Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




アレンデールの北方、ノースマウンテン以南に位置する、生き岩の谷。
岩場に苔が生い茂ったその地は、静かでとても長い時を過ごしていた。
これから起こることで馬を驚かさないよう、手前の木陰に待たせると、アグナルたちはそっと歩いて小岩の集まる広場までやってきた。
地面のそこここから煙がたちのぼり、丸みを帯びた岩石が同心円状に並ぶ不思議な光景にも、国王夫妻は臆する様子を見せない。
王の脚には不安そうなエルサがしがみつき、意識のないアナをしっかりと抱きかかえるヴィルの肩に、王妃の手が回った。

「頼む、助けてくれ!
娘が…危ない……!」

圏谷の中ほどに進み出て、王が声を張り上げた。
クリストフとスヴェンが苔むした岩場の隙間から覗き見ていると、いかにも奇妙な光景だった。
大人が2人、子どもが3人いるだけのその広場で、国王はまだ他に誰かがいるかのように語りかけている。

谷底はシンと静まり返り、はるか上空に踊るオーロラの布ずれの音さえ聞こえてきそうだ。
その声が響き渡ると、次の瞬間、点在していた無数の小岩がごろごろと、まるで意志を持ったかのように彼らの周りに集まってきた。
その異様さに少年は固唾を飲み、息をひそめる。
王と王妃は子どもたちを抱き寄せ、警戒して見渡していた。
事故でアナを傷つけショックを受けたばかりのエルサは特に、父親の脚にぴったりとくっついて怯えた。
一瞬の張りつめた緊張ののち、その丸い小岩たちは、ポップコーンがはじけるように岩面がほどけたと思いきや、
手足が生え、灰色の生き物――石の妖精へと姿を変えた。
丸みを帯びた背丈は人の膝上ほどで、まるっと突き出た鼻と耳に草のような髪の毛を生やしている者もいる。
苔でできた服を纏い、首には緑や青、ピンクや赤色と色とりどりのクリスタル製のネックレスを首にあたるところから下げている。

「国王だ」

石の妖精たちの無数の丸い目が、アグナル国王を見上げる。

「トロール……?」

岩場の間からクリストフが目を凝らしてもっとよく見ようとした。
生き岩の谷……そこは、伝説の生き物、トロールたちが人知れず暮らす谷だったのだ。
その瞬間、クリストフたちが陰にしていた小岩が跳ね上がり、苔だらけの女トロールの姿になった。

「しーっ」

女トロール、ブルダがクリストフをしかりつけた。

「聞こえないでしょう?」

ぶっきらぼうに文句を言ってから、クリストフとスヴェンをまじまじと見つめたブルダは、
相手がトロールではないことにおそまきながら気が付いた。
スヴェンがぺろりとそのトロールの頬を舐めると、ブルダは彼らを気に入ったようだった。
女トロールはニッコリと笑うと、少年とトナカイを抱きしめた。

「かわいい……うちの子にしちゃおーっと」

ぎゅっと抱き寄せたそのトロールは石のように硬い感触だったが、彼らを包む声は母性に溢れ、暖かかった。

谷底では、仲間たちの間を縫って、ひときわ苔むした岩が、国王一家の前にまろび出てきた。
トロールの長、パビーだ。
トロールたちのなかで唯一、黄色のクリスタルを下げている。

「この力は、」

深く落ち着いた声は、すべてを見通すかのようだ。

「生まれつきですか?それとも……」

「ああ、生まれつきだ。
どんどん強くなっている」

国王が膝を折り、エルサの肩を抱いてすぐに答えた。
人間界の身分などには無縁の年老いたトロールは、国王に会釈ひとつすることなく、父親にしがみついているエルサの手を取り、大きな石の手で包み込んだ。
パビーは、金髪の少女が不思議な力を持ち、持て余しているのを、一家が谷にやってきた瞬間に見抜いていた。

これまで8年間ひた隠しにしていた王家の秘密を古の存在トロールの長に洗いざらい打ち明けた王は、末娘を救ってほしいと訴えた。

トロールとアレンデール王家には、はるか昔より浅からぬ縁があり、
王家の者に危機が及んだり、王国の存亡に関わるような問題が起きるたび、代々の君主たちはトロールの知恵と不思議な力を借りてきた。
人類よりずっと以前から生きて呼吸していた石の精霊たちは、首にかけたネックレスを使って、空のオーロラからパワーを引き出す技を持っている。
なぜなら、オーロラを空に架けたのは、パビーだったからだ。
トロールの誰よりも長く生きてきたパビーは、魔法の大家だった。
王たちはトロールの協力と引き替えに、彼らの住む山を立ち入り禁止とし、"生き岩の谷"を何百年も手つかずのままにした。
これまで、フィヨルドに面した弱小国家のアレンデールが他国に侵略されることも、
王家の血筋が途絶えることもなく安泰に続いてこられたのは、ひとえにトロールの助力のおかげだった。
エルサのように、王家の者に時折不思議な力を持つ者が生まれるのは、
ひょっとしたらトロールたちとの幾代にも渡る交流と、何か関係があるのかもしれない。
そのこともあり、アグナル王は娘の特異体質をあまり問題視してこなかったのだ。

