高鳴る鼓動
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なんとか叶夜にバレる事無く玄関までやってきた由香は、ほっと安堵の溜息を吐いた。
玄関には鍵が掛かっておらず、予め和真が掛けずにいてくれたようだ。
本当に何から何まで任せてしまって申し訳が立たない。

心の中で何度目か分からない謝罪を述べ、由香は玄関の扉を開き外に出た。
静かに扉を締め、一度だけ振り返り外から二階部分を見る。

出てきてしまった以上戻る訳にはいかない。
それに、ルフラン邸に行くまで戻って来る気など更々ない。
拳を固く握り締め、港家に背を向ける。
後はもう振り返らなかった。
鎖をちぎる様に全速力で走り出す。
後の事は何も考えないようにした。

森の中、ロザリアと一緒に通った道を思い描きその通り駆け抜けていく。
走り続ける事十分強。
ようやくルフラン邸が由香の前に姿を表した。
ごくりと息を呑み、一歩ずつ慎重に歩む。
玄関の大扉の前に着いた由香は深く深呼吸すると、力を込めて扉を叩いた。

ほどなくしてドアは内側から開かれ、中からキャロラインが姿を表した。
由香を一瞥したキャロラインは、少女の息が切れ切れなのに気が付くと、驚いたように微かに目を見開いた。
その後、あからさまに由香の侮蔑を具現化させると、キャロラインはきつく由香を睨み付けた。

「……懲りない人ですね、貴女は。まだ分からないんですか、貴女一人の決断がどれだけの人に迷惑を掛けているのか」

キャロラインは珍しく饒舌だった。
忌々しげに細められた目に怯みそうになる。
だが、由香もそれなりの覚悟をして来ている。
キャロラインの言う事は正しい。
たくさんの人に迷惑を掛けて傷付けている。
現にキャロラインは由香に対して嫌悪感を抱いている。

「キースさんに……会わせてください」

ぜぇはぁと欠如した酸素を必死に補い、キャロラインに真っ向から反抗する。
キャロラインに嫌われている事は最初から分かっている。
申し訳ないとも思う。
だが、これが由香なりの思いを直接告げてくれるキースに対しての最上級の誠意だ。

「……分かりました」

キャロラインは意外にもあっさりと折れてくれた。
驚きのあまりまじまじと彼女の顔を見ると、キャロラインはあからさまに顔をしかめた。

「誤解のないように言いますが、貴女の為ではありません」

全ては主の為を思ってする事だと、キャロラインは由香に訴えてきた。
使用人としてのキャロラインは優秀だろう。
自分の感情を押し殺してでも主の為を思い行動する。
優秀だが、それは酷く人間としては歪なもののように思えた。

キャロラインに案内されるままに、今まで立ち入った事のない屋敷の二階部分に足を踏み入れる。

やがて、彼女は突き当たりにある一際大きな扉の前で立ち止まった。

「こちらです」

「……ありがとうございます」

心の底からキャロラインに感謝の言葉を述べ、頭を下げる。
顔を上げた時には、既にキャロラインは姿を消していた。

意を決し、キースの部屋のドアを睨みつける。
すぅと深く深呼吸し、トントンと軽くノックをする。
数秒遅れて、中から物音が聞こえてきた。
ゆっくりとした優雅な足音が近付いてくる度に、心臓が爆発しそうだった。

「……ゆ……か?」

がちゃんと中から扉を開けたキースは呆然と由香を眺めていた。
先程まで眠っていたのか、それとも怪我のせいなのか、いつもより幾分か眠そうなキースは、不謹慎かもしれないが魅力的に見えた。

「あ……あの……勝手にお邪魔してすみません。け、怪我は……っ!?」

言い切らないうちに、気が付けばキースに抱き竦められていた。
第二ボタンまで開け放たれた薄手のワイシャツしか身にまとっていないせいで、キースの体温が直に伝わってくる。
その当たり前の暖かさに、耳を当てている胸から聞こえてくる規則正しい心臓の音に、この人はちゃんと生きているんだと実感が込み上げてきて、無性に泣きたくなった。

「……夢を、見ているのかと思った」

人形でも抱き締めるように、きつく由香の体に手を回し、キースはぼそりと呟きを零した。

「……夢じゃないです」

宥めるようにとんとんとキースの背に手を回し、あやす様に軽く叩く。

「嗚呼……そうか」

心の底から幸福そうな声を出し、キースは由香の首筋に顔を埋めた。
一瞬血を吸われるのかと後ずさりそうになったが、そういう訳ではなく、キースはただ温もりを求めているだけだった。

