忍び寄る闇
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キャロラインの言葉がどうにも引っかかったが、これ以上家を抜けるのは時間的に無理だ。
可奈に引き留めていてもらうのにも限界があるし、何より不自然だ。

由香は大急ぎで来た道を戻り、息を整えるとそっと音を立てないように玄関の扉を開いた。
音を立てないように神経を研ぎ澄ませ慎重に靴を脱ぎ、階段に足を掛ける。
ミシミシという板が軋む音すらも、今の由香にとっては苦痛以外の何にも成り得なかった。

「由香姉?」

丁度三階への階段を登ろうとした時、背後から可奈に声を掛けられた。
振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた可奈と目が合った。

「おかえりなさい。どうだったの?」

「どうって……」

「もー、誤魔化さないでよ」

あははと声を上げて可奈は笑った。
しかし何故だろう。どこか彼女から空寒いものを感じるのは。
微笑みを湛えたまま、彼女は由香に近寄ってきた。

「由香姉好きな人ができたんでしょ?」

ぼっと顔に朱が走る。
好きな人といえば確かにそうなのだろう。
だが、往生際の悪い事にどこかそれを認めたくないと思ってしまっている。
咄嗟に口を吐いて出たのは否定の言葉だった。

「え……そ、そういう訳じゃ……っ!」

「またまたー。分かりやすいなー、由香姉は。でも私ね、……由香姉の事が分からなくなちゃった」

冷めた目で投げられた言葉にどくりと心臓が脈打つ。
笑みを湛えたまま、可奈は更に由香に距離を詰めてきた。

「なんで……。なんで、由香姉は叶兄を裏切るのかな」

「そ……れは……」

確かにこれは兄に対しての裏切りになるのだろう。
離れる事等許さないと、確かに叶夜は由香に対して言ったのだ。
だが、そんな事は間違っていると気付いてしまった。
一度異常性に気が付いてしまえば、もう後には戻れない。
一か月前の、無心に叶夜を崇拝していた由香とは違うのだ。

「誰よりも大事にされてる癖に、どうしてそんなに傲慢になれるの」

冷たい可奈の眼差しに堪らず一歩、二歩と後ずさる。

「由香姉は叶兄を捨てるんだ」

無表情に放たれた言葉のナイフが心を抉る。
違う。捨てるなんてそんなつもりはない。
違う違う。
否定の言葉を言い訳のように並べ立てるが言葉にならない。

「由香姉の嘘つき」

「可奈?」

「嘘つき嘘つき嘘つき!!」

「可奈!!」

叫び由香に掴みかかろうとした可奈を、既のところで丁度リビングから出てきたらしい叶夜が背後から羽交い絞めにした。

「離してよ叶兄!!離してってば……っ!」

じたばたと死に物狂いで暴れる可奈を、舌打ちしながら無理やり押さえつけ、叶夜は忌々し気に再度少女の名を叫んだ。

「落ち着きなさい可奈!」

傍から見ている由香からしても、叶夜の声には凄味が感じられた。
声を荒げ可奈を睨み付ける叶夜はかなり恐ろしいものがある。
由香に対しての静かで重い怒りではなく、感情的なもの。
ここまで態度が違うのかと、ある種恐ろしさのようなものを感じた。

流石に耳元で叫ばれ応えたのか、可奈はぴたりと抵抗をやめた。
叶夜の束縛から解かれた彼女は呆然と立ち尽くしていた。
その肩は小刻みに震えており、彼女の顔は後悔に満ちていた。
額に手を当て、疲れた様に薄笑いを浮かべる可奈は正直見ていて痛々しい。

「ごめん……。わ……たし……どうかしてた」

くしゃりと歪んだ笑い方で、可奈はぽつりと言葉を零した。

「……おかしい……な……。由香姉を責めるなんて……なに考えてるんだろ」

顔青ざめさせ震えながら言い、彼女は由香の制止の声も聞かず、逃げるように階段を上っていってしまった。
二階の廊下に、由香と叶夜の二人だけが取り残される。
気まずくなり可奈に習い自分も部屋に帰ろうと無言で叶夜に背を向けたが、彼のほうはそれを許さなかった。
腕を軽く捕まれ、引き留められる。

「可奈の言ったことだけど気にすることはないよ」
「お兄ちゃん……私……」
「由香は僕を裏切ったりしないよね?」

心が悲鳴を上げていた。
可奈の言っている事は正しい。
だからこそ、こんなにも心が軋む。

由香はただ、心の中で謝罪の言葉を述べながら、黙って頷く事しか出来なかった。



「で、何か進展はあった?」

次の日の昼休み。
もはや定番となりつつある依織との昼食の時間。
依織は弁当に入っている卵焼きをつっつきながら、由香に目線を向けた。

「……デートする事になった……かも」

後ろにいくにつれもごもごと口を濁してしまう。
改めて口に出してみるとなかなかに恥ずかしいものがある。
そもそも、一緒に出掛けようと言われただけなので、本当はデートかすらも危うい。

