Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




アナを部屋に閉じこめた後、ハンスは会議室に向かった。
折しも、ウェーゼルトン候爵が高官たちを相手に熱弁を奮っているところだった。

「どんどん気温が下がっている……。
早くなんとかしないと、凍え死んでしまうぞ!」

精一杯取り乱したふりを装い、ハンスが部屋に入る。

「ハンス王子!」

「……アナ王女が今――死んだ」

「亡くなったのか……!?」

突然の訃報に驚いた一同は、悲しみに耐えかねてよろめくハンス王子に手を貸し、椅子に腰かけさせた。

「何があったんだ!」

侯爵が尋ねる。
ハンスは目いっぱい眉を下げ絶望した顔を作った。

「殺されたんだ。エルサ女王に」

「まさか!実の姉に!」

居並ぶ諸公の間に、衝撃が走った。
瞳を揺らし、ハンスは悲嘆に暮れる婚約者を演じ続ける。

「アナは僕との結婚を誓ってから、腕の中で、息絶えた……っ」

最後の締めくくりとばかりに、ガクリと頭を項垂れてみせた。
つまり、アナ王女と夫婦の契りを結んだのであれば、サザン・アイルズのハンス王子はアレンデール王家の一員とみなされ、現エルサ女王の次の王位継承権を獲得したことになる。
結婚の誓いに立ち会った者は当事者2人のみで、そのうちの1人アナ王女は亡くなってしまい、事の真偽を確かめる術はないのだ。
アナ王女が"生前"、ハンス王子に自ら接吻をせがむ姿を、複数の高官たちが目撃しているのも、こちらに有利に働くはずだ。

「……これではっきりと分かった」

侯爵が言った。

「エルサ女王は我々の敵だ。このままではみんな危ない!」

「ハンス王子」

廷臣の一人が言った。

「アレンデールをお守りください……!」

ハンスは重々しく頷いた。心の中で、小躍りしながら。
こんなに早く、王の座が転がり込んでくるとは夢想だにしなかった――文字通り、自分が今腰かけているのは、アレンデール王家の玉座じゃないか?完璧ではないか。
やはり、僕は王の器だったということだ。
ハンスは背筋を伸ばすと、玉座から臣下に下す、最初の命令を発した。

「つらいことだが、アナ王女を殺し国を滅ぼそうとしたエルサ女王と、その幇助をした近衛兵ヴィルを――死刑にするしかない」


ガチャン、ガチャン。
仄暗い地下牢からは金属のぶつかる音が続いている。
意識を取り戻したヴィルが、エルサと同様のグローブ状の手枷から逃れようと、押したり引っ張ったりしている音だ。
ヴィルが目を覚ましたときには、今ほど冷気は漂っていなかった。
そのため見回りの警備兵や、処遇を決めた高官がそれを伝えに地下牢へ降りてくるのを大人しく待っていたのだが、ある時から急激に冷やされ白い靄となった空気が地上階から降りてきたのだ。
エルサに何かあったに違いない。
そうなれば、大人しく繋がれていてなるものか。
ヴィルはそう自身を奮い立たせ、枷を外そうと躍起になっていたのだ。

倒れる直前の記憶は曖昧だった。
無礼を心の中で詫びながら、エルサを突き飛ばしたところまでは覚えている。
関節が凍ったように動かないのを無視して腕を伸ばし、最後の力を振り絞ったことで直後に氷の棘の呪いが競り勝ち、ヴィルを完全に凍りつかせた。
そして次の景色がこれだ。
薄闇に湿り気を帯びた石造りの地下牢。
窓などなく、ただでさえひんやりと淀んだ空気を纏うこの空間は、今やどこかしこも霜やつららで覆われ、まるで大きな氷室だ。
1階にある牢獄よりもさらに大罪を犯した咎人や、処刑が決まり時を待つ罪人などがここに繋がれる。
かつて捕らえる側――といっても、実際にそういった任に就くことはなかったが――だったヴィルが、皮肉にもぼろぼろの隊服に袖を通したままここに繋がれている。