ヴィルの魔法の力だって、はるか昔に分かたれた王族の分家の血筋がたまたま色濃く出ただけなのでは、と王は考えていた。
なぜならヴィルやその父親のオーラ、さらにその先代先々代と、ソールバルグ家はアレンデール王家に古く長く仕える一家だ。
記録に残らないような大昔の代で、血筋が繋がっていても意外な話ではないはずだった。
もっとも、遡れる記録の限りでは、血の繋がりは両家になかったのだが。

「こちらへ」

話を聞き終えると、パビーは視線を姉から妹に移して手招きした。
ヴィルが心配そうにイドゥナ王妃を見上げると、王妃は目の高さを合わせしっかりと頷き返して、ヴィルを促した。
ヴィルは抱き温めていたアナを、パビーにそっと見せた。
彼女の魔法を使い続けてもなお、アナは凍えたままだ。
アナの額に手を添えた長は、もう片方の手を、ヴィルの胸元に添えた。

「君の魔法は、エルサのそれとは違うようだ」

何か考えを巡らせるように目を閉じたトロールの長は、ヴィルから"あるもの"を感じ取っていた。

「えっと……はい、わたしのまほうは、小さな雷です。
それに、生まれつきじゃ、なかったみたいで、3才のときに初めて感じたと、父さんが言ってました」

ヴィルは自分自身について分かる限りのことを話そうとした……が、自身の魔法について知っていることはこの2つだけだった。
たどたどしく話すヴィルの言葉を受け取ったトロールの長は、やはり何かを考えるように、目を閉じながらコクコクと頷くばかりだ。

「エルサの魔法が当たったのが頭でよかった。
心を変えるのはとても難しいことだが、頭は簡単に丸め込めるからな……」

パビーは王妃にそう説明した。

「どうすれば治る?」

王が早口に聞いた。

「魔法をすべて消し去るのです」

丸っこい指先でそっと意識のないアナの額に触れると、光に包まれたアナの記憶が次々に引き出される。
オーロラに向けて記憶の光を放つと、思い出が幻影となって天空に映し出された。

「念のため、魔法についての、記憶も……。
心配はいらない。
楽しい思い出はそのままに……」

石の妖精の手が振られるたびに、アナの記憶は当たり障りのないものに書き換えられていった。
城の大広間で、ヴィルに見守られながらエルサが作り出す雪の小山をジャンプする記憶が、丘の上でそり遊びをする3人に――
大広間のスケートリンクをヴィルの魔法で滑るアナの記憶が、氷の張った湖で姉とスケートに興じるものにすげ替えられ――
そして、寝間着姿のアナとエルサ、ヴィルが雪だるまのオラフを並んで眺めている大広間の光景は、冬のコートに身を包み、雪景色の中に佇む3人に取って代わった。

エルサやヴィルと分かち合った魔法の時間がアナの記憶からすっかり消え去り、平凡なひとときに塗り替えられていく。

「……ふう、これでもう大丈夫」

パビーはそのすり替わった記憶のオーロラを再び手に収め、アナの頭へと返し、ひと撫でした。
魔法のアクシデントが残した唯一の痕跡は、アナの髪の毛の白いひと房だけとなった。
すると、アナの悪かった顔色が少し回復し、苦しそうな表情はなくなった。
じきに体温も戻りそうだ。
ヴィルは穏やかに眠るアナをイドゥナに引き渡した。

「この子は楽しかったことは覚えているが、魔法についてはこれできれいに忘れられた」

「わたしの力のことをわすれちゃうの?ヴィルのも?」

エルサが尋ねた。
もう妹とヴィルと3人で魔法で遊べなくなってしまうのだろうか?
エルサは妹を危ない目に遭わせた罰として、楽しいおもちゃを取り上げられた気がした。

「それでいいんだ……」

王が言い聞かせるように静かにそう応えた。

「よく聞け、エルサ。ヴィルもだ。
魔法の力はどんどん強くなる」

そう言うと、パビーは空にかかるオーロラを銀幕代わりに、
成長したエルサが魔法の雪を降らせ、その傍らにビリビリと電気を走らせるヴィルが仕えている影絵を映し出した。
優雅にひらひらと待っていた雪片が、突如として禍々しい、鋭い氷の棘に変貌する。
ヴィルの雷は規模を増し、いたるところに稲光を発生させていた。

