Frozen's thervant 
 -アナ雪エルサ主従夢-




数時間後、エルサは目を覚ました。
ここはどこだろうか。
見慣れぬ石造りの部屋の中は暗く、壁にひとつだけ開いた小さな窓から、冷たい外光が差しこんでいる。
エルサは積たわっていた長椅子から身を起こし、窓辺に走り寄ろうとして何かに腕を引っ張られた。
見下ろすと、両手は金属製の拘束具にすっぽり覆われ、拘束具から伸びる長い鎖が石の床にボルトで固定されていた。
足下にはエルサの発する冷気で、氷の霧がたちこめている。
エルサは鎖を目いっぱい伸ばし、窓の外を覗いた。

目に映ったのは、雪と氷に覆いつくされ、凍りつき、窒息しかけているアレンデールの領土だった。
ということは、ここはアレンデール城にいくつかある牢の一室か。
存在は知っていたが、これまで実際に訪れたことはない。
アグナル国王の治世中、牢に繋がれるような犯罪者はいなかった。
どうやら、自分はここに繋がれるに相応しい大罪を働いてしまったようだ。
アナが言っていた通り、戴冠式の時から雪は止むことなく降り続けたらしく、何mもの雪が地面や建物の屋根に積もり、フィヨルドの氷は解けるどころか、ますます厚みと硬度を増している。
封じこめられた船たちが氷の枷を逃れようと、ちょうど今のエルサのように身体を傾けていた。

窓に映ったエルサの顔が強ばり、驚愕のあまり瞳孔が大きくなった。

「っ!
……そんな……私のせいで……」

自分の置かれた状況が分かった途端、倒れる前の記憶が蘇る。

「ヴィルは……」

意識が途絶える直前の映像は、スローモーションのようにゆっくりと目の裏に焼き付いていた。
落下するシャンデリアからエルサを逃がそうと突き飛ばし、ほとんど凍りつき動けないまま下敷きになったヴィル。
最悪の事態だ。それ以外の可能性が思い浮かばない。
彼女が生きていると信じるのに、エルサは絶望しすぎていた。
瞳が揺れ、ここにいないと分かっていてもヴィルの姿を探しに視線が彷徨う。
外の銀世界になじんだ目が牢へ戻されると、目の前が文字通りに真っ暗になった。

視線が落ち、暗闇に慣れてきた目が潤みだしたとき、ランタンを手にしたハンス王子が牢獄の前に立った。
扉の開く音が聞こえ、囚人が反射的に顔を上げる。
王子は中に入り、エルサの姿を確認するとランタンを扉のそばに置いた。
牢獄は恐ろしいまでに寒く、ハンスは両腕を胸の前で組み合わせた。
エルサは平気なのだろうか?さすが雪の女王だ。

「……なぜここに連れてきたの?」

エルサが聞いた。

「あのままでは殺されていた」

エルサは拘束された両手を見下ろした。

「私はアレンデールにとって危険なのよ。アナを呼んで」

「アナはまだ戻ってきていない」

あの後、氷の宮殿内をくまなく探したがアナの姿はなかった。
山の中で迷子になり、吹雪の中を彷徨っているのだろうか。
風の音が強まった。
窓の外に目をやったエルサは、激しく降りつのる雪に胸騒ぎを覚えた。
まだ最悪なことが続くというの?
妹が、まだあの雪嵐の中に――?

「……ヴィルはどこなの?無事、なのよね……?」

ハンスの表情から察するのが恐ろしくて、エルサは目を伏せ俯いたまま尋ねた。
怖くても、聞いて確認しなければならない。
でも聞きたくない。答えを聞かないまま、数時間前へ……いや、数日、数年前へ戻してほしかった。
不意に、幼い日の記憶が蘇る。
2人並んで本を読み星空を見上げた、静穏で暖かな日々だ。

