Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




8年後。
アレンデール王国北方にぐるりと聳えるノースマウンテンの山頂にほど近い谷間の湖に、太陽が没しようとしていた。
鏡のようになめらかな湖面はさざ波ひとつなく、夕日の残滓を映して瞑色にキラキラと輝いている――氷だ。
湖に氷が張っているのだ。
北国の雪と氷に閉ざされた山々の高みに位置する氷河湖では、たとえ夏であろうと湖面の氷が解けることはなかった。

湖の中ほどから、澄みきった夕闇の静寂をついて、鈍い、規則的な音が聞こえてくる。
大人の身の丈ほどもあるノコギリを手にした男たちが、湖面に張った分厚い氷に切れ目を入れる音だ。
ブロック状に切り出した氷を鋤で刺し、湖から引き上げる。
それを氷挟みでひとつずつ掴み上げ、肩に担いでほとりまで運ぶと、大ぶりなブロックハンマーに持ち替えた両手で、さらに手ごろな大きさに分割する。
冷たく透き通った氷の心に、愛を込めて、畏怖を込めて打ちつけていく。
切り出した氷の鋭く険しい美しさは、男たちに恐れさえ抱かせる。
凍った心をやっつけろとばかりに、道具を巧みに扱い、負けじと腕を振るった。

「足下に気をつけろ!」

「無理するな!」

一糸乱れぬ、見事な氷さばきだった。

加工し終えた氷のブロックが、次々と荷台に積み上げられていく。
そりをはかせた荷台には2頭の馬がつながれ、おとなしく主人の合図を待っていた。
荷台が氷のブロックでいっぱいになると、男たちは馬そりを引いて雪道を下り、麓の町に卸した。
山頂の湖から切り出した氷は硬度も純度も申し分なく、良い値がつく。
もちろん楽な商売ではない。
万年雪に覆われた厳寒の山頂で、終日鋼のごとき氷を相手に格闘し、
滑りやすく険しい山道を用心しながら馬を操って下り、麓へ送り届ける。
一瞬でも手綱さばきを誤れば、せっかくの積み荷を、いや命さえも落としかねない。
山と氷を知り尽くしていなければ、務まらない仕事だった。

「氷の収穫人(アイス・ハーベスター)」――彼らは誇りをこめて、自分たちをそう呼んでいた。
なぜなら、彼らは知っていたから。
氷が生きていることを――。
霊峰に神々が宿り、オーロラの踊る谷間をトロールが跳梁し、氷河に隠された凍てつく湖には氷の精霊が宿る。
彼らはそう信じていた。
氷を切り出すアイス・ハーベスターたちの手つきは、豊穣の神に感謝しつつ作物を穫り入れる農民たちのそれと、なんら変わるところがない。
この厳しくも美しさを併せ持った凍てつく大自然は、氷の心を有している。
それを十分に畏れながら感謝を忘れないことが氷売りの神髄であった。
「美しい」「力強い」「危ない」「冷たい」、男たちが氷に抱く思いはそれぞれで、そのどれもが正しい。
氷は魔力を秘めている。

氷の"収穫作業"にいそしむ筋骨たくましいアイス・ハーベスターたちの足元を、
金髪の小さな男の子がひとり、ちょこまかと動き回っていた。
少年のかたわらには、こぶのような角がのぞくトナカイの子どもが、ぴったり寄り添っている。
男の子の名前は、クリストフといった。

「どうだ。ぼうず、きれいなもんだろう。
わかるか、なぜここの氷がこんなにも透明で、鋭利でなめらかなのか」

ハーベスターはよく、クリストフにこんな話をした。

「ここの氷は特別なんだ――スピリットが宿っているのさ。
スピリットの魔力は、たとえ俺たち山男が100人かかっても敵わないほど強力なんだ。
ひとたび解き放たれれば、その力を制御することは誰にもできない。
俺たちゃな、氷に閉じ込められたスピリットの、魔法の心を探してるんだ。
カチンコチンに凍りついた、氷の心をな」

小さなクリストフをからかうように、氷の収穫人はいつもこんな風に話を締めくくった。

「ウソだと思うか。
まぁ、小僧っ子のお前には分かるまい。
いつか一人前の男になって俺たちの仲間になれば、真実もおいおい見えてくるだろうよ。
氷の心の秘密は、俺たちアイス・ハーベスターしか知らないのさ」

