束の間の休息
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授業中のロザリアの態度に特に変わったものは見られなかった。
強いていうなら、彼女は一学生である由香の目から見ても異質な才能とカリスマ性を持ち合わせているように見えた。

こんな田舎には釣り合わない、都会の、それこそ彼女と彼女の兄が元は住んでいたイギリスの学校に行ったほうがその才能を活かすことが出来る。

少なくとも、昼休みに至るまでのこの数時間で由香はそう感じた。
彼女は基本的に由香にべったりだった。
由香の一挙一動に一喜一憂する、忠実な犬。
ロザリアが何かしたのか、彼女以外の人間は由香に話しかけるどころか近寄ってもこなかった。
千尋も、元から仲の良かったのだろうクラスメイト達と話すばかりで、由香には目もくれなかった。
目もくれないというより、由香の存在を空気のように認識出来ていないように思えた。
無視とは少し違う奇妙な感覚がこの数時間由香の心に奇矯な影を落としていた。

そんな中、ロザリアが唐突に教室から姿を消した。
四時間目が終了し、昼休みに突入した直後。
お昼ご飯はどうしたらいいのだろう、やっぱりロザリアと食べる事になるのだろうか。
そんな事を考えながら数学のノートを片付けていた一瞬の隙に、ロザリアは姿を消した。

それこそ幻のように。

「……ロザリアちゃん?」

ぽつりと呟きを零しても、誰も返すものはいない。
ただ、喧騒の中に消えていくだけだ。

ロザリアの事は心配だったが、それ以上にどこか安堵している自分がいた。
由香は、申し訳なく思いながらも一人、茜が作ってくれたお弁当の袋を持ちながら、ちらりと後ろで友達と歓談している千尋に目線を向けた。
今から彼女達の輪に加わる勇気は、今の由香にはなかった。

可奈のところに行っても迷惑を掛けてしまうし、和真は論外だ。

(……今日は、一人で食べようかな)

そう思い、席を立った時だった。

「青桐さん」

凛とした低めの声が由香の耳に届いた。
振り返ると、そこには何故か由香の印象に強く残っていた、倉橋依織という少女が立っていた。

「お弁当、一緒に食べても構わない?」

彼女は淡々とした口調で言い放った。
依織は一人でいる印象が強かっただけに、正直今回のアプローチは意外だった。
まさか、彼女から話し掛けられるとは思っていなかったので、由香はあたふたと動揺してしまった。

「え……!?ぜ、全然大丈夫!」

「そう」

てんパってしまう由香とは違い、依織は実にドライだった。
興味無さそうに呟いて、依織はこっち、と短く言うと由香を軽く手招き、校舎裏にあるベンチへと由香を案内した。

「座って」

「……はい」

一体何の要件なのだろうか。
由香は内心ガクガクしながら、先に座っていた依織の横に腰掛けた。
だが、由香の想像に反して、彼女は普通にお弁当を食べ始めた。

(まさか、本当にご飯に誘ってくれただけ?)

純粋な好意は嬉しいが、だが、依織には何か裏がありそうな気がした。
しかも、今まで一人でいたのに、今日に限ってタイミングを見計らったように。

心配で、由香は広げたものの、結局弁当に一口もつけることが出来なかった。

「食べないの?」

「あ……うん。食欲なくて……」

愛想笑いで返せば、ふーんという興味無さ気な返事が返ってくるだけだった。
依織はそそくさと弁当を片付けると、由香の目を射抜くようにまっすぐに見詰め、唐突に切り出した。

「あの兄妹には気を付けた方がいい」

「え……?」

心臓を撃ち抜かれた気がした。
バクバクと激しい動悸が胸を襲い、時間が止まったように感じた。
この人は何かを知っている。
全身が熱かった。

「忠告はしたから、後は青桐さんの好きにすればいい」

「ま、待って!」

気が付いたら、立ち上がりその場を去ろうとした依織の服の袖を掴んでいた。
今、彼女を逃したら何かを間違えてしまいそうな気がして。
捕らえずにはいられない。
聞かずには、耳を傾けずにはいられない。

「……それってどういう意味……なんですか……」

由香の問いに、彼女は無表情に見返してくるだけだった。
やがて、依織は長い長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「青桐さんは、吸血鬼って信じる?」

依織は笑っていた。
邪悪に。
この世すべての悪を詰め込んだような、ありとあらゆる負の感情をごちゃごちゃに混ぜ合わせたかのような顔で。

信じるも信じないも、由香はその身を持って体感している。
吸血鬼の恐ろしさを。
血を吸われる感触をおぞましさを。
欲望に濡れたあの眼差しを。

その意味するところは。
彼女の言いたかった事は。
だが、どうして彼女がそんなことを知っているのか。
依織は何者なのか。
訳がわからない。
訳がわからないことばかりだ。

由香の周りで、何かが起きている。
間違いなく由香の心身を蝕む形で何かが。

「忠告はしたから」

依織は元の無表情に戻ると、唖然とする由香を振り払い、颯爽とその場から立ち去った。

残された由香の中に燻っていたのは、漠然とした恐怖だけだった。

(追いかけなきゃ……)

フラフラと由香は震える足でベンチから立ち上がった。
依織から、きちんと聞かなければならない。
彼女が何をどこまで知っているのかは分からないが、少なくとも由香よりは何かを知っている。
先程の発言はそう確信できるものだった。

がたがたと、全身が震えていた。
少しでも力を抜けばその場にしゃがみこんでしまいそうな程に。

(でも今は……)

