剥き出しの牙
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それから、由香と叶夜にとって初めての、港家全員揃っての夕食が始まった。
港家の食卓は普段から豪華なものだったが、今日はまた一段と気合が入っていた。
大量の揚げ物に大皿のグラタンとシーザーサラダ、それに加えてステーキまで用意するのは流石にカロリーと量的に如何なものかと思い恐縮したが、港家一同喜んでいたので良しとしよう。

食卓は一段と賑やかだった。
嘉隆は思っていた以上に話題に富んだ人だった。
アマゾンの秘境の話からニューヨークでの仕事の話まで、この人は本当に何者なんだろうというぐらい、彼は茫々に出向いていたらしい。

茜と由香は、純粋に嘉隆の話を楽しんでいたが、港の兄妹と叶夜は、少々苦笑いだった。
港兄妹は慣れっこだから、うろうろして帰ってこない父に呆れている、という理由でこの反応も頷けなくもないが、叶夜は本当にとことんこの人と合わない体質らしい。
食卓を囲みながら、由香は叶夜のピリピリとした空気を察知していた。
表面上はいつもの兄となにも変わらないし、嘉隆の話にもそこそこ頷いていたが、時々見せる冷めきった目が、どこか伯父を見下しているように写った。

尤も、由香が叶夜を見詰めると、彼は冷たさ等何処へやら、いつもの甘過ぎる兄であることに変わりはなかったのだが。

そんな波乱の夜から一夜明け、由香は教室の自分の席に腰掛けながらロザリアの顔色がどことなく悪いのを察知していた。
ただでさえ肌が白いのに、今日は一段と青白い。
どう見ても、彼女は万全の体制ではない。

彼女はそれを由香に悟らせまいと、普段以上に元気に振舞っていたが、疎い由香でも、流石にそれが虚勢を張っているのだと理解した。
意を決して由香がロザリアに本題を切り出したのは、丁度三時間目が終わった後の休み時間だった。
次の時間は体育だった。
こんな状態で、ロザリアに運動させる訳にはいかない。普段の彼女の運動神経には目を見張るものがあるが、今はその話は別だ。

「ロザリアちゃん、その……大丈夫?」

「……何を言ってるの?私はいつも通りじゃない」

一瞬の沈黙の後、ロザリアは胸に手を当て、痛々しい程の満面の笑みを浮かべた。
足取りもおぼつかず、こんな事ではいつ倒れてもおかしくない。
無理をしているのは明白だ。
昨日の今日だけに、心配も大きい。
まさか、昨日部屋に一人で引き篭もってしまったのはこれのせいなのではないか。
暗い室内で気付かなかったが、もしかすると無茶をさせてしまったのだろうか。

「ロザリアちゃん、まさか昨日から」

「そんな訳ないじゃない。全く由香は心配性なんだから」

あはは、と声を弾ませ可憐に笑うが、どこからどう見ても彼女は病人だ。

「ロザリアちゃん、保健室に」

まずは保険の先生に見せなければ病状の判断が付かないと、由香は純粋な心配からロザリアに申し出た。
しかし、彼女は頑なだった。
それどころか

「っ……!嫌、絶対に嫌!」

頭を振って断固として拒絶した。

「ロザリアちゃん」

「嫌よ、私は元気だもの。心配される必要なんてない」

「キ……ルフラン先生はこの事……」

「どうしてそこでキースが出てくるのよ!お兄様は関係ないでしょ!?」

ロザリアは大きく目を見開くと、由香をギッと睨み付け、声を荒らげた。ぜぇはぁと息を切らしながら、ロザリアは憔悴していた。
彼女がキースの事を呼び捨てにしているのを初めて聞いた。
それだけ、余裕がないという事なのか。

「……いいから、由香は気にしないで。由香には関係ない」

彼女はぶっきらぼうに言い切ると、無理矢理由香の手を引いて歩き出した。
そんな彼女の虚勢がそう長く続く訳もなく、ロザリアは授業が始まって早々、走り込みが終わった瞬間その場に意識を失い崩れ落ちた。

「ロザリアちゃん!?」

「ルフランさん!?」

「おい!誰かこいつを保健室に!!」

担当の男性教師が叫んだ。
その場は騒然となった。
当然だろう、生徒が突然意識を失い倒れたのだ。それに加えて、ロザリアは人形のような美少女だ。
そんな彼女が倒れたとなれば、当然場は荒れる。

