Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




アナは身体を動かすのもままならなかったが、やっとの思いで顔を上げ、色の褪せた眼で、自分の方へ走ってくるクリストフを見つめた。あと少し。
アナの白い髪には霜が降り、顔が凍りつきはじめている。
ここで倒れては、もう二度と起き上がれないのが分かっていたので、かじかんだ両手を胸元で押さえ、硬直しかけた足を必死に前へ出す。

シャリン!
その時、アナの耳に剣を引き抜く音が響いた。
反射的にそちらへ振り返ると、信じがたい光景が目に飛びこんできた。
わずか数mほど離れた場所で、元婚約者が、抜き身の剣を頭上に振りかざしているではないか。
だが、剣を振り下ろそうとしている相手は、アナにではなく――。

「っエルサ……?」

「エルサ……!」

アナとほとんど同時に、ヴィルも声を上げた。
剣を抜く音がヴィルの耳にも届くと、船の陰からエルサへ忍び寄るハンスが姿を現わした。
王子の足下に、氷の宮殿にいるものとばかり思っていたエルサが、両手に顔を埋めうずくまっていた。
アナに背を向け、エルサに覆いかぶさるようにして仁王立ちになったハンス王子は、獲物をなぶる捕食者さながら、時間をかけてこの状況を楽しんでいる。

駆ける足がもつれ、ヴィルは逸る気持ちに引っ張られて顔面からつんのめった。
口の中で鉄の味が広がったが、気にしている時間すら惜しい。
雪を払いもせず起き抜けにまた駆け出した。
しかしまだ距離がある。これでは間に合わない。
……間に合わせるんだ。
ヴィルの周囲に小さな稲妻が迸る。
足を動かせ。
一直線にエルサに向かうルートを見つけ、それ以外には目もくれず突き進んできた今までのように。
一気に速度を上げたヴィルの足は、ぶちぶちと悲鳴を上げた。
それにも構わず、ヴィルの目はエルサだけを映していた。
ハンスが剣を振り下ろすより先に彼女の元に辿り着くんだ。

アナが、走ってくるクリストフを振り返る。
そして次に、姉に視線を戻した。
クリストフとのキスが、凍りかけた心臓を溶かす最後の望みなのは、十分すぎるほど分かっていた。
だが、姉の命が風前の灯なのを見捨てておけるはずもない。
身を切られるような思いでアナはクリストフから背を向け、姉の方に向き直った。

あと10歩、あと5歩、あと3歩――。

アナの凍りかけた身体のどこにそんな瞬発力が残っていたのか。
ハンスが剣を振り下ろすと同時に、ヴィルが転がるように間に入ってエルサを庇い抱き、そしてアナがその2人の前に身を投げ出した。

「エルサッ!」

「だめー!」

その瞬間、アナの全身が凍りつき、氷の塊になった。
ハンスがありったけの力を込めて振り下ろした剣は、アナの差し上げた氷の右手に当たると、粉々に砕けた。
アナの凍りついた心臓が最後の吐息を送り出し、動かぬ口元からひそやかに出て行く。

「アナ……!?」

振り下ろした格好のまま状況が飲み込めずにいる王子が、憤怒に燃えた表情に変わる頃には既に吹き飛ばされていた。
ヴィルが手をかざし、折れた剣を反発させハンスごと弾き飛ばしたのだ。
マストだけを突き出し転覆している船の柱に頭を打ち付けノックダウンしたハンスは、当分起き上がりそうにない。

肩をしっかりと抱かれたエルサが目を上げると、息を切らせて、真っ青な顔で氷像を見上げるヴィルの横顔がそこにあった。
肺を痛めたヴィルの、ヒュッという息が聞こえた。

「ヴィル……!あぁ、無事だったの……!」

エルサの喜びの声は、一瞬で立ち消えた。
ヴィルの目線の先には、右腕を差しあげ、左腕は姉を庇うように広げたまま、氷の彫像と化したアナが立っていたのだ。

「アナ!」

エルサは飛び上がると、冷たい妹の頬に触れた。

「あぁ、アナ……っ!
いや……嫌、そんな……嫌よ……!」

もはや応えることのない妹を抱きしめ、エルサが鳴咽する。
ヴィルは腕を力なくだらりと下ろし、両膝をついたまま動けなかった。
その場に辿り着いたクリストフもまた、歩を緩めて立ち尽くす他なく。
そこへ、先刻ブリザードに吹き飛ばされたオラフも、バラバラになった五体をかき集めてヴィルの隣へやって来た。
凍りついたまま動かないアナを見て、呆然とする。

「アナ……」

悲しそうな声で呼びかけた。
スヴェンもそっと、クリストフの傍らに寄り添う。
エルサは固くアナを抱きしめ、慟哭した。
俯いたヴィルから流れたいくつもの涙が、分厚い氷へ落ちては凍りついていく。
クリストフ、スヴェン、オラフの全員が頭を垂れた。
城壁から一部始終を見守っていたアレンデールの民と諸公らも、2人の王女の悲しい別離を悼み、それに倣う。
アレンデール全土が黙祷を捧げた。