「今は、なんとも」

ハンスから歯切れの悪い返事が返ってくる。
最も恐ろしい言葉を回避したエルサは、おもむろに顔をあげた。

「ずっと目を覚まさないんだ。
でも、君が目を覚ましたのなら、もしかしたら……。
このあと、彼女の様子も見に行くよ」

ハンスがひと際大きくブルッと身を震わせた。

「……頼むから、冬を終わりにしてくれ。夏に戻してほしい。お願いだ」

エルサは、深い憂慮をたたえたハンスの眼差しを見つめて、自嘲気味に言った。

「分からない?できないのよ」

そう言うと、囚われの雪の女王は顔を背けた。
ハンスには、エルサが真実を告けているのが分かった。

「私をこのままあの山に帰して……」

ハンスは扉に戻り、ランタンをとりあげた。

「できるだけのことはする」

そう言うと、扉に鍵をかけて牢を後にした。

「パキッ」という鋭い音がした。
エルサが見下ろすと、 グローブ状の手枷が凍りつきはじめている。
床にたちこめた雪煙がゆっくりととぐろを巻き、窓の外では風が勢いを増した。
妹の安否を思う姉の心は激しく乱れ、寄り添い続けた彼女もいない。
エルサの感情が――そして、禁断の力が――再び制御不能に陥らんとしていた。


アナとクリストフを背中に乗せたスヴェンが、全速力で山道を下っていく。
その脇を、オラフがお茶目なペンギンよろしくお腹で滑っていた。
アナを抱えるようにして、後ろから手綱を握っていたクリストフは、腕の中の彼女が震えているのに気づいた。
顔を覗きこむと、真っ青だ。

「頑張るんだぞ……!」

少しでも暖かくなるよう、自分の帽子を被せてやる。
アナは弱々しく微笑んだ。

「急げ!もっと飛ばせ!」

クリストフは相棒を急かせた。
アレンデールの街はずれに着く頃には、オラフは1人でずいぶん先を行っていた。
どうやら勢いがつきすぎたらしい。

「へっへー!うぅうぅうぅうぉっとぉ!
先にお城に行ってるよ〜!」

バラバラになりかけたお尻を押さえつつ、叫ぶ。

「人に見られないように気をつけろ!」

後ろからクリストフの声がする。

「わかった〜!」

オラフは叫び返し、街の方へ突っ込んでいった。
スヴェンを走らせながら、クリストフは前方へ消えていくオラフを目で追っていたが、 ほどなくして女性の金切り声が聞こえてきた。

「こんちは!」

「キャー雪だるまがしゃべった!!」

生まれてはじめてしゃべる雪だるまを見た街の住民は、さそがし仰天したことだろう。
クリストフは同情した。
だから人目につくなといったのに……オラフの辞書に「人目を忍ぶ」という言葉はないのだろう。
その時、アナが再び腕の中で身震いした。
そうだ、オラフにかまけている余裕はない。クリストフは先を急いだ。

街をやり過ごし、アレンデール城に続く橋を渡れば、城門の前に出る。
戴冠式の夜以降ハンス王子の指示によって、食料や暖を求めて訪れるアレンデールの臣民を迎え入れるため、門は開け放たれていた。
しかし早朝の今はそうした人影もないため門は閉められ、門兵2人が城門の上で見張りに立っているだけだった。

いったいこの先、アレンデールはどうなってしまうのだろう。
このおかしな吹雪は、いつ止むのだろうか。
エルサ女王とアナ王女がこのまま帰ってこなかったら、一体誰がこの国を治めていくのだろう……。
追いかけていったヴィルはどうして戻ってこない?
決して仕事を半端に終わらせるようなあいつじゃなかったはずなのに。本当に何かあったんじゃ……。

門兵たちは、そんな会話をぽつぽつと続けながら、一向に太陽が現れる気配のない空を不安そうに見上げた。
うぅ寒い。これは特別手当を出してくれても、バチは当たらないんじゃないか。
門兵の1人がこぼした。
夏の盛りから急転直下でこの寒さじゃ身体が持たないよ。
そんなことを呟きながら、空から橋の向こうに目を転じた門兵は、何かが猛スピードでこちらへ向かってくるのに気がついた。
街の住民?……ではない。馬……いや、角がある。トナカイか。
そして、 トナカイに乗っているのは――。

