擦れ違う心
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次に顔を合わせたら、二人に謝ろうと思った。

和真が狙ったのはロザリアだ。
その近くに由香がいただけの話。
ロザリアが傷付いたら由香が悲しむ。
だからキースは進んで盾になった。
ならば、全ては由香のせいだ。
由香がいなければ、二人とも、狙われる事などなかった。

謝らなければ申し訳が立たなかった。
だから登校し、ロザリア・ルフランの席にロザリアが変わってもらう前にいた男子生徒が自然に座っているのに驚愕した。

「おっはよー!由香ー」

背後から千尋に肩を叩かれた。
ここ数日、千尋は由香に目もくれなかった。
それが、まるで転校したての頃のように明るく自然に振舞われた。

「お、おはよう」

咄嗟に挨拶を返し、ごくりと息を呑む。
嫌な予感が脳裏を過るが、聞かない訳にもいかなかった。

「千尋ちゃん、ロザリアちゃんは……」

「ロザ……リア?何それ?アイドルの名前か何か?」

きょとんと本気で分からないといった様子で、千尋は首を傾げた。
昨日までいたクラスメイトの筈だ。
いくらなんでもそれは急ではないか。
ガンガン不吉に鳴る頭を必死に押さえつけ、由香は千尋に向き直った。

「……知らない?」

「うん。だから誰よ、それ」

疑問符を浮かべる彼女は本気でそう思っているように見える。嘘ではない。
それはおそらくクラスメイト達も同じなのだろう。
教室に目を這わせるが、誰一人として欠けてしまった一人の少女について気にしているものはいないように見えた。

ふと、依織と目が合った。
彼女は由香を落ち着き払った目で見据えると、口を「あとで」とだけ動かした。
彼女だけは何故だか知らないが覚えているらしい。
一人でもロザリアについて記憶に留めていてくれた人がいた事に安堵する。

「じゃあその……ルフラン先生は」

「だから知らないってば。どうしちゃったの?熱でもある?」

「……ううん。なんでもない」

念の為にと聞いた問いに、千尋は否と答えた。
とにかく後で依織と話をしようと、由香は深く息を吸い込むと自分の席に腰掛けた。
午前中の、本来キースが行う授業には、年配の男性教師がやって来て、ごくごく普通に何の違和感もなく教鞭を奮っていた。
生徒達もあの美しい兄妹がいない事を当然のように受け入れている。
違和感を覚えているのは由香と、依織の二人だけだった。

「青桐さん」

昼休みになると、依織が由香の席に弁当片手にふらりと訪れた。

「お昼、一緒にいい?」

彼女は無表情に淡々と由香に聞いた。
依織の標準の顔が無というのは、ここ数日の付き合いでなんとなく把握していたので、それ程混乱する事もなく、由香は素直に頷けた。
だが、千尋は違うようだった。

「く、倉橋さん……」

「どうも、相道さん」

不自然に千尋は二人から離れると、脱兎の如く旧友の元に逃げて行ってしまった。
気分を悪くしてはいないかと依織を恐る恐る覗き見ると、

「いい。こういうの慣れてるから」

と冷静な答えが返ってきた。

二人が昼食場所に選んだのは、前に一緒に昼食を食べたあの校舎裏だった。
程よく光が降り注ぎ、春の空気を感じさせ、心地のよい場所だと思った。

ベンチへ腰掛け、二人で黙々と箸をすすめる。

「何が、あったの?」

前回と同じく、依織は唐突に口を開いた。
依織の声からは感情がなかなか読み取れない。
だが、隣の空気から、何となく心配してくれているのだろうと察する事は出来た。

「……吸血鬼……だった」

「そっか」

何があったのか察してくれたのか、依織はそれ以上深くは聞いてこなかった。
それが彼女なりの優しさなのだと、由香は静かな彼女の気遣いが純粋に嬉しかった。

「青桐さんは、あの二人の事どう思ってるの?」

水筒のお茶を啜った後、依織はぽつりと言葉を零した。
依織としては何の気もなしに言ったことなのだろうが、思いの外由香には重くのしかかってきた。

「……分からない」

正直に言ってしまえば、その一言に尽きる。
視線を手元の空になった弁当箱に向ける。
知り合ったばかりであの二人の事は良く分からない。
ただ、大切に思われているというのだけは嫌でも伝わってきた。
血を吸われた時の幼い少女の泣き顔と、最後に由香に見せた「行け」と言う時のキースの笑みが、頭にこびりついて離れなかった。