素直に好意を向けられるのは、悪い気持ちはしない。
離そうとせず、更に抱擁を強めるキースを、由香はただそっと抱きしめ返していた。

しばらくして、ようやく気がすんだのか、キースは調子を取り戻しいつもの調子で、穏やかに由香を解放し、そっと彼女の手を取った。

「遅くなったけれど……いらっしゃい、由香」

「お、……お邪魔します」

にっこりと微笑まれ、頬に熱が集まってくる。それを見たキースは一層笑みを強め、少女を部屋に招き入れた。

「そこに座って。お茶でも用意するから」

「い、いえ……お構いなく!」

キースの部屋は意外にもさっぱりしていた。
余計なものはあまりなく、あるのは眠るためのベッドと本棚、客人用なのか、彼自身が普段から愛用しているのか定かではないが、由香が座るように勧められたクッション性の良さそうな椅子と、ベッドサイドに小さなテーブルがあるだけだ。

怪我人にそこまでさせる訳にはいかない。
吸血鬼だとかそういうのは関係ない。
怪我人は怪我人だ。

「そう?」

「は、はい」

しばらくの沈黙が落ちる。
その沈黙は意外な形で破られる事になる。
唐突に、由香と向かい合う形で立っていたキースがふらりと由香に倒れ込んできたのだ。

「き、キースさん!?」

ぐったりとしたキースは良く見れば顔色が相当悪い。室内照明が暗いせいで気が付かなかったが、こんな状態で茶を入れようとするのは無理をし過ぎだ。

「……由香の前では、みっともない姿は見せたくなかったのだけれど」

キースはあははと由香に体重を掛けたまま、呑気に笑ってみせているが、どう見てもそんな事を言っている状況ではない。
撃たれた肩を見れば、手当てはしてあるものの、当たりどころが相当悪かったのか、はたまた急に動いたせいか、包帯には確かに血が滲んでいる。

「そ、そんな事言ってる場合じゃっ!?と、とにかく横に……っ!」

「……貧血なだけだから」

(……吸血鬼が貧血ってかなり問題があるんじゃ)

虚勢を張り続けるキースを無理矢理ベッドに運び、ベッドサイドに椅子を持ってきてじーっとキースの顔を見詰める。

銀の弾丸で付けられた傷には治癒能力が効かないと和真は言っていた。
キースはただの貧血と言っていたが、もしかしたら一生治らないのではないかと、そんな予感が由香の脳裏を掠めた。

自分のせいでこんな事になってしまった。
どれだけ謝っても謝りきれない。

ならば、自分に出来る精一杯の謝罪は

「……吸ってください」

「……由香、それは」

「もう……どうしたらいいのか分からないんです」

くしゃりと顔を歪め俯く。
血を与えたところで、治るのかどうかは分からない。
だが、貧血だと言うのなら血を与えれば多少はましになる筈だ。
由香のせいで巻き込んだのならそれぐらいはしなければならない。
血を吸われるのは当然怖い。
七年前の忌まわしい記憶を忘れた訳じゃない。
だが、今の由香にとって吸血鬼と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、キースとロザリアだ。
それ程には、二人の存在は由香の中で大きくなっている。

「キースさんに怪我をさせてしまったのは私で……ロザリアちゃんにも、キャロラインさんにも申し訳なくて……だから私っ!」

言い切らないうちに、どこにそんな体力が残っていたのか、いつの間にか景色がぐるりと回っていた。
さっきまで下にあったキースの顔が天井をバックに上に見える。
背後にはベッドの柔らかい感触。
顔の横に両手を付き、キースは由香の顔をまじまじと見詰めていた。

「本当ならかっこよく、そんな理由で血は吸えない。と断りたいところだけれど」

恐る恐る閉じていた目を開き、キースの顔を見る。
普段の何倍も妖艶に光る赤い目に、全てを奪われそうな気がした。

「生憎、今の私はそこまでの余裕は持ち合わせていなくてね」

「っ……!」

首筋に掛かる吐息に鳥肌がたつ。

「……ロザリアの吸血跡、か」

首筋に貼られた絆創膏を躊躇いなく剥がし、首に未だ残る吸血跡を見たキースは忌々しげに目を細めた。

「……大人気ないとは分かっているけれど、妬けてしまうね」

そう告げて、キースは由香の首筋をおもむろに味見するように舐めた。
ロザリアに付けられた傷を上書きするように、執拗に口付けを繰り返される。
びくりと緊張に跳ねる身体を無理矢理落ち着かせようと、由香は目の前にあったキースのシャツをきつく握り締めた。

「……痛かったら、傷を思いっきり引っ掻いていいから」

耳元で最後にそう囁いて、キースは躊躇いなく由香の首にずぶりと牙を埋め込んだ。

「いっ……!」

痛みに声を上げ、キースのシャツを握る腕に力が篭る。目をぐっと閉じ、歯を食いしばり痛みに耐える。
やがて、生々しく血を啜る音がすぐ近くから聞こえてきた。
ごくりと血を飲み込む音は怖い筈なのに、それ以上に合間に聞こえるキースの吐息がやけに艶かしく思えて、由香は堪らず声を零した。