「アナ王女だ!」

相棒の肩に手をかけ、門兵は城に向かって叫んだ。門を開けるには4人必要だ。
門兵が応援を呼びに行っている間に、スヴェンは滑るようにして門の前へ到着した。
クリストフに抱えられ、アナはスヴェンの背中から降ろされた。
アナは衰弱しきっており、目を上げるのもひと苦労のようだ。

「クリストフは……?大丈夫なの……?」

歯の根も合わないアナが、クリストフに気遣いの言葉をかける。

「俺のことは心配するな」

クリストフは優しく微笑んで答えた。
城門のすぐ目の前まで来たときにちょうど二重扉が開かれ、召使いの侍女2人と侍従のカイが慌ただしく出て来た。

「姫!あぁ、とても心配しておりました……!」

アナの侍女ゲルダが、安堵と心配で顔を歪めた。

「身体を暖めて、大急ぎでハンス王子を探すんだ」

「分かった。感謝する」

カイが丁重に礼を言い、ゲルダたち侍女がクリストフから主人を受けとる。

「おかわいそうに。こんなに冷たくなって……。
さあ、中に入って身体を暖めましょう……」

侍女たちに連れられ、アナが門の内側へ入るのを確認すると、門兵はクリストフの面前で門を閉じた。

「姫を頼むぞ!」

門扉越しに声をかけ、しばらくその場に立ちつくしていたクリストフは、踵を返して橋を戻りはじめた。
スヴェンはアナを置いて行くのに合点がいかないようで、クリストフと扉を交互に見ていたが、やがてしおしおと相棒の後についていった。


「もう一度アナ王女を探しに行ってくる」

ハンスは各国の高官やアレンデールの衛兵たちと城内の一室に集まり、女王の処遇について討議していた。
エルサが捕らえられた牢を出たあと、ハンスはヴィルのいる地下牢へは行かなかったようだ。

「ハンス王子」

高官の1人が異議を唱える。

「外は危険です!おやめください!」

「もし王女に何かあったら――」

「もし王女に何かあったら、」

別の国の高官が言った。

「アレンデールが頼れるのはあなただけだ!」

ハンスは、その言葉を聞いて満更でもないような息を吐いた。
そこへ部屋の扉が勢いよく開き、ゲルダとカイに支えられたアナが入って来た。

「こちらです」

「ハンス王子!」

驚くハンスの腕の中に、アナが倒れ込む。

「アナ!こんなに冷え切って……」

アナはなんとか言葉を絞りだした。

「ハンス、すぐにキスして……」

「え?」

「早く、早く……!」

ハンスの首根っこにしがみつき、アナが声を上げる。
アナの切羽詰まった様子に、ハンス王子はたじろいだ。

「落ち着いて……」

召使いたちは、若いカップルは2人きりになりたいのだと思い、気を利かせた。

「2人だけにしてあげましょう」

召使いが退出すると、高官たちも会議を中断してそれに倣った。
しんと静まりかえった一室で、ハンスはアナに向き直った。

「何があったんだ?」

「エルサの魔法にやられたの……」

「でも姉だから大丈夫だと……」

「ううん、違ったの……っ」

そう言うなり、アナはその場にへたり込んだ。

「アナ、しっかり」

ハンスはアナを抱き上げると、赤々と燃える暖炉の前のカウチに連れていって横たえた。
暖炉の火に照らされたアナの髪は、ほとんど真っ白に変わっていた。

「心が凍りそうなの。それを解かせるのは"真実の愛"だけ……」

氷の宮殿で、エルサに拒絶されたときの記憶が蘇り、アナはブルッと震えた。
だが、もう大丈夫。
アナはほっと息をついた。
王子様のキスで、何もかも元通りになるわ――。

「――愛する人とのキス……!」

ハンスは1を聞いて10を知る者だ。
それ以上の説明は不要だった。
アナの華奢な顎にそっと手を添え、優しく微笑む。
アナは目を閉じた。
ゆっくりと顔が近づいて……次の瞬間、ピタリと止まった。

