過剰反応
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日暮高等学校はかなり長い歴史を持つ学校だ。
来年で丁度創立120年になるらしい一度も建て替えられていない木造の校舎は、かなり趣が感じられ、それどころかむしろ不穏な空気を発していた。

それは始業式の行われる講堂も同様で、席に付ききょろきょろと辺りの様子を伺っていた由香は、正体の知れぬ悪寒を感じていた。

「あの……相道さん」

「千尋でいいよ」

心細さを感じ、横に座る千尋に声を掛けた。
彼女は苦笑いを浮かべると、もう一回といたずらっ子のように笑んで見せた。

「あ……えっと、……千尋ちゃん」

「なに?」

改めて呼び方を正して彼女に話しかけると、今度は満足げな笑顔が帰ってきた。

「……ここ、なんだか怖くない?」

「うーん、私らはずっとこんな感じの校舎だからねー……。慣れてるし、特に怖いとか思わないかな」

都会育ちで情けない由香と違って、自然に囲まれて育ったここの子供達は皆一様に慣れているように見えた。
周りを見回しても、誰一人として校舎の古さを気にする者はいない。

「……そうなんだ」

一人ぽつりと取り残されたような気がして、由香は誰にも気付かれないようにしてこっそりと溜息を吐いた。

「あ、そっか。普通は木製じゃないんだっけ?あ……テレビで見る学校はそういえば真っ白だったなー。ね、由香、都会の学校って本当にコンクリートで出来てるの!?」

溜息に気付いたのか、由香の落胆した様子を察知したらしい千尋は励ますようにして横から由香の顔を覗き込んできた。

「え、あ……うん」

「へー!凄いなー!私なんて小学校からずっと木製校舎」

千尋は凄いと言うが、由香からしてみれば千尋のほうが凄いと思った。
都会で完全に木製の学舎など相当珍しい。

今でも木製で一度も建て替えられていないという方が、歴史的な価値も趣もある。

その事を千尋に告げると、彼女は少し気恥ずかしそうにありがとね、とだけ呟いた。

そうこうするうちに、舞台の上に校長と思われる年配の男性が上がり、マイクを手に取った。

「皆さん、静粛に」

その声を合図に今までざわついていた室内に痛い程の沈黙が落ちた。
男性はごほんとひとつ咳払いすると、手慣れた様子で口上を口にした。

「それでは、今から第119回。始業式を開始します。一同起立!礼!着席!」

指示に従い生徒達が動作をする。
そこから先は、由香の知る始業式の様子と大差なかった。
どこの学校もやる事は同じらしい。

先程号令を掛けた男性はやはり校長だったようで、彼の話から始まり、次に少しばかりの表彰。そして、一年生との対面式。
なんの変哲もない普通の式典。

そろそろ終わりだなと思った由香は、ほっと一息吐こうとした。

校長が重い口を開いたのはそんな時だった。

「さて、皆さん。今日から嬉しい事に、新しい先生が一人この学校に加わる事になりました!」

その声を聞いた瞬間、講堂の中にどよめきが起きた。
転校生の由香と同じく、こんな辺鄙な場所に誰か新しいメンバーが加わる事は本当に稀なようで、生徒達の驚き方は尋常ではなかった。

「ね!ね!イケメンかなー!?」
「そんな訳ないでしょー」
「漫画じゃねーんだぞ、そんな都合の良い展開ねーよ」
「いやでも俺は美人に一票」
「同じく!巨乳のおねーさん希望!!」