ロザリアは確かに、変わったところもあるし、怖い部分もある。
それでも友達であり、好いていてくれているのは確かだ。それに、由香も彼女を憎みきれないでいた。
由香は、意を決して手を上げた。

「わ、私が……っ、連れていきます」

「おお、そうか。だが、青桐一人だと少し無理が……」

「私も行きます」

そこで手を上げたのは依織だった。
積極性にかける常に傍観者ポジションであった彼女が動いたのが相当珍しいのか、ある意味場は騒然となった。

何より、一番驚いたのは由香だった。
何故にこうまで親切にしてもらえるのか、由香には分からなかった。

それから紆余曲折あったものの、二人は協力してロザリアを保健室まで運び込んだ。
意識のないロザリアの腕を肩に回させ、結構な距離を歩いた気がする。
非力な由香には骨の折れる作業かと思われたが、ロザリアは予想以上に軽かった。
何も食べてないのではいないかという軽さに、依織も微かに眉を潜めていた。

依織はロザリアを運ぶ最中、何も話さなかった。
彼女の心理は由香には度し難い。
保健室には誰もいなかった。
ロザリアを無人の保健室のベッドに横たえさせて、初めて依織は口を開いた。

「青桐さん、少し話があるんだけど」

眉を潜め、依織は由香を睨むように見詰めていた。眼鏡の奥の瞳が、少しだけ怒りに揺れているように見えた。

「話って……」

「ここじゃまずいから、外で話す」

そう告げる依織に続いて、二人は保健室の外に出た。
部屋を出る間際、眠るロザリアの顔を覗きみた。彼女は死んでいるように静かだった。
さながら眠り姫といったところだろうか。
とにかく、ロザリアが生きている事に安堵しつつ、由香は保健室の外に出た。
人気のない、保健室に程近い空き教室に入った依織は、由香を真っ直ぐに見据えた。

「私は、貴女に忠告した。近付かない方が身の為だって。なのに、貴女は馬鹿なのね」

確かに、依織は警告してくれた。
あの二人は危険だと、確かに告げてくれた。
その忠告を無視したのは自分だ。馬鹿と言われるのも道理だろう。
だが、どうにも由香にはあの二人を嫌えそうにはなかった。お人好しな考え方だ。

過去に過ちを冒しておきながら、由香はまたきっと同じ間違いをする。
それでも、あの二人が由香に牙を向かない以上は、出来るだけ信じてみようと思った。
あんなにも自分を尊重し、時折縋るような眼差しで見詰める人を、拒める訳がなかった。
由香は、少し俯きなぎら掌を握りしめた。

「倉橋さんは……何者……なんですか」

「私はただ、普通の人より『そういうもの』に敏感なだけ。霊感……みたいな感じ。まぁ、吸血鬼っていうのは勘だけど、とりあえず、あの兄妹は人間じゃない。それは確か」

人ではない事など、由香も薄々感付いている。
ただ、それが吸血鬼だというのは、信じたくはなかった。
いずれ二人には聞かなければならない。
本当は何者なのか、全部。

(ロザリアちゃんが目を覚ましたら……聞こう)

全部、彼女の口から聞かなければ。
全部知っても、由香はあの二人と一緒にいられるか等分からない。
知らないのと、見て見ぬふりをするのとは訳が違う。
だが、目を逸らし続ける訳にはいかない。

「どうして、私にそんな事を……?」

「同情心」

淡々とした声音で言い切り、依織は無表情で、先に戻ると言い、空き教室を出た。
その間際、彼女は立ち止まって由香を振り返った。

「決めるのは青桐さんだから、私はもう何も言えない。あと、……依織でいい」

依織は微かに、笑んでいた。
彼女に釣られて笑顔になる顔を自覚しながら、由香も空き教室を後にした。

そして、放課後。
由香は、和真と可奈に先に帰っていて欲しいと告げ、一人保健室を訪れた。
ロザリアの鞄と自分の鞄の二つ持ちなのもあり、肩が少し痛んだが、それも些細な事だ。

