新しい学校
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「それじゃあ、和真、可奈、由香ちゃん。気をつけていってらっしゃい」

「行ってきます」

玄関先で三人の声が、綺麗に重なった。

「由香、悪い男に気をつけるんだよ」

「……わかってます」

叶夜の忠告を半ば呆れ気味に聞き流しながら、由香は港家を後にした。

あれから何日か経ち、今日から新学年。
三人は、これから揃ってこの町唯一の高校、日暮高校に向かうところだった。

(上手くやらなきゃ)

今までの自分とは違う自分に。
由香は、決意を固めると、ぐっと拳を握りしめた。

三人の通う高校は、田舎なのもあり、同じ高校となった。

兄の叶夜程ではないが、由香も頭は良い方。
そもそも、友達がおらず家にこもりっぱなしの引きこもりのような生活をしていると、家が裕福ではないのもあり、勉強ぐらいしかやることがなかった。
必然的に、由香の学力はぐんぐんと上昇していった。
それが、由香のいじめに更に拍車をかける事となったのだが。

日暮高校は、この町唯一の高校と言う事もあり、ぴんからきりまで、多種多様の生徒が集まってくる。
クラスは学力別に、上からA組となり、一番下はE組となっている。
日暮れ高校にはクラス替えというものがなく、三年間同じ面子の為、和真は確実に三年A組だろう。
ちなみに、由香は二年A組、可奈は一年B組である。

(和真、頭良かったもんね……)

和真は性格は難有りだが、頭だけは昔からよく回る。
思わず無言で前を歩く和真の背中に視線を這わせていると、ふいに彼と目が合った。

「なんだよノロマ」

「ノっ……」

(ノロマ……)

確かに、由香はおっとりとした性格だし、マイペースだ。
だから、なにも言い返せなかった。
頭の中で和真の言葉をリピートして、落ち込んでいると、後ろから可奈に軽く肩を叩かれた。

「由香姉、あんまり気にしちゃ駄目よ。兄さんいっつもこんな感じだから」

「うん……ありがとう」

素直に礼を言うと、可奈はにっと太陽のように明るく笑んでみせた。
この笑顔に何度救われたことか。

しばらく歩いていると、森が開けてきた。
森の先には、割と大きな商店街が広がっており、服屋や本屋等、小さきながらも様々な店が広がっていた。

昔、由香が来た時にはこんなにここは発展していなかった。
田畑が広がり、ぽつぽつと商店があるだけだった。
だからその光景に、由香は大きく目を見開いた。
いつの間にか、時間はこんなにも流れてしまった。
今の由香は、いきなり未来に飛ばされてやってきた過去の世界の人間の心境そのものだった。

「変わった……ね……」

「あー……確かに、七年前とは全然違うよね……。ここなんか、昔は山口商店っていう小さなお店だったのに、今じゃちょっとしたスーパーだし……」

ぽつりと呟いた由香に、可奈はこじんまりとしたスーパーを指さした。
だが、由香の声音があからさまに下がったのに気付くと、気にすることないよと、脳天気に笑った。

気にするなと言われても、取り残された感覚は、薄れること無く由香の中に確かに刻まれた。
じわじわと、蛇が獲物を仕留めていくように、絡め取られ、締め上げられていく。
鈍い痛みが、由香の心臓を襲った。

「おい……いつまでシケた面してる気だ」

「え?」

下を向いていた由香は、和真の唐突に発された声に、咄嗟に顔を上に上げた。
その瞬間、がんっと由香の額に鈍い痛みが走った。

「いっ……!?」

あまりの痛さに思わず涙目になりながら、でこを両手で覆った。
なにが起きたのか一瞬判別出来なかったが、どうやら、和真に一発グーで殴られたらしい。
それも軽くではなく、割と本気で。

「お前のその顔、反吐が出るな。……由香」

再会してから初めて彼から発された自身の名前は、それはそれは冷え冷えとしたものを含んでいた。
瞳の奥に見えるのは明らかな侮蔑。
馬鹿にするような、あざ笑う眼差しに、喉の奥から絞り出すような憎しみの篭った声。
それらに、由香はぎっと奥歯を噛み締めた。

(なんで……)

どうして、ここまで嫌われなければならないのか。
自分が、彼に何をしたというのか。

痛がる由香とは反対に、殴った側の和真にはなんの反動もないようだった。
彼はそれだけ言い放つと、何事もなかったかのように、由香と可奈に背を向け、そして、そのまま一人で学校に向かって歩きだしてしまった。