「かもって……」

「だ……だって……」

由香が渋々事の成り行きを説明すると、依織は深く溜息を吐き、ふいに箸を置いた。
由香を見るまなざしはどことなく刺々しい。

「少しルフラン先生に同情した」

「えっと……」

疑問符を浮かべ首を傾げる由香に、依織はくっきりと眉間に皺を作った。

「それは十中八九デートに誘ってる」

投げやりに放たれた言葉に頬が赤くなる。

(やっぱりデートの誘いなんだ……あれ……)

確信に変わった瞬間頬の熱がさらに増す。
再び弁当を食べるのを再開した依織はパクリとミートボールを飲み込み、前を向いたままぼそっと静かに呟いた。

「私でも気付く」

「……依織ちゃんが鋭すぎるんだよ」

苦笑いで返す。
本当に彼女は察しが良すぎると思う。
何故彼女だけが二人の記憶を覚えたままなのかも気になる。

「依織ちゃんって……本当に何者なの?」

「……ちょっと、うちの家系が特殊なだけ」

由香の素朴な疑問に、依織は一瞬の沈黙の後気まずそうに言葉を吐いた。
ちょっととは言うが、全然ちょっとではない気がする。
しかし、彼女は余程その事について追求されたくないのか、話は終わりとばかりに黙々と食事を再開してしまった。
それに倣い、由香も淡々と弁当を口に運ぶ。茜の料理は本当に美味しいと思う。
彩、栄養バランス、味の三点が完璧だ。
特にこの金平ごぼう等秀逸だと思う。
茜の優しさが今は貴重な癒しだ。

(なんだか……気が緩んじゃうなぁ)

自分の呑気さに溜息を吐く。
そのまま完食するまで、二人はどちらも口を開かなかった。
空のランチボックスを風呂敷に包んでいると、隣から依織の視線を感じた。

「結局……デート、するの?」

「……外出禁止令出されちゃって」

キースと出掛けたいかと言われれば、それは出掛けたい。正直浮かれてしまうのを隠せない。
だが、叶夜の事を考えると躊躇われてしまう。
現にバレてはいないとはいえ、一度禁を犯してしまっているのだ。これ以上兄を裏切る事は躊躇してしまう。
何より心が痛い。

その旨を告げると、依織は興味なさげにふーんと曖昧な声を漏らした。

「青桐さんは、もう少し貪欲でもいいと思う」

「依織ちゃん……でも……」

「青桐さんにとってどれだけそのお兄さんが大事かなんて知らないけど、その約束を破ってまで青桐さんはルフラン邸に行った」

淡々とした声が静かな校舎裏に響き渡る。
染み入るようなそれが、由香の中のわだかまりを少しずつ解していった。

「なら、青桐さんにとって、今大切なのはお兄さんよりルフラン先生の方なんじゃないの?」

核心を衝かれた気がした。
確かにそうなのかもしれない。
兄の事が大事だと言いながら、由香はキースを選んでいる。
とどのつまり、それは今の由香に何よりキースが優先すべき大事なものになっているという事で。

「……もう少し考えてみる」

迷った末、俯きながら由香はそんな事を呟いた。隣に座る依織は特に気を悪くしたという事もなく、相変わらず淡々としている。

「相談ぐらいならいつでも乗るから」

「……なんか、色々ごめんね」

「どうなったのか、結果くらいは教えてね。報酬はそれで勘弁してあげる」

そろそろ教室に帰ろうかと笑顔で零し、依織は立ち上がった。
太陽を背に佇む彼女は、くよくよと悩む由香とは違い、どこまでも逞しく見えた。

放課後になると、宣言通り叶夜は由香の事を迎えに来た。完全に本気だったようで、終礼前の教室の窓から校門に佇む叶夜の姿が伺えた。

「あれが、件のお兄さん?」

横に立っていた依織が、無表情に窓の外を見ながら由香に声を掛けた。
その横顔からは何の感情も読み取れない。

「……うん」

頷き由香も依織と同じように窓の外の叶夜をじっと見やる。
と、叶夜の目がこちらを向いた。
眼鏡の奥の眼光がやけに鋭く二人を射抜いていた。にっこりと目を細め叶夜が微笑んだ瞬間、横にいた依織が不意によろけた。
がたんという音を立て、彼女の背後にあった机が数センチ動いた。

「依織ちゃん!」

「ごめん……。なんでもない」

頭を苦しげに抑えながら、依織は頭を振った。歯を食いしばる依織に咄嗟に駆け寄るが、彼女は一人で立てると、由香の手を振り払った。

体勢を整えた彼女は僅かに躊躇った後、何か言おうと口を開いたが、終礼の開始を告げるチャイムに阻まれる事となった。

窓の外の叶夜の笑みが、何故だか不気味なものに思えてならなかった。

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