一心に姉と妹を見つめていたオラフは、氷の像にかすかな変化が起きているのに気がついた。
アナの心臓を中心として、広がるように氷がゆっくりと解けだしはじめている!
オラフが息を呑んだ。
その音にヴィルも頭を上げると、目を見開いてその光景を見つめた。
スヴェンに小突かれたクリストフも何が起きているのかを理解すると、1人と1匹、一緒に目を輝かせて見守った。

右手を差し上げたポーズから、アナがふっと脱力した。
人間らしい柔らかさを取り戻した感覚にエルサがはっと顔を上げると、アナがこちらに目を向け、優しく姉に笑いかけているではないか。
アナが生き返った……!

「……っ、アナ……!」

氷が解け、生気を取り戻した妹を、エルサはしっかりと抱きしめる。

「エルサ……!」

夢にまで見た光景に、ヴィルは今度は感極まった涙を流していた。
拭っても拭っても溢れ出るそれを見て、ふふっと笑ったエルサがアナに向き直って尋ねた。

「私を助けるために、なんてことするの……っ」

まだ信じられない気持ちだったのだ。
氷漬けにした張本人の姉を、憎むどころか身を投げだして助けてくれたなんて。
まだか細い声で、アナはひとこと応えた。

「大切な人だから」

オラフがはっとなって、思わず頭を両手で持ち上げた。

「"真実の愛"が、凍りついた心を解かしたんだよ!」

自分の命よりも、姉の命を優先したアナの行為こそが、"真実の愛の業"だった。
アナは凍りついた心臓を、自分で溶かしたのだ。
王子様のキスはいらなかった。
姉を想う妹の熱い気持ちが、氷の心臓を打ち負かしたのだ。

オラフの言葉を噛みしめるように、ヴィルが反芻する。

「愛は氷を解かす……」

エルサも明るい声を上げた。

「愛……、そうよ……!」

妹を見つめるアイスブルーの瞳には、力強い確信が宿っていた。

「エルサ……?」

「愛よ!」

エルサは1歩後ろに下がると両の腕をゆっくり天に差し上げた。
すると、中空に止まっていた雪が、空に降り戻っていくではないか。
凍った地面が震動して、せり上がる。
気がつくと、エルサたちは甲板の上に立っていた。
フィヨルドの氷面が解け、氷の呪縛から開放された船が、次々にマストをもたげてまっすぐ起き直る。
雪の片が、フィヨルドから、城から、街角から、霜と氷と根雪と冷気を道連れに、天に舞い戻っていく。
凍りついていた噴水が、再びこんこんと流れはじめた。
白一色だったアレンデールの領土から雪と氷のシートが引き剥がされ、鮮やかな緑が顔を覗かせた。
雪の重みで窒息しかけていた王国が、息を吹き返したのだ。

屋内に閉じこもっていたアレンデールの人々は窓を開け、外に飛び出すと、凄まじい量の雪が上空に浮かぶ1つの大きな雪の結晶に吸いこまれていくのを、呆然と眺めやった。
その光景は何にも例えがたく、そして何よりも美しい光景だった。
最後のひと片まで雪が還っていったのを確かめると、エルサは振り上げた腕を左右に広げた。
空を覆う美しい雪の結晶が、花火のように霧散し、数日ぶりかの太陽が顔を出した。
暖かな日差しが王国中に降り注ぎ、夏の暑さも帰ってきたようだ。
アレンデール中では喝采が起き、途端にお祭り騒ぎになっている。

「できる、って言ったでしょ?」

アナがいたずらっぽくエルサに言った。

「よかったぁ」

オラフも手放しで喜んだ。

「今日は僕の人生の中で一番の日だ」

だが、暖かな日光を浴びて、たちまち身体が溶けていく。

「人生最後の日だけどね……」

甲板の上で、オラフが水たまりになっていく……。

「あぁ、オラフ」

エルサが優しく言った。

「私に任せて」

エルサが手をクルクルッと振ると、オラフの周りに冷気が渦巻き、雪が固まるとオラフは元通りの姿になった。
最高なのは、エルサが頭の上に作ってくれた小さな雲から途切れることなく雪が降っていて、身体が解ける心配なしに憧れの夏を満喫できることだった。

