綺麗な人
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「ねぇ」
ビスクドールの様なその少女は由香に歩み寄ると、コクリと可愛らしく小首を傾げてみせた。
どこからどう見ても外国人に見えるが、その発音は悠長なものだった。
「私、お兄様とはぐれちゃったの」
少女はしょんぼりと眉を下げて悲しげに由香を見詰めた。
「お兄様」という呼称と彼女の纏う服から、少女が相当いい所のお嬢様である事が伺える。
「……どこから来たの?」
由香が知る限り、この辺りにこんな美少女は住んでいなかった筈だ。
そもそもこんなに可愛らしい子が住んでいたら、絶対に回りが騒ぎだすだろう。
いくら由香が人嫌いでも、こんな可愛い子が困っているのを放ってはおけない。
この子は可愛い、そして由香より幼く無力だ。
そんな子を放っておけば、昔の由香の様に吸血鬼に襲われかねない。
(それだけは絶対に避けないと……)
「私、ここに引っ越してきたの。……だから、まだ道がわからなくて」
道理で見かけない訳だ。
「そっか……。……お兄さんは……どんな人?」
由香が問いかけると、少女は興奮した様子でぴょんぴょんと由香の手を握りながら低く跳び跳ねた。
「あのねあのね!すっごくかっこいいの!私の自慢なんだからっ!」
少女のその様子に、由香は少し自分が兄に向けている様な感情と似たものを感じた。
「私にも、お兄ちゃんがいるよ」
「そうなの?」
ギラリと、一瞬少女の目が鈍くドス黒く光った気がした。
「うん。……自慢のお兄ちゃんだよ。」
由香がやんわりとそう言うと、少女はふーんと興味なさそうに呟いた。
無関心どころか、下手をすれば嫌悪すら籠っていそうな少女の反応に、由香は少し怯えた。
「ねぇ、それよりもお姉ちゃんの事を教えてよ!」
「私……?」
自分の事を聞いても面白くもなんともないと思うのだが、そんな気持ちを込めて聞き返すと、少女は先程より一層興奮した様子で由香を上目使いで見上げてきた。
「うん!私お姉ちゃんの事気に入ったんだもの!!
ねえねぇ、名前は!?私はロザリアって言うのよ!!」
わくわくという効果音すら聞こえてきそうなロザリアの様子に、由香は苦笑しながら「由香」とだけ答えた。
それを聞いたロザリアは恍惚した様子で、由香…と繰返し呟きうっとりと酔いしれていた。
その光景が異質で、由香は少し後ずさった。
だが、次の瞬間にはロザリアとの距離は彼女が由香に抱きついてきた事によってゼロとなった。
「ロザリアちゃん……?」
「なぁに?由香」
由香が呼び掛けると、ロザリアはえへへと純真な笑顔を由香に向けてきた。
そんな顔を美少女にされたらやはり悪い気はしないもので、由香はしばらくされるがままにぎゅーっと抱き締められていた。
「ローザ、こんな所にいたのかい?」
しばらくすると、一人の男性がこちらに向かって優雅に歩いてきた。
黒髪の男は、二人を発見するとその美しい顔にやんわりとした笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。
(……綺麗)
不覚にも、由香はその男性に見とれてしまっていた。
筋の通った高い鼻に、ロザリアと同じく雪の様に白い肌。切れ長で、ロザリアよりも深く、呑み込まれてしまいそうになる紅の瞳。
「キースお兄様!」
ロザリアは、その男性を発見するや否や、由香の手を握って男の元へ駆けていった。
どうやら、男はキースという名らしい。
「探したよローザ。おや、そちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「あのねあのね、由香って言うの!」
「そう……由香、妹が迷惑をかけたね」
女性なら誰もがみとれる様な笑顔を一身に受けて、由香は居心地の悪さを感じた。
「迷惑なんかじゃ……なかったです。じゃ、じゃあ私はこれで……」
綺麗な瞳に自分の様なみすぼらしい物が映っているのに妙に罪悪感を覚えて、由香は家の中に引き返そうとした。
だが、それはキースに手を握られた事によって阻止されてしまった。
「連れないね。……妹が迷惑をかけたんだ。お茶ぐらいご馳走させて欲しいのだけれど」
「そうよ!私ももっと由香と一緒にいたいもの!!」
どうやら自分はえらく二人の琴線に触れてしまったらしい。
何がそんなに気に入られたのかは分からないが、すんなり帰してもらえる雰囲気ではない。
「あの……」
「まさか断るだなんて不粋な真似はしないだろう?」
勇気を出して断ろうと思ったが、案の定先を読まれていたらしい。
これは何がなんでも付き合わせる気だろう。
(でも、帰ってきた時いなかったら伯母さんに心配かけるだろうし)
「仕方ないね。私はあまり気が長い方ではないんだよ。……という訳で失礼。」
「っ……!?」
うじうじ悩んでいた由香に痺れを切らしたのか、男は突然由香を担ぎ上げて歩き出した。
横からはロザリアが「さすがお兄様素敵っ!!」と茶々を入れていた。
「……や……め……て」
下ろして欲しい。
自分の様に汚い物を視界に入れないで欲しい。大切そうに扱わないで欲しい。
親切にされると、裏切られた時にどうしていいかわからなくなる。
だが、聞こえていなかったのか、キースは由香の背中を優しくさするだけで何も言わなかった。
「やめて……ください」
今度ははっきりと、由香は自分を抱き上げている男に拒絶の意思を表した。
「どうして?」
「……汚い……ですから」
だから、こんな綺麗な人達の側になんていてはいけないのだ。
綺麗な物は眺めているだけで幸せ。
そこに、由香自身が介入しようとは到底思えなかった。
だが、由香の言葉を聞いた瞬間ロザリアの回りの温度が急激に下がった。
「ねぇ由香。それ、誰に言われたの?」
ギラリとロザリアの目が鈍く光り、殺気が放たれる。怒りで肩が軽く震えている様だった。
「ローザ」
一方、キースの方は落ち着いていた。むしろ、苛立つロザリアを静かにたしなめていた。
注意を受けたロザリアはだって!!と反抗していたが、キースがもう一度名前を呼ぶと、わかった……と渋々ながらも落ち着いた。
やがてロザリアが完全に落ち着きを取り戻したタイミングで、キースは妹と同じ事をにこやかに由香に聞いた。
「由香、誰に言われたのか教えてくれる?」
別に誰に言われた訳ではなかった。これはただの事実だ。
家族以外誰も信じられない自分の心は汚れている。
だから、キースにも思った事をそのまま答えた。
「君は汚れてなんかいないよ。……綺麗だ」
キースはそっと小さな子供をあやすように、由香の頭を撫でた。
その動作の優しさに、由香は無償に泣きたくなった。
綺麗だというこの人の方が綺麗だ。
しかし、キースは由香を綺麗だと言う。
初対面の筈なのに、とても大切に、愛しそうに触れてくる。
(私には……そんな価値なんてない……)
大切にされるには、自分は汚れすぎている。
由香はこの町に来てから、泣いてばかりな自分が情けなくなった。
「由香は綺麗よ。大丈夫、私とお兄様が保証するわ」
そこにロザリアが更に援護射撃する。
「だから安心していいんだよ。……おやすみ、由香」
その言葉を聞いた瞬間、急激に意識が遠退いていくのを感じた。
だから
「君は綺麗だ。……綺麗でいてもらわないと私が困る」
もし本当に君が汚れてしまっていたら
「殺したくなってしまうだろう?」
その後地を這うような重低音で呟かれたキースの言葉を、由香が知る余地はなかった。
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