「ちょっと兄さん!?」

静止する可奈の声も無視して、和真の姿は、やがて見えなくなってしまった。

「ごめんなさい……」

「私は……平気」

内心、平気などではなかった。
長年、いじめられるのは慣れていたが、流石に親しかった人から邪険に扱われてしまうと、正直辛いものがある。

「あのね、……最近の兄さんは、……ちょっとおかしいの」

やはり、可奈の目から見ても和真の行動は変に写っているようだ。
港和真。
由香の幼馴染だった人は、性格も悪く、人間としてどうかと思う時もなかったと言えば嘘にはなるが、それでも、人を馬鹿にするような目をするような人ではなかった。
実妹である可奈には、兄のそんな変化が更に色濃く写っているようだった。


「やたら刺々しいし、兄さん、最近一人でいることが多いの。いつも輪の中心にいた兄さんがよ。……由香姉もおかしいと思わない?」

和真は小さい頃はガキ大将として、常にリーダー的なポジションにいた。
誰よりも喧嘩っ早く、傲慢だったが、それでも彼は好かれていた。
それは、彼が由香のような弱い者を守る為に喧嘩を率先してしているのを、皆が気付いているからだった。

しかし、本人はそれをずっと否定していた。
気に食わないから殴ったのだと、そう言い張り全て自分で背負おうとしていた。

彼が昔と変わっていないのなら、今の彼もなにかを隠している可能性も否定は仕切れなかっただろう。
あくまで彼が変わっていなければ、の話しだが。

「和真も大人になったんだし……昔みたいにずっと暴れっぱなしって訳にもいかないと思うから……」

今の彼は由香の知る和真ではない。
だから、由香は突き放したような言葉しか言えなかった。

「でも!最近ずっと一人でいるのよ!……おかしい、絶対になんか隠して…………っ……、ごめん」

可奈は、最初声を荒げ由香になにかを訴えようとしていた。
だが、由香が悲しそうに眉を下げたのを見ると、ぎっと歯を噛みしめ、その言葉を飲み込んだ。

「……叶夜お兄ちゃんなら、なにか知ってるかも」

流石に申し訳なくなり、そう提案してみた。
叶夜は和真と仲がよさそうだった。
そんな兄なら、何かわかるかもしれない。

叶夜という単語を聞いた瞬間、可奈の顔がほんのりと赤く染まった。
昔から、そうだ。
可奈は叶夜の名に過剰に反応する。
それに、やけに懐いていた。

「……可奈ちゃん?」

ぶつぶつとなにかを小声で呟きながら静止している可奈の顔を覗き見ると、彼女は、うわぁっ!?と叫び声を上げて、数歩後ずさった。
そのオーバーすぎるリアクションに唖然とする。
可奈はぶんぶんと左右に首をふると、なんでもない!とどもりながら回答した。

「そ!それより!帰ったらさっそく叶兄のとこ行ってみよう!」

「……うん」

なんだか、もやもやした。

明るい可奈とお世辞にも明るいとは言えない、内向的な由香。
二人が横に並んだ場合、由香は確実に可奈に勝てない。

叶夜がもし由香の肉親でなかったのなら、間違いなく彼は由香をこんなにも目にかけてはくれなかっただろう。

もしも、可奈が叶夜の妹だったら、由香などというちっぽけな小娘は相手にもされない事だろう。

可憐な少女である可奈の方が、守りがいがあって、兄としても嬉しいかもしれない。

だが、現実は叶夜は血の繋がった兄であり、何があろうがその血の繋りを切ることは出来ない。

その現実に、とてつもない愉悦を感じた。

だが、同時に優越感に浸っている自分を絞め殺したくなった。
兄を開放したいと望んでいるのに、縋り付いている自分自身を憎いと思った。

「由香姉?」

前を歩いていた可奈が、肩の下で切り揃えられた艶のある髪を揺らしながら、由香を振り返った。

笑顔を浮かべた可奈に、由香はこの時、絶対に勝てないなと、直感的にそう確信した。

「……なんでもないよ」

「そっか、困ったことがあったら、すぐ一回の私たちの教室まで来てね!」

「……ありがとう」

この綺麗な少女比べると、自分がどれだけ薄汚れた心の持ち主なのか思い知らされる。

由香は、感謝と同時に可奈に対して少しの羨望を抱いた。

しばらく二人で歩いていると、日暮高校の正門が目に入ってきた。

門の前には、新入生入学おめでとうという、一年生達の今後の頑張りを応援する、大きなプレートが立っていた。

中をくぐると、部活の勧誘生やらその勧誘を必死で断る生徒や、押しに弱い気弱な生徒等でごった返していた。

その中を可奈に手を引かれながらグイグイと進んで行く。

入学式で一度この学校に来ている可奈は、ある程度校舎の構造を理解しているらしく、グイグイと構内案内図の前まで由香を引っ張ってくれた。

「んー、由香姉のクラスは三階だね。あ、でもその前に職員室に行かなきゃダメなんだっけ?」

「……うん」

なんでも、この日暮高校は転校生というものは多くいるものの、転入生というものは珍しいらしい。

なので、唐突に教室に入ると、生徒達が感極まって大興奮を起こす可能性もあるらしく、パニックを避ける為にも、由香が教室に入るのは紹介も兼ねて、担任と一緒になるとのことだった。