「あっあっあー!すごーい!僕だけの雪雲ー!んふふふふ!」

オラフは小躍りして喜んだ。

「これもエルサの愛の形なのかなぁ、んふふ!
愛の形って、本当にたくさんあるんだねぇ!ねっそうでしょヴィル?」

「えっ?
うん、そうだねオラフ」

なぜ自分に話を振られたのか分からないが、言っていることには大いに同意できる。
ヴィルはこくりと頷いた。

「僕はヴィルの愛し方も大好きだよぉ」

オラフはすぐ隣のヴィルの足下にぴったりとくっついた。
ヴィルの顔がちょっぴり赤くなった。

「ヴィルの愛し方?なにそれ教えて!」

アナが話に飛びついた。
エルサも口には出さないが、興味のありそうな顔だ。
クリストフとスヴェンも黙ってヴィルを見つめている。
オラフが先を促した。

「ヴィルだってエルサのこと大切なんでしょ?愛を伝えないと〜」

「あー……いや……。
まあ、うん……そうだけど……えぇ、ここで……?」

急に注目の的になってしまったヴィルは、目を泳がせながらうなじをぽりぽりと掻いた。
なおも見つめ続ける視線に観念したヴィルはぽそぽそと呟くように口を開いた。

「……エルサ様のことを考えると心が暖かくなる、というだけです。
今回の件で、雪の女王だなんて言われてましたけど、十分に暖かいお人です。
ずっと前からそうでした。ずっと前から――」

歯切れの悪い言葉尻で終わらせ、ヴィルは口元を両手で押さえた。

「どうしたの?」

「……だめです、こぼれそうになる」

口の中を切っていたようだし、もしかしてまた噛んじゃった……?
心配したエルサが身を乗り出して尋ね、ヴィルの顔を覗き込むと、彼女と目が合ったエルサは少し驚いた。
その揺れたヘーゼルの瞳は、口ほどにものを言うようだった。
ヴィルはいよいよ顔を覆って俯いてしまった。

「こりゃ、思ったより重症だな」

覗く耳が真っ赤に染まっているのを見たクリストフが、肩をすくめて相棒に目配せした。

「言ってくれないのかしら?」

エルサが促した。
アナとオラフは愛の告白現場に居合わせられたことにうずうずしながら、ヴィルの言葉を待っている。
ヴィルは指の隙間から上目を覗かせた。

「愛しています、エルサ。
生まれたときからずっと、愛しています……」

途端に、外野を決め込んでいるアナとオラフが沸き立った。
エルサ本人はといえば、想像していたよりずっとストレートな言葉に面食らっている。
クリストフとスヴェンは、赤面しながらもやっと伝えられたヴィルに、ほっと胸を撫でおろした。

気を取り直したエルサは、再び瞳をしまい込んだヴィルの両手を顔から引き剥がすと、そのまま彼女の懐に飛び込んだ。
妹にそうしたように、ヴィルをしっかり抱きしめると、間を置いて、恐る恐るといった様子でヴィルも腕を回した。
それを確認すると、エルサはアナにも手を伸ばし彼女を迎え入れ、3人で固く抱き合った。
長い年月のあいだ隔てられていた隙間を、埋め合うように。

そこへ、ようやく意識を取り戻したハンス王子が、甲板の上で立ち上がろうとしていた。
それを見たクリストフが、肩を怒らせ彼の元へ行こうとするのを、アナが遮って止めた。

「ちょ、ちょちょちょ、」

しこたまぶつけた後頭部をさすっていた王子はアナを見ると、肝を潰した。

「……っ、アナ?え、心が凍ったんじゃ……。
それにどうしてヴィルが生きてるんだ……」

「心が凍っているのはあなたのほうでしょ?……ふんっ!」

アナは王子の顔に怒りのパンチをお見舞いした。
乙女をなめるな!

「わーーー!!」

哀れ、ハンスは甲板から真っ逆さまに海へ落ちた。
自分と王国を手玉に取ろうとした悪党王子に一矢報い、アナは会心の笑みを浮かべた。
解凍後のちょうどいいウォーミングアップになったみたいだ。

「あの王女やるじゃないか!」

城壁の上では、諸公や衛兵たちもまた、堕ちた偶像の末路に胸をすっきりさせたように歓声を上げていた。

エルサがアナに近寄り、 血の通った柔らかい身体を確かめるように、また抱きしめた。
先ほどのハグではまだまだ足りなかったようだ。
姉妹に引っ掴まれ、その抱擁の最中にヴィルも巻き込まれると、彼女もまたエルサとアナを抱き返した。
こんな日が来るなんて、と何度だって感極まるところだ。
満足げなアナはクリストフと目を合わせ、笑みを溢した。
クリストフが、スヴェンの首に腕を回す。
人間も捨てたもんじゃないかもな――。

クリストフは幼い頃、アイス・ハーベスターに聞かされた伝説を思い出していた。
氷の心臓は、氷河に秘められた湖の中にあるのではない。
恐怖という魔物に憑かれた、人の心の中にあるものだ。
そして、それを解かすのもまた、愛を信じる人の心だ。

姉と妹とその従者は固く抱き合ったまま、いつまでも離れようとしなかった。





_
( 21/22 )
[back]
[しおりを挟む]



- ナノ -