「ロザリア……ちゃん?」

恐る恐る、ロザリアを起こさないように引き戸を開け、由香は中をのぞき込んだ。

知らず、心臓が煩かった。
バクバクと張り裂けんばかりに動くのを誤魔化すように、きつく肩から掛けた鞄の取っ手を握りしめた。

ベッドに近寄りロザリアの顔を覗き見る。
ロザリアは眠っていた。
それこそ眠り姫のように、穏やかに。

保健室には相変わらず養護教諭はおらず、もしかしたらロザリアが何か術でも使ったのかもしれなかった。

「ロザリアちゃん」

ベッドサイド鞄を置き、すぐそばにあった椅子に腰掛け、まじまじと寝顔を観察する。
こんなに可愛い少女が人外の魔、等とは信じられない。
しかし、言われてみれば最初からあの二人は異質だったのだ。

はぁと溜息を吐く。
気持ちは重い。
当然だ。これ程までに緊張するとは思わなかった。
きっと、しばらくすればキースがやってくる。仮にも彼女の兄なのだから、連絡ぐらいはいっている筈だ。
とりあえずは、ロザリアが目覚めるのを待つことにした。
幸い時間は山ほどある。
無理に起こすことはない。
と、急にぱちりとロザリアの真紅の目が開かれた。
深い赤はいつも以上に朗々と輝いており、由香は思わず見とれてしまった。

ロザリアは虚ろな眼差しで、自分を見上げている由香を見ていた。
まだ寝ぼけているのか、ぱちぱちと静かに瞬きを繰り返し、ロザリアは何も話さなかった。
いつもなら、由香と己の名を連呼しながら抱き着いてくるだけに、これはこれで新鮮で、純粋に可愛らしいと思い、クスリと失笑した。

だから、由香は理解出来なかった。
見下げていた筈のロザリアに、自分が今、組み敷かれているという状態に。

「ロザリアちゃ……ん……?」

どくんどくんと、頭が痛い。
手には汗が滲む。
ロザリアは相変わらず呆然としている。
何の、悪い冗談だろうか。

「ロザリアちゃん、冗談はーー」

やめて。

そう言った筈の声は

「いっーーーー!?」

痛々しい悲鳴に掻き消された。

どうして、こうなったのか分からない。
どうして、いつも由香由香と、可愛らしく名を呼びながら、純粋に慕ってくれている彼女が、こうして、由香の首筋に牙を埋め、血をすすり飲んでいるのか。
理解出来ない。
したくない。

蘇ってくるのは、否応なしに七年前の忌々しい記憶だった。
忘れもしない、欲情に濡れたあの赤い目。
自分の中から血が抜けていく、生々しい感触。
それと全く同じだ。
ズルズルと音をたてて、ロザリアは血を飲んでいた。
ゴクリゴクリという生々しい音が頭に直接響いてくる感覚に、本気で吐き気を覚えた。
気持ち悪い。気持ち悪い。
ああ、気持ち悪い。

「ロザ……リア……ちゃ……」

掠れる声で自分に掴みかかっているロザリアの手を抑え、抵抗を試みる。
遠慮なく飲まれているせいで、意識は朦朧としている。

「ロザリア……ちゃん!!」

それでも最後の抵抗とばかりに、力を振り絞りもう一度名を叫ぶ。
その直後、

「え…………?」

素っ頓狂な、場違いなまでの声を上げたのは、他でもないロザリア自身だった。

「なん……で……」

自分の下で、胸で息をする憔悴した由香を見付けた彼女はあからさまに動揺していた。
肩を大きく震わせ、カタカタと歯を鳴らし、大きく目を見開き、ロザリアは両手で自分の肩を抑えた。

「私は……わ……たし……」

歯を食いしばり、ロザリアはぽろぽろと大粒の涙を零していた。
みっともなく綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて、口の周りに付いた血と溢れ出る涙を形相を変え、必死に拭う彼女は、見ていて痛々しかった。

「ごめんなさいっ……!ごめんなさい!ごめんなさいっ!」

頭上で涙するロザリアに、由香が声を掛けられる筈がなかった。
わんわんと声を上げて泣く、歳相応の、それ以上に幼い少女を、由香は責められなかった。
責められる筈がない。
由香は理解した。
この子は子供なのだと。拠り所を求めているだけの小さな小さな一人の少女なのだと。