「……あぁ、アナ。
君を心から愛する人がいればなぁ」

「……え?」

アナは自分の耳を疑った。
ハンス王子はアナから離れ、立ち上がった。
窓辺に立ち、王国の景色をじろりと睨みつける。
もう少しだ。もう少しで、この国が自分のものになる。

「あ、愛してるって、言ったでしょう……?」

言ったわよね?
もしかして、私の勘違い……言ってなかったかしら……?
アナは混乱した。
とにかく、これは何かの間違いだ。きっとそうだ。

「僕の王位継承権は第13位。
だからもし王になりたければ、どこかの王女と結婚するしかないんだ」

アナはショックで頭を上げていることさえ難しくなる。

「ハンス?あなた、何を言ってるの……?」

「エルサのほうが王位に近いが、彼女は誰のことも受け入れない。
でも君は、愛に飢えてる」

カーテンを閉めたハンスは薄笑いを浮かべ、手袋を脱ぐと蝋燭の火を指で揉み消した。

「ハンス……?」

次に相手の口から出る言葉を半ば予想し、アナは怯えた。

「喜んで僕との結婚を決めた。出会ってすぐに!」

「っ、」

テーブルに置いてある水差しをとりあげ、暖炉に近寄る。

「僕たちが結婚したあと、エルサには事故に遭ってもらうつもりだった。
あのよく鼻の利きそうな、懐いてる犬も一緒にな」

薪に水を注ぎ、ハンスは暖かに燃える火を消した。
部屋は暗闇に包まれた。
アナはカウチから立ち上がろうとしたものの、力が入らず床に崩れ落ちてしまった。

「ハンスっ、いや、やめて……!」

途端に冷たいすきま風が部屋を満たしていく。

「だがエルサは犬を死の淵へ追いやって破滅に突き進み、君は愚かにも彼女を追った」

ハンスはこらえきれずにクスクス笑いはじめた。

「ヴィルが……?」

アナが目を見開いた。
あの後、きっとヴィルもあたしと同じ状態になっているはず。むしろもっとひどかった。間に合わなかったって言うの……?
ハンスはその様子を笑いながら見下ろし、気楽に言った。

「あとは楽なもんだ。
エルサを殺し、夏を取り戻せばいい」

ハンスの底知れぬ残酷さを見せつけられ、アナは悲鳴をあげたくなった。
戴冠式の日に出逢った優しく思いやりのある貴公子の仮面の下に、こんな本性を隠していたとは。
床に転がるアナのもとに、ハンスがやって来る。

「あなたは、エルサに、勝てっこない……!」

ハンスは屈んで、アナの目を覗き込んだ。

「いいや?エルサに負けたのは君だろ?」

勝ち誇った声で言い放つ。
"真実の愛"のキスをしようとしたときと同じように顎に手を添えられたが、素手のそれは暖かさや優しさの欠片もない、ひどく冷たいものだった。
アナが渾身の力を振り絞って顔を背けたが、ハンスはそれを気にも留めない。

「勝つのは僕さ。
アレンデールの国を、滅亡から救ったヒーローになるんだからな」

ハンスは立ち上がり、再び仮面を被るように手袋を入念に嵌め直しながら出口に向かった。

「うまくいくわけないわよ……」

「いいや、もう上手くいったさ」

ニヤリと笑うと、ハンス王子は部屋を出て、外側から鍵をかけて立ち去った。
アナは必死に扉まで這っていき、取っ手を掴む。

「……っ、お願い、誰か、助けて……!」

振り絞っても掠れ声しか出て来ず、厚い扉の向こうには届きそうもない。
アナは扉に頭を預け、寒々とした部屋をぼんやりと見渡した。
再び鼻先で扉が閉じられ、アナは1人取り残された。
「僕は決して、君を閉めだしたりしないよ――」
わずか3日前、 ハンスが自分にかけてくれた言葉が頭をよぎる。
冷気が床を伝い、身を横たえたアナから残った最後の気力を奪っていく。
彼女も、こんな絶望と寒気を感じながら凍りついたのだろうか……。

「お願い……早く……、……ヴィル……っ」




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