近くから聞こえてくる生徒達の会話は、大まかに言うとこんな感じだった。

横に座っている千尋もテンションが上がっているようで、襲い掛からん勢いで由香の両手を握りしめてきた。

「転入生だけじゃなくて新任の先生も!!すっごい!奇跡よ!奇跡!!」

そんな中でも、相変わらず倉橋というらしい女性徒は無関心を貫いていた。
だから、由香には余計に彼女が印象に強く残った。

「皆さん、嬉しいのは分かりますが静粛に!」

校長の三度目になる叫び声で、ようやく場に静寂が戻ってきた。

彼は再び咳払いを落とすと、満面の笑みで声を上げた。

「それでは、先生。どうぞ!」

誰もが一斉に息を呑んだ。

声に従って現れた、長い黒髪を一纏めにしたこの世のものとは思えない美貌を持った男に、誰一人として声を上げる事も、目を離すこともできなかった。
呆然として、全ての生気を吸われる。
化け物じみた狂気に包まれた美しさがそこにはあった。

由香はその男性に見覚えがあった。

ここにやってきて直ぐに出会った、赤い目をした西洋の貴族のような風貌をした、夜の国の王子様のような人。

そして、なにより由香を口説き、手の甲に口付けてきた人。

「初めまして、キース・ルフランです。この度は、こちらで英語科を担当する事になりました。この通り、海外の出身ですが日本語は普通に話せます。ですので、どうぞお気軽に話しかけてくださいね。皆さん、よろしくお願いします」

ゴシックコートではなく、今時のスマートなスーツに見を包んだキースは、悠然とした貴族のような立ち振る舞いで一礼すると、赤い瞳を綺麗に細め、作り物のような優雅な笑みを浮かべた。

ほんの一瞬、由香はキースの目がこちらに向き、一層笑みが深まった気がした。

(き、気のせいだよね……?)

二年生の由香は一年生の後ろに座っている。
だから、キースの方から由香の姿が捉えられる確率は限りなく零に近い。

由香は赤くなる頬を必死に隠しながらも、それでもキースから目を離すことが出来なかった。
彫像のような美しさを持つあの人に見惚れてしまっていた。

それは、周りにいる生徒達や隣に座る千尋も同じようで、男女関係なく彼から誰一人として目を離すことが出来ずにいた。

「それでは皆さん、拍手を」

校長の一言で、生徒達は現実に意識を引き戻された。
拍手の音で照れくさそうに笑ってみせるキースに、大きな歓声が巻起こった。
それは、キースが退場してからも、始業式が終わって教室に戻っても続いていた。

「……ねぇ、由香。ルフラン先生だっけ?……すっごいイケメンだったね」

「……う……うん……」

教室の、自分の席に付きながら話していた由香は、たどたどしく頷いた。

由香は彼と顔を合わせるのは二度目だが、それでも惹き込まれずにはいられなかった。
今考えれば、よく一回目に会った時あの近距離で耐えられたものだ。

「なんだろう、オーラが違うっていうか……とにかく、凄かった」

千尋の声を何処か遠くで聞き流しながら、由香は赤くなる頬を自覚していた。
脳裏に過るのは、初対面の時の衝撃的な出来事の数々。
あんなに素敵な人にお姫様抱っこされたり手の甲とはいえ、キスされるとは、恥ずかしすぎて死んでしまいそうだった。

「由香どうしたの?大丈夫?」

あまりに呆然としていたからだろうか、ペチペチと軽く千尋に頬を叩かれた。

「え、あ……うん!大丈夫!!」

「そう?」

うんうんと必死で首を上下に振ると、まだ納得はしていなさそうだったが、なんとか分かってくれたようで、千尋は訝しむような眼差しではあったが渋々話題を別の方向に逸らしてくれた。

やがて、しばらくすると、教室に一条が入ってきた。
それから、少しだけ諸連絡とプリントを配布し終えると、ニコッと笑顔を浮かべた。

「はーいじゃあ今日はお疲れ様ー!帰ってよし!さよならー!」

解散は実に呆気ないものだった。それだけ言うと、一条はそそくさと教室を出ていってしまった。
その様に呆気にとられていると、千尋に、いつもあんな感じよと小声で告げられた。