エルサの収監された牢とは違い、ここには身体を横たえるための長椅子すらない。
床に乱雑に敷かれた藁束は薄汚れ、長く使われる機会もなかったからかほとんど腐りかけている。
ただ、その"寝床"とも呼べそうにない藁にすら、ヴィルは行くことができなかった。

グローブ状の手枷は壁に取り付けられており、気絶していたヴィルは冷たい石壁に背中を預ける形で座らされ、両手をその頭上の拘束具に纏められて下ろすこともできないのだ。
着の身着のまま投獄されたヴィルは、胸の前で両腕を組み合わせて防寒することも叶わない。
何の魔法も持たない者であったのなら、たとえ意識が回復してもこの寒さで凍死してしまうだろう。
それを狙い、ヴィルをこの地下牢に繋ぐ指示をしたのはもちろんハンス王子だ。
数日前まで同僚だったヴィルに心苦しく拘束具を取り付けた衛兵には「あとで医者を呼び、防寒具と温かい食べ物を持って来させる」と話し、他の衛兵には「見張りをつけているので心配はない」と説明をした。
そんなこと知る由もないヴィルは1人、上階から滑り降りてくるエルサの絶望とも呼べる冷気に駆けつけるべく、脱走を試みているのだった。

分厚い金属で作られた手枷は、ヴィルにとって相性が悪かった。
電流を流したところで枷が外れることはないし、身体が焼けてしまうため、金属を壊せるほどの雷を起こすわけにもいかない。
今の状況では、せいぜい体内で発熱させ体温を維持することくらいしかヴィルの魔法は役に立たなかった。
しかし、それも満足にできているかと問われれば、"死なない程度"に留まっている。
気絶している間は体温維持ができておらず、目を覚ましたときには身体の芯から冷え切っていた。
凍りつく直前の、得も言われぬ寒さが続いているようだった。

ただ、髪色が戻っている。
心に刺さっていたはずの氷の棘は感じられず、冷え切った寒気はこの環境から来るものであるという判別がついていた。
つまり、身体の内側から貪られるような、侵すような寒気ではないのだ。
なぜか心の氷の棘は取れていた。それを考える余裕など、今のヴィルにはないのだが。
復温さえできれば、それを維持するだけでいい。それができないだけ。
ヴィルの体力はとうに限界に達していた。
自分の力だけで手枷を外すことはできないと判断し、人を呼ぼうと息を吸っても、肺を刺す冷気が襲い咳き込んでしまう。

ガチャン。
何度目か分からないが、もう一度めいっぱい腕を引っ張ってみる。
全力で引っ張れたのなら、あるいは外れたのかもしれないが――枷というより、手首の関節が外れかねないが――今の彼女の力では手枷はぴくりともしない。
もし手枷を外すことができたとしても、この牢の鉄格子も突破しなければならない。
大きすぎる障壁を前に、ヴィルは脱力した。
諦めない。
諦めたくはない、が……。
疲れきり、空腹も相まって力がうまく入らないし、凍えて震えも止まらない。
カチャリ。
手枷の金属音が頼りなく地下牢に響いた。

「――こっちよ……早く……」

地下牢へと続く階段から、小さな声が聞こえてきた。
忍ぶような声色と足音だ。足音の数からして……2人だろうか。
耳を澄ませたヴィルが警戒心と共に階段の方を見つめていると、そこへ姿を現わしたのは、ランタンや湯気の立ち昇る器をそれぞれ手にした、侍従と侍女の2人だった。

「カイに……ゲルダ……?」

そう発せられたヴィルの声は、自分でも驚くほど掠れていた。
他の誰にも見つからぬように周囲に気を配りながら下りてきた2人は、ヴィルの姿を見つけるとすぐに駆け寄った。
カイが懐から取り出した鍵束で鉄格子の牢はあっさりと開けられ、入ってきたゲルダが床に置いたランタンの灯りが、傷だらけのヴィルを照らし出した。

