内に対する心情だと、半ば洗脳のように思い込まされている由香には、兄に芽生えた猜疑心等、叶夜の一言で一瞬で吹き飛んでしまう。

暗い暗い、沼の底のようなドロドロとした欲望を孕みながら、叶夜は妹の髪に何度も口付けを落とす。

執拗に所有印のように、誰かに対し見せ付けるように。

それを、叶夜がわざと少しだけ開けておいた扉の隙間から覗き見ていた、男を幼少より恋い慕う少女は、恐怖に戦慄した。

逃げるように走り去る少女を見て、叶夜は愉悦に口の端を上げた。

≪back | next≫
- 35 -


目次へ


よろしければ、クリックして投票にご協力ください。
 



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -