2.遭逢
「……ねぇ、緋人」
少女が声をかけると、前を歩く男は、無表情のまま、何の音も発せずに少女を振り返った。
(本当、無口よね……)
歩き出してからしばらく立つが、彼は一向に自分から口を開こうとはしなかった。
必要最低限の事しか話さない。
それが彼のスタンスらしい。
「どこに、向かってるの?」
歩き出したはいいものの、景色は一向に変わらず、鏡張りの廊下のまま。
変わった事と言えば、足跡が二人分になったことぐらいだろう。
「……着けば分かる」
流石にそれは曖昧過ぎないだろうか。
「えらく漠然とした回答をどうもありがとう」
嫌味を込めて笑んでやっても、男の表情が変わることはなかった。
手を繋いだ時に見せた、綺麗な、むしろ整い過ぎて気持ち悪いぐらいの微笑は幻だったのか。
その言葉を最後に、二人の間に再び沈黙が流れ出した。
その痛いほどの静寂に、少女は耐え切れず、また、男の名を呼んだのだった。
「あの……緋人」
振り返った彼は、先程と同じく無感動な瞳をしていた。
二度目となれば、流石に苛立ちでも出てくるのかと思ったが、緋人は一向に、感情を表には出さなかった。
「どうして、そんなに無口なの?」
馬鹿げた疑問だとは思う。
だが、話していないとこの場所の空気に押し潰されそうだった。
この空間はどうも、少女には居心地悪く感じた。
聖なる空気に包まれたこの場所は、普通の人が入れば居心地良い場所なのかもしれない。
だが、少女には苦痛だった。
「……元からこういう性格だ」
緋人は、少女の困惑や怯えを繋いでいた腕から感じ取ったのか、馬鹿げた疑問にも、彼なりに一生懸命に対応してくれた。
「そうなの?」
「ああ」
緋人にしては、長く会話が続いた方だと思う。
邪険には扱われていないのだと、そう思うと、安心出来た。
ギュッと強く腕を握り締めると、それに呼応するように緋人に頭を撫でられた。
わしゃわしゃと、子犬にするような不器用な撫で方だった。
髪の毛はぐしゃぐしゃになってしまったが、そんな事は気にならなかった。
「……泣くなよ」
泣かれると対処に困る。
無表情で、淡々とした話し方だった。
なのに、少女はその言葉が嬉しかった。
緋人は良い人だ。
(この人はきっと、私を助けてくれる……)
「本当に、君は彼を信じるの?」
不意に、背後から声が聞こえた。
心臓が跳ねるのを感じ、振り返った。
だが、後ろには誰もいなかった。
相変わらず、長い廊下が続くだけ。
「……どうした」
突然振り返った少女に、緋人は、驚いたようだった。
どうやら、彼には声が聞こえていないらしい。
「……何でもない」
笑顔で誤魔化して、再び歩みを再開する。
(幻聴よね)
幻聴だと、そう誤魔化してしまいたかった。
「君は、また逃げるの?」
なのに、謎の声はそれを許してはくれないようだった。
(また……?)
その言葉が、やけに耳に残った。
またとはどういう事なのか。
一体、記憶を失う前の自分はなにから逃げていたのだろうか。
「知りたい?――ねぇ」
バクバクと、やけに心音が煩かった。
歩みながら、冷や汗が滴ってきた。
やめて、聞きたくない、その先を告げないで。
頭が警鐘を鳴らしていた。
「おいで、イヴ」
その言葉を聞いた瞬間、視界が揺れた。
目眩がして、少女は咄嗟に緋人の手を離してしまった。
そのまま、ぐらりと地面に膝をつき、廊下に倒れ込んだ。
「おい……!」
遠くの方で、緋人が名前を呼ぶのが聞こえていた。
答えなければと思うのに、喉からはなにも出ては来なかった。
なんなのだろうか、ここは。
この廊下は、空間は、この世界は、一体。
(そもそも、私は……なに?)
そのまま、少女の意識は闇の中に沈んでいった。
ぷつりと途切れた意識が、次に浮かび上がった時、そこに、緋人はいなかった。
代わりに周りにあったのは、悪趣味な程の、純白の部屋だった。
窓もなく、扉もない。代わりに、大きな鏡が設置されていた。
テーブルと二人がけのソファーが2つ、それとベッドが一つ。
少女のまとう服とは正反対の、白いだけの世界。
その中のベッドの上に、少女はご丁寧に綺麗に布団を掛けられて横たわっていた。
そして、目を開けたところにいたのは、
「初めまして、お嬢さん」
金髪の、紫色の目をした見知らぬ男だった。
爬虫類のような、蛇のような目をしていた。
端正な顔立ちに、白い肌。
口元には、人のよさそうな微笑が浮かんでいる。
だが、目が笑っていなかった。
値踏みするような目線に恐怖すら感じた。
思わず後ずさると、男は目を軽く見開くと、おどけたように肩をすくめてみせた。
「そんなに怯えなくてもなにもしないからさ。そうだ、お茶飲む?」
「はぁ……どうも」
男の提案に、呆れ気味に肯定の意を示すと、彼は、そっかと嬉しそうに笑んだ。
(あれ、以外といい人なのかしら?)
男は、純粋に少女に親切にしたい思っているように見えた。
青年は、テーブルの上にあったティーポットから紅茶を注ぐと、ベッドの上に座っていた少女にそっとカップを差し出した。
「お行儀悪くない?」
「あれ、そういうところ、気にするタイプ?まあ、気にしないでよ。ほら、遠慮しない!」
バシバシと笑顔で軽く背中を叩かれた。
苦笑いしながら、紅茶を口に運ぶと、心地よく体が暖まっていくのを感じた。
香ばしい香りと、温もりに、ガチガチになっていた全身が解れていく。
「……ありがとう」
素直に惨事の言葉を告げると、男は笑みを更に強めた。
「どういたしまして……、ところでお嬢さん、君はどうして倒れていたの?」
「倒れていた?」
「そう、俺の部屋の前で倒れていたところを、俺が保護して、今に至るんだけど、その顔だと、何がなんだか良く分かってない?」
素直に男の言葉に頷いた。
説明してもらえそうな雰囲気に、素直に感謝を覚えた。
緋人のことも気になるが、まずは自分の今置かれている状況を把握しなくてはならない。
「じゃあ、まずは俺の名前から教えようか」
男は、改まった様子で、少女の横で丁寧にお辞儀をした。
「……俺はレボルト。よろしくね、お嬢さん」
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