「とても美しい力だが――大きな危険も秘めている」

思わし気に、長老が言った。
エルサは棘を見ると、ブルッと身震いした。
オーロラの中の魔法使いが打ち上げた氷の結晶は様相を変え、雷を帯びた暗雲を呼び、赤く禍々しく、鋭く尖った結晶へと変わった。
鋭い棘に怯え、パニックになった群衆のシルエットが、エルサたちを攻撃しはじめる。

「力を抑えるのだ……。
『恐れ』が、敵となるだろう」

エルサたちに言い聞かせるように、まるで暗示をかけるかのような言葉だった。
オーロラの中の人々も赤く染まり、落雷と共に中心にいた魔法使い2人に一斉に襲い掛かってビジョンは途切れた。
エルサは思わず後退りして、父親の腕の中に逃げ込むしかなく、
ヴィルもまた、自分の手のひらを見つめて、険しい表情になった。

「大丈夫……。エルサを守ろう」

エルサと、アナを抱えたイドゥナ王妃の肩を抱いたアグナル国王が気持ちを固めるように言った。
ヴィルはその言葉を聞いて、震えそうになっている手をぎゅっと握りしめた。
「エルサをおまもりする」。
物心ついた時から、父とヴィル自身が何度も口にしてきた言葉だ。
ヴィルが国王を見上げると、国王はヴィルの肩に力強く手を置いた。

「力を抑えられるようになるまで、城の門を、すべて閉ざし――
召使いを減らし、できるだけ人に会わせず――周りの目から力を隠すのだ……。

…アナからも……」


アグナル国王の決意通り、夜明けにはアレンデール城は様変わりした。
国王夫妻はただちに門番に城門を閉じ、かんぬきをかけるように命じた。
城の外へ通じる扉はすべて閉められ、窓という窓は鍵がかけられた。
召使いの多くが城下へと居を移し、夫妻は訪問客の受け入れをとりやめ、娘たちを外界から隔離した。
今後、国王への謁見を望む者には、町なかに用意させた王室専用の宿に泊まらせ、必要とあれば臣下と衛兵を宿に差し向けた。
アレンデール王家は人目を避けるようになり、城壁の内側に引きこもった。
国民は敬愛する王家の人々に何が起きたのか、しきりにうわさしあった。

王と王妃は、城壁の内側でも用心深く振舞った。
それまで2人で使っていた部屋をアナ専用にすると、エルサのベッドを運び出して城の奥まった一室に移動させた。
エルサ姫には、それが必要な処置であることがよくわかっていた。
もう二度と、妹を傷つけたくない。
それには、なるべく別々に暮らす方がいいのだ。
少なくとも、自分が不思議な力をコントロールする術を見につけるまでは……。
「エルサの魔法は――大きな危険も秘めている」というトロールの長の警告は、
オーロラに映し出された恐ろしい幻影とともに、幼いエルサの耳にはっきりと残っている。

だが、妹のアナとなると、話は違った。
あの夜の記憶を消されたアナは、どうして大好きな姉と引き離されなければいけないのか、理解できなかった。
いったいなぜ、お気に入りの側仕えたちに暇が出され、親族や外国の賓客たちで華やいでいた晩餐舞踏会がぱったりと開かれなくなり、
臣民と親しく交わることを止められるのか、さっぱり分からない。
なにか、わたしがわるいことをしたのかしら。それで、おねえさまがおこったのかしら?
だがヴィルに理由を聞いても「ご両親に聞くといいよ」、その父や母に聞いても「お前のためだよ」というばかりで、納得のいく説明は返ってこない。
これはもう、エルサにちょくせつきくしかない。
何もかもを持て余したアナは部屋を飛び出し、城内を歩き回って姉の姿を探した。
おねえさまのおへやはどこかしら?
階段を降り、薄暗い廊下をキョロキョロしながら歩いていると、ちょうど、角を曲がってこちらへやってくる小さな人影が見える。
やった!エルサだ。
ところが、アナを見た途端、エルサは踵を返して自分の部屋へ引き返してしまった。
慌ててアナが追いすがると、最愛の妹と目を合わせたエルサは、
胸いっぱいに満たされた自責の念が目を伏せさせ、アナの目の前で扉をそっと、閉め切った。



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