確かに、大都会からわざわざこんな辺鄙な田舎に越して来る人間など稀有なものだろう。

皆の気持ちは分からないではなかった。

「じゃ、由香姉。帰りにまた会おうね」

「うん」

「兄さんは……まあ、……頑張って引っ張ってくる!」

そう言って可奈は苦笑いを浮かべた。
そして、そのまま階段を駆け上がって二階にある自教室に向かって走り出したのだった。

気遣いは嬉しいが、和真に関しては何とも言えない気持ちになった。

あそこまてあからさまに嫌悪感を顕にするなら、絶対に来ないだろうに。

由香は、溜息を吐きながら、トボトボと一階にある職員室に向かって、歩を進めた。

職員室に就くと、由香を待っていたのか一人の女性が由香に向かって手を振りながら近寄ってきた。

垂れ目がちの、優しそうな顔付きをした女性だった。
年の功は二十代後半ぐらいだろうか。
まだ、あどけなさが抜け切らない、ほわほわとした人だった。

「貴女が青桐さん?」

彼女は由香に向かって、温和な笑顔を向けた。

「は……はい……」

「そう。私は一条文音(イチジョウフミネ)。国語科を教えてます。あと、貴女のクラスの担任です。困った事があったらすぐに私を頼ってね。……よろしく!青桐さんっ!」

彼女は陽だまりのように微笑むと、付いてきてと由香を促した。

教室の前に着くと、彼女は人指し日を自分の口に当てて、悪戯っ子のように笑んでみせた。

「私が入ってって言ったら入ってきてね」

「は……はい」

「みんないい子たちだから、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」

由香の緊張を察したのか、一条はそう由香を諭した。
由香は、彼女はなんとなく茜に似ているなと思った。

「はーい、みんなおはよーう!」

そうこうしているうちに、一条は教室のドアを開けて中に入っていった。

「先生!転校生がいるって本当ですか!」

彼女が中に入るやいなや、ドアの外にいる由香にも分かるほどの声量で、誰かがそう叫んだ。

そこからしばらくは会話が聞こえて来なかったが、やがて、一条が転校生どうぞーと言った声が聞こえてきた。

ドクンドクンと心臓がやたらとうるさかった。
手には汗が滲み、緊張のせいか、震えが止まらなかった、

でも、行かなければならなかった。

転向初日でしくじるわけにはいかない。

由香は覚悟を決めると、教室の引き戸に手をかけた。

由香が教室の中に足を踏み入れた瞬間、それまでざわついていた教室の空気が一気に静まった。

由香にしてみれば、先程のように騒がしくしてもらったほうがまだましなのだが、こうして一気に全員の視線を受けるというのは、些か心地の良いものではなかった。
居心地が悪いなんてものじゃない。
緊張から、肩はがたがたと細かく上下に震え、ろくに上を向くことも出来なかった。

「さ、青桐さん。自己紹介を」

「……はい」

一条に促されるままに、鉛のように固まった手足を無理矢理動かして、教卓の前まで進み出た。
歯が震え、表情は強張り、背を伝う汗の量が尋常ではなかった。
気を抜くと、倒れてしまいそうだった。
だが、ここで倒れては全てが終わりだ。
転校前の冴えない地味な青桐由香から脱却しなくては。

「……あ……青桐……由香です。……よろしく……お願いします!」

言い切った瞬間、即座にお辞儀をして周りの顔を見ないようにした。
言葉を言い終えた瞬間に、やり終えたという安堵感と、抑えてた羞恥心が一気に込み上げてきて、真っ赤に染まった顔を見られたくなかった。

(もし……変なやつだって思われたらどうしよう……)

だが、そんな由香の心配は杞憂に終わった。
由香のたどたどしい挨拶に返って来たのは、大きな拍手の音と、盛大な歓迎の叫びだった。

「そんな堅苦しい挨拶しなくて良いって!」
「そうそう、今日からクラスメイトなんだしな」
「とりあえず顔あげなって!」

まだ少し頬は赤らんでいた気がするが、クラスメイトの声に応えない訳にもいかないと、由香は渋々顔を上げた。
その時、隣に立っていた一条からウインク交じりに「ね、いい子達でしょ?」という小さな励ましの声が聞こえた。
安堵したのも束の間、一条はパンパンと手を叩いて再びざわざわしだした教室に喝を入れた。