「ね、由香。せっかくだし、一緒に帰らない?」

千尋の誘いは嬉しかった。
だが、朝可奈と約束したので、今回は残念ながら無理そうだ。
その旨を告げると、千尋は渋々と言った様子で引き下がってくれた。

「先約がいるなら仕方ないなー、じゃ、また今度!明日からもよろしくね!」

「うん」

由香は、教室を出ていく新しく出来た友達に手を振ると、自分も退室しようと、ゆっくりと教室を出た。

可奈に待ち合わせ場所として指定されたのは、一階の階段脇に置かれている古い置き時計の下だった。
木造の古いそれは、修理する為の部品がもうないらしく今は動いてはいないが、歴史的価値のあるものとして、オブジェとして大切にされているようだった。

時計の置かれている場所は丁度階段から死角になっているらしく、人混みや視線が苦手な由香からしてみれば、非常にありがたいところだった。

(和真をひっぱってくるって言ってたし……可奈ちゃんが来るのはちょっと遅くなりそうかな……?)

由香はそんな事を考えながら一人古い置き時計を眺めていた。

よくよく見てみると、端の方に明治27年という年号が刻まれていた。
年から考えるに119年前。創立当時に記念で送られたものなのだろう。
そういえば、昔の童謡で古い時計を題材にしたものがあった筈。

(あれは確か……)

「まるで、大きな古時計だね」

「ひ……っ!?」

急に背後から聞こえた声に、思わず変な声を上げてしまった。
恐る恐る振り返った場所にいたのは、始業式で見たばかりの、記憶に新しい見目麗しい美青年だった。

「き……っ!……ル……ルフラン……先生」

思わずキースさんと叫びそうになる声を無理矢理抑えつけた。
ここは、学校。由香は生徒。そして、キースは教師だ。
この前のように気軽に下の名前で呼んでいい関係じゃない。

「久しぶりだね、由香」

だが、彼に由香と距離を置く気は毛頭ないらしく、相変わらずキースは馴れ馴れしく、愛しい人にするような眼差しを向け、由香の髪を優しく撫でてきた。

「あ……の、ここ……学校だし……そ……その……」

「うん?」

言いたい事は分かっているであろうに、キースは一向に由香の要望を聞く気はないようだ。
キースが由香に向ける眼差しは明らかに生徒に対するものじゃない。
全てを溶かすような甘やかな声で囁かれ、正直溜まったものではない。羞恥心で死にそうだ。
叶うなら、由香はこの場から逃げ出してしまいたかった。

「ねぇ、由香。私は、君には『キース』と気軽に下の名で呼ばれたい」

「で……でも」

「流石に、仕事中に君を由香とは呼ばないよ。公私は分けるさ。……だから、プライベートではキースと呼んではくれないかな?」

今この状況はどう考えても、プライベートではない。公の場だ。
それでも、この人からしてみれば、授業外の今は一応プライベートになるらしい。

「由香、哀れな男の願いを聞いてはくれないかな?」

ぼそりと耳元で囁かれては、たまったものではない。

「キースさん!!」

由香は仕方なしに下の名前を呼び、キースを突き飛ばした。
ぜえぜえと呼吸は荒い。
これが、大人の女性ならもう少しうまくやれるのかもしれないが、由香にそんな手練手管はない。
跳ね除けるだけで精一杯だ。

「嗚呼……やっと、下の名で呼んでくれた」

突き飛ばされたのに、キースの笑顔は柔らかい。
どこまでも甘く、満足げなそれに、由香の方が参ってしまいそうだった。

「また、遊びにおいで」

頭を撫でる腕も、なにもかもが、全てが優しかった。

可奈の声が聞こえてきたのはそんな時だった。可奈の後ろには不満げな和真の姿も伺える。

「由香姉ー!!ごめんね!兄さん連れて来るのに予想外に手間取っちゃって!」

可奈の声が、聞こえる方に目を向けた一瞬の隙に、キースの姿は跡形もなく何処かへ消えてしまった。

それはまるで、夢魔の見せる甘い幻想のよう。


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