「……ふっ……ぁ!」

途端、キースの動きが一瞬止まり、目の色が獣じみた欲に満ちたものに変化する。
充満する血の匂いに、由香も当てられてしまいそうだった。

しばらくすると、ようやく血を吸い終わったのか、キースは名残惜しそうに最後に首筋に残った血を舐めとると、おもむろに顔を上げた。
上気する頬を自覚しながらキースを見上げると、その顔色は前に比べ格段にましなものになっていた。

由香がよかったと安堵するのと、キースが自身の口の周りに付いた由香の血の残りを舐めとるのはほぼ同時だった。

「っーー!!」

羞恥のあまり叫びそうになる。
それは反則ではないか。
あまりの刺激の強さに直視出来ずに、顔を真っ赤にしながらキースの目から逃れるように、転がり向きを変え彼に背を向ける。

「由香」

耳元で不意打ちに名を呼ばれ、更に顔は赤さを増していく。
後ろから抱き竦められ、満足そうに囁かれた名に何も考えられなくなる。
そんなに幸せそうに囁かれたらどうしていいのか分からなくなる。

「こっちを向いて」

「む……むむむむ無理です!!」

まともに見られる訳が無い。
嫌々と駄々を捏ね、意地を張りぶんぶんと頭を降る。

「由香」

甘い囁きに、堪らず目を見開きキースの顔を直視してしまう。
ぼんっという音を立て、顔から湯気が上がった気がした。

「ぶっ……!」

それがあまりに可笑しかったからなのか、キースは先程までの妖艶さは何処へやら、声を上げて盛大に笑い出した。
腹を抱えて笑う美形、というのはかなり滑稽な絵だ。

「……わ、笑わないでください」

溢れ出す色気は耐性のない由香には正直辛い。まともにキースが見られない。
不貞腐れ零した言葉に、キースは身体を起こすと声を上げて笑うのをやめ、穏やかな微笑を浮かべ、未だ寝そべったままの由香の頭を軽く撫でた。

「あまりに由香が可愛いものだから、つい」

この人はどうしてこうも、口説き文句をさらっと言えてしまうのか。
しかも様になっているのだからおいそれと笑えない。タチが悪すぎる。

「拗ねないで、こっちを見てくれると嬉しい」

びくびくしながらキースの顔を見る。
目を直視すると卒倒しそうだったので、あえて目は逸らした。
それでも吸血直後の彼は普段の何倍も艶やかに映るのだ。
この色気はもはや天災とすら呼べるかもしれない。

「由香のお陰でかなり楽になったよ。ありがとう」

「い、いえ……」

笑まれ礼を言われれば更に頬が赤みを増す。
小動物のようにわしゃわしゃと頭を撫でられるのが堪らなく恥ずかしい。

「少しだけ、昔話をしようか」

「昔話……ですか?」

「由香は何も覚えていないかもしれないけれどね、私は君に以前会ったことがある」

キースの言葉に抱いていた疑問が確信に変わる。だが、一体何時会ったと言うのか。
こんなに濃い人なら絶対に忘れないと思うのだが。

「……何時……ですか?」

「さあ?自分の頭で考えてご覧」

これ以上教えてくれる気はないという事らしい。だが、以前にも会った事があるというのが分かっただけでも収穫だろう。

「由香には感謝してもしきれない。だから、私は……正しくは「私達」は君を護ろうとした」

今まで頑なに何も語ろうとしなかったキースが今日はペラペラと口を開いた。
一体過去に何が会ったと言うのか。

それで続きは。

そう問おうとした由香の口を手のひらで塞ぎ、キースは不敵に笑んだ。

「ここから先は、由香が自分で思い出すべき事だよ。さあ、今日はもう帰りなさい。これ以上そんな無防備な姿を晒して、私を煽りたいというのなら、それもやぶさかではないけれど」

怪しく光ったキースの目に、咄嗟に飛び起きる。急いでベッドから出て、乱れた制服を軽く整える。

「し、失礼しました!」

そう言い切り、扉から出ようとした由香の腕を掴み、キースは彼女を呼び止めた。
その真剣な眼差しに心臓が高鳴る。

「由香」

「は、はい……」

「今週の日曜、二人で出掛けよう」

微笑んだキースにくらりと目眩がする。
待っている。と動かされた口に何も言えなくなる。

バタンと締まった扉に背を預け、先程言われた言葉の意味を考える。

(それって……つまり……デー……ト……?)

思い当たった瞬間熱が引いた筈の顔に再び朱が走る。
邪な妄想を無理矢理振り払い、由香は深く息を吐いた。

キースにはもう帰れと言われたが、ここまで来たからにはロザリアにも顔を見せなければならない。
キャロラインを探し出して、ロザリアの部屋を教えてもらおう。
そう思って歩き出し階段を降りた矢先、階下から現れたのはロザリア・ルフランその人だった。
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