「ロザリアちゃーー」

もう泣かなくてもいいよ。

頭を撫でて言おうとした。
この子は弱いのだ。
強がっているだけで、誰より寂しいのだと。
だか、それは叶わなかった。
ロザリアは、次の瞬間には、凄まじい轟音を起て、蹴り飛ばされていた。
文字通り、蹴り飛ばされていたのだ。

あまりの苦痛の為か、ロザリアは声にならない悲鳴を上げて、蹴られた腹を無言で押さえながら、その場に小さく丸まった。
だが、彼女を蹴り飛ばした男はそれを許さなかった。

「ロザリア」

その人は、今まで聞いたこともない、底冷えのする声で、少女の名を呼んだ。
男はどこまでも静かだった。
先程、無慈悲に小さな少女を全く手加減せずに蹴ったのと同じ人間だとは思えない程の静けさ。
穏やかで、顔には笑顔さえ浮かんでいる。
だが、由香にも感じられた。
滲み出る隠しきれていない、否そもそも隠す気などないのだろう怒気を。

「キース……さ……ん」

この人は本当にキースなのだろうか。
少なくとも、由香の知るキースは、穏やかで紳士だった。
時折変なセクハラ発言はしていたが、彼はあくまで由香の前では真摯であろうとした。

キースは由香の呼び掛けに応えなかった。
気付いてはいたのだろう。
彼は、由香応える変わりとばかりに、ロザリアにもう一発遠慮なく蹴りを入れた。

「ぃ……が……っ……は……っぁ……!」

ロザリアはえずいていた。
小さな少女が蹴られる姿は見ていて心地の良いものではない。
それが、たとえ自分の血を吸った吸血鬼であろうと、あれがロザリアであることに変わりはない。

「約束が違う」

キースは笑顔のまま、ぐりぐりとロザリアの顔を踏み付けていた。
由香に向ける笑顔と寸分たがわぬ顔で、とんでもない暴挙に出る彼を純粋に恐ろしいと思った。

「ねぇ、ロザリア」

「ぁ……ぁ……う……っ…………!」

「由香を傷付ける事はしないと、君は確かにそう言わなかった?私に偉そうにするな、と言ったのはどこの誰?」

「……キースさん」

「一体どれだけ血を飲まないと、そう自我を失う程憔悴できるの?」

「キースさん!!」

三度目の呼び掛けで、ようやくキースは振り返った。

「由香、すまないけれど、少し待っていてもらえる?」

「キースさん……ロザリアちゃんが、死んじゃ……う」

半泣きになりながら叫んだ。
キースは尚、穏やかだった。
初めて本気でこの人を怖いと思った。
血を吸われる恐怖がなんだというのだ。
この人の方が、キース・ルフランの方がよっぽど恐ろしい。

「由香、私はね、今とても怒っているんだよ。危ないから、下がっていた方がいい」

「でもロザリアちゃんが」

「君は、そんなにロザリアが大切?」

なんだろう、この感覚は。
キースは笑っている。
一度として、彼は怒鳴っていない、顔を歪めてもいない。
なのに、どうしてこうも背筋がゾッとするのだろうか。
由香に、キースは危害を加えていない。
それなのに、鳥肌が一向に収まらない。
この人は、こんなにも怖い人だっただろうか。

いや、本当は最初からこういう人だったのかもしれない。
巧妙に隠していただけの話。

「ねぇ、由香。答えて」

キースはロザリアから離れると由香に歩みを寄せた。
その瞬間悟った。
次の標的は私だと。

「ぁ…………ぁ……」

自然に声が震えてしまう。
噛まれた首筋を押さえながら後ずさるが、ベッドの上だと移動範囲に限界がある。
間髪おかず追い詰められていた。

「見せて」

キースは無理矢理由香の腕を退かせると、首筋の傷に視線を這わせた。
赤い双眸が、いつも以上に鈍く輝いていた。
傷に指で撫でられると、ぞくりと背筋に震えが走った。

「遠慮なく噛まれたね」

「由香……私っ……」

「今の君に、由香の傍にいる資格はない」

ふらふらと腹を押さえながら立ち上がってきたロザリアを、キースは見もせずに一括した。
ロザリアは涙を目に貯めると、由香の静止の声も聞かず、外に駆け出していってしまった。


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