「あぁ、無事でよかった……」

カイが続いて手枷の開錠に取り掛かったとき、ゲルダは安堵のため息をついて、まるで母親が子供にそうするように頬を優しく撫でた。
ゲルダの手も、ランタンの灯りも、とても暖かだ。
これで助かったのだろうか……?
ようやく手の自由を取り戻したヴィルが、痛む肩に手を添えながら鼻を啜った。

「さあ、これを飲んで――寒かったでしょう……」

差し出された器には、なみなみとホットワインが注がれ、温かな湯気が立ち昇っている。
今のヴィルにとっては他の何にも代えがたい最高のご馳走だ。
喉を鳴らしてごくごくと飲むのを眺めながら、カイとゲルダはまだ安心できないとばかりに表情を険しくさせたままだった。

「ヴィル、あなたにはまだやるべきことがあります」

ゲルダがそう口を開くと、カイが重々しく頷いた。

「エルサ女王をお救いください。
女王とヴィル、君に、国家反逆罪の咎がかけられています。このままここにいては、2人とも殺されてしまう……!」

「……誰が、そんな指示を……?」

ヴィルがおもむろにではあるが、血相を変えた。
今この国でそんな指示ができるとしたら、せいぜいアナくらいだが、彼女は間違っても姉をそんな風にはしない。
アナは――

「アナは、無事なんだよね……?」

その問いかけに、カイもゲルダも俯いてみせた。
カイが歯ぎしりの隙間から声を漏らす。

「アナ王女は殺されたと。……エルサ女王に、殺されたと。
亡くなる直前、結婚の契りを交わしたハンス王子が、今この国を取り仕切っています」

ヴィルは胃の底が抜けたようだった。
あのサザンアイルズの王子が……。
ヴィルは首を横に振った。

「その、アナの姿……を誰か確認したの?
大臣たちは誰も、エルサの処刑に抗議しなかったの?」

彼の底知れない本性を察し、ヴィルは寒さとは別の身震いをした。
アナは本当に亡くなってしまったのだろうか?
いや、姿を確認するまで納得してたまるか。
しかし、もし自分の悪い予感が当たっているのなら、あるいはハンスの手にかけられて――。
ヴィルは再び首を振る。

「エルサは、どこに」

まずは彼女の安全を確保しなければ。

「1階の牢に捕らえられています」

カイが項垂れながら答えた。
それを聞いたヴィルは立ち上がろうとしたが、ぐらりと視界が歪み、バランスを崩したところで2人の召使いに支えられた。

「アレンデールの廷臣たちは誰ひとり、現女王のエルサ様に手を出すことを当然ためらったとも。
何せ、長く国民に愛されてきたアグナル国王とイドゥナ王妃の忘れ形見でもあるのだから――」

カイが言った。

「しかし、ハンス王子の指示や、言っていることもまた、全て法律に則っていて……。
だから誰も王子に逆らえないのです……感情論に勝る現状が、事実が、彼に有利に働いています……」

「だからって……!」

「エルサ女王は、」

声を荒げるヴィルを、ゲルダが静かに遮った。

「あの子は、早すぎる国父の急逝で倣うべき人を失いました。
その悲しみの中で、あなたがそれを担い彼女を導こうとしてきたことは、近くで見てきた私たちが知っています」

ゲルダはヴィルの腕をさすって微笑んだ。

「エルサ女王をお救いください。
それができるのは、他の誰でもない。あなただけなのです。ヴィル」

ヴィルは胸が詰まる思いだった。
両親を失い、遺された子どもたちなりのやり方で今までなんとかやってきたつもりだった。
もちろん自分たちの力だけで生きてきたとは思っていないが、誰かを親代わりにするでもなく、自分たちが早く大人になることで周囲と渡り合ってきたつもりだった。
それは全て、本当の意味で"大人"である彼らの見守る目があってこそだったのだ。

