9.閉鎖
「さ、座って座って」
ユウにそう促され、イヴは仕方なしに震える足を必死に動かして、ぬいぐるみの山を踏み越えて、部屋の中央にある椅子に腰掛けた。
その反対側にユウが腰掛けると、それまでなにもなかった机の上に、突如として立派なティーセットが出現した。
魔法のような光景に瞠目していると、ユウは幸福そうな表情をして、イヴのカップに自分から茶を注いだ。
それから自分のものにも紅茶を注ぎ終わると、頬杖を付いて上目遣いがちにイヴを見上げた。
「どうぞ召し上がれ。……せっかく君の為に準備したんだ。ああ!今日はなんて素晴らしい日なんだろう!」
「そ……そうなの……」
ティースプーンをもう片方の腕で、子供のように軽く回すユウに、イヴはあははと乾いた笑いを返すことしか出来なかった。
どうぞと言われても、それ程空腹感というものは沸いて来なかった。
お茶も先ほどレボルトに貰い飲んだものがある。
今思えば、吐き出してしまったのは申し訳なかった。
目の前に並んでいる品々はどれも美味なものに見えた。
だが、今のイヴには食欲というものが欠如していた。
なにを見ても食べる気がしない。
そもそもの元凶は眼前に座っているこの神を名乗る男である。
あんな恐ろしい惨状を見たら、誰だって食欲不振になるだろう。
(なにも……いらない)
吐いたこともあり、喉の奥が少し胃液でヒリヒリと痛んだ。
なので、申し分程度に軽く紅茶には口をつけた。
だが、それだけ。
もう、本当になにも欲しくなかった。
「……イヴ?」
それまでバリバリと能天気にスコーンを食べていたユウは、イヴが何にも手を伸ばしていないのを認識すると、心配そうにじっとイヴの深い海のような目を見つめてきた。
「……どうしたの?もしかして嫌いだった?口に合わない?他のものの方がいい?」
「あ……えっと……そうじゃないの。……ただ――」
食欲がない。
そう言おうとした瞬間、ユウは無言で机の上に載っていたもの全てを、テーブルクロスごと片腕で床にたたき落とした。
まだ、紅茶は残っていた。
お茶菓子もほとんど最初のままだった。
ティーセットは一般市民のイヴからしてみても高価なものに見えた。
きっとどれも、イヴが一生で二度と口にすることも見る事もないモノたちだ。
それを、ユウはなんの躊躇いもなく、無残に地面へと叩きつけた。
物凄い轟音を立てながら、テーブルの上にあった英国式の立派なティーセット達は、無様に割れ、崩れ、壊れてしまった。
床に置いてあった人形たちに菓子や茶があたり、ぬいぐるみも哀れな姿となっていた。
そのさまは、さながら地獄絵図だ。
「……ぁ…………」
理解できなかった。
「ねぇイヴ、これなら食べれる?」
何をしているのか、理解出来なかった。
ユウはカタカタと歯を震わせながら固まるイヴ様子を微笑ましげに見つめながら、先ほどとは違う新しい種類の菓子類を用意すると、得意げに少女に向けて差し出した。
先程の暴挙で、なけなしの食欲すらも全て吹っ飛んでしまった。
おかしい。
この人はやはりおかしい。
普通じゃない。
イヴは手を着けずに無言で俯き続けた。
「そっか」
すると、ユウは先程と同じように、もう一度テーブルの上にあったものをなぎ払い、叩き落とした。
だが、ユウは今度は新しく菓子を用意することはしなかった。
その代わり、脅迫するような、快楽殺人鬼のようなそんな恐ろしい微笑を浮かべながら、音もなく静かに立ち上がり、イヴの顎を掴み彼女の目の中をのぞき込んだ。
怖いと、そう純粋な恐怖を感じた。
やめて私をそん目で見るなやめてやめろやめろ怖い気持ち悪いやめろやめろやめろ怖い怖いコワイ怖いコワイ!!!
「…………僕といるのに、なんでそんな顔するのかな君は」
「…………ゃ…………め…………」
震える声で必死にそう紡ぎ出した。
だが、ユウは気にした様子もなくイヴを睨むように見つめ続けた。
「どうして、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも…………あいつばっかり見るのかな」
あいつなんて知らない。
あいつ……あいつ……
あいつって誰だろう。
「君は、やっぱりいうことを聞かない悪い子なんだね」
胸の奥が痛んだ。
何もした覚えはない。
だが、言い表しようのない罪悪感を感じた。
(やっぱり……私が……イヴ本人なの……?)
「いいよ、それでも。何があっても僕の気持ちは変わらない」
どこか遠くでユウの声を聞きながら、イヴは誰かと幸福そうに笑う自分の姿を遠くに見た気がした。
心底楽しそうに笑うイヴ。
その横にいたのは……
「……あ…………か…………ひ……と……?」
その名を口にした瞬間、視界が赤く染まった。
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