今は彼女を追わなければならない。

由香は依織が去っていった方へ鋭い目線を向けて、走り出そうとした。
だが、それは、背後からの思いも寄らない抱擁により阻まれる事となってしまった。

「探したよ、由香」

耳元から聞こえる穏やかなテノールに、由香の心臓が恐怖に震えた。
抱き締める腕はどこまでも優しく、愛情の篭ったものだった。
だからこそ、余計に恐ろしい。

「キ……ース……さん……」

「御名答」

名を呼ばれた人物、キースは由香の声を聞くと嬉しそうに笑い、由香を腕の中から開放した。
間近で囁かれた耳がまだ熱かった。
耳だけでなく全身が、羞恥、或いは恐怖に染まる。

「そう固くならなくても、なにもしないよ」

震える由香を他所に、キースはおどけたように顎に手を当てて笑んだ。
その仕草が実に絵になっていたものだから、余計に由香は居心地の悪さを感じた。

「……な……何の用でしょうか……」

今はキースよりも依織を優先しなければならない。
こんなところで油を売っている場合ではないのだ。
それに、依織に気を付けろと言われた手前、そう安々とキースに気を許す事は出来ない。

用があるなら早く済ませて欲しい。

「まぁ、とりあえず座って。……ほら、こちらに」

キースは先程まで由香が腰掛けていた位置に座ると、自身の横、先程までは依織が座っていた場所をぽんぽんと軽く叩いて由香を呼び寄せた。

にっこりと、全力でキラキラ輝くオーラを出しながら言われてしまえば、しがない小娘の由香に拒む力等ない訳で。
由香は渋々、恐る恐るといった具合に仕方なしにキースの横に腰を落ち着けた。

正直落ち着かない。
帰りたい。
居心地が悪いなんてものじゃない。

「あの……」

要件があるなら手短にお願いします。

そう言おうと口を開いたが、そんな事を言っているような状況ではなくなってしまった。
キースは、何の前触れもなしに由香の膝に頭を乗せてきた。

「キッ……!?キースさ……!?」

所謂膝枕。
どこからどう見ても膝枕以外の何物でもない。
未だかつて無い状況に、由香の頭は爆発寸前だった。

(何……!?これ、どういう状況なの……!?)

頭の中は真っ白だ。
ただ膝に伸し掛かってくる心地よい重量感に困惑する事しか出来ない。

そんな由香を、キースは下から実に愉快だと言った様子に穏やかに笑みながら見つめていた。

「そこまで驚く事?」

「お……驚くとか驚かないとかそういう話じゃ!?……あ、あの」

「うん?」

何の気もなしに、自然な様子で由香の頬に伸ばされた優しく触れてくるキースの腕に、由香はもごもごと口を動かす事しか出来なかった。
恥ずかしいなんてものじゃない。
由香の中にあった恐怖の感情は突拍子もないキースの行動にすべて消し飛んだ。

キースは由香の頬のラインを撫でながら、目元を細め、壊れ物を扱うかのようにそっと由香に話し掛けた。

「由香、しばらく私は眠るから、少しの間、膝を貸していて欲しい」

「え……?あ……あの……キースさん……?」

宣言するなり、キースは目を閉じたままピクリとも動かなくなった。
本当に寝てしまったようだ。

「キースさん?」

名前を呼んでも何の反応も帰って来ない。
人を呼び止めておいて、何の用かと思えば、まさか膝枕をして欲しいだからだとは、誰が思うだろうか。

誰かに見られたりしないだろうかと、由香はキョロキョロと辺りを見回した。
尤も、キースは見られてもけろっとしていてあまり関係なさそうではあるが。
それでも、由香が恥ずかしい。

辺りには誰もいないようで、物音一つ聞こえない。
これは、依織を追い掛ける事はどうも無理そうだ。

由香は溜息を吐いて、改めて眼下にある美しい寝顔を見つめた。

「……綺麗」

思わず声に出してしまう程、キースは綺麗だ。
男性に綺麗は失礼なのかもしれないが、かっこいいではなく、綺麗、美しい。
そういう形容の方がキースには相応しい。
由香はそう思った。

出来心で、艶のある黒髪にそっと触れてみた。
膝を貸しているのだから、これくらいは許されるだろう。
見た目通りさらさらと流れるような髪は触り心地が非常にいい。
女である由香より、何もかもが美しい。

眠る顔はどこまでも無防備で、悪意等どこにもないように思えた。
吸血鬼は悪いものだ。
由香はそう思っているし、今後共それが変わることはない。

キースは由香に血を求めるような事はしないし、ロザリアも同様だ。
漫画やドラマのイメージで、吸血鬼というのは愛する者の血をより一層求める、というような印象があるが、それならどうして二人は血を吸わないのか。

結果は単純。
二人は、吸血鬼ではないからだ。
そう、今だけは思い込んでおく事にした。

二人が由香を親愛してくれているのは事実だ。
そこは、もう由香も認めざるを得ない。
どうして、だとか、意味が分からないだとか、そんな事は考えない事にした。

依織の発言はどう考えても、二人が吸血鬼だと言っている様にしか思えない。
それに、ロザリアも何処かそんな雰囲気を持っている。吸血鬼でなかったとしても、催眠術のような物を使ったりとまともな人間ではないのだろう。

唯、今は、気を許しきって膝に頭を預けている人を、由香は信じる事しか出来なかった。


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