「はいはい、青桐さん困っちゃうでしょー。それと、時間押してるから、青桐さんとは後でじっくり話してねー!……さ、青桐さんの席はあそこよ」

一条に指差されたのは、窓際の前から二番目の座席だった。
青桐という苗字の為、出席番号は一番になることが多かったのだが、今回は由香よりも前の苗字の人物がいたらしい。
指示されたとおりに、皆の視線を受けながら席に着くと、前に腰掛けていた少女からこっそりと声を掛けられた。
ポニーテールの活発そうな少女だった。

「私、相道千尋(アイドウチヒロ)。……いっちーは後で話せって言ってたけど……ね、青桐さんのこと由香って呼んでもいい?」

「え……っあ……う……うん」

千尋の発言に、正直度肝を抜かれた。
会っていきなり、下の名前を呼んでもらえるなんて嬉しいを通り越して動揺してしまった。
小学校、中学校、そして高校と、あまり兄以外に下の名前で呼ばれなかったので驚きも一入だ。

「あー……もしかして、嫌だった?」

「そ……そんなことはっ!」

むしろ嬉しい。嬉しすぎて発狂しそうな勢いだ。
勢いあまって思わず盛大に机を叩いて立ち上がってしまった。

(や……やっちゃった……)

次の瞬間訪れたのは、痛い程の沈黙。
先程まで連絡事項をしゃべっていた一条も、流石に驚いたらしい。由香のことを目を見開いて見つめていた。

(終わった……。私の新生活終わった……)

絶対にクラスで浮くこと確実だろう。
きっと白い眼で見られ、避けられるのだ。
だが、そんな不安はなんのその。
巻き起こったのは爆笑だった。

「ね、由香って意外にドジ?」
「ご……ごめんなさい」
「気にしない気にしない。もっとお堅いキャラだと思ってたんだけど、私としては面白いからオッケーよ」

そう言って励ますようにバンバンと千尋に背中を叩かれた。

「そーだそーだ!」
「千尋とは違って可愛げあっていいんじゃねーの?」
「うっさい黙れ!もう一回言って見なさい!まじぶっ殺すわよ!!」
「はいはい、夫婦喧嘩は他所でおやりなさいねー」
「ちょっと!!いっちー!?」

生徒たちの言葉の応酬に一条も加わり、教室に漫才のようなどこか殺伐としながらも和気藹々とした楽しい空気が流れ出した。
そんな微笑ましい光景に、由香の口元には自然と笑顔が浮かんできていた。

(こういうのは、嫌いじゃないなぁ……)

このクラスではきっと上手くやっていける。
そう信じたその時、ふいに視界に無表情を貫いている一人の少女が過ぎった。
由香の列の一番後ろに腰掛けているフレームレスの眼鏡を掛けたその少女は、クラスの喧騒には眼も留めず、ただ無表情に窓の外を見つめていた。

レンズの奥の瞳には雲ひとつない青空が映し出されているだけで、少女はとくになにを見るでもなくぼうっとしているようだった。
なんとなく気になって彼女を眺め続けていると、軽く千尋に頬を突かれた。

「……由香、倉橋さんには関わらない方がいいよ」
「倉橋……さん?」

窓の外を見つめている彼女の名と思われるものを口に出すと、千尋はなんともいえない気まずそうな表情を浮かべた。

「倉橋依織(クラハシイオリ)。このクラスで一番頭のいい天才少女。だけど人間性に難有りっていうか……なんか怖いのよね。あの人」

千尋の言葉に、由香は微妙な気持ちを抱いた。
由香には、倉橋依織という少女が、どうしてもかつての自分と重なって見えた。
だが、その認識は間違っているのだと、由香は改めて依織を見て思い知った。
彼女は気弱でもオドオドしているわけでも、頼りがいがない訳ではない。
一言で表すなら孤高。
凛とした態度に憂いを帯びた眼差し、頬杖をつく姿すら絵になる。
彼女は、纏う空気からして凡人のそれと違うように思えた。

「はーい、そろそろ始業式が始まるから移動しますよー」

もう少し倉橋依織という少女を観察していたかったが、それは一条の言葉により中断させられる事となる。
一条の言葉を聴いた瞬間、依織は誰に話しかけるでもなく一人で教室の外に出て行ってしまった。

「ほら、私らも行こう!」
「……うん」

まだ、依織の事が気になったが、千尋の誘いを無碍にも出来ず由香は手を引かれるままに、千尋の後に続いた。


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