そんな話を吹き込まれたら最後、クリストフ少年が大人しくしていられるはずもない。
今すぐ、男たちにまじって、氷の秘密に触れてみたい。
大人になるのをじっと待っているなんて、この短気で、頑固な北国の少年には無理な相談だった。
そこで、ことあるごとに男たちについていっては、切り出し作業を手伝わせてほしいと頼んだが、
邪魔者扱いされるばかりで、ノコギリにも氷挟みにも、触らせてもらえなかった。
与えられたのは、おもちゃのような小ぶりの道具だけ。

いつのまにか、夕日は峰々の向こうに没し、湖畔は闇に包まれた。
幼いクリストフを心配し、探しに来る者は誰もいない。
クリストフは、家族を持たなかった。
物心もつかない頃、親に捨てられたのだ。
運よく、麓の町へ氷を届け終わり、山へ引き上げる途中のアイス・ハーベスターに拾われなければ、凍え死んでいたことだろう。
そんなわけで、クリストフは山男たちの間で育った。
だが、彼らは氷の扱いには長けていたが、子どもとなると勝手が違う。
彼らなりに愛情は注いだのだろうが、人間の子どもを育てるというよりは、子馬の世話でもするような扱いで、
クリストフとハーベスターたちの間を、常に見えない氷の壁が隔てていた。
氷の秘密を知るアイス・ハーベスターたち――湖のありかは彼らだけの秘密だった――は里の者に一目置かれており、
食いっぱぐれることこそなかったが、少年はいつも愛情に飢え、その事実に気づくことなく育った。
アイス・ハーベスター以外の人間を知らず、早く大きくなって彼らの仲間入りをすることだけが、彼の唯一の望みだった。

運搬担当のハーベスターが、ランタンに火を入れる。
氷のブロックを山と積み、限界いっぱいの荷重にそりがしなった。
クリストフ少年は、自分の小さなそり――アイス・ハーベスターの1人にせがんで作ってもらったおもちゃのそりだ――に、
氷のブロックをいくつも積んで、男たちと一緒に山道を下っていく自分を想像し、目をキラキラさせた。

「どう、スヴェン。
あのこおり、ひとつぐらいならはこべそう?」

トナカイにニンジンを差し出し、ひと口かじらせた後、自分でもかじる。
スヴェンは、天涯孤独なクリストフが唯一身内とみなす存在であり、頼れる相棒だった。
仲間とはぐれ、弱っていた赤ちゃんトナカイを拾ったクリストフは、「スヴェン」と名付けると、
元気になるまで看病し、面倒を見てやった。
以来ずっと、クリストフとスヴェンは文字通り寝食を共にしている。

冷たい大気を嗅ぐように鼻をヒクつかせると、スヴェンは大きな氷の塊を疑わしげに見た。
「ちょっとぼくには重すぎるよ」とでも言いたげに鼻を鳴らしたが、
蹄を蹴ってクリストフをおどかすかわりに、ほっぺたをペロンと舐める。
加工しそこねた小ぶりの氷塊が、クリストフのほうへ流れてきた。
チャンス!
なんとかおもちゃの道具で持ち上げると、自分のそりに乗せ、スヴェンのハーネスを繋いだ。

「行くぞ!」

「おう!」

1台、また1台と、ハーベスターの操る馬そりが山道に乗り出していくなか、クリストフは相棒に声をかけた。

「はしれ、スヴェン!」

トナカイにランタンを咥えさせ、隊列のしんがりにつく。
はじめはそりを後ろから押していたが、いけそうだと判断するや、ちゃっかり荷台の氷の上に飛び乗った。
スヴェンは楽々とそりを引き、少し遅れて馬そりの一隊に加わった。
クリストフは夜のドライブへの期待と不安ではち切れそうだった。
今夜こそ、彼らの仲間だって認めさせてやるぞ――。

頭上では、澄みきった北国の夜空にオーロラが舞っていた。
幾重にも張られたオーロラのカーテンが、七色の虹を妖しく放ちつつ、山の麓へと伸びていく。
アイス・ハーベスターと氷を載せた馬そりは、オーロラに導かれるように山道を下っていった。

大自然はいつも男たちに語り掛けていた。
ここには美しさと共に、危険が潜んでいる。
凍てつく心に気をつけろと。



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