「……怖いものだっていうのは分かってるつもりだけど……でも、どうしていいのか分からない」

ぐっとスカートを握り締める。
くしゃりと皺が付いてしまうのも気にならない程に、今の由香は思い悩んでいた。
ロザリアを蹴り飛ばしたのも、由香とロザリアを庇い自ら血を流したのも、同じキース・ルフランという人間だ。
頭の中はごちゃごちゃだった。
嫌いな訳じゃない。嫌いじゃない。
嫌いになりきれていない自分が一番よく分からなかった。

「い……依織ちゃん」

「何?」

「……た、たとえ話……なんだけど……自分のせいで、人に怪我をさせてしまって、申し訳なくて」

「うん」

「……たくさん……傷付けて」

「うん」

「でもその人は全然気にしなくて、自分が怪我をしてるのに、私の事気遣ってくれて」

「悩む前に行動すればいい」

ぽつりぽつりと拙く出た言葉に、依織はふいに仏頂面を崩して、自然な笑みを零していた。

「どう受け取るかは青桐さんの自由。別にあいつらの肩を持ちたい訳じゃないけど……やらなきゃ後悔する事も世の中にはある」

依織の言葉がすとんと胸に落ちた。
責任感や義務感からかもしれないが、由香は確かにキースに負い目を感じている。
この感情がなんなのか、由香には理解出来ない。

(お見舞い……行ってみよう)

それぐらいなら許される筈だ。
会ったら拒絶されるかもしれない。
帰れと追い返されるかもしれない。

(……でも、それぐらいしないといけない)

一言会って、ごめんなさいと言わなければ気が済まない。
巻き込んだのは由香だ。
由香さえいなければ、あの二人が和真と出会う事もきっとなかった。
ならば行かなければならない。

そもそも、吸血鬼だから何だというのか。
血を吸われたから何だというのか。

あの二人は昔出会ったあの吸血鬼とは違う。
きちんと人間らしい感情がある。
だから恐れなくてもいい。
何を迷っていたのかと、自分の頬をぱんと軽く叩く。

「ありがとう、依織ちゃん」

「大したことはしてない」

素っ気ない返事だったが、彼女の顔は終始穏やかなものだった。
由香の出した答えに、依織は安堵したようにも見えた。

何事もなく午後の授業は終わりを迎えた。
帰る用意はとっくに済ませてあり、終礼も終え、後は可奈と和真に先に帰っていて欲しいと頼むだけだ。

(二日連続そんな事を頼むのは気が引けるけど……)

そもそも、和真がキースを撃たなければこんな事になっていない。
半ば八つ当たり気味に和真に罪を着せ、由香は鞄を持ち教室を後にしようとした。

「ちょっと由香!」

そんな彼女をドア付近で背後から呼び止めたのは、千尋だった。
彼女は興奮しきった様で、由香の両手を握り締め、キラキラ輝く眼差しで口を開いた。

「こっち来て!すっごいイケメンが来てるの!」

(凄い……イケメン?)

脳裏にキース・ルフランの姿が過る。
だが、それはないだろう。
キースは怪我を負っている。それも銀の銃弾で着けられた傷だ。そう簡単に治りはしない。
その彼がわざわざ此処まで出向いてくるのは考えにくい。

「いいからこっち来て!」

「え……っ!?ちょっと千尋ちゃんっ!」

千尋に手を引かれ、半ば無理やり窓際に連れて来られた。
由香の教室の窓からは校庭と正面玄関が良く見える。
見れば門付近に、何やら女子の人だかりが出来ている。あれが、千尋の言うイケメンとやらなのだろうか。
何が起きているのかよく分からず、身を乗り出し必死に目を凝らす。

「っ……!」

人だかりの中心に立っている、本来此処にいる筈のない人物を捉えた瞬間、由香は堪らず後ずさっていた。
ガタンと派手な音を立て机が動いた。

(な……なんでお兄ちゃんが此処に……っ!)