ずっとずっと頑張り続けてきた。
もうひと頑張りだ。
ヴィルが再び立ち上がるのを、カイとゲルダが両側から支えた。

「エルサ様を、お守りします」

彼らに向き直り、ヴィルはそう言って敬礼をした。
2人がそれに頷きで返すと、ヴィルはすぐさまエルサのもとへ駆け出していった。
まだ安心できるような状況ではないものの、カイとゲルダは在りし日を思い出していた。
幼き日、国王と王妃に抱かれた赤子のエルサを前に、父と並んで初めての敬礼をして見せた日のことを。
帝王学をはじめ、本来学ぶ必要のないことまで教養として身に着け、エルサ王女が躓いたときに教え導いてきたヴィルの姿を。


地上階の牢に繋がれているエルサは、ハンス王子が退出した後も、ずっと窓辺に立ちつくしていた。
石造りの獄舎の中は、雪の女王の仮住まいに相応しい模様替えを施されていた。
壁じゅうが氷に覆われ、天井までカチカチに氷結している。
窓の外は、降りしきる雪の幕に遮られ、景色がよく見えない。
エルサは妹と従者の身を案じた。
まだこのアイスストームの中にいるとしたら、妹は無事には戻ってこれまい。
探しに行きたいのは山々だが、アナに近づけば、再び心が乱れて、今度こそ致命傷を与えてしまうかもしれない。
目を覚まさないと聞かされたヴィルの状態だって、満足に確認できやしないし、医者の手配すら叶わない。
どちらもハンス王子に託すしかないのだ。

やはり、私は化け物なのかもしれない――。
侯爵やハンスの言葉が、頭を離れなかった。
エルサの力は、アレンデールにとって災い以外の何ものでもない。
エルサのもたらした未曾有の「冬」のおかげで、国土は火が消えたようになってしまった。
自分はここにいてはならない。
これ以上アレンデールに害をなさないために、一刻も早くここを脱出しなくては。
そして、 ノース・マウンテンの氷の宮殿に戻るのだ。
そこならば、 誰も傷つけなくて済む――だが、考えてみれば、氷の宮殿は、自分で自分を閉じこめるために作った、 もうひとつの牢獄のようなものではないのか――。
どんなに1人になりたくても、アレンデールとの絆を断ち切ることは叶わず、挙げ句の果てに今、妹の婚約者の手によって、祖国の獄舎につながれている。女王たるこの私が――。
胸に苦いものがこみ上げたエルサは、こらえきれず、涙をこぼした。
拭おうとしたが、手が動かない。
かつて拭ってくれた暖かな手も今や遠い。
目を落とすと、両手の自由を奪っている拘束具が完全に氷結していた。
その途端、エルサを、奇妙な諦念にも似た感覚が襲った。
これは一体、何の罰なのだろう。
私が何をしたというのか。
アレンデールを氷漬けにしたのも、妹を雪嵐に迷わせたのも、望んでしたのではない。
唯一の寄る辺すら、自らの手で凍りつかせ、今にも壊れようとしている。
この世界で頼れるものはもう何もなく、神様からも見捨てられた気がした。
心が空っぽになってしまったようだ。

突然、手枷が真っ二つに割れ、両手の拘束が解けた。
同時に轟音が響き渡り、凍りついた壁にいくつもの亀裂が走ると、もろい土くれのように崩壊した。
外に面した壁が丸ごと崩れ落ち、吹雪が容赦なく吹きこんでくる。

「急げ!」

「女王は危険だ、油断するな!」

「気をつけろ……!」

音を聞きつけ、ハンス王子とそれに伴わされた衛兵たちが階段を急いで駆け下りてきた。

「開かないぞ!」

「凍ってるんだ!力ずくで開けるぞ!」

男数人がかりでやっと凍りついた扉を打ち破ると、そこはすでにもぬけの殻だった。
目を丸くする衛兵たちをかき分け、先頭に躍り出たハンスは、壁にポッカリ開いた穴を目の当たりにすると、苛立ちを露わに表情を歪めた。
牢獄の凍りついた床には、割れた手枷だけが落ちていた。




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