そこにいたのは紛れもなく青桐叶夜だった。

(今日は学校だったんじゃ……っ)

叶夜は昨晩大学に行くとか言っていた筈だ。
それがどうしてこんなところで油を売っているのか。
困り顔で女子の輪から抜けようとしているのだが、周りにいる者はそれを許さなかった。
確かに妹ながら、本当に血が繋がっているのかと疑う程には叶夜はかっこいいと思う。
中学の頃から数えると、結構な数告白されてきている筈だ。

本人は気にしているらしい子供の頃から掛けている眼鏡も、彼の容姿を際立てる要素になっている、と由香は思う。

だが、それはそれだ。
今から可奈と和真の監視を抜け、ルフラン邸に向かおうとしている由香にとって、今の叶夜は障害以外の何物でもない。

(……バレないようにしないと)

叶夜に通用するかは分からないが、とにかくこっそり抜け出すしかないだろう。
だが、ここで叶夜を無視すると後が怖い。余計に事態が悪化しかねない。

(どうしたら……)

「あっ!今こっち見た!!」

「っ!」

びくりと肩が跳ねる。
千尋の言葉に恐る恐る窓の外を注視する。

「……あ」

バチッと言う音を起て、ばっちり外にいる叶夜と目線が合った。
こうなってしまえばもう逃げられない。

無理矢理笑顔を作り手を振ると、穏やかな笑みと共に手を振り返された。

「何?あれ由香の彼氏!?」

「ち、違うよ……!……あれはその……お兄ちゃん」

俯き加減で目線を逸らし、ぼそりと呟いた。

「嘘っ!」

千尋は大袈裟に声を上げた。
それもそうだろう。何しろ本当に似ていないのだ。
辛うじて目元はなんとなく似ているが、それ以外1ミリたりとも似ていない。

「世の中は非情ね……。私もあんなイケメンなお兄さんが欲しかった……」

がっくりと項垂れる彼女は本気で落ち込んでいるように見える。
だがそれは一瞬であり、千尋は気を取直しすと目を輝かせ、パンっと両手を合わせ由香に近付いてきた。

「お願い!お兄さんに紹介して!」

唐突な申し出にまじまじと千尋の顔を見てしまう。

「ね!お願い!……この通り!」

別に兄に友達を紹介するのは一向に構わない。
ただ、突然の事で困惑を隠しきれなかっただけだ。
叶夜も友達が出来たと報告した時は喜んでくれた。

「うん、いいよ」

「やった!ありがと由香っ!」

微笑み答えれば、千尋は飛び上がって喜んだ。
この程度の事で喜んでくれるのならお安い御用だった。
ルフラン邸に行くのは一度家に帰り、そこから抜け出せばいいだけの話だ。

千尋と共に急いで鞄片手に階段を降りる
校舎を出た瞬間、女子生徒の黄色い歓声があたりに響き渡った。
正直、この中を突き進んで叶夜のところに行くのは躊躇われた。
叫んでも、中々気付いてもらえなさそうだ。

「お兄ちゃん!」

「……由香」

だが予想に反し、叶夜は由香の発した小さな声を聞き漏らさなかった。
声を聞いた瞬間、喜色を全面に押し出し人混みを掻き分け、息を切らし由香の元へ駆け寄ってくる。

「由香の方から来てくれて良かった。見ての通りちょっと面倒な事になっちゃってて……」

叶夜は疲れた様子で、ずれた眼鏡をかけ直し、こほんとわざとらしく咳をした。

「とりあえず場所を移そうか」

「……うん」

確かにここではおちおち世間話も出来ない。
先程から、妹の由香を彼女か何かと勘違いしたらしい女子生徒の目線が突き刺さる様に痛かった。
由香は素直に頷き、後ろに控えていた千尋と共に人気のなさそうな校舎の外にある小さな林に場を移した。

「それで?そちらのお嬢さんは?」

開口一番、叶夜の視線は由香の背後に気まずそうに立っている千尋に向けられた。
眼鏡の奥の眼光は、少女を妹の敵か否か見極めているようにも見えた。

「あ……相道千尋と言います!……その、由香さんにはいつもお世話になってます!」

「ああ、君が……」

ガチガチに固くなりお辞儀をした千尋に向けられた叶夜の視線は、比較的穏やかなものだった。
穏やかな笑い顔は、タレントか何かかと疑われそうな程整っていて、それでいて由香からしてみれば、普段の何倍も胡散臭かった。
しかし、千尋にはかなり応えたらしい。

「これからも妹と仲良くしてあげてね」

「は、はい!」

顔を真っ赤にし叫ぶように返事をした千尋は、確実にノックアウトされている。

「じゃ、じゃあ私はこれで帰ります!!さ、さよなら!!」

顔を朱に染めたまま、逃げるように千尋は帰路に着いた。
千尋が去り、由香と叶夜の二人だけが残る。辺りにはなんとも言えない微妙な空気が漂っていた。

「なんでここに」
「これからは由香を迎えに行く事にしたから」

話し出したのはほぼ同時だった。

「……今……なんて……」

「だから、迎えに行く事にした」

「でも、が、学校」

「それ位、いくらでも何とか出来る」

「ば、バイトは……」

「貯金はあるよ。別に、僕が抜けても支障はないから平気だ」

叶夜はあくまでも笑顔だった。
だが、その心中は確実に由香を責める色を含んでいた。
静かに穏やかに、確実に追い詰められる。

「由香が何か隠してるのは分かってる。由香は優しいから、嘘を着くのが苦手だよね」

息を呑む。
口調は優しく、表情も柔らかい。
それどころか、なんで最初からこうしなかったのかという吹っ切れたようなものを感じさせた。
それ程に叶夜は嬉しそうだったのだ。

「由香が隠したいなら無理には聞かない。……僕自身が、由香を危険から守ればいいだけだからね」

伸ばされた腕に咄嗟に後ずさろうとした。
だが、心とは裏腹に体は動こうとしない。
怖くて動けなかった。

頬を撫でる腕に鳥肌がたつ。

「それ……は」

「いい、由香。僕は由香が心配なんだ。それを分かって欲しい」

由香だって叶夜の事が大事だ。
大事だからこそ、巻き込みたくない。
だからこうして隠している。

いつまでも兄に守られるだけの自分じゃ嫌だと思った。変わろうと思った。
だから、キースとロザリアにきちんと向き合おうと決めた。
気持ちを打ち明けてくれる彼らに、自分の気持ちを伝えようとした。

「……ごめん……なさい」

だから、引く訳には行かなかった。

「……由香」

叶夜の声のトーンがあからさまに下がった。

「私もお兄ちゃんの事が大切。だから、言えない。巻き込みたくない。だから、お兄ちゃんはもっと自分を大切にして」

叶夜の目が細められる。
これ以上もう反抗するなと、由香に対して怒っているように見えた。
だが、ここで黙って従っていたら、何も変わらない。
変わりたいと願った。叶夜もそれを応援してくれた。だから、引かない。

「許さない」

「おにいちゃーー」

「今更離れるなんて許さない」

嘗てこれ程までに兄から冷たい目で見られた事があっただろうか。
ぞくりと悪寒が走る。血の気が引き、背中を冷や汗が伝っていくのが分かった。

「由香がなんと言おうが迎えに行く」

無理矢理手を引かれ、帰路に着かされる。

「それから、由香が冷静になるまでは学校以外外出禁止にするから」

そう言って、叶夜は恐ろしいほどの満面の笑みを浮かべた。
独り立ちする由香を応援すると言ってくれた筈なのに、叶夜の今している事は、間違いなく由香を前以